学位論文要旨



No 117544
著者(漢字) 朴,喜燦
著者(英字) PARK,HEE CHAN
著者(カナ) パク,ヒチャン
標題(和) 職業性クロムおよび水銀曝露がリンパ球分画数及びサイトカイン濃度に及ぼす影響
標題(洋) Effects of occupational chromium and inorganic mercury exposure on lymphocyte subpopulations and cytokines
報告番号 117544
報告番号 甲17544
学位授与日 2002.09.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2037号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 鈴木,紀夫
 東京大学 助教授 石川,昌
 東京大学 助教授 川久保,清
内容要旨 要旨を表示する

I.序論

 産業分野で広く使われているクロム及び水銀は、人体に毒性を示す代表的な重金属である。クロムは人体に対し発癌性を示し、また水銀は動物実験において自己免疫疾患や遅延性アレルギーを起こすことが知られている。最近、これらの重金属の免疫毒性(免疫担当細胞、抗体およびサイトカインに及ぼす影響)の解析がすすめられている。しかし、これまでの研究は殆どが動物実験であり、それらの結果を人体にそのまま適用することには、疑問が残されている。本研究は、クロムおよび水銀に職業的に曝露している作業者を対象とし、これらの重金属の免疫影響を検討した。

II.研究対象と方法

 1.クロム作業者

 1998年9月に、韓国(安山)の電気鍍金工場(5箇所)でクロム鍍金に従事する男子作業者24人(クロム曝露群)を対象とした。作業者は、工場内で主にクロム酸、重クロム酸ナトリウムおよび重クロム酸カリウムに曝露されていた。対照群は、同一工場に勤務するクロムや他の化学物質に曝露歴がない男子事務員28人とした。これらのクロム工場における過去3年間の作業環境中総クロム濃度は平均0.04(0-0.2)mg/m3、6価クロム濃度は平均0.01(0-0.09)mg/m3であった[ACGIH(米国産業衛生専門家会議)のTWA-TLV(時間加重平均-曝露限界値)はそれぞれ0.5、0.05mg/m3]。

 2.水銀作業者

 2001年5月に、韓国(利川と天安)の蛍光灯製造工場(2箇所)で水銀注入作業に従事する男子作業者40人(水銀曝露群)を対象とした。対照群は、水銀や他の化学物質への曝露歴がない別の工場の男子事務員39人とした。これらの水銀工場における過去3年間の作業環境中水銀濃度は平均0.02(0-0.63)mg/m3(ACGIHのTWA-TLVは0.025mg/m3)、尿中および血中水銀濃度はそれぞれ平均51.4(0.6-2576.2)μg/g creatinineおよび1.4(0-80.9)μg/lであった[ACGIHのBEI(生物学的曝露指標値)はそれぞれ35μg/g creatinine、15μg/l。

 3.方法

 作業歴・健康状態についての質問調査を行うと共に採血を実施した。採取した静脈血の各リンパ球分画を二・三重免疫染色法によりFlowcytometryを用いて測定した。血清免液グロブリンG、A、M及びE(IgG、A、M及びE)は免疫比濁法により(クロム研究のみ)、サイトカイン(クロム研究:TNFαとIL-1β、水銀研究:TNFα、IL-1β、IL-6及びIFNY)は全血をLpSまたはpHAで刺激しELISA法により測定した。尿中クロム濃度はGF-AAS880により、また尿中水銀や血中水銀濃度はICpMSにより測定した。これらの測定項目はそれぞれ2〜3回測定し、平均値を分析に用いた。

 測定結果各項目について両群問で平均値の有意差検定(Student t-test)を行った。クロム研究の場合、睡眠時間が両群間の間に有意な差があり、睡眠時間を共変量、各免疫指標を目的変数とした共分散分析を行った(クロム研究のみ)。曝露指標(クロム研究:尿中クロム濃度と曝露期間、水銀研究:尿中及び血中水銀濃度と曝露期間)と免疫測定項目[各リンパ球分画数、血清免液グロブリン(クロム研究のみ)、サイトカイン]との間で相関分析を行った。その後、曝露群を対象として、Student t-test検定または共分散分析により2群間で有意差の認められた項目を目的変数、生物学的曝露指標(クロム:尿中クロム濃度、水銀:尿中又は血中水銀濃度)、曝露期間、年齢、喫煙量、睡眠時間及び飲酒量を説明変数として重回帰分析を行った。

III.結果

 クロム曝露群の尿中クロム濃度[0-8.4(平均3.0)μg/g creatinine]対照群の尿中クロム濃度[0-5.3(平均1.5)μg/g creatinine]に比べて有意に高かった。曝露群のリンパ球分画中CD4+CD45RA+T細胞数は対照群と比べて有意に少なかった(p<0.05)。また、曝露群のTNFα濃度は対照群と比べ有意に高かった(p<0.001)。共分散分析では、曝露群のCD4+CD45RA+T細胞数とCD3-CD16+CD56+NK細胞数が対照群と比べていずれも有意に少なく(p<0.005)、また曝露群のTNFα濃度は対照群と比べて有意に高かった(p<0.001)。相関分析では、クロム作業者の場合、尿中クロム濃度とTNFα濃度(p<0.05)の間に有意な正の関連が認められたが、尿中クロム濃度とIgM濃度(p<0.05)との間では負の関連が認められた。また、曝露期間とCD4+CD45RA+(p<0.01)、CD4+CD45RO+(p<0.05)、CD4+(p<0.001)、CD3+T細胞数(p<0.01)、CD19+B細胞数(p<0.01)そして総リンパ球数(p<0.05)との間にいずれも有意な正の関連が認められた。対照群の場合、尿中クロム濃度とTNFα、IgMそしてIgE濃度との間にいずれも正の関連が認められた(p<0.05)。重回帰分析では、CD4+CD45RA+T細胞数とクロム曝露期間(p<0.01)、TNFα濃度と尿中クロム濃度(p<0.05)の間にいずれも有意な正の関連が認められた。

 水銀曝露群の尿中水銀濃度[6.4-429.0(平均101.4)μg/g creatinine]と血中水銀濃度[7.5-87.3(平均28.3)μg/l]は、対照群の尿中水銀濃度[0.2-3.3(平均1.0)μg/g creatinine]と血中水銀濃度[0.9-9.5(平均4.0)μg/l]に比べてそれぞれ有意に高かった。曝露群のリンパ球分画中CD4+CD45RO+T細胞数は対照群と比べて有意に少なかった(p<0.05)。また、曝露群のCD3-CD16+CD56+NK細胞数、CD19+B細胞数および総リンパ球細胞数は対照群と比べてそれぞれ有意に高かった(それぞれp<0.01、p<0.05、p<0.05)。さらに曝露群のIL-6濃度が対照群と比べ有意に高かった(p<0.001)。相関分析では、水銀作業者の場合、尿中水銀濃度とTNFα濃度(p<0.05)、血中水銀濃度とCD4+CD45RO+T細胞数(p<0.05)、曝露期間とCD4+CD45RA+T細胞数(p<0.01)の間にいずれも有意な正の関連が認められた。曝露期間とCD4+CD45RO+T細胞数(p<0.05)との間に負の関連が認められた。重回帰分析では、CD4+CD45RO+T細胞数と水銀曝露期間との間に有意な負の関連が認められた(p<0.01)。

IV.考察

 クロム作業者は、CD4+CD45RA+T細胞数が対照群と比べて有意に少なかった。プラスチック製造工場でクロム粉塵に曝露した作業者を対象とした研究では、作業者のCD4+CD45RA+T細胞数、CD4+T細胞数、CD19+B細胞数、CD3-HLA-DR+及びCD3-CD25+活性化細胞数の有意な低下が報告されている。また、クロム製造工場で従事したリタイア作業者でCD4+CD45RA+T細胞数、CD4+T細胞数、総CD3+T細胞数及びCD16+CD57+NK細胞数の有意な低下が報告されている。本研究では、これらの既報と同じく、CD4+CD45RA+T細胞数およびCD3-CD16+CD56+NK細胞数の有意な低下が示された。クロム作業者のTNFα濃度が対照群と比べて有意に高く、かつ尿中クロム濃度の間に有意な正の関連が認められたことは、クロム曝露によりTNFα濃度が上昇することを示唆している。なお、CD4+CD45RA+T細胞数は曝露期間と間に正の相関を示したが、この結果についての説明は現段階では困難で、今回の調査で考慮されていない交絡因子による影響など、さらに検討が必要と考えられる。たとえば、喫煙、性、年齢、睡眠時間、薬物服用、アトピー疾患が免疫結果に影響を及ぼす交絡因子として報告されている。

 水銀作業者は、CD4+CD45RO+T細胞数が対照群と比べて有意に少なく、かつ曝露期間との間に有意な負の関連が認められた。従って水銀曝露によりCD4+CD45RO+T細胞数が減少したことが示唆された。以前の研究において、蛍光灯製造工場で水銀に曝露した作業者[尿中水銀濃度:1.8-163.5(平均44.8)μg/l]でCD4+T細胞数及びCD4+CD45RA+T細胞数の減少が観察されている。CD4+CD45RO+T細胞数は、さまざまな環境因子と関連を示し、かつCD4+CD45RA+T細胞数から転換されている細胞である。CD4+CD45RA+細胞とCD4+CD45RO+細胞のいずれが水銀の影響を受けるのか、曝露濃度、曝露期間、生活習慣因子(喫煙、飲酒、睡眠時間など)を含めた検証が必要であろう。水銀作業者のIL-6濃度は、対照群と比べて有意に高かった。また、TNFαは、尿中及び血中水銀濃度との間に有意な関連が認められ、クロムだけでなく水銀によっても影響を受ける可能性が示唆された。

 高濃度のクロムや水銀などの重金属曝露が動物及び人体に及ぼす毒性学的な影響はよく知られているが、これらの重金属の低濃度及び長期曝露での健康影響に関する報告は少ない。現在、低濃度の水銀、クロム、コバルト、ニッケルなどの重金属曝露による免疫機能の異常として、自己免疫疾患及びアレルギー疾患などが報告されている。職業性疾患の早期発見と予防に対し、職業医学分野で免疫毒性を用いた手法は、サブクリニカル・レベルの濃度下での、重金属及び化学物質への曝露による健康影響評価として有効な手段と考えられる。

V.結論

 職業性のクロム曝露によるCD4+CD45RA+T細胞数の低下を再確認し、更にTNFα濃度の増加が示された。職業性の水銀曝露では、IL-6濃度増加とCD4+CD45RO+T細胞数の減少が示された。TNFαは、これらの2つの元素により共通の影響を受けるサイトカインであることが示唆された。また、本研究で重回帰分析によりクロム及び水銀曝露による量─影響関係を明らかにしたことは、重金属や化学物質の曝露による健康影響に関する職業医学研究の発展に方法論的な寄与をしたと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、クロムおよび水銀の人体に対する免疫影響を解明することを目的に、韓国の電気鍍金工場でクロム鍍金作業及び蛍光灯製造工場で水銀注入作業に従事する男子作業者、及びそれぞれの対象群に対し、質問紙調査と共に、免疫担当細胞、抗体およびサイトカイン測定を行い、以下の結果を得た。

1.クロム作業者のリンパ球分画中CD4+CD45RA+T細胞数とCD3-CD16+CD56+NK細胞数は、対照群と比べていずれも有意に少なく、既報と同じく、CD4+CD45RA+T細胞数およびCD3-CD16+CD56+NK細胞数の低下が示された。更に、TNFα濃度は対照群と比べて有意に高かった。相関分析では、尿中クロム濃度とTNFα濃度の間に有意な正の関連が認められたが、尿中クロム濃度とIgM濃度との間では負の関連が認められた。また、曝露期間とCD4+CD45RA+、CD4+CD45RO+、CD4+、CD3+T細胞数、CD19+B細胞数そして総リンパ球数との間にいずれも有意な正の関連が認められた。クロム曝露による量─影響関係を調べるための重回帰分析では、TNFα濃度と尿中クロム濃度の間に有意な正の関連が認められた。この結果は、クロム曝露によりTNFα濃度が上昇することを示唆している。また、CD4+CD45RA+T細胞数とクロム曝露期間の間に有意な正の関連が認められたが、この結果についての説明は現段階では困難で、今回の調査で考慮されていない交絡因子による影響など、さらに検討が必要と考えられる。

2.水銀作業者のリンパ球分画中CD4+CD45RO+T細胞数は、対照群と比べて有意に少なかった。また、水銀作業者のCD3-CD16+CD56+NK細胞数、CD19+B細胞数および総リンパ球細胞数は対照群と比べてそれぞれ有意に多かった。更に、IL-6濃度が対照群と比べ有意に高かった。以前の報告では、CD4+T細胞数及びCD4+CD45RA+T細胞数の減少が観察されている。CD4+CD45RO+T細胞数はさまざまな環境因子と関連し、かつCD4+CD45RA+T細胞から転換されている細胞であり、CD4+CD45RA+細胞とCD4+CD45RO+細胞のいずれが水銀の影響を受けるのか、曝露濃度、曝露期間、生活習慣因子(喫煙、飲酒、睡眠時間など)を含めた検証が必要であろう。相関分析では、尿中水銀濃度とTNFα濃度、血中水銀濃度とCD4+CD45RO+T細胞数、曝露期間とCD4+CD45RA+T細胞数の間にいずれも有意な正の関連が認められた。一方、曝露期間とCD4+CD45RO+T細胞数との間に負の関連が認められた。重回帰分析では、CD4+CD45RO+T細胞数と水銀曝露期間との間に有意な負の関連が認められた。従って、水銀曝露によりCD4+CD45RO+T細胞数が減少したことが示唆された。また、TNFαは、尿中及び血中水銀濃度との間に有意な関連が認められ、クロムだけでなく水銀によっても影響を受ける可能性が示唆された。

 以上、本研究は職業性のクロム曝露によるCD4+CD45RA+T細胞数の低下を再確認するとともに、TNFα濃度が増加することを示した。職業性の水銀曝露では、IL-6濃度の増加とCD4+CD45RO+T細胞数の減少が示された。従って、TNFαはこれら2つの元素により共通の影響を受けるサイトカインであることが示唆された。本研究は、重金属及び化学物質による免疫機能影響について、重回帰分析をはじめて適用し量─影響関係の解析を行い結論を得たものである。同時に、重金属及び化学物質のサブクリニカル・レベルの曝露下での免疫毒性研究の発展に方法論的に寄与し、職業性疾患の早期発見及び予防にも重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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