学位論文要旨



No 117548
著者(漢字) 渡邊,友香
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ユカ
標題(和) 母親が報告する虐待行動とその心理社会的リスク要因 : 学童を持つ母親の都市部における一般人口調査
標題(洋) Mothers' Self-reported Abusive Behavior and Psychosocial Risk Factors for Child Abuse : A City Survey of Mothers with Primary School Children
報告番号 117548
報告番号 甲17548
学位授与日 2002.09.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2041号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村嶋,幸代
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 助教授 山崎,喜比古
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 近年児童相談所への通報件数が急増している。これらのケースは虐待の中でも、緊急の対応が必要なものがほとんどであるが、地域には気付かれずに虐待を受けている子どもも多数いると思われる。したがって、一般人口の中での児童虐待の実態を調査することは重要である。

 先行研究では学童の調査は乳幼児に比べて少ない。学童になると子ども自身でできることも増え、母親の養育の負担は軽減する。状況判断能力や危険から逃れる能力は年齢が高いほど高いと考えられ、対応の緊急度は下がる。しかし、学童期に虐待が行われているということは、幼児期から長期にわたって虐待が継続している可能性も高い。生命が危機的状況にさらされることは少なくなるにしろ、虐待の影響の深刻さが軽くなるわけでは決してない。厚生労働省の発表した「児童相談所における児童虐待相談の状況報告」によると、平成12年度に全国の児童相談所で相談を受け付けた被虐待児の35.1%は学童であり、学童期に焦点を当てた調査が必要である。

 多くの要因が児童虐待に関連しており、母親個人の要因だけでなく、エコロジカルな視点から、母、家族を取り巻く問題が注目されている。エコロジカル理論は潜在的にリスクを持っている虐待者とその家族、環境の複雑な相互作用の結果として虐待を理解している。包括的に考えると素地になる要因は母親と子どもの個人的特徴、家族要因、社会的要因、文化的な養育の信条、習慣、経験などである。

 リスク要因研究は多くあり、親の要因としては、年齢、学歴、犯罪歴、アルコール、薬物乱用、病気などが指摘されている。たとえば比較的多く見られるリスク要因としてうつが注目されている。うっは育児期の女性に多いので、親のうつが子どもに与える影響を理解することは重要である。

 虐待をしている母親は、自分の親から虐待を受けている可能性が高いと言われており、虐待の世代間伝達は研究者、臨床家の関心を集めている。自分の母親との関係が育児にどのような影響を及ぼしているのか検討することは重要である。

 ソーシャルサポートは虐待に直接的に関係あるとするものもあればないという研究もある。また、先行研究は夫婦間暴力と子どもへの身体的虐待は関連があることを示している。

 上記の要因に加えて、母親が母親としての自分をどうとらえ、育児をどのように感じているかという主観的な感覚を考慮に入れることも必要である。

 本研究の目的は、日本の都市部に住む一般の母親がどのような虐待行動をどの程度行っているかを明らかにし、虐待に関連する母親の特徴、環境の役割について包括的に検討することである。さらに、母親の虐待行動に関連するリスク要因を検討するために共分散構造モデルを作成する。

方法

 都市部に住んでいる、学童を持つ1500人の母親を層化二段無作為抽出によって選出し、971人から調査票を回収した(64.7%)。調査票は人口統計学的データ、母親の虐待行動、子どもの特徴、母親の特徴、母親と子どもを取り巻く環境で構成される。本研究では母親の虐待行動と母親の心理社会的な要因に焦点を当てて分析、検討を行った。

 母親の子どもに対する虐待行動を測定するために「食事を与えない」「蹴る」など19項目の質問を作成した(Cronbach's α=0.70)。これらの項目は先行研究をもとに、学童期の虐待に詳しい養護教諭とスクールカウンセラーから意見を聞き修正を加えたものである。各項目は0-2点の3ポイントスケールで評価される。

 母親の要因としてCES-Dで測定されたうつ症状、時間展望尺度(サークルテスト)で測定される時間志向性を検討した。また、母親の生育上のリスク要因としてPBI(Parental Bonding Instrument)で測られる子ども時代の母親からの愛情ある世話を受けた程度(ケア得点)を使用した。ソーシャルサポートについては、6場面を設定しその中で対象者が得ることのできる平均サポート人数と、サポート満足度を測定した。母親の主観的感覚である育児困難感を表すものとして「子どもを育てることが負担に感じられる」「母親として自分は不適格ではないだろうか」の2項目を使用した。その他に、夫婦間暴力の有無、育児に関して批判をする人の有無を尋ねた。

結果

 全対象者の虐待行為の平均点は2.4点(SD=2.2,範囲0-16)であった。頻度の高い虐待行動は、「子どもに八つ当たりをする」「子どもが傷つくようなことを繰り返し言う」「子どもの言動を無視する」であった。

 虐待行動得点を従属変数とした重回帰分析を行った。投入された9つの独立変数は育児困難感(「育児が負担」「自分は母親として不適格」)、うつ得点、時間志向性、平均サポート人数、サポート満足度、夫からの暴力、育児に関する批判の有無、ケア得点である。さらに人口統計学的要因である母親の年齢と子どもの数などをコントロール変数として投入した。人口統計学的な要因をコントロールしてもなお、統計的に有意であった変数は、育児困難感2項目、夫からの暴力、育児に関する批判の有無であった。

 さらに、重回帰分析の結果を参考にし、母親の精神状態が良くない場合様々な部分で不適応が生じる可能性があるが、それが育児面に出た場合育児困難感が高まり、その結果虐待得点の増加につながると仮定し、共分散構造モデルを作成した。モデル図と標準化パス係数を図1に示す(有意でないパスは除去した)。虐待得点に直接影響があったのは、育児困難感と環境要因であった。その他の要因は図1に示すような間接効果が認められた。

考察

 本研究は一般家庭においてどのような虐待行為がどの程度の頻度で行われているかということを明らかにした。虐待は様々なタイプが重複して起こることが多く、それぞれの虐待の影響を単独で論じる事の難しさが指摘されている。本研究ではできるだけ様々な種類の虐待行為を取り上げて母親の行動を調査しているが、本調査における虐待得点が高い人はここでは取り上げていないような虐待行為をも行っている可能性があるといえよう。

 本研究では子ども時代に親から愛情のあるかかわりを受けることが、成人後のサポート認知の向上につながることが示されている。子ども時代の母子関係がサポーティブでなかった場合、サポートを受けたり、認知する力が弱い可能性があり、より重点的なサポートを提供する必要がある。一般的に虐待の世代間サイクルを崩す人は、誰かにどこかで自己価値観を高めるような愛情やサポートを与えられていることが多い。我々は親子関係だけでなく子どもの親戚、近所の人、先生など周囲の人とサポーティブな関係の有無に注目する必要がある。

 母親の他者との接触が増えれば、多くのサポートを得られる反面、自分の育児を批判される可能性が増える。対人接触のポジティブな面のみではなく、ネガティブな面も考慮に入れていくことは母親の対人関係を理解する上では欠かせない。本研究では人間関係のポジティブな側面(サポート)よりもネガティブな側面(批判・暴力)が虐待行為に直接的に関係していた.母親が安心できないような環境の中で育児をすることは母親のメンタルヘルスに影響を与えるだけではなく、母親の虐待行為の増加に直接的に影響を与えていることは注目すべきことであろう。

 本研究では母親の要因(うつと過去志向)は直接虐待行動に関係していなかったけれども、母親役割に対するネガティブな感情(育児困難感)に直接影響を持っていた。一般的にうつの母は親としての役割をコントロールの母親に比べネガティブに感じているといわれており、うつの母親はその症状のため子どもとうまく関係が持てなかったり、母親としての自己効力感が下がることがあるかもしれない。また、過去志向は自分の過去、現在、未来に対するのネガティブな感情に関連しており、過去志向的な人は自我同一性拡散の傾向があるという先行研究の結果から考えると、母親の過去志向は自分の人生、役割に対する不満の表れと捉えることが出来るかもしれない。今まで時間展望は青年期を中心に研究されてきたが、母親の時間展望についてさらに研究を重ね、本研究で示唆されるような育児困難感や虐待との関連をさらに追及していくことは意味のあることであろう。精神保健の専門家は母親のうつ症状の治療、母親の未来展望を作っていくことを促すことで、母親が自分の役割により適応し、母親としての自信を獲得するかもしれない。

 本研究では育児困難感を介してうつやサポートの間接的な効果を見ることができた。育児困難感は母親の現在の困難な状況を反映しており、母親の虐待行動に直接的に関連していた。したがって母親の育児困難感の有無に着目することで、その背後にある問題に気付くことが出来るかもしれない。

 虐待の有無に比べて、育児困難感の有無、暴力的・批判的環境の有無は見極めやすいので、虐待の可能性を考慮に入れた育児支援を導入する指標としては有用であろう。学童の虐待発見における学校の役割の重要性が指摘されており、教師がこのような虐待のリスク要因を理解することにより、早期発見、早期介入が促進されることが望まれる。

 本研究の限界は、母親を対象に調査を行っているため、回答が母親の認知の影響を受けていることである。質問紙での調査であるため、質問内容や質問の量にも多くの限界があるが、一般家庭における虐待行為やそれに関連する要因の一部が明らかになったという点で意義がある。さらに子どもに対する虐待行動や虐待をする親の認知に関する質的な研究を重ねることも必要であるし、子どもの年齢、発達段階による虐待の特徴を詳しく検討する必要もある。また、虐待は家族全体の問題であるため、母以外の家族をどのように検討に加えていくかということも今後の課題である。

図1共分散構造モデル(N=586)

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、日本の都市部に住む一般の母親がどのような虐待行動をどの程度行っているかを明らかにし、虐待に関連する母親の特徴、環境の役割について包括的に検討したものである。近年児童相談所への通報件数が急増しており、社会的関心も高まり、様々な研究が行われるようになってきている。しかし、先行研究では病院や相談機関でケースとしてあがってきたものに関する検討が多く、一般人口の中での児童虐待の実態を調査することは重要と思われる。また、先行研究では乳幼児に比べて学童の調査は少ない。学童期は乳幼児期とは違った親子関係が始まる時期であり、学童に焦点を絞った研究が必要と思われる。リスク要因研究は多くあり、親の要因としては、人口統計学的要因、病気、サポートの有無などが指摘されている。本研究では、それに加え、母親が母親としての自分をどうとらえ、育児をどのように感じているかという主観的な感覚を考慮に入れることも必要と考えた。

 都市部に住んでいる、学童を持つ1500人の母親を層化二段無作為抽出によって選出し、971人から調査票を回収した(64.7%)。調査内容は人口統計学的データ、母親の要因としてCES-Dで測定されたうつ症状、時間展望尺度(サークルテスト)で測定される時間志向性、母親の生育上のリスク要因としてPBI(Parental Bonding Instrument)で測られる子ども時代の母親からの愛情ある世話を受けた程度(ケア得点)、ソーシャルサポートとして対象者が得ることのできる平均サポート人数とサポート満足度、母親の主観的感覚である育児困難感として、「子どもを育てることが負担に感じられる」「母親として自分は不適格ではないだろうか」の2項目を使用した。その他に、夫婦間暴力の有無、育児に関して批判をする人の有無を尋ねた。さらに、母親の子どもに対する虐待行動を測定するために「食事を与えない」「蹴る」など19項目の質問を作成した(Cronbach's α=0.70)。これらの項目は先行研究をもとに、学童期の虐待に詳しい養護教諭とスクールカウンセラーから意見を聞き修正を加えたものである。各項目は0-2点の3ポイントスケールで評価される。

 主要な結果は下記の通りである。

1.全対象者の虐待行為の平均点は2.4点(SD=2.2,範囲0-16)であった。

2.頻度の高い虐待行動は、「子どもに八つ当たりをする」「子どもが傷つくようなことを繰り返し言う」「子どもの言動を無視する」であった。

3.虐待行動得点を従属変数とした重回帰分析を行った。人口統計学的な要因をコントロールしてもなお、統計的に有意であった変数は、育児困難感2項目、夫からの暴力、育児に関する批判の有無であった。

4.さらに、重回帰分析の結果を参考にし、母親の精神状態が良くない場合様々な部分で不適応が生じる可能性があるが、それが育児面に出た場合育児困難感が高まり、その結果虐待得点の増加につながると仮定し、共分散構造モデルを作成した。

5.本研究では子ども時代に親から愛情のあるかかわりを受けることが、成人後のサポート認知の向上につながることが示されている。子ども時代の母子関係がサポーティブでなかった場合、サポートを受けたり、認知する力が弱い可能性があり、より重点的なサポートを提供する必要があることが示唆された。

6.母親の他者との接触が増えれば、多くのサポートを得られる反面、自分の育児を批判される可能性が増える。対人接触のポジティブな面のみではなく、ネガティブな面も考慮に入れていくことは母親の対人関係を理解する上では欠かせない。本研究では人間関係のポジティブな側面(サポート)よりもネガティブな側面(批判・暴力)が虐待行為に直接的に関係していた。

7.本研究では育児困難感を介してうつやサポートの間接的な効果を見ることができた。育児困難感は母親の現在の困難な状況を反映しており、母親の虐待行動に関連していた。したがって母親の育児困難感の有無に着目することで、その背後にある問題に気付くことが出来る可能性を示唆している。

 以上,本論文は本研究は一般家庭においてどのような虐待行為がどの程度の頻度で行われているかということを明らかにした点で独創的である。また本論文は、虐待行為に関連する要因として、比較的表面化する可能性が高く見極めやすい育児困難感の有無、暴力的・批判的環境の有無などを示唆している。これは、虐待の可能性を考慮に入れた育児支援を導入する指標として、臨床的な有用性もあると考えられる。よって、学位の授与に値するものと考えられる。

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