学位論文要旨



No 117540
著者(漢字) 西村,理恵子
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,リエコ
標題(和) モデルマメ科植物ミヤコグサを用いた根粒形成を負に制御する因子の分子遺伝学的解析
標題(洋) Molecular genetic analysis of negative regulatory gene of nodulation using the model legume plant Lotus japanicus
報告番号 117540
報告番号 甲17540
学位授与日 2002.07.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第387号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 助教授 箸本,春樹
 東京大学 助教授 杉山,宗隆
 東京大学 助教授 池内,昌彦
 東京大学 助教授 渡辺,雄一郎
内容要旨 要旨を表示する

 マメ科植物は土壌細菌Rhizobiumとの相互作用により、根に根粒というユニークな側成器官を形成する。根粒内部では土壌細菌が細胞内共生し、窒素固定反応を行っている。宿主植物は土壌細菌に光合成産物を与える一方で、土壌細菌からはその窒素固定産物を受け取っている。植物の成長に欠かせない窒素化合物を効率的に得ることが出来るため、根粒形成はマメ科植物において大きな利点がある。しかし、過剰な根粒形成は植物に逆に負荷を与える。野生型に比べ過剰の根粒を着生する共生変異体は、1980年代半ばにダイズから初めて単離されたが、この変異体では植物の成長が著しく阻害されていた。このことから宿主植物には根粒形成を誘導するだけでなく、根粒形成を負に制御する仕組みも備わっていることが知られるようになった。現在までに単離された根粒過剰着生変異体は1)窒素化合物耐性、2)エチレン耐性の二つのタイプに区分されている。前者ではダイズのnts1やミヤコグサのhar1、後者ではタルウマゴヤシのsickleがよく知られている。しかしどの変異体も原因遺伝子の単離にはいたっておらず、根粒形成を負に制御する分子メカニズムについてはほとんど分かっていない。本研究では、根粒形成を負に制御する遺伝子を解明することを目的とし、モデルマメ科植物ミヤコグサLotus paponicusから単離された新奇な根粒過剰着生変異体astrayについて、表現型解析と原因遺伝子の単離を行った。

 astrayは、ミヤコグサGifu B-129の種子にEMS処理によって変異導入した種子のM2世代から単離された、劣性一遺伝子座制御の変異体である。野生型の約二倍の数の根粒を着生すること、根粒着生領域が野生型よりも広いことがこの変異体の特徴である。野生型とastrayにミヤコグサ根粒菌Mesorhizobium loti JRL507を感染させて着生根粒数を日を追って調べた。その結果、astrayは野生型より多数の根粒を着生するだけでなく、野生型よりも根粒原基の発生が早いことが分かった。根粒菌をスポット上に感染させた根を透明化して根粒原基の発生を詳細に調べたところ、野生型では感染後四日目に、変異体では感染後三日目に根粒原基発生の初期段階に当たる細胞分裂が観察された。以上の結果から、astrayは早期根粒着生という今までに報告例のない表現型を持つことが明らかになった。次に今までに単離されている根粒過剰着生変異体との相関を調べるため、硝酸イオンとACC(エチレン前駆体)に対する感受性を調べたところ、両化合物に対するastrayの感受性は野生型のそれとほぼ同じであった。このことからastrayは新奇な根粒過剰着生変異体であることも示唆された。

 astrayは根粒菌非感染時においても、複数の興味深い表現型を示す変異体であった。際だった特徴として、下胚軸が長い、側根の重力屈性が弱い、緑化が弱い、アントシアニン蓄積量が少ないことなどが観察された。そしてこれらの表現型はシロイヌナズナより単離されていたhy5変異体の表現型と酷似するものであった。HY5は植物の光形態形成プログラムのスイッチを入れると考えられるbZIP型転写因子をコードしている。更にhy5には側根の発生が早いという表現型も報告されている。恒常的にDNAと結合する変異型HY5を野生型で過剰発現させると側根の発生が著しく抑制されたとの報告もあり、HY5が側根の発生を負に制御することが強く示唆されている。側根と根粒はともに後胚発生的に生ずる内生分枝器官であることを考えると、これらの知見は非常に興味深い。そこでhy5とastrayの表現型の類似から、astrayの原因遺伝子はミヤコグサにおけるHY5の相同的な遺伝子であると予想し、その単離を試みた。

 HY5と相同性の高い遺伝子として、ダイズのSTF1、ソラマメのVFBZIPZFが報告されている。そこでこの三遺伝子間で相同性の高い領域においてプライマーを作成し、Gifu B-129の根のcDNAライブラリに対してdegenerate PCRを行った。その結果、上記の三遺伝子と非常に高い相同性を示す966bpの遺伝子(LjBZF)を単離出来た。興味深いことにLjBZF,STF1,VFBZIPZFのN末側にはRING finger domainとacidic regionがよく保存されていた。この両ドメインはマメ科植物に特有的であり、HY5には存在しない。

 次にLjBZFとastrayの表現型の連鎖を調べた。連鎖解析を行うために、Gifu B-129と高いDNA多型率を持つMiyakojima MG-20と、Gifu B-129由来のastrayの変異体を交配して、F2 populationを作出した。LjBZFにおいてGifu B-129とMiyakojima MG-20間に見いだされた一塩基多型(SNP)をdCAPS法によって検出することで、連鎖解析を行った。その結果、astrayの表現型を示すF2植物43個体において連鎖を確認出来、LjBZFとastrayの表現型が強く連鎖していることが分かった。astrayからLjBZFを単離し、変異箇所を検索したところ、第二イントロンの開始部分、スプライシングアクセプターサイトと考えられる箇所に塩基置換が見つかった。RT-PCRを行ったところ、astrayのmRNAは野生型のそれよりも第二イントロンの塩基長分だけ長いことが分かった。astrayのLjBZF mRNAをタンパク質に翻訳すると第二エキソンの直後にストップコドンが入ることから、astrayにおいてLjBZFはほとんど機能していないと考えられる。

 astrayの原因遺伝子がLjBZFであることを確認するために、この遺伝子を変異体に導入して形質転換体を作出した。LjBZFをバイナリーベクターpB1121に組み込み、このベクターをAgrobacterium tumefacience C58に導入した。形質転換はこのC58株を用いて、胚軸感染法に従い行った。T2世代の形質転換植物に根粒菌を感染させたところ、着生根粒数、根粒感染領域ともに、表現型は野生型に回復していることが分かった。また、下胚軸長、緑化、側根の重力屈生、アントシアニン蓄積量などのpleiotropicな表現型についても回復が見られた。このことから、astrayの原因遺伝子はLjBZFであることが明らかとなった。

 astrayとhar1はともに野生型よりも多数の根粒を着生し、かつその着生領域は野生型よりも広がっている。そこで両変異体のdouble mutant(har1-4 astray)を作成して、両者の遺伝学的関係を調べてみた。根粒菌を感染させたdouble mutantには、har1-4より多数の根粒が着生していた。更にdouble mutantでは根の先端近くにまで根粒が着生しており、har1-4よりも根粒着生領域が広がっていることが観察された。Double mutantのこの表現型について更に詳細に調べるため、野生型、har1-4、double mutantに根粒菌を感染させて、感染後二週目、六週目において根粒着生領域を定量的に調べた。その結果、har1-4とdouble mutant間の比較においては、double mutantの根粒着生領域は両観測点においてhar1-4より広く、特に感染六週目において両者間の差が顕著に見られた。二重変異による影響が根粒数、根粒着生領域ともに相加的に現れたことから、ASTRAYとHAR1は独立な経路を介して根粒形成を負に制御していることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 根粒は根粒菌と植物との相互作用により、植物の根に誘導される共生的窒素固定器官である。宿主植物は根粒菌に光合成産物を与える一方で、根粒菌からはその窒素固定産物を受け取っている。根粒共生系のメカニズムを理解するためには、まずその共生システムの構築に必要とされる遺伝子を把握することが必要である。過去の根粒共生系の解析は、主に根粒菌側の共生遺伝子群についてなされ、機能解析は顕著な進展を見せた。しかし、それらと対をなす宿主植物側の根粒形成を制御する遺伝子群については実体がほとんど不明である。根粒形成時に特異的に発現する遺伝子はnodulinと呼ばれ多数単離されてはいるが、機能の不明なものが多い。申請者、西村理恵子君は根粒形成を負に制御する遺伝子の同定を目的として、ミヤコグサLotus japonicusより単離された新奇根粒過剰着生変異体astrayの表現型解析と原因遺伝子の単離を行った。

 astrayは、ミヤコグサGifu B-129の種子にEMS処理によって変異導入した種子のM2世代から単離された劣性一遺伝子座制御の変異体である。astrayの根粒着生数は野生型の約二倍で、過去に報告された根粒過剰着生表現型とは区別される特徴も示した。根粒着生領域が野生型より広いこともその特徴の一つとして観察された。更に、astrayは早期根粒着生という今までに報告例のない表現型を持っていた。窒素化合物とエチレンは根粒形成を抑制することが知られており、過去に報告された根粒過剰着生変異体はいずれかの化合物に対して耐性であると報告されているが、astrayは両化合物に対して感受性を示した。以上の結果からastrayは過去に報告された根粒過剰着生変異体とは異なる、新奇な根粒過剰着生変異体であることが示唆された。

 astrayは根粒菌非感染時においても、複数の興味深い表現型を示す変異体であった。際だった特徴として、下胚軸が長い、側根の重力屈性が弱い、緑化が弱い、アントシアニン蓄積量が少ないことなどが観察された。そしてこれらの表現型はシロイヌナズナのhy5変異体の表現型と酷似するものであった。側根と根粒は類似した発生様式をたどり、hy5は側根形成が早い変異体としても報告されている。しかしastrayの変異は側根形成には影響を及ぼしていなかった。

 HY5は植物の光形態形成プログラムのスイッチを入れると考えられるbZIP型転写因子をコードしている。そこでhy5とastrayの表現型の類似から、astrayの原因遺伝子はミヤコグサにおけるHY5の相同的な遺伝子であると予想し、その単離を試みた。HY5と相同性の高いダイズのSTF1、ソラマメのVFBZIPZFの塩基配列に基づいてプライマーを作成し、Gifu B-129の根のcDNAライブラリに対してdegenerate PCRを行った。その結果、HY5と非常に高い相同性を示す966bpの遺伝子(LjBZF)を単離出来た。興味深いことにLjBZF,STF1,VFBZIPZFのN末側にはRING finger domainとacidic regionがよく保存されていた。この両ドメインはマメ科植物に特有的であり、HY5には存在しない。Miyakojima MG-20と、Gifu B-129由来のastrayの変異体を交配してF2 populadonを作出し、一塩基多型(SNP)をdCAPS法によって検出することで、連鎖解析を行った。その結果、astrayの表現型を示すF2植物43個体において連鎖を確認した。astrayからLjBZFを単離し、変異箇所を検索したところ、第二イントロンの開始部分、スプライシングアクセプターサイトと考えられる箇所に塩基置換が見つかった。RT-PCRを行ったところ、astrayのmRNAは野生型のそれよりも第二イントロンの塩基長分だけ長いことが分かった。astrayの原因遺伝子がLjBZFであることを確認するために、この遺伝子を変異体に導入して形質転換体を作出した。T2世代の形質転換植物に根粒菌を感染させたところ、symbiotic phenotype、nonsymbiotic phenotypeともに回復が見られた。よって、astrayの原因遺伝子はLjBZFであることが明らかとなった。

 astrayとhar1の遺伝学的関係を調べるため、二重変異体を作出して表現型の解析を行った。その結果二重変異による影響が根粒数、根粒着生領域ともに相加的に現れたことから、ASTRAYとHAR1は独立な経路を介して根粒形成を負に制御していることが示唆された。

 以上のように、申請者は根粒形成を負に制御する宿主植物の遺伝子を初めて同定し、共生遺伝子のネットワークより構築される根粒共生系のメカニズムの一端を分子レベルで明らかにした。この研究によって、根粒形成を負に制御する機構の新たな側面に光を当てることが期待される。さらに、西村君はこの研究の過程で、遺伝学、分子生物学の手法、及び科学的な方法論を広く習得した。よって、申請者西村理恵子君は博士(学術)の学位を授与されるに値する。

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