学位論文要旨



No 117526
著者(漢字) 横田,康弘
著者(英字)
著者(カナ) ヨコタ,ヤスヒロ
標題(和) 可視・近赤外波長域における月面の光反射特性
標題(洋)
報告番号 117526
報告番号 甲17526
学位授与日 2002.07.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4239号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水谷,仁
 東京大学 教授 藤原,顕
 東京大学 教授 栗田,敬
 東京大学 教授 宮本,正道
 東京大学 助教授 佐々木,晶
内容要旨 要旨を表示する

 地上望遠鏡や探査機による月の分光観測データの解析は、月表層の鉱物組成や表面状態を推定する手段として重要である。データ解析の過程では観測の角度条件に応じて変化する反射光強度の補正が行われる。空間的に離れた2地点の観測は通常異なる角度条件で行われるため、この補正を正確に行えることが2地点間を定量的に比較する上で特に重要である。観測の角度条件は、入射角i、射出角e、位相角α(太陽-月面-観測者のなす角度)の3つで特定される。従来のクレメンタイン画像解析においては、観測波長λでの月面反射光強度観測値Kλ(i,e,α)を表すモデル式は、以下のように設定されている。

 ここでJλは太陽光強度、Cλは装置定数である。Wλは月表層構成粒子の平均的な1次散乱アルベドである。鉱物組成の推定には波長毎のアルベドの情報が最も有用である。XLはLunar-Lambert関数と呼ばれ、入射角、射出角の効果を表す。位相関数fλ(α)はその他の位相角の効果を表す式であり、平均的構成粒子の1次散乱の方向特性や、位相角が5°〜10°以下になると月面が急激に明るくなるOpposition Effectと呼ばれる効果などを含む。クレメンタインサイエンスチームが最終的に採用した校正手順(McEwen et al., 1998)においては、fλ(α)がバンドごとに与えられていた。しかし、位相関数は、地質タイプごとに異なる可能性がある。例えば、月の表面は「高地」ど「海」に大別されるが、両者の光学的性質は異なっていると予想されるため、高地と海の位相関数の相違が問題である。また、宇宙環境にさらされて生じる宇宙風化作用も光学的に重要である。しかし、これまで地質によって位相関数がどの程度異なるか十分確かめられてはおらず、特に位相角が約10〜15°以下になるような地点での有効性には疑問が持たれていた。そこで本研究では以下を目的としてクレメンタイン探査機の画像の解析を行った。

 ・位相角0〜30°の範囲で、月の位相関数がもつ地質タイプ依存性、観測波長依存性を明らかにする。

 ・分光画像の精密な位相角補正方法を開発する。

 過去の研究においては、Clementine分光画像に適用可能とされる幾何学基準化モデルが三つ提案されている。本研究ではそれらをふまえて、観測幾何学(i,e,α)における画像輝度Kと反射率(Bidirectional Reflectance)との関係を記述するモデル式として次の式を採用した。Kλ(i,e,α)=Jλ・Cλ・R30.λ・D(i,e,α)・Fλ(α)(2)ここで、R30とは基準の幾何学条件(30°,0°,30°)におけるBidirectional Reflectanceである。D(i,e,α)は入射角、射出角の効果を表す関数である。過去の研究においては研究者ごとにi,eの補正関数として用いる式は異なっているが、D(α,0,α)=1となるように規格化さえ施せばどの補正関数をD(α,0,α)の原形として採用してもFλ(α)の形を変えなくてすむという利点がある。本研究では、D(i,e,α)として(1)式と同じXLを規格化して用いた。(2)式でFλ(α)と書かれた関数が、本研究で扱う位相関数である。Fλ(30°)=1と規格化されている。

 クレメンタイン探査機のUV-VISカメラは、415〜1000nmの観測波長帯、120〜200mの空間分解能でほぼ全月面の分光撮像を行った。月面の一部は2回以上、異なる位相角で撮像された。こうした重複部を持つ画像ペアを用いると上式中のR30とFλ(α)を分離できる。すなわち、D(i,e,α)が分かっているので位相角αの反射光強度K(i,e,α)を位相角30°で観測した反射光強度K(30°,0°,30°)で割ればFλ(α)が得られる。

 様々な位相角αでこのような複数回観測データを集めれば、連続した位相関数Fλ(α)を知ることができる。ただし、多くのデータを集めるためは、Clementineの取得したCD-ROM8 8巻におよぶ膨大な生データから適切なものを選択できる解析システムが必要である。月面上の任意の座標点について、「観測回数」、「画像名」、「観測時の幾何学条件」、「観測された反射光強度」といった情報を網羅したデータベースがClementineデータから作成できれば、光散乱モデルの検討と地質解析を総合的に行う上で大きな利用価値がある。本研究ではこのようなデータベースの開発から行った。解析対象は三バンド(415、750、950nm)、月全周の緯度+30°N〜-30°Nの範囲で、使用したClementineUV-VISカメラ原画像は約10万枚に及ぶ。月面上を緯度経度0.1°(約3km幅〉四方のグリッドに分割し、このサイズを解析単位として反射光強度、観測角度の算出を行った。また、軌道情報だけから算出する各画素の緯度経度の精度は同一地点を特定する上で不十分なため、米国地質調査所が作成したモザイク地図上の特徴点を用いた位置補正も加えた。用いる画像は大量であるため、これらの処理は自動化した。作成したデータベースのサイズは2.75GBである。

 従来、幾何学補正を施したあとに残る誤差として「ハードウェア補正の問題」と「位相関数の地域依存性」とがひとまとめにされてきた。本研究で開発したデータベースを用いることで、両者を分離して論じることが可能となった。まず、同一月面が同一位相角で撮像されている画像を異なる軌道間で比較することにより検出器感度の経年変化を見積もり、その補正式を提案した。補正を加えた結果、多バンド合成モザイク画像上の不自然な縞模様を減少させることに成功した。

 位相関数と地質タイプとの関連を調べるには月面各地点の地質タイプを前もって分類する必要がある。観測位相角30°近傍のClementineデータ以外用いずに定量的な分類を行う方法として、Kohonenの自己組織化マップ(SOM:Self Organizing Maps)の手法を導入した。9つに分類した結果と地質との対応付けには、USGS地質客分図及びプロスペクタの元素存在度(FeO,TiO2,Th)データを利用した。

 月反射光強度データベースから複数回観測データを抽出して(3)式によりアルベドの一次の寄与を取り除いた結果、スペクトル分類別の位相関数F(α)が得られた。位相関数と観測波長との関係を調べた結果、いずれのスペクトルタイプについても「波長が短いほど小さい位相角での位相関数の値は大きくなる」ことが判明した。高地-海の比較では、三つのバンド全てで高地の位相曲線が海の位相曲線を明白に下回っていた。750nmバンドの例を図1に示す。950nmバンドでは、位相角6°で最大7.6%までフィッティング曲線の差は広がった。この差は、位相角補正適用後の反射スペクトルを用いた組成推定にとって無視できない大きな違いである。宇宙風化の進んだ高地と未風化な高地との間で位相関数を比較からは、未風化な高地の位相関数の方が位相角5.0〜6.0°付近で約2%下回る可能性があるといえる。反射率と位相関数プロットとの相関関係があることも確認された。これは光散乱モデルの観点からは、一次散乱アルベドWλの変動が位相関数に与える影響として定性的に説明できる。

 最後に、新たな位相角補正法として、スペクトルグループ別の位相関数を用いて反復的に補正を行う方法を開発した。このような方法で収束が成り立つのは、位相関数の分布幅が反射率絶対値の分布幅に比べれば小さいからである。新補正法適用後は、適用前に比べてバンド間比演算カラーモザイク上で地質境界をより明瞭に識別できるようになった。単バンド反射率の改善結果の一例を図2に示す。このような方法を用いることにより、月の全面の化学組成の推定が従来よりも正確に行えると考えられる。

図1位相関数の高地-海間比較。

本研究での定義により、位相関数F(α)は位相角30°で規格化してある。クラスタ番号は自己組織化マップによる分類時につけた番号である。

図2コペルニクスクレーター(直径90km)周辺の750nm反射率モザイク画像。

750nm反射率に顕著な改善のみられた例である。左図がMcEwen(1998)の位相関数のみを用いた場合。右図が検出器感度の補正と反復的な位相角補正法を適用した結果。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章と3節のAppendixからなり、第1章は研究の目的と論文構成、第2章は背景-月の可視・近赤外分光観測、第3章は月面の光散乱モデル、第4章は分光画像の観測ジオメトリ基準化モデルと位相関数、第5章はClemelltine画像からの同一月面の複数回観測データの抽出、第6章は月面の地質タイプ分類と反射光の位相関数、について述べられ、第7章はまとめとなっている。

 地上望遠鏡や惑星探査機によって、惑星表面からの太陽反射光の分光観測を行うことは惑星表層の鉱物組成や表面状態を推定するための重要な手段となっている。一方、反射光強度は惑星表面に対する太陽角度、観測器の位置などに依存する観測の幾何学的条件によって変化するため、反射光の分光観測データ解析においては、この幾何学的条件による反射光強度依存性を正確に補正することが必須になる。特に友射光の位相角(太陽-惑星表面-観測器のなす角度)依存性は、位相角30度以下では特に顕著であり、これを正確に推定する方式を確立することは惑星分光観測上きわめて重要な課題となっている。本研究はこの課題に対して、色々な位相角における分光データを得たClementine探査機搭載のUV-VISカメラのデータを注意深く分析して、可視・近赤外波長域における月面の反射光の位相角依存性を観測的に明らかにしたものである。

 第1章は本研究の目的と引き続く章の概要を述べている。第2章は本研究の背景となる月の反射光分光観測についてのレビューであり、観測の幾何学的条件の定義、アルベドとBidirectional Reflectanceの説明など基本的事項の概説がなされている。第3章では月面の光散乱モデルについて、広く用いられているHapkeモデルを中心に過去の理論的研究についてレビューしたものである。本研究で扱う位相角の小さな領域ではopposition effect,レゴリス内の多重散乱が重要であることを指摘している。第4章では本研究の解析方法の基本となる光散乱モデル式の提出、および精度の高い位相角依存性(位相関数)を得るための解析手法が述べられている。これはClementine探査機により、月面の一部は2回以上異なる位相角で撮像されていることを利用するものであり、位相角の違うデータの画像ペアを用いると、光散乱モデル中にあるアルベドの1次の寄与を分離して、位相角依存性の抽出を行うことが出来ることを示している。第5章はClementine探査機の可視・近赤外データを解析するために、申請者が構築した月面反射光データベースについて説明したものである。使用した原画像は約10万枚に及ぶが、それぞれに対して軌道情報だけでは精度の足りない月面画像位置を、画像そのものと標準月面地図とのマッチングを使って、原画像のピクセル単位での位置を正確に求める自動処理の方法も開発している。第6章は第5章で得た月面反射光データベースを用いて、位相関数の波長依存性、地質タイプ依存性を明らかにしている。地質タイプ依存性を観測データのみから明らかにする方法として、反射光データベースから抽出される3バンド反射スペクトルをもとにした自己組織化マップと呼ばれるクラスタリング手法を使い、客観的に地質タイプに分類する方法を編み出し、それをもとに位相関数の地質タイプ依存性を議論している。最後に本研究で得られた位相関数を用いて反射光スペクトルの地域ごとの変化を示す月面地図を作製し、従来のものと比べて格段に精度の高い分光地図が得られることを示している。

 以上、本研究は月面の可視・近赤外波長域における月面反射特性を観測的に明らかにしたもので、月・惑星表面の分光学的研究の発展に寄与する成果を収めた。よって博士取得を目的とする研究として十分であると審査員全員一致で認めた。

 なお本論文第5章と第6章は、飯島祐一、本田理恵、岡田達明、水谷仁との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析、検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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