学位論文要旨



No 117529
著者(漢字) 杉浦,義典
著者(英字)
著者(カナ) スギウラ,ヨシノリ
標題(和) 心配の認知的メカニズムの研究 : ストレス対処の観点から
標題(洋)
報告番号 117529
報告番号 甲17529
学位授与日 2002.07.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第84号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 下山,晴彦
 東京大学 教授 市川,伸一
 東京大学 教授 南風原,朝和
 東京大学 助教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 衞藤,隆
内容要旨 要旨を表示する

 心配(worry)は,「否定的な情緒をともなった,制御の難しい思考やイメージの連鎖.不確実で否定的な結果が予期される問題を心的に解決する試みを反映する」(Borkovec,Robinson,Pruzinsky & DePree,1983,p.10)と定義される.心配は日常的には不安と同義に扱われる場合もある.しかし,定義に「思考やイメージの連鎖」とあるように,不安の中でも認知的な成分である.心配は不快で制御困難なものである.しかし同時に,定義に「問題を心的に解決する試み」とあるように,それ自体がストレスヘの対処であると考えられる.本研究では,そのような能動的な側面をもつ心配が,その能動性ゆえに皮肉にも制御困難で不快な思考に転じてしまうメカニズムのモデルを示すことを目標とした.

 能動性に着目して研究する場合,心配の背後にどのような目的があるかが重要となる.先行研究の概観から,日常的な問題の解決という目的が重要であることが明らかになった.そこで本研究では,日常的な問題解決の理論,すなわちストレス対処の理論を枠組みとして,問題解決を志向した思考が制御困難な心配に変容する過程を明らかにすることを目指した.心配が臨床的に問題になるのはその制御困難性のためである.そこで,従属変数は制御困難性とし,問題解決をしようとする動機,および問題解決に用いられる方略から制御困難性を予測する3つの実証研究をおこなった.研究1では,心配にともなう問題解決の動機(問題解決志向性)と制御困難性との関連を検討した.研究2および研究3では,問題解決に用いられる方略(問題焦点型対処方略)と制御困難性との関連を検討した.研究3では特に,問題焦点型対処方略と制御困難性との関連を媒介する要因を検討した.最後に,本研究の知見を踏まえて,心配の認知的メカニズムに関して精緻化した枠組みを提示した.

 研究1:問題解決の動機と制御困難性の関連

 心配にともなう問題解決の動機(問題解決志向性)と制御困難性の関連について因果分析を行った.先行研究では両者は無相関であることが見いだされている.研究1では,問題が解決されていないという認知的評価(未解決感)を「問題解決志向性」と「制御困難性」の媒介変数とする因果モデルをたてることによって,単純相関では見いだすことのできない,心配の「問題解決志向性」と「制御困難性」の関連を明らかにすることを試みた.

 「問題解決志向性」,「制御困難性」,「未解決感」を測定した大学生359名の質問紙データを共分散構造分析によって解析したところ,「問題解決志向性」は,「制御困難性」を弱める効果とともに,「未解決感」を強めることを通じて間接的に「制御困難性」を強める効果ももつことが見いだされた.「問題解決志向性」から「制御困難性」へのこのような正負の効果が相殺しあって,両変数はほぼ無相関であった.

 このように研究1では,単純相関では見いだすことのできない,問題解決志向性と制御困難性の関連が明らかになった,特に問題解決志向性が制御困難性を増強する効果ももつことを見いだしたのは重要である.

 研究2:問題解決に用いられる方略と制御困難性の関連

 研究1では,問題解決の動機が制御困難」性を増強し得ることが見いだされた.そのような効果がなぜ生じるかを検討するために,問題解決のために用いられる方略(問題焦点型対処方略)と思考の制御困難性の関連を検討した.問題焦点型対処方略としで情報収集と解決策産出の2種類を取り上げた.情報収集はストレス事態に関する思考の制御困難性を強め,逆に解決策産出は制御困難性を抑制することが予想された.

 大学生134名を対象とした質問紙調査の結果,予想と反して「情報収集」と「解決策産出」の双方が「思考の制御困難性」と正の関連をもつことを見いだした.つまり,問題焦点型対処方略と「思考の制御困難性」には非特異的な関連が得られた.問題焦点型対処方略が「思考の制御困難性」を増強するのは,思考が持続することによる可能性が考えられる.このように研究2では,問題焦点型対処方略と制御困難性の関連は方略の種類よりも,その用いられ方(思考の持続)の方が重要である可能性が示唆された.

 研究3:問題解決に用いられる方略と制御困難性の関連を媒介する要因

 研究2で示唆された,思考が持続することで制御困難になるという可能性を検討するために,問題焦点型対処方略と制御困難性の関連を媒介する要因として,問題解決過程を評価・制御する認知に注目した検討を行った.具体的には,「考え続ける義務感」と「未解決感」(問題が解決されていないという評価)を取り上げた.いずれも思考を持続させるような内容の認知である.

 大学生177名を対象とした質問紙調査を実施した結果,問題焦点型対処方略と「制御困難性」の非特異的な関連は追試された.さらに,「考え続ける義務感」と「未解決感」が「問題焦点型対処方略」と「制御困難性」の関連を媒介していることが分かった.詳細に見ると,「問題焦点型対処方略」の使用の頻度が高くなるにつれて,「考え続ける義務感」が強くなり,ひいては「未解決感」が上昇し,「制御困難性」が増強されるという効果が見られた.このように研究3では,問題焦点型対処方略と制御困難性の関連は,思考を持続させるような認知に媒介されていた.これは,問題焦点型対処方略が制御困難性を増強させるのは方略の使用が持続するためである,という仮説を支持する結果であった.つまり,どのような方略を用いるかよりも,方略がどのように用いられるかの方が重要であると考えられる.

 結論

 問題解決の動機あるいは問題解決の方略と,思考の制御困難性の関連は,思考の持続性と関わる変数が媒介していた.つまり,粘り強く考えつづけるような教示を自己に与えたり,問題解決の過程を否定的・悲観的に評価することが,制御困難性を規定していた.

 思考が持続する要因としては,問題解決の動機が重要である.研究1では,問題解決志向性が未解決感を強めていた.研究3で測定した考え続ける義務感は,問題解決の動機が強いために思考が持続することをより端的に反映するような変数である.考え続ける義務感に反映されるような融通の利かない執拗さが,思考の持続の要因として重要であると考えられる.思考の持続が制御困難性を生じさせるメカニズムとしては,次の3つが重要である.(1)思考が持続する体験はそれ自体苦痛なものと考えられる.その苦痛感が制御困難性の一部として重要であると考えられる(例,考えるのがやめられない).(2)思考の持続は自動的処理への影響を通じて制御困難性を増強する.心配を含む不安の認知には,自動的処理(意識や意図の関与しない過程)と制御的処理(意識や意図の関与する過程)という2種類の情報処理過程が関係している.問題解決のための思考は制御的処理である.思考が持続することで,自動的処理に対して次のような効果が生じるであろう.a.思考の自動化が進む.b.自動的処理レベルでの脅威情報への選択的な注意バイアスが増強される.c.問題解決の動機が強いために目標に関連した認知内容が活性化される.これらの結果としてストレスに関する思考が意識に頻繁に浮かぶようになるであろう.(3)思考が持続することは,問題解決過程自体にも影響を及ぼすと考えられる.対処方略の効果を考える際にはその柔軟性が重要である.思考の持続性に反映される同じ方略への固執は,問題解決を妨げ,結果的に心配を強めるのかも知れない.

 以上の考察を通して,問題焦点型対処方略が制御困難性を増強するのは,問題について考えることが持続するためであると結論づけられた.そこで,この研究の知見を基に,日常的な問題解決が心配に至る過程について,問題解決の動機→問題解決の方略→思考の持続(考え続ける義務感→未解決感)→制御困難性,というモデルを提示した.

審査要旨 要旨を表示する

 "心配"という心的現象は、「問題を心理的に解決しようとする」積極的なストレス対処という能動的な側面を持ちつつも、結果的には「制御困難な心的状態に陥り、不快な思考に転じてしまう」という受動性を示す。本論文は、"心配"がこのような相反する性質を併せ持つことに注目し、容易に不適応現象に変容してしまう"心配"独特のメカニズムを実証的に明らかにすることを目的としたものである。

 まず第1章で先行研究を幅広く展望し、その問題点や課題を明確にし、第2章で研究の目的と実証的な研究方法を提示している。次に第3章(研究1)では、「問題解決の動機(問題解決志向性)」と「制御困難性」が無相関であるとの先行研究に対して、「問題が解決されていないという認知的評価(未解決感)」を媒介変数として導入することで、単純相関では見えてこなかった、問題解決志向性から制御困難性への影響といった新たな関係性を見出している。ここで、本研究の基本モデルが提示された。

 第4章(研究2)では、「問題解決志向性」と「制御困難性」の関係をさらに詳しく分析するためにストレス対処研究を参照として、「問題解決の方略(問題焦点型対処方略)」と「思考の制御困難性」の関連性を検討し、「問題焦点型対処方略」の種類を問わず、両者の間に正の関連性があることを見出した。ここで、どのような方略を採用するかではなく、どのように方略を用いるかが重要であることが明らかとなった。具体的には、方略を用いるときに考え続けてしまう(「思考の持続」)ことで、「思考の制御困難性」が生じることを明らかにした。そこで、第5章(研究3)では、研究1の成果に研究2の結果を統合するものとして、「問題焦点型対処方略」に「考え続ける義務感」と「未解決感」といった「思考を持続させる認知」が媒介変数として介在することで、「制御困難性」が生じるという"心配"独特のメカニズムを実証的に示した。最後に第6章で、研究の結論として、「問題解決志向性」が動機となりながらも、最終的には「制御困難性」を示す"心配"が生じるメカニズムをモデルとして提案している。

 本論文は、複数の先行研究間で認められた結果の相違を、媒介変数を導入することで解決し、全体として先行研究の成果を整合的に統合するものとなっており、"心配"に関する研究を新たな段階に進めた点で特に意義がある。また、共分散構造分析などの最新の統計的手法も取り入れて手堅くデータ処理を進めており、心理学研究法の観点からも評価できる。さらに、研究1から3に至る過程は、研究の結果を段階的に発展させており、適切な論理の進め方をしていると判断される。

 "心配"の概念は、健康と不健康の両領域にまたがる重要な概念である。本研究で示されたモデルは、"心配"の制御困難性を減じ、より能動性の強い適応的で健康な状態に移行させる臨床的介入を行ううえでも貴重な示唆を与えるものである。したがって、本論文は、心理学的にも臨床的にも興味深い"心配"という心的現象のメカニズムを、的確な実証的方法論に基づいて明らかにした研究であり、優れた論文として評価された。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。

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