学位論文要旨



No 117532
著者(漢字) 武藤(若林),貴和
著者(英字)
著者(カナ) ムトウ(ワカバヤシ),キワ
標題(和) 光線追跡法を用いた眼内レンズ度数決定法
標題(洋)
報告番号 117532
報告番号 甲17532
学位授与日 2002.07.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2033号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 波利井,清紀
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 講師 天野,史郎
 東京大学 講師 室伏,利久
内容要旨 要旨を表示する

【序論および研究目的】

 白内障は本来透明である水晶体の糖蛋白が重合によって混濁する疾患で、加齢からくる老人性白内障が最も多い。視力低下、羞明、近視化が起こり、進行すると日常生活に支障をきたす。治療は点眼剤投与と手術があるが、点眼剤投与では根治できないので、進行した白内障は手術を施行する。手術は混濁した水晶体を後のう(水晶体の最外層)を残して摘出し、失われた屈折力を補うため、後嚢内に眼内レンズを挿入する。眼内レンズは調節ができないため、あらかじめ各症例の術後希望屈折力に合わせて眼内レンズの度数を決めることが大切である。

 眼内レンズ度数選定には理論式、回帰式(経験式)が発表されている。理論式はガウス光学に基づく近軸計算で行われている。近軸計算には以下の問題点、(1)から(4)が指摘されている。(1)近軸計算は光軸にごく近い光線のみを扱うという条件の元で、計算の際に近似式を用いている。(2)角膜、眼内レンズを薄肉レンズとして曲率、厚さなどの光学特性を無視している。(3)角膜前面の曲率から角膜屈折力を算出しているので、角膜後面の曲率が考慮されていない。(4)術後前房深度(角膜後面から眼内レンズ前面までの距離)の予測が困難である。

 一方回帰式(経験式)は眼軸長(角膜前面中央から網膜中心までの距離)が短軸眼、長軸眼で誤差が大きくなると言われ、眼軸長別に誤差を小さくするために経験的に修正されている。回帰式は術者や使用機器の違いに対応できない恐れがあり、また補正値のボーダーライン上の症例では眼軸長のわずかな違いで結果が違ってくる場合がある。このように理論式も回帰式も現状では誤差が大きくなる症例が多々ある。

 本研究の目的は、近似・修正のない正確なskew光線追跡法を用い、眼内の精密な光学データから眼内レンズを選択するシステムを考案し、その実用性を検討することである。また解剖学的・光学的な検討により眼内レンズ挿入術の誤差を小さくするための術前計画法の提案を行う。

 【研究対象および方法】

 対象は白内障摘出術および眼内レンズ挿入術を施行され、術後矯正視力0.6以上を得て、白内障以外に視力に影響を及ぼす眼合併症がない725症例とした。術者は2名で一種類の眼内レンズ(MA60BM、Alcon製)を使用した。Skew光線追跡法はSnellの屈折法則を3次元空間でのベクトル計算に用いており、屈折率、曲率半径、屈折面間の距離が与えられると入射光の情報から屈折光の位置、方向ベクトルが算出できる方法である。従来の近軸計算に比べて収差解析、非球面な光学系など、より詳細な眼科光学に対応できる。本研究では角膜前後面、眼内レンズ前後面にskew光線追跡を行い、網膜上への到達点を求めた。測定値と測定方法を以下に示す。

 角膜曲率半径は測定理論の違う2種類の機器で計測した。(1)ケラトメータは角膜表面に同心円を写してそのゆがみ具合から曲率半径を算出する。角膜前面のみの曲率半径が測定される。(2)ORBSCANTMは角膜前面と後面の曲率半径が測定できる。組織で散乱した光から三角測量法を利用して屈折点の位置を3次元座標で算出してそれらを統合して曲率半径を算出している。角膜後面の曲率半径が測定可能なのは現在のところORBSCANだけである。

 角膜径はキャリバー(外径計測器具)で測定した。

 角膜厚は前眼部撮影解析装置EAS-1000TMにて撮影された前眼部画像上で測定した。眼軸長(角膜前面中心から網膜中心までの距離)は超音波眼軸長測定機にて測定した。本研究では網膜の表面からさらに奥にある網膜視細胞層の位置を考慮し、全症例に+0.02mmを加えた眼軸長を用いた。

 眼内レンズデータは前後面の曲率半径、屈折率および厚さのメーカー提供値を用いた。術後屈折力(術後眼鏡度数)は術後一ヶ月以降の最高視力を得る眼鏡度数を用いた。眼の屈折率はGullstrand模型眼から得た。

 前房深度予想は角膜径、眼軸長と実際の前房深度をパラメータとして3次元座標にプロットして最小二乗法で求めた3次曲面の式を求めた。

【評価】

 (1)術後前房深度(角膜後面から眼内レンズ前面までの距離)は前眼部撮影解析装置EAS-1000で計測し、術前の角膜径と眼軸長をパラメータとして術後前房予測式を開発した。一人の術者のデータ(N=256)から得られた式を他方の術者のデータ(N=256)にて術後前房深度を予測し、SRK/T法で予測した術後前房深度と比較した。

 (2)プログラム最適化

 最適化の評価は、評価用プログラムで術後屈折力予測値にて行った。誤差は(実際の術後屈折カ─予測術後屈折力)の絶対値とした。

 1)光線本数および瞳孔径の最適化(ケラトメータ使用)

 ケラトメータで測定した角膜曲率を用いたプログラムの最適化検討では光線の本数(50、100、200、500、1000本)と瞳孔径(光線を追跡する径0.1、0.5、1.0、1.5、2.0mm)を変化させて最適な本数と径の組み合わせを検討した(N=725)。

 2)計測径の最適化(ORBSCAN)

 ORBSCANで測定した角膜曲率を用いたプログラムの最適化検討では、角膜中心から0.0、3.0、5.0mm円上の平均曲率半径の平均値を用いて術後屈折力を算出して検討した(N=725)。

 (3)他の方法との比較

 従来使用されたきたSRKII(回帰式)、SRK/T法(理論式、近軸計算)と本法を比較した。

 1)誤差比較

 従来法との比較には、誤差の平均(=誤差/症例数)を算出して比較した。

 2)誤差分布比較

 各方法の誤差を、0より大かつ0.5ジオプター以下、0.5より大かつ1.0ジオプター以下、1.0より大かつ2.0ジオプター以下、2.0ジオプターより大きいもの、の4種類に分別してその分布を比較検討した。

 3)眼軸長別の誤差

 本法とSRK/T法を眼軸長別に分けて誤差を比較した。眼軸長は22mm以下、22より大かつ24.5mm以下、24.5より大かつ27.0mm以下、27mmより大きいものの4グループに分けた(N=725)。

 (4)誤差発生原因の検討

 1)誤差検討

 誤差の検討では、ケラトメータ使用の光線追跡法にて各データに±1%の誤差が混入したとき術後屈折予測値に与える影響を、入力デ一タを偏微分して検討し、誤差0.5ジオプター以内に収めるために必要な測定値の範囲を計算した。さらに測定値の有効桁数、測定機器の精度を考慮して、個々の誤差の占める割合を算出した。

 2)プログラム精度検討

 プログラム自体が原因で生じる誤差の大きさを確認するため、市販されている精密光学光線追跡プログラム、ZEMAX(TM)(Focus社)と比較検討を行った。両プログラムで術後屈折力を算出し、比較した。(N=159)

 (5)術前計画法の検討

 まれに発生する大きな誤差と中程度の誤差をより小さくするための検討を行い、術前計画法の検討を行った。

【結果】

 (1)術後前房深度予測式の誤差は本法が0.22mm、SRK/Tは1.49mmとなった。(2)1)追跡光線本数と瞳孔径は50本1.0mmが誤差0.561ジオプターと最適となった。2)ORBSCANの瞳孔径は3mmのとき誤差が1.24ジオプターと最小になった。(3)1)誤差平均はケラトメータの値で光線追跡したものが0.561±0.538(誤差±標準偏差)(ジオプター)と、最も小さくなった。ケラトメータによる光線追跡はSRKIIに比し、t検定にて有意に誤差が小さかった(p<0.01)。ケラトメータによる光線追跡とSRK/Tとではt検定にケラトメータによる光線追跡の方が有意に誤差が小さくなった(p<0.05)。ORBSCANを用いた光線追跡では誤差が1.185ジオプターと、大きくなった。2)誤差分布ではケラトメータを用いた光線追跡で1ジオプター以下のものが84.7%(SRK-II 70.2%、SRK/T81.5%)となった。ORBSCANによる光線追跡は誤差が大きくなり、2ジオプターより大きい誤差を持つ症例の割合が15.9%となった。3)眼軸長別にケラトメータ使用の光線追跡法とSRK/Tを比較すると、眼軸長が、24.5(眼軸長≦27.0mmのときt検定にて有意水準p(0.05で光線追跡法の誤差が小さくなった。(4)1)誤差を0.5ジオプター以内に収めるために必要なパラメータ測定誤差は眼軸長±0.167mm、ケラト値±0.490ジオプター、角膜厚±0.315mmとなった。個々のパラメータが全体に占める誤差の割合は術後前房深度予測(23%)、眼軸長(22%)、ケラト値(18%)と予想された。2)本研究のプログラムで算出した眼鏡度数と精密光学ソフトZEMAX(TM)に生体光学値を入力して算出した眼鏡度数にあたるレンズの度数(術後眼鏡度数)に相当0.99997の相関係数をもって一致した。(5)本法とSRK/Tと併用し、再検査を要する症例を棄却(N=14)すると本法はSRK/Tに比しt検定p<0.001で本法が優れていた。

【考察】skew光線追跡法は、眼内レンズ選定法には従来法より有用であった。パラメータが多く、眼内レンズデータが必要で、計算が複雑ではあるという欠点もあるが、将来的に非球面屈折面、屈折面の増減にも対応が可能であるので、SRK/Tでは予測ができない、屈折矯正術(角膜切除術、有水晶体眼への眼内レンズ挿入)後の眼内レンズ度数計算にも対応できる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は白内障手術における術前計画で重要な役割を演じている、眼内レンズの度数を決定する課程において、光線追跡法を用いて従来法より眼光学的見地から生理的で精度の高い方法の開発を試み、白内障摘出術および眼内レンズ挿入術の725症例を対象に検討し、下記の結果を得ている。

1.今回開発した光線追跡のプログラムはskew光線追跡法を用いて作成され、市販の精密光学プログラムとの比較にて同等に高精度であることが示された(相関係数0.99997)。

2.術後前房深度予測は眼軸長と角膜径から算出した。前房深度予測誤差はSRK/T法が1.491(mm)、光線追跡法(ケラトメータデータ使用)が0.222(mm)と今回新たに開発した方法で誤差が少なくなった。

3.誤差絶対値平均値±標準偏差(ジオプター)は光線追跡法(ケラトメータデータ使用)で0.561±0.538、SRK/T法が0.597±0.524、SRKII法が0.783±:0.582、光線追跡法(ORBSCANデータ使用)がし185±0.821となり、光線追跡法(ケラトメータデータ使用)がSRK/T法に比べて有意に誤差が少なかった(t検定:一対の標本による平均の検定(以下t検定)にてp<0.05)。

4.誤差の範囲は光線追跡法(ケラトメータデータ使用、以下光線追跡法とする)で0.5ジオプター以下が58.5%、1.0ジオプター以下が84.7%、2.0ジオプターより大きいものが2.1%となった。SRK/T法では同様に54.6%、81.5%、2.6%となった。眼軸長別の誤差を光線追跡法とSRK/T法で比較した。24.5mm<眼軸長≦27mmの範囲の中等度長眼軸眼で有意差がみられた。(t検定にてp<0.05)

5.計測機器の精度を考慮した誤差原因は前房深度予測値(22.4%)、眼軸長測定値(14.0%)、ケラトメータ値(17.9%)、角膜径(9.5%)となった。光線追跡法は厳密な方法であるが、データ取得の際の誤差は結果の誤差の発生を増やすことになるので慎重に計測することが重要と判明した。

6.ごくまれに発生する大きな術後屈折力誤差を防ぐために、光線追跡法と理論が違う複数の計算方法を比べて、両者の術後屈折力予測値に2ジオプター以上の違いが見られる場合は、データの再検討をすることで防ぐことが可能であった。本研究では近軸計算を元にしたSRK/T法を用いて、上記の方法で725例のうち要再検討として15例を棄却した710例にて検討した結果、光線追跡法が有意に誤差が少なかった。(t検定にてp<0.01)

 以上、本論文は白内障手術における眼内レンズ度数決定において、これまでにない生理的な理論式で高精度の手法を確立し、その有用性を示した。本研究は白内障術前計画において重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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