学位論文要旨



No 117543
著者(漢字) 高山,緑
著者(英字)
著者(カナ) タカヤマ,ミドリ
標題(和) 知恵の加齢変化と心理社会的関連要因に関する心理学的研究
標題(洋)
報告番号 117543
報告番号 甲17543
学位授与日 2002.09.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第85号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,洋
 東京大学 教授 南風原,朝和
 東京大学 助教授 下山,晴彦
 東京大学 教授 苅谷,剛彦
 東京大学 教授 山本,義春
 東京大学 教授 秋山,弘子
内容要旨 要旨を表示する

 1999年現在,全人口に対する65歳以上の推計人口は16.7%となり,我が国は既に高齢化社会から高齢社会へと移行している.また21世紀には高齢化率は25%を超え、国民の4人に1人が高齢者という本格的な高齢社会が到来するものとみこまれている(総務庁,2000)。このような現代社会において,豊かに老いることを考えるとき,成人期,老年期においてなお維持されたり,豊かになる可能性のある能力を明らかにし,その能力の関連要因を究明したり,加齢変化を明らかにしてゆくことは21世紀における重要な心理学的課題のひとつであろう.

 近年,生涯発達心理学や老年心理学の領域において、成人期以降にみられる特有な発達を説明しうる概念として、知恵が注目を集めている。しかし、知恵の研究はその理論化と研究法が確立されはじめたばかりであり、その研究は緒についたばかりである。そこで本研究では、知恵に焦点をあて、(1)知恵はどのように捉えられているのか、その認知構造を明らかにするとともに、(2)知恵を実証的にとらえて研究できるために、知恵の測定方法を作成し、(3)知恵の加齢変化と(4)心理社会的関連要因を実証的に明らかにすることを大きな目的とした。

 知恵の認知構造に関しては、従来の研究では、知恵を理論化することに主眼があったため、年代によって知恵の捉え方に相違点がある可能性が指摘されながらも、年齢を通じて一貫して存在する特性ばかりが強調されてきた。また、これらは欧米での研究が中心で、地域差、文化差の存在が指摘されながらも、欧米以外での知恵の捉え方に関する研究はなされてこなかった。そこで、本研究では20歳以上の成人男女1264名(20-92歳)を対象に、日本人の知恵の捉え方の構造を明らかするとともに、各年代による知恵の捉え方に質的な相違点を検討した。

 知恵に関わる特性・行動22項目への回答をもとに因子分析行ったところ、以下のような結果を得た。1)共通点としては、各年代を通じて4つの因子が抽出された。すなわち、「内省的態度因子」(でしゃばらない、冷静である、自分のことを反省する、人生を悟るなど)、「優れた判断力・理解力因子」(本質を見抜く、全体の動きを把握する、状況に応じて的確な判断をするなど)、「対人関係・向社会的態度因子」(感受性が強い、好奇心がある、社交的、年齢を重ねている、指導力があるなど)、そして「知識・知性因子」である。2)しかし、各因子を尺度化し、尺度得点を年齢群(5歳きざみ)ごとに比較すると、因子得点によって異なる年齢変化を示した。すなわち、内省的態度因子得点は20-24歳群が最も高く、年齢とともに緩やかに低下を示した。判断力・理解力因子得点では、20-24歳以降、緩やかに低下し、30代後半〜50代前半にかけて最も得点が低下し、その後また緩やかな上昇を示した。一方、向社会的態度因子得点と知識・知性因子得点は40代後半〜50代後半にかけて高い得点を示し、その後、一旦低下するが、70代後半になるとまた上昇するといった変化を示した。このことは、知恵からイメージされるニュアンスが年齢によって微妙に変化していることを示唆している。すなわち、加齢とともに知恵の捉え方が微妙に変化していることが示されたと言ってよいだろう。

 第2に知恵を実証的に捉えるために測定法の作成を行った。Baltesの人生計画課題と人生回顧課題を参考に、知恵の測定法の日本語版を作成し、その信頼性と妥当性の検討を行った。この測定法は知識の豊かさや判断力、理解力に焦点をあてて、問題解決能力としての知恵を測定するものである。

 課題は人生計画課題4題(様々な人生場面における仕事と家庭との葛藤を解決する)と人生回顧課題4題(架空の人物の人生を回顧する)を用いた。各課題に対する回答を5つの知恵に関わる知識(宣言的知識、手続き的知識、文脈理解、価値相対性の理解、不確実性の理解)の観点から評定し、さらに合計得点を総合的な知恵の指標とした。成人・高齢者197名(60-86歳)の男女を対象に調査を実施し、以下の結果が得られた。1)信頼性に関して、人生計画課題、人生回顧課題ともに高い評定者間信頼性が得られた。2)理論モデルから予想されたように、知恵に関わる知識間には中程度以上の相関関係が示された。3)知能、社会的知能、教育年数を外部基準とした基準関連妥当性の検討からは、人生計画課題においては、教育年数と有意な正の相関関係があり、また知恵と社会的知能との間には、知恵と知能との相関よりも有意に大きな正の相関関係がみられ、十分な妥当性が示された。4)人生回顧場面では人生計画場面のような、知恵、知能、社会的知能の3変数の明確な関係は示されなかったが、妥当性を示すいくつかの根拠が示された。

 知恵の測定法の信頼性と妥当性が示されたので、この方法により知恵の加齢変化と知恵の関連要因の検討へと研究を進めた。

 第3の研究は成人期から後期高齢期にかけて知恵がどのように変化するか、その年齢差を検討した。成人群(-64歳)、前期高齢群(65-74歳)、後期高齢群(75歳-84歳)に知恵と知能テストを実施し、その年齢差を分散分析を用いて分析したところ、積木模様(動作性知能)でははっきりとした年齢低下が示され、後期高齢群で有意に得点が低下していた。しかし知恵の得点に関しては、ネガティブな年齢変化を示す根拠は全く示されなかった。これは後期高齢期においても、高い知恵を示す者がいることを示唆しており、後期高齢期にあると広範囲にわたって認知機能の低下が観察されている中で、注目すべき結果であると言えよう。

 しかし、この結果は同時に歳をとることが必ずしも知恵が身につくことの十分条件でないことも示唆していた。そこで、次に知恵に影響を与えると予想される、身体的、心理的、社会的要因に関して検討を行った。

 第4の研究では、人生計画課題と人生回顧課題を用いて、知恵の形成や維持に関わる要因の検討を行った。心理変数として知能(動作性知能、言語性知能)、社会的知能(実際的問題解決能力、社会的問題解決能力)、性格特性(神経症傾向、外向性、開放性、調和性、誠実性、特性的自己効力感)、身体的変数として通院状況(通院あり/なし)と主観的健康感、社会的変数としては学歴(教育年数)、日常的活動(自立的活動、知的能動性活動、社会的役割活動)、現職の有無を独立変数とし、人生計画における知恵と人生回顧における知恵をそれぞれ従属変数として重回帰分析を行った。その結果、1)人生計画場面での知恵には、心理変数の知能(言語性知能、動作性知能)、社会的知能(実際的問題解決能力、社会的問題解決能力)、特性的自己効力感、開放性とともに、社会的変数の自立的活動、知的能動性活動が知恵の形成維持に関連していることが示唆された。一方、2)人生回顧場面での知恵には、社会的変数とは関係が示されず、神経症傾向、外向性、調和性など性格特性との関連が示された。

 知恵は人生の岐路になるような大きな問題に直面してその解決策を考えるときや、自分のこれまでの人生に向きあい、それと折り合いをつけなければならないような場面で発揮されることがこれまで指摘されてきた。しかし、両者の能力に関連する要因は大きくことなることが今回の結果から示唆された。すなわち、将来展望の視点から現実問題を解決してゆくには、知能をはじめ社会的知能などこれまでの実生活から蓄積された認知能力が高いこと、問題解決に必要な有能感(特性的自己効力感)や新しい出来事に進んで挑戦してゆくような性格特性(開放性)があること、そして何より実際の日常生活の中で、自立した生活をしたり、知的好奇心をもってニュースや本など常に新しい物事へアンテナをはるなどの活動を日々行ったりしていることが重要な影響を与えていることが示された。しかし、人生回顧のように、もうやり直すことができないものを受け入れる、つまり過去へ向かって展望をする場合には、情緒的能力の力が必要とされることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、老年心理学における知恵の概念に焦点を当て、欧米における知恵研究を踏まえた上で、知恵の我が国における測定法の確立と知恵のモデルの提案を行おうとするものである。

 本論文は、10章から成るが、第1章は導入であり、第2章と第3章は理論編として第I部を構成し、今までになされた研究のレビューにあてられており、第3章から第10章までは、調査編として第II部を構成している。

 第3章、第4章及び第5章は層別二段抽出された20歳代以上80歳代に至るまでの成人1,264名に個別面接を行なうことによって得られたデータに基づいて、「知恵がある人」とはどのような人として捉えられているかの分析と、知恵観の因子分析を通じて知恵のイメージの解明を行なっている。心理学においては、古くから知能や人格特性といった構成概念が因子分析と呼ばれるデータ解析技術と密接に結びつけられ、それらの構成概念を測定していると考えられるデータの因子間の構造についての知見が、理論の発展に極めて重要な一翼を担ってきたという事実がある。本論文の第5章においても、知恵についての因子分析が共分散構造分析の多母集団比較の技術を利用して行なわれ、男女別の低年齢群と高年齢群の4つの集団に4つの因子が共通して表われること、及びそれらの4因子の中の1つ「知識・教養因子」は、欧米での先行研究で報告されている論理的思考因子とは、対応づけが困難であることが見出された。

 第6章から第9章では、都内高齢者大学校の60歳から86歳までの在校生及び卒業生197名に、やはり個別面接調査を行なうことによって、Baltesらの人生計画課題と人生回顧課題を用いた知恵の測定法の翻訳改訂版の信頼性と妥当性とを確認した。その上で、知恵の年齢による横断的差異を調べるとともに、知恵に影響を及ぼすと考えられる要因について、種々の分析を行なっている。まず、知能検査の結果から、従来の知能の加齢研究における知見と同じく、高年齢者の動作性知能の低下と言語性知能の性差が見出されたが、知恵の下位尺度得点及び総合得点においては、不確実性の理解で年齢による差異と性による差異が見出された以外は、おおむね年齢や性による差異は認められず、60代から80代半ば頃までの知恵平均得点の横断的安定性が示された。加えて、日常的活動能力と知恵得点との相関が認められることによって、日常的活動が知恵を高める上で有効であることが主張された。また、この調査結果の分析により、欧米における先行研究とは異なって、人生回顧課題において相対的に知恵が知能や社会的知能との関わりを弱める反面多様な性格特性との関運を示すことを見出し、今後の比較心理学的研究の必要性を論じている。

 以上のように、本論文は我が国における知恵研究のための測定法を確立するとともに知恵の特性に関する研究の出発点ともなるべき知見を提示した。よって本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいと判断された。

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