学位論文要旨



No 117539
著者(漢字) 朴,栄濬
著者(英字)
著者(カナ) パク,ヨンジュン
標題(和) 海軍の誕生と近代日本 : 東アジアにおける近代国家変容の軍事的基礎に関する一研究
標題(洋)
報告番号 117539
報告番号 甲17539
学位授与日 2002.07.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第386号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 酒井,哲哉
 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 教授 石井,明
 東京大学 教授 三谷,博
 東京大学 助教授 鈴木,淳
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、幕末期から明治初期に至る時期に幕府と諸藩で競って進められた海軍建設の様子を「海軍革命」の概念で捉え、その思想的背景や、海軍革命過程に作用した対内・対外的政治過程を解明すること、ならびに海軍建設の様相が日本近代国家への変容及びその対外関係に及ぼした影響を検討することをその目的とする。

 第1章はその予備的考察にあたる部分で、西欧海軍体制受容の思想的背景として江戸時代末期から議論されてきた大船建造論的海防論を検討した。大船建造論的海防論は、ロシアからの異様船出没が増加していた18世紀後半と19世紀初期に、異様船の出没を解釈する世界観として、さらにそれに対応する実質的な対外政策論としての性格を帯びて、藩士や幕臣らによって活発に打ち出され始めた。林子平の場合は、「海国」としての地政学的認識に基づいて「海国」に相応しい防衛体制確立の必要性を訴えながら、小船建造による異様船への対抗論を提起していた。それに反して古賀精里はロシアからの威脅論を提起しつつ、それに備える対応策の一つとして大船建造論の必要性を提示していた。

 1815年以降、ヨーロッパでのバックス・ブリタニカの台頭及びイギリス制海権の東アジア海上での拡散に従い、会沢正志斉と江川英竜らによっての大船建造論的海防論はロシアに対する対抗論だけではなく、イギリスなど、所謂「邪宗」世界の膨張に対する対抗論として変奏されていった。アヘン戦争後には、佐久間象山と徳川斉昭らによって政策的な影響力をもつ政治談論として、さらに幕藩体制の枠を変えていく変革的政治談論として拡大されていく過程を検討した。大船建造は、徳川幕府の禁令によって禁止されていた実情であったから、大船建造を唱える海防論は、徳川幕府の禁令のみならず海禁体制の枠を乗り越える変革性を内在していた議論でもあったのである。

 こうした大船建造論的海防論の展開及びその拡大過程に関する議論の検討を通して本研究は、近代日本における西欧軍事体制受容がただの外在的な契機によって与えられたのではなく、江戸時代からの内在的な条件、認識的条件の成熟があったから初めて可能になったことを強調しようとした。言い換えれば、大船建造論的海防論はペリー提督の来航直後に西欧軍事体制の受容を顕在化させた思想的・国内的背景として働いていたのである。こうした認識の形成には、日本の地政学的位相を「海国」として捉える世界観の変化が行われていた故、可能であったし、そうした世界観の変化には蘭学の流入が働きかけたと思われる。当時の朝鮮と清で存在していた異なる様態の海防論と比較すれば、近世日本で現れた海防論の変革性はより際立っているのである。

 第2章ではペリー来航直後の安政年間を中心として西欧海軍体制の伝播経過とそれを可能にさせた幕府と諸藩の国内政治的条件を検討した。政治的条件としてペリー提督来航直後の対外及び軍事政策を管掌している阿部正弘幕閣の諸政策と、佐賀藩と薩摩藩など主要開明藩主らの海軍建設政策を検討し、それらが西欧海軍体制の伝播を促していることを強調した。同時にこの時期の幕府と諸藩の海軍政策が、共同の外圧に対抗するための幕藩連合的性格を持っていたことをも指摘した。こうした国内政治的条件の存在は、第1章で検討した大船建造論的海防論と同様、西欧海軍体制の受容過程に働きかけた内在的条件のもう一つになっている。

 こうした内在的条件を踏まえ、西欧海軍体制の実質的な伝播経路として注目しているのは、1855年から1859年までオランダ海軍教官団によって長崎で実施されていた海軍伝習の展開であった。2次にわたって派遣されたオランダ海軍教官団と、幕府と諸藩から派遣された伝習団との出会いによって成し遂げられたこの長期間の伝習は、西欧文明が非西欧社会に体系的な学習の過程を通して伝播された稀な経路ともなった。これを通して幕府と諸藩は、西欧式海軍体制を構成する学科内容・教育制度・海軍運用に必要な諸技術・造船施設について十分なものを伝受された。

 西欧海軍体制の伝播は、直ちに幕藩体制に影響を及ぼしていた。第2章ではその事例として、幕府と諸藩に広がりを見せていた近代的海軍教育施設、近代的造船修理施設、近代的海軍制度の拡散過程を検討していた。そしてこうして西欧海軍体制を受容して創設された海軍が、安政年間には主要海域の警備や輸送、さらに測量などの活動を見せていることをも探ってみた。

 第3章は、万延-慶応年間を中心として、海軍革命の過程が加速化される対外的・国内的条件を検討した。海軍革命の加速化過程の国際的契機と関連して開港体制の展開や咸臨丸の訪米、そして長州の攘夷戦争及び薩英戦争を注目した。特に咸臨丸の太平洋横断と訪米は、それ自体がオランダ海軍伝習を通して養成された海軍士官らの遠洋航行訓練の性格を帯びていたのみならず、欧米式の海軍体制を現場で直接に体験する重要な契機ともなっている。一般的に文久年間の軍制改革として知られている幕府の海軍建設政策、即ち艦船購入先の転換や、オランダヘの海軍留学、大艦隊の建設計画、大規模の測量活動などを、成臨丸訪米の影響から検討しようとした。

 この時期に海軍革命過程を促した国内的契機として注目されるのは、2次にわたる長州征討に象徴されるように、幕府と諸藩間の内戦的状態が挙げられる。安政年間に示された幕藩連合の政治状態は消え去り、幕府と諸藩は割拠政局に転じ、さらに内戦状態に落ちていった。こうした内戦状態に備えるため、幕府と諸藩は各々艦船の競争的な購入、海軍制度の整備、海軍留学派遣を推し進めていた。幕府が推進していた横須賀造船・製鉄所の建設、イギリス海軍教官団による海軍伝習の実施などは諸藩を制圧しようとする目的が潜んでおり、雄藩も増強された海軍を倒幕の手段として運用しようとする海軍運用計画まで立っていたのである。

 第4章は幕末期に幕府と諸藩によって展開された海軍革命が、単なる軍事体制の変化に止まらず、幕藩体制の教育制度と官僚制、財政構造、産業構造、さらに対外政策の変化にまでその影響を及ぼしていたことを検討した。こうした「海軍革命」の実態を正当に理解しようとする試みとして、明治初期の軍務官や兵部省の文書を集めた『公文類纂』資料を中心として幕末期の幕府と諸藩が獲得した艦船増強の状況を明らかにしょうとした。この作業を通じて先行研究で定説として受け止められた勝海舟の「船譜」を補充すると共に、幕末期の海軍革命過程が、財政的にも、軍事的も、幕藩体制の全体構造を相当変化させる潜在性を持っていたことを提示しようとした。

 こうした作業に基づいて、海軍革命の過程が幕府と諸藩の教育制度や官僚制度、財政構造、産業の発達に与えた影響を各々検討した。その結果、海軍建設の過程が幕末期の教育制度や官僚制度の近代化と深く関わっていたことを確認した。同時に海軍革命の過程が、幕府と諸藩に財政の膨張をもたらしており、幕府と諸藩の側は財源調達の為に様々な政策を実施しなければならなかったことも明らかにした。このような財源調達及び海軍建設の必要と絡み合って、造船産業・兵器産業・農林業・そして石炭産業などが萌芽的成長を見せており、貿易の増加やそれに伴う関税収入の増大も海軍建設の過程と密接に関わっていたことを指摘した。要するに、西欧近代国家の形成過程で現れたような、軍事体制の建設のための人的・物的資源の抽出過程が、幕末期の幕府と諸藩にも見られていたことを確認した。

 ひいては幕末期海軍革命の成果は、幕府と諸藩に対外政策上の目的を達成してくれる強力な軍事的手段を与えた。幕府が推進した沿岸測量や小笠原島の開拓は、領土及び領海へ主権を確立する手段として海軍の軍事力が動員されていたことを示している。艦船派遣を通じた上海及び露領との貿易開始や、朝鮮への使節派遣のための海軍力の動員構想は対外経済・外交政策の実現に向けて軍事力を手段化することを意味している。要するに幕末期の海軍建設は、日本の沿岸だけではなく、東アジアの海上において制海権の樹立をもたらしてくれるきっかけともなったのである。海軍という新しい軍事的手段の出現は、幕藩体制の近代国家への変容を促し、さらに朝鮮や清国など、他の東アジア政治段位の間で権力の差別的成長を招来し、これが東アジアの体制変化に転じる転換点になったのである。

 これまでの幕末一明治期に関する数多くの先行研究では、この時期を軍国主義への起原(軍国主義論)、近代化への過程(近代化論)、或いは外圧に対する民族革命の過程(民族革命論)として各々描いてきた。それらに反して本研究はこの時期を、海防論や阿部幕閣による海軍建設政策等(内在的条件)やオランダ海軍伝習らによる西欧海軍体制の受容など(外在的条件)が絡み合って「海軍革命」の過程が発端・展開され、それが幕藩体制を近代国家へ変容させ、ひいては東アジア地域秩序において新しいタイプの国際政治行為者が登場する過程として解釈した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、幕末・維新期日本における海軍建設過程を実証的に分析するとともに、その諸相を「海軍革命」の概念で捉えることで、それが近代国家への変容に与えた影響を検討したものである。19世紀国際秩序において海軍は近代性の象徴的存在であり、海軍の建設には高度な科学技術やそれを支える教育・官僚制度の整備を必要とした。著者はこのような近代海軍体制の受容と影響を通して、当該期の日本における近代国家形成の一側面を描きだそうとしたのである。それはまた、従来の近代日本研究において個別的に検討されることが多かった、軍事史と政治外交史との双方を架橋する試みとして位置づけることができる。

 序章「課題と方法」で、まず著者は、従来の幕末・維新史研究を軍国主義論・近代化論・民族革命論の3類型に分類したうえで、簡単にそれぞれの問題点を論じている。そのうえで序章では、軍事体制の形成が近代国家変容に与えた影響の重要性が指摘されるとともに、西欧軍事史学における「軍事革命」の概念が紹介され、これに示唆をうけつつ、19世紀東アジアにおける事例を検討するために、「海軍革命」の概念を援用することが提唱されている。

 第1章「異様船と海国の海防論:幕末期『海軍革命』の思想的背景」は、いわば本論の予備的考察にあたるものであり、西欧海軍体制受容の思想的背景として主として江戸時代末期から議論されてきた大船建造論的海防論が検討されている。まずロシアからの異様船出没の増加をうけて大船建造論的海防論が提唱される過程が、林子平・古賀精里の海防論の検討から明らかにされる。ついで1815年以降イギリスの制海権の東アジア拡張に伴い、ロシアヘの対抗策としてだけではなく、イギリスなどいわゆる「邪宗」世界の膨張に対する対抗論としてこれらの議論が変奏されていく様相を、会沢正志斉・江川英竜に則して論じている。そのうえでアヘン戦争以後、大船建造論的海防論が幕府の海禁体制を乗り越える変革的政治談論として拡大していく過程が、佐久間象山・徳川斉昭の議論を中心に分析されている。このような検討を通して著者は、近代日本における西欧軍事体制受容は単なる外在的契機によって与えられたのではなく、江戸期からの内在的な認識論的条件の成熟のうえに基礎づけられたものであったことを強調している。

 第2章「幕末期『海軍革命』の発端(1853-1859):西欧海軍体制の伝播と国内受容」は、ペリー来航直後の安政年間を中心にして西欧海軍体制の伝播過程とそれを可能にした幕府と諸藩の内政的条件を対象とする。すなわち著者は、阿部正弘幕閣の諸政策と佐賀藩・薩摩藩などの主要開明藩主らの海軍建設計画を検討し、それらが西欧海軍体制の伝播を促していること、そしてこの時期の幕府と諸藩の海軍政策が、共同の外圧に対抗するための幕藩連合的性格を有していたことを指摘している。こうした内政的条件は、前章で検討した大船建造論的海防論とともに、西欧海軍体制受容を支えた内在的要因になっている。著者はさらにこのような内在的要因を踏まえたうえで、西欧海軍体制の実質的な伝播過程として、1855年から1859年までオランダ海軍教官団によって長崎で実施されていた海軍伝習の展開を重視している。2次にわたり派遣されたオランダ海軍教官団と幕府・諸藩から派遣された伝習団との遭遇は、西欧文明が非西欧社会に体系的な学習により伝播された稀な経路となり、これを通して幕府と諸藩は、西欧式海軍体制を構成する学科内容・教育制度・造船施設などを獲得した。本章はさらに、このような西欧海軍体制伝播が幕藩体制に及ぼした影響を、幕府と諸藩における近代的海軍士官養成施設、近代的造船修理施設、近代的海軍制度の展開をもとに分析したうえで、新たに創設された海軍が、安政年間には主要海域の警備・輸送・測量などの活動に従事していたことを明らかにしている。

 第3章「幕末期『海軍革命』の展開(1860-1867):対内・対外戦争と幕府の海軍拡張」は、万延-慶応年間を中心として、海軍革命が加速化される対外的・国内的条件を検討している。対外的契機として、開港体制の展開、或臨丸の訪米、長州の攘夷戦争および薩英戦争が取り上げられているが、著者はとりわけ或臨丸の太平洋横断を、それ自体オランダ海軍伝習を通して養成された海軍士官らの遠洋航海訓練の性格を持つものであったことに加えて、欧米式の海軍体制を現場で体験する契機でもあったとして重視し、一般的に文久年間の軍制改革として知られる幕府による一連の海軍建設政策を、成臨丸訪米の影響から考察している。またこの時期に海軍革命を促進した国内的契機として、幕府と諸藩の内戦的状況が幕府と雄藩の競争的海軍建設をもたらした経緯が論じられ、幕府の推進する横須賀造船・製鉄所の建設、イギリス海軍教官団による海軍伝習の実施は、諸藩の制圧という目的を潜めたものであり、他方、雄藩も増強された海軍を倒幕の手段として運用しようとする海軍運用計画を立案していたことが指摘されている。

 第4章「幕末期の『海軍革命』と幕藩体制の変容」は、幕末期の幕府と雄藩による海軍建設が、単なる軍事体制の変化にとどまらず、幕藩体制の教育制度と官僚制、財政構造、産業構造、対外政策の変化までその影響を及ぼしていたことを検討している。著者はまず、明治初期の軍務官や兵部省文書の集積である『公文類纂』を中心に幕末期に幕府と諸藩が獲得した艦船増強状況を分析し、従来の研究では定説とされていた勝海舟の「船譜」の内容を実証的検討に基づいて訂正・補充したうえで、幕末期の海軍革命が財政・軍事の双方において幕藩体制の構造を変化させる潜在性をもっていたことを指摘する。すなわち海軍建設の過程は、幕末期の教育制度や官僚制の近代化と密接に関連するものであるとともに、財政的には幕府と諸藩に財政膨張をもたらすものであり、このため幕府と諸藩は財源調逢のため様々な政策を実施する必要に迫られた。このような財源調達及び海軍建設の必要性と絡み合いながら、造船産業・兵器産業・石炭産業などの萌芽的成長が見られ、貿易の増加や関税収入の増大も海軍建設の過程と密接な関わりをもっていた。さらに幕末期海軍革命の成果は、幕府と諸藩に対外政策の目的を達成する重要な軍事的手段を与えるものであった。幕府が推進した沿岸測量や小笠原の開拓は領土及び領海へ主権を確立する手段として海軍の軍事力が動員されていたことを示すものであるし、艦船派遣を通じた上海及び露領との貿易再開や、朝鮮への使節派遣のための海軍力の動員構想は対外経済・外交政策の実現に向けて軍事力を手段化することを意味した。

 終章では、上述のような本論の要旨をまとめたうえで、幕末期の海軍建設が、日本の沿岸のみならず東アジアの海上における制海権の樹立のきっかけとなったことの意義が論じられる。海軍という新たな軍事的手段の出現は、幕藩体制の近代国家への変容をもたらすとともに、東アジア地域秩序において新たなタイプの国際政治行為者を登場せしめたのであり、このことはひいては朝鮮や清国など他の東アジア諸国との間での権力の差別的成長を招来し、東アジア地域秩序の体制変化をもたらす契機になった、と著者は結論づけている。

 以上が提出論文の要旨であるが、本論文には次のような長所があるといえる。第一に、本論文は、幕末期における海軍建設過程を詳細に明らかにした研究であり、またそれを狭義の軍事史の領域にとどめることなく、幕藩体制の構造的変革過程のなかに位置づけた視野の広い研究である。軍事体制の形成が近代国家への変容にいかなる影響を与えたかという視点は重要なものであるが、従来のこの分野の研究は陸軍の形成過程に着目したものが多く、海軍の建設過程を本格的に検討したものは少なかった。冒頭で述べたように、従来の近代日本研究においては軍事史と政治外交史はそれぞれ個別的に研究されることが多かったが、本論文はその両者を総合的に検討した試みとして評価することができる。

 第二に、本論文は、当該期の海軍建設過程について、いくつかの点で実証的基礎に基づいて先行研究を越える創見を示した。例えば、従来の研死では定説とされていた勝海舟の「船譜」の内容を実証的検討によって訂正・補充したうえで、幕末期の艦船増強状況を分析した部分は堅実な研究成果として評価し得るものである。また、第2章で扱われるオランダ海軍教官団による海軍伝習の展開についての重厚な分析も、本論文の奥行きを感じさせるものになっている。

 第三に、本論文は、これまで個別的に検討されてきた幕末期の海防論や軍制改革を総合的に考察した、いわばこの分野における集大成的研究である。本文337頁という浩瀚な作品でありながら論旨は明晰であり、幕末期の海軍建設過程について包括的な見取り図を提示することに、本論文は一定の成功を収めているといってよい。

 とはいえ、本論文にもいくつかの弱点がないわけではない。第一は、本論文で用いられる「海軍革命」という概念の適用可能性に関わるものである。本論文では、西欧軍事史学における「軍事革命」の概念に示唆を受けて、19世紀東アジアの事例を検討するために「海軍革命」という概念が採用されている。このことは、幕末期の海軍建設過程を狭義の軍事史的領域に閉じ込めず、より広い近代国家への変容という文脈に位置づけようとする著者の意欲の表れでもあるが、他面「海軍革命」という問題設定自体がややア・プリオリになされている印象は残る。「軍事革命iという比較的マクロな歴史社会学の概念が、微視的な海軍建設過程の実証分析にとってどこまで有効なのか、といった点は論点になり得るであろう。

 第二に、上記の点とも関連するが、この時期の海軍建設の重要性をどこまで大きく見ることができるか、という問題点がある。例えば、軍事体制の形成と近代国家への変容という主題を考える際に、先行研究との重複を避けるためではあろうが、本論文で正面から扱われることのなかった陸軍建設と比べて海軍建設はどのような意味で画期的といえるのか、あるいは両者の関連はどのように考えるべきなのか、という点については、いま少しの説明があってもよかったであろう。また著者は、幕末期に創設された海軍が単なる輸送部隊ではなく戦闘能力をもつものであったことを強調しているが、海軍の創設によってもたらされた輸送力の向上が戦時動員の形態を変化させた側面がより重視されるべきでありその意味で、輸送能力と戦闘能力とを対置させる著者の整理図式は、やや一面的であろう。

 しかしながら、これらの点は本論文の学術的価値をいささかも損なうものではない。総じて、本論文は、幕末期の海軍建設過程を包括的に捉えた軍事史と政治外交史を架橋する研究として、学界に対して多大な貢献をしたものと認めることができる。以上の点から、本論文の提出者は、博士(学術)の学位を授与されるのにふさわしいと判断する。

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