学位論文要旨



No 117531
著者(漢字) 坂元,純
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,ジュン
標題(和) 先天性泌尿生殖器奇形男児における新たなWT1遺伝子変異、およびその変異と腎不全あるいはウィルムス腫瘍発生との関係
標題(洋) A Novel WT1 Gene Mutation in Male Infants with Congenital Genitourinary Malformations, and the Association between the Mutation and Predisposition to Renal Failure and/or Wilms' Tumor
報告番号 117531
報告番号 甲17531
学位授与日 2002.07.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2032号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
 東京大学 助教授 菅原,寧彦
 東京大学 助教授 門脇,孝
 東京大学 講師 林,泰秀
内容要旨 要旨を表示する

 WT1遺伝子はヒト11番染色体短腕13領域(11P13)上にあり、10個のエクソンからなる。この遺伝子のC末端、エクソン7から10は連続した4つのジンク・フィンガーを形成し、他の遺伝子のプロモーター領域の特定配列と結合する。N末端のエクソン1から6は転写活性化、もしくは転写抑制に関わることが知られ、WT1遺伝子は転写因子と考えられている。WT1遺伝子は、発生の段階では主に胚葉由来の組織に発現し、間葉系組織の上皮化を促す作用があるといわれている。特に腎と性腺の発生に深く関わっており、この遺伝子の変異はウィルムス腫瘍や先天性泌尿生殖器異常、および腎不全を惹き起こすとされている。

 我々は男児先天性泌尿生殖器異常にウィルムス腫瘍を伴うが腎不全は伴わない患児(このような疾患タイプをここでは"GU+WT"と称する)に新しいWT1遺伝子の変異を確認した。それはWT1遺伝子イントロン7内の点突然変異であり、あわせてこの変異は体細胞では父方由来のヘテロ接合、ウィルムス腫瘍細胞では母方由来染色体11p領域における広汎なヘテロ接合の喪失(Loss of Heterozygosity=LOH)によるヘミ接合であることを証明した。変異を生じたのはイントロン7のスプライス供与部位にあたる箇所で、そのためこのWT1遺伝子からはエクソン7が脱落し、エクソン6とエクソン8が隣接する異常メッセンジャーRNAが形成される。その結果アミノ酸配列のフレームシフトが起こるだけでなく、エクソン9の冒頭に停止コドンを生じ、短縮型異常WT1蛋白が産生されていた。

 ウィルムス腫瘍はいくつかの奇形症候群に伴うことが知られている。そのような症例では患児の腫瘍発症年齢が散発例に比べ明らかに低く両側性腫瘍の発症率も高いことから、奇形症候群に伴うウィルムス腫瘍は、散発性のものと比較して先天的な遺伝子異常と関わりが深いと考えられている。WT1遺伝子の変異の結果生ずる奇形症侯群は「WT1遺伝子関連症候群」と呼ばれ、WAGR症侯群、Denys-Drash症侯群、Frasier症候群が知られている。我々はこの中にGU+WTも含めるべきだと考える。いずれの症候群も男児の場合先天性泌尿生殖器異常が必発で、その他腎不全、精巣腫瘍、ウィルムス腫瘍、その他の奇形などをそれぞれ伴う。このような症候群に伴うウィルムス腫瘍では、WT1遺伝子の異常がその腫瘍発生のメカニズムに深く関与していると考えられている。散発例の90パーセントには正常なWT1蛋白が強く発現していることはよく知られ、その意味でもWT1遺伝子関連症候群におけるウィルムス腫瘍の発症メカニズムは散発例のそれとは異なると予想される。

 GU+WT患児のWT1遺伝子変異はこれまでに8例の報告を見るのみである。すべて産生される異常WT1蛋白は短縮型であり、多形を検索した4例にはすべてLOHが認められる。しかしこれまでのWT1遺伝子および11p領域の多形についての検討は不十分といわざるを得ない。父母の染色体も含めて遺伝子多形の手法を用い、この変異が父方由来であり、かつ腫瘍化に伴って母方染色体11p領域が広汎に喪失することを証明したのは我々がはじめてである。

 短縮型WT1蛋白はそれ自身標的となる配列に結合できず無機能に陥るばかりでなく、正常WT1蛋白と結合しその働きをも弱めてしまう。我々は文献的検討を加えて、短縮型WT1蛋白のGU+WTにおける泌尿生殖器異常発生への具体的な関与を推察するとともに、GU+WT患児の発生段階でのWT1蛋白の低下がアポトーシスを抑制する方向に働くことが、ウィルムス腫瘍発症の刺激となっている可能性を示唆した。

 またWAGR症候群に伴うウィルムス腫瘍、および一部の散発性ウィルムス腫瘍については、従来母方由来染色体11p領域のLOHとの関連がほのめかされてきた。このことはウィルムス腫瘍発症になんらかの「刷り込み遺伝子」が関与していることを示唆するが、WT1遺伝子自体は腎では「刷り込み」はみられず、そのような遺伝子は11P15領域に集中している。したがってウィルムス腫瘍発症に関わる「刷り込み遺伝子」は11p15領域にあると予想され("WT2"と呼ばれる)、実体は明らかでないにせよ、11p13領域だけでなく11P15領域を含む11P全体の「広汎な」喪失を証明しなければ、11p領域のLOHとウィルムス腫瘍の発症の関係を論じることはできない。したがって今回の我々の結果をもってはじめて、GU+WTに伴うウィルムス腫瘍においても母方11p領域のLOHが関連している可能性を示唆されたといえる。

 また最近WT1蛋白のイソ蛋白分配比率の違いがウィルムス腫瘍の発症に影響を及ぼしているとする研究が相次いでいる。GU+WT患児においてもWT1蛋白のイソ蛋白分配比率異常が生じていることは明らかで、我々はこの点においても検討を加えた。

 我々は4つのWT1遺伝子関連症候群において、その典型的症状、およびPVT1遺伝子の先天的状態と腫瘍化で生じる2次的な状態変化について考察した。このような考察はこれまでなされなかったものである。とくにWAGR症候群とGU+WTについては詳細に検討し、それぞれのウィルムス腫瘍発症率の違いは減数分裂時と体細胞分裂時における染色体組み替え発生率の違いに基づいているのではないかという推察に至った。

 今回の研究の臨床的な意義として、我々は出生時先天的泌尿生殖器異常男児のウィルムス腫瘍及び腎不全のリスク管理を容易にする計画図を作成した。このような計画図が作成されたのもはじめてである。出生時先天的泌尿生殖器異常男児がウィルムス腫瘍や腎不全を発症するリスクはきわめて低いことがわかっているが、もし発症すればその後の患児の生活に多大な影響があり、両親の精神的及び経済的負担も大幅に増すことになる。そのリスクはWT1遺伝子の異常と深く関わりがあり、我々の作成した計画図に基づいて患児を管理し、PVT1遺伝子変異や11p領域の多形を分析すれば、検査・治療計画の立案や両親への説明が容易になるばかりでなく、今後のGU+WT症例の研究にも資するものである。

審査要旨 要旨を表示する

 WT1遺伝子はヒト11番染色体短腕(11P)上にあり、胎生期における腎および泌尿生殖器の発生、および主要な小児期悪性腫瘍のひとつであるウイルムス腫瘍(腎芽腫)の発症に深く関与していると考えられているが、その役割はいまだに正確に把握されていない。本研究では先天性泌尿生殖器奇形男児に発症したウィルムス腫瘍、およびその男児の体細胞のDNA解析から新たなWT1遺伝子の変異を明らかにした。本研究はこの結果をもとに過去の散発的な報告例をまとめて、まだ確立されていない症候群であるGU+WT(46XYの核型をもつ男児で、先天性泌尿生殖器奇形とウィルムス腫瘍を合併するが腎不全は発症しない症例)におけるWT1遺伝子の役割を明らかにすることを試みて、下記の結果を得ている。

1.1歳時に片側性ウィルムス腫瘍を発症した先天性尿道下裂、停留精巣、および極小ペニスを伴う男児から、WT1遺伝子エクソン7の脱落を導く点突然変異をイントロン7内に確認した。この変異により導かれる異常WT1蛋白は、エクソン7の脱落だけでなくmRNA上にできる新たなストップ・コドンのため短縮型異常蛋白となる。

 このWT1遺伝子変異は、体細胞ではヘテロ接合で父方由来の染色体上に新たに発生したものであり、腫瘍細胞では母方由来の染色体11p領域における広汎なヘテロ接合の喪失(Loss of Heterozygosity=LOH)に伴うヘミ接合となっていることが確認された。このタイプの症例に対し、遺伝子多形を利用してここまで明らかにしたのは本研究が初めてであり、きわめて価値が高い。

2.過去のGU+WTと思われる症例報告を詳細に検討すると、GU+WT患児の体細胞では、短縮型異常WT1蛋白生成を導くWT1遺伝子変異がすべての症例でみられる。この遺伝子変異は体細胞ではヘテロ接合と考えられ、腫瘍化に伴いLOHによるヘミ接合となることが予想される。散発性ウィルムス腫瘍例やもうひとつのWT1遺伝子関連症候群であるWAGR症候群の研究から、腫瘍発症に伴うLOHは母方由来染色体に選択的に起きることが確認されている。本研究によって、GU+WTにおいてもその先天性泌尿生殖器奇形の本態は父方由来染色体上に発生する短縮型異常WT1蛋白を導く先天性WT1遺伝子突然変異、ウイルムス腫瘍の発症はその後の母方由来染色体の広汎な11PLOHであることが示された。これまでGU+WTをひとつの症候群として考えることはなされてきておらず、この意味でも本研究の意義は大きい。

3.本研究によってGU+WTが新たにWT1遺伝子関連症候群に加えられるとともに、文献的検索を加えることによってWT1遺伝子関連症候群におけるWT1遺伝子の役割が簡潔な表にまとめられた。このような研究はこれまでなされておらず、WT1遺伝子関連症候群の今後の検討に大きく資するものと考えられる。

4.そのうえで、本研究では先天性泌尿生殖器異常男児をみたときのウィルムス腫瘍および腎不全のリスク管理計画図を作成している。これは同感児の両親へのインフォームド・コンセントを容易にするだけでなく、同患児への一元的な管理を提唱するもので、今後科学的な検証を積み上げるうえで重要な試みである。遺伝子診断を実際の医療の場へ応用する例として非常に意義深い。

 以上、本論文は自検例のGU+WT症例のWT1遺伝子解析から出発し、未確立であったGU+WT症候群の表現型および分子生物学的な背景を明らかにした。本研究によりWT1遺伝子関連症候群に新たな症候群の概念が導入されるとともに、各WT1遺伝子関連症候群におけるWT1遺伝子の動態が体系的に明らかにされた。さらにその遺伝子診断の医療への応用も試みられており、WT1遺伝子およびWT1遺伝子関連症候群の今後の研究に多大な貢献をする論文と考えられる。本論文に対する学位の授与は相当である。

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