学位論文要旨



No 117535
著者(漢字) 永井,さなえ
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,サナエ
標題(和) 痴呆性高齢者と同居する孫の家族とのかかわり方に関する研究
標題(洋)
報告番号 117535
報告番号 甲17535
学位授与日 2002.07.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2036号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 助教授 萱間,真美
 東京大学 講師 難波,吉雄
内容要旨 要旨を表示する

I.緒言

 日本では、痴呆性高齢者への公的介護サービスが国民的な課題として量・質ともに急速に整備されつつある。一方、痴呆性高齢者の療養場所の約6割は在宅であり、現在でも三世代家族による在宅介護は少なくない。近年、痴呆性高齢者と主に介護をする家族(以下、介護者とする)に関する実態調査も増え、介護者のもつ身体的、精神的、社会的負担に対して公的支援とともに私的支援が不可欠であることが指摘されるようになってきた。これまでの研究では、私的支援の提供者として同居家族と別居家族の違いによる検討はみられるものの、同居家族内の孫と他の家族からの私的支援は一括して扱われることが多かった。日本の家族では、伝統的に夫婦関係よりも親子関係が優先され、時として女性にとって配偶者よりも子供の方がよき理解者であることは珍しくない。また、祖父母と孫の関係は、互いを補い合うものとして、両者は相互に情緒の交流をはかってきた。孫は親子関係と祖父母関係の二つの人間関係をもちながら、痴呆症を発生した祖父母や介護者への私的支援を担ってきた可能性がある。しかし、先行研究では、痴呆性高齢者と孫、介護者と孫の関係にほとんど着目していない。痴呆性高齢者と同居する孫の共同生活に着目することによって、祖父母と孫の関係、介護者と孫の親子関係で生じる支援関係がより明確になる可能性がある。そこで、本研究では、痴呆性高齢者と同居する孫を対象に、孫の家族とのかかわり方を示すカテゴリを抽出し、痴呆性高齢者を介護する家族の支援関係を明らかにすることを目的とした。

II.研究方法

1.研究デザイン及びデータ収集

 本研究では質的研究手法を用いた。調査期間は2001年4月2日から9月19日であった。データ収集は1都3県の4つの在宅サービス機関から研究の協力を得た。データ収集の方法は、面接調査、参加観察、サービス機関に保存されている記録物の閲覧等である。対象の選定は、初期の段階では(1)孫には医学的に痴呆症の診断を受けた祖父母がいること、(2)祖父母の主な介護者は娘または嫁であること、(3)孫は祖父母と同居中であることという3つの基本条件をすべて満たす孫としたが、分析の進行に伴い孫の家族とのかかわり方には年齢による差異が認められたため、中期以降は基本条件だけでなく孫の年齢も考慮して対象を選定した。面接調査は最終的に孫26名に行い、データの補足のために介護者の面接調査も実施した。対象のリクルートの方法は、研究者が在宅サービス機関のスタッフに選定条件を提示し、スタッフから該当する介護者を紹介してもらう方法をとった。研究参加への同意は、孫および介護者ごとに研究者から研究の目的、拒否権、守秘義務などの説明を行い、書面にて同意を得た。

2.分析方法

 データ分析は、Grounded theory approachの継続的比較分析法を用いた。

3.妥当性の検証方法

 妥当性を高めるために、孫対象者5名及びサービス機関のスタッフに分析内容を伝え、彼らからのフィードバックをその後の分析に活用した。とくに孫対象者へのフィードバックでは、学童期から思春期の子供の教育に熟練した専門家からの助言を受けて、子供に理解可能な言葉の使い方や説明の仕方に配慮した。また、分析及び対象の選定にあたり、質的研究の経験をもつ研究者と指導教官に本研究の解釈や分析内容を伝え、不明確な点や現実と理論の論理的な飛躍がないかどうかなどの助言を受けた。さらに、痴呆性高齢者とその家族に関する研究の専門家3名に、(1)最終的な結果と分析方法についてのコメントを依頼するとともに、(2)質問紙を用いて、真実性、現実への適合性、理解しやすさ、一般性、活用性の5項目に関して、「そう思う」から「全くそう思わない」までの4件法で妥当性の評価を依頼した。(1)のコメントに対しては、ローデータからの再検証を行うとともに、双方向の意見交換を行いながら、必要時、本論文の加筆・修正を行った。

III.研究結果

1.対象の特性

 祖父母の平均年齢は80.3±1.3歳、女性が69%であった。病名はアルツハイマー型痴呆が18名、血管性痴呆が4名、混合型およびパーキンソン病による痴呆が各2名であった。介護者の平均年齢は49.0±1.3歳、続柄は嫁が16名、娘が10名であった。また、介護期間は平均4.9±0,6年であった。孫の平均年齢は18.2±1.1歳、年齢の範囲は10歳から25歳であり、男性が15名、女性が11名であった。所属は小学生5名、中学生4名、高校生4名、大学生4名、社会人9名であり、全員が未婚であった。同居時期は病前からの一貫同居が16名、病後からの途中同居は10名であった。また、同居期間の平均は11.3±1.6年であった。

2.孫の家族とのかかわりを示すカテゴリの関連

 分析の結果、孫の家族とのかかわり方を示すカテゴリは12領域となった。このカテゴリの関係性から中心的カテゴリとして孫が共同生活で行う『'孫の手'の調整』が抽出された。次ページの図1に12カテゴリを表した上で、『'孫の手'の調整』、前提条件、介在条件を図示した。

1)前提条件

 【祖父母・介護者とのつながりの確かさ】とは、孫が祖父母や介護者との間で認識する(1)愛着関係の強さ、(2)互いに理解し合えているという実感、という2つの意味を表す。【共同生活の規範】とは祖父母との共同生活で家族がとるべき規則性を表す。孫はこれらを原動力に『'孫の手'の調整』を開始し維持していた。【祖父母・介護者との接触状況】とは孫が祖父母及び介護者とどの程度接触しているかを表し、接触がないと、孫は祖父母や介護者の状況が理解できず、『'孫の手'の調整』は促進されなかった。

2)介在条件

 孫は【孫の技術】を用いて生活のゆらぎを小さくし'孫の手'を提供していた。また、この技術が乏しい20歳未満の孫でも、【介護者からのサポート】を得ることで【孫の技術】を身につけて、自分の生活を調整し'孫の手'を提供していた。【孫の技術】には(1)<病気の理解>、(2)<コトバをよみとる>、(3)<情緒的自己対処>、(4)<日常生活の調整>という4つのサブカテゴリが認められた。また、【介護者からのサポート】には(1)<話を聞いてもらう>、(2)<祖父母との距離の調整>、(3)<病気を教わる>、(4)<一緒に気分転換する>という4つのサブカテゴリが認められた。

3)祖父母および介護者への『'孫の手'の調整』

 '孫の手'とは、棒の端を手首の形に造り背中など手の届かない所を掻くのに用いる道具であることから、転じて、'物事がよく行きとどく'という比喩的な意味にも用いられる。本研究において、痴呆性高齢者の孫が行う手伝いは、痴呆症の祖父母や介護者にとって必須のものではないが、些細なことでも孫からの協力を得ることで家庭の雰囲気が和んだりあるいは家族のきずなが深まる、というように家庭内の物事が円滑に運ぶ役目を果たしていた。『'孫の手'の調整』とは、孫が自分の生活状況に合わせながら、かつ、痴呆症の祖父母や介護者の状況に応じて彼らへの手伝いを工夫し行っていくことであった。

 『'孫の手'の調整』は、【祖父母の病状】、【介護者の疲労】、【家庭内の軋轢】、【共同生活のゆらぎ】、【家庭外生活のゆらぎ】、【祖父母への直接介護】、【介護者へのバックアップ】という7カテゴリから構成された。祖父母に痴呆症が発症すると、孫は【祖父母の病状】、【介護者の疲労】、【家庭内の軋轢】を認識した。これらの度合いによって、孫は【共同生活のゆらぎ】や【家庭外生活のゆらぎ】を感じていた。しかし、孫のほとんどが自分の生活状況と調整しながら、【祖父母の病状】に対しては【祖父母への直接介護】を行い、【介護者の疲労】、【家庭内の軋轢】に対しては【介護者へのバックアップ】を行っていた。

 『'孫の手'の調整』は、時間的経過によって変化した。孫は【祖父母の病状】、【共同生活のゆらぎ】、【家庭外生活のゆらぎ】をどのように認識しているかによって【祖父母への直接介護】を変化させていた。在宅介護を開始した頃の孫は「きつく言う」「思い出させる」などの直接介護を行い、かえって祖父母が混乱したり、不安になる姿を経験することが多かった。しかし、孫は直接介護を行うことで【祖父母の病状】を再認識し、同時に自分の生活基盤のゆらぎを生じない範囲を見極めながら、自分のできる範囲で、時間的経過にともなって「見守る」「一緒に練習する」「本人の気持ちに合わせる」など祖父母の状況に合わせて関わり方を工夫するという【祖父母への直接介護】の調整を行っていた。さらに、【祖父母の病状】の悪化に伴って生活のゆらぎが大きくなると、孫は【祖父母への直接介護】の介護量を減らしたり、あるいは直接介護を一時的に中止して生活のゆらぎが回復してくるとまた再開するというように、自分の生活状況に合わせて【祖父母への直接介護】を調整していた。介護者へ「'孫の手'の調整』においても同様の時間的変化が認められた。

3.妥当性の検証の結果

 専門家3名からのコメントに対して、ローデータからの再検証を行うとともに、双方向の意見交換を行いながら、必要時、本論文の加筆・修正を行った。専門家3名による妥当性の評価の結果、専門家1名が現実への適合性および一般性に関しては痴呆性高齢者の孫と接触がないため評価者として適切でないと回答したが、それ以外の全ての項目に関しては「そう思う」または「大体そう思う」と評価した。他の2名は全ての項目に関して「そう思う」または「大体そう思う」と評価した。

IV.考察

 ・先行研究では、高齢者の家族介護者の介護経験やその過程を示すものが多数みられるが、孫において同様の知見を示すものは少ない。本研究で孫に認められた『'孫の手'の調整』を中心とするカテゴリは、孫における介護経験を示唆する一つと考えられた。

 ・本研究では、介護者の協力者として孫が関与している可能性が示唆された。また、本研究において孫は介護者へのバックアップという働きを示す一方で、介護者からも日常生活のサポートを受けていた。孫は介護者との相互的な支援関係をもつことで、家族を支えるという家族機能の維持に貢献していると考えられる。

 ・本研究では、痴呆性高齢者と孫の関係を捉えていくことで、孫が痴呆症を発症した祖父母への介護という面でも貢献していたことが示唆された。また、孫が祖父母への介護に貢献している場合には、孫は生活のゆらぎを感じていなかった。痴呆性高齢者と孫の関係を理解していく際には、まず、孫の生活のゆらぎを把握していく必要があるだろう。

 ・近年、地域看護学の分野では、地域単位で痴呆を含めた障害者と家族の理解をはかり、介護と健康を考える教育的な活動が進められている。地域単位での教育的な活動の場で、痴呆性高齢者と同居する孫の家族とのかかわりを伝えていくことは、痴呆性高齢者と家族の理解を深められると同時に、住民による地域のネットワークに貢献していく可能性がある。

 ・本研究の限界は、第一に研究対象者の代表性が限られている点、第二に孫の家族とのかかわりでの感情や行動の経時的変化を1回〜2回の面接調査によって把握している点、第三に質的研究ではデータの収集及び分析の全過程を研究者が行い、研究者自身が測定用具であるため、研究者のデータ収集及び分析能力が研究結果に関連する可能性がある点である。

V.結論

 本研究では、痴呆症を発症した祖父母と同居する孫の家族とのかかわり方を示す12カテゴリと『'孫の手'の調整』という中心的カテゴリを抽出し、以下の結論を得た。

1)孫は【祖父母の病状】、【介護者の疲労】、【家庭内の軋轢】を感じると、その度合いによって、【共同生活のゆらぎ】、【家庭外生活のゆらぎ】を経験していた。

2)孫には【共同生活のゆらぎ】、【家庭外生活のゆらぎ】の状況に合わせて、【祖父母の病状】に対しては【祖父母への直接介護】を行い、【介護者の疲労】及び【家庭内の軋轢】に対しては【介護者へのバックアップ】を行うという『'孫の手'の調整』が認められた。また、『'孫の手'の調整』は時間的な経過によって変化していた。

3)『'孫の手'の調整』の前提条件として、【祖父母・介護者とのつながりの確かさ】や【共同生活の規範】、【祖父母・介護者との接触状況】が認められた。

4)『'孫の手'の調整』の介在条件には【孫の技術】と【介護者からのサポート】が認められ、これには孫の年齢が関連していた。20歳以上の孫は自分自身で【孫の技術】を身につけ『'孫の手'の調整』を行っていた。20歳未満の孫は【介護者からのサポート】を受けることで【孫の技術】を高めて『'孫の手'の調整』を行っていた。

 以上より、痴呆性高齢者と同居する孫の家族とのかかわり方に着目する意義が示唆された。

図1:痴呆性高齢者と同居する孫の家族とのかかわり方を示すカテゴリの関連

※『』は中心的カテゴリ、【】はカテゴリを示す

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、痴呆症を発症した祖父母と同居する孫を対象に、質的研究手法(Grounded theory approach)を用いて、孫の家族とのかかわり方を示すカテゴリを抽出し、痴呆性高齢者を介護する家族の支援関係を明らかにしたものである。本研究では、10歳から25歳の孫26名に対して面接調査および参与観察を行い、孫の家族とのかかわり方を示す12カテゴリと「'孫の手'の調整」という中心的カテゴリを抽出し、以下の結果を得ている。なお、本研究では、最終的な結果と分析方法について、痴呆性高齢者とその家族に関する研究の専門家3名に真実性、現実への適合性、理解しやすさ、一般性、活用性の5項目について妥当性の評価を得ている。

1.祖父母および介護者への「'孫の手'の調整」

 孫は[祖父母の病状]、[介護者の疲労]、[家庭内の軋轢]を感じると、その度合いによって、[共同生活のゆらぎ]、[家庭外生活のゆらぎ]を経験していた。孫には[共同生活のゆらぎ]、[家庭外生活のゆらぎ]の状況に合わせて、[祖父母の病状]に対しては[祖父母への直接介護]、[介護者の疲労]および[家庭内の軋轢]に対しては[介護者へのバックアップ]を行うという「'孫の手'の調整」が認められた。また、「'孫の手'の調整」は時間的な経過によって変化していることが認められた。

2.「'孫の手'の調整」の前提条件

 「'孫の手'の調整」の前提条件として、[祖父母・介護者とのつながりの確かさ]、[共同生活の規範]、および[祖父母・介護者との接触状況]が認められた。

3.「'孫の手'の調整」の介在条件

 「'孫の手'の調整」の介在条件には、[孫の技術]と[介護者からのサポート]が認められ、これには孫の年齢が関連していた。20歳以上の孫は自分自身で[孫の技術]を身につけ「'孫の手'の調整」を行っていた。一方、20歳未満の孫は[介護者からのサポート]を受けることで[孫の技術]を高め「'孫の手'の調整」を行っていることが認められた。

 以上、本論文は、いまだ根本的な治療法およびケア方法が確立されず家族の介護負担が大きいとされる痴呆症を有する高齢者の在宅介護において、これまであまり着目されてこなかった孫を対象に、孫と祖父母および孫と介護者の関係から生ずる支援関係について明らかにした点に独創性が認められる。また、本論文では、抽出されたカテゴリの関係性より、10歳から25歳の孫が'孫の手'として介護に協力していくための方略を年齢別に示しており、高齢社会における子供のかかわり方を検討する際に実践的な貢献をなすと考えられる点で、臨床的応用性をも兼ね備えており、学位の授与に値するものと認められる。

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