学位論文要旨



No 117549
著者(漢字) 金,貞福
著者(英字)
著者(カナ) キン,ジュウフク
標題(和) マルチングにおける都市緑化樹木落葉の細胞壁化学成分の変化に関する研究
標題(洋) Changes in Cell Wall Composition of Urban Tree Leaf Litters during Mulching
報告番号 117549
報告番号 甲17549
学位授与日 2002.09.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2468号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邉,達三
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 飯山,賢治
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨 要旨を表示する

第1章研究の背景と目的

 都市の緑は都市における自然環境の保全、潤いのある都市景観や自然との触れ合いの場の形成など広範多岐にわたる機能を有し、都市において生活する人々にとって掛け替えのない存在となっている。近年ではとくに都市のヒートアイランド化や大気中の二酸化炭素濃度の上昇に伴う地球温暖化などの環境問題が顕在化し、それらに対する緩和機能の発現についての諸効果が期待されている。

 ところで都市の緑では、剪定整枝、落葉落枝の除去等の行為が不可欠であり、それに伴い発生する大量の廃材の処理が大きな問題となっている。これらの廃材は従来は廃棄物として焼却処分や埋め立て処分に付されてきたが、法改正による野焼きの禁止、焼却処分場の不足などの理由で、それらによる処理が困難になっている。

 一方、資源問題や環境問題の深刻化に伴い、廃棄物の減量化のみならず、そのリサイクル化による有効利用が重要な課題となり、それについての技術開発が求められている。すなわち剪定材や植物遺体は微生物学的、化学的な変換をある程度行った後に、土壌有機物として土壌中に留めることにより、土壌の肥沃化やその物理化学性の改善、さらには大気中への炭酸ガスの放出の抑制に寄与することが期待され、そのような観点からの積極的な利用に向けた技術の開発である。

 しかし、以上のような視点に立った研究は緒についたばかりであり、基礎的な知見がきわめて乏しい現状にある。そこで本研究では落葉に注目し、都市緑化樹木を対象として、そのマルチング処理における時間的経過に伴う分解過程を明らかにすることを目的とした。なお落葉の分解過程ではリグニンの動態が重要な鍵をにぎっているものと推測されるが、その定量方法が未確立のため、あわせてその方法についても検討を行った。

第2章マルチングにおける細胞壁化学成分の変化

 都市の代表的な緑化樹木であるイチョウ、クスノキ、ケヤキ、アオギリの落葉をリターバッグに封入し、圃場において敷きならしを行った。本実験ではこの圃場への敷きならしをもって、マルチング処理とみなした。こうして処理された落葉を、マルチング処理物と称するものとする。それを2ヶ月ごとに回収し、その重量と細胞壁化学成分の測定を行った。

 全体重量の減少は1年のマルチング処理後では、最低のケヤキで30.5%、最高のイチョウで52.7%であった。分解速度の指標となる下記オルソン指数関係式Wt/W0=e-kt(W0;初期量、Wt;経過時間tにおける残存量、k;分解係数、t;経過時間)による分解係数kを求めたところ、イチョウ、クスノキ、ケヤキ、アオギリ(以下、この記載順による)でそれぞれ、0.75、0.63、0.36、0.48の値が得られた。

 つぎに落葉およびマルチング処理物の分析を、抽出区分(80%含水エタノールおよびイオン交換水による逐次抽出物)を除去した後の抽出残渣について主に行った。時間経過に伴いマルチング処理物の抽出区分の割合は速やかな低下がみられたが、抽出残渣の重量減少は緩慢であった。一般的にリグニン量の指標とされるクラーソン残渣の未抽出の試料中における含有率は、当初の22.6%(イチョウ)から38.3%(ケヤキ)の範囲内にあったが、マルチング処理において、その時間経過に伴う継続的な増大がみられた。絶対量でみた場合でもマルチング処理4ヶ月目までは増加し、その後やや減少した。細胞壁多糖類の主体をなす中性糖の含有率は当初20%前後であったのが、1年のマルチング後では各樹種で71.6%、50.7%、37.9%、66.1%減少した。このように、マルチング処理による落葉の重量減少に寄与する成分は、抽出区分と細胞壁構成多糖が主体であり、クラーソン残渣を構成する成分は落葉中の難分解物であることが確認された。

第3章落葉のリグニン含有率の推定とマルチング過程におけるリグニンの役割

 落葉の分解過程では、リグニン量の動向が決定的な要因をなすといわれている。しかし、葉ではクラーシン残渣がリグニン量を表しているかどうかについて疑問が持たれた。そこで本研究では、種々の化学分析法を組み合わせてこの点について検討を行った。

 樹木リグニンの場合と同様に、全てのリグニン芳香核が平均して1個以上のメトキシル基を有すると仮定するとクラーソン残渣がリグニンのみから成る場合、クラーソン残渣のメトキシル基含有量は5000mmol/kg以上の値を示すはずである。ところが落葉から得られたクラーソン残渣のメトキシル基含有量(519.3mmol/kg〜1217.0mmol/kg)は非常に少なかった。またリグニンの非縮合型構造に由来するニトロベンゼン酸化やオゾン分解生成物の葉からの収率も、クラーソン残渣をリグニンと見なしたときに予想される値よりはるかに小さかった。クラーソン残渣の主な構成成分がリグニンであるとの前提で考えると、これらの分析値を満足させるリグニンの化学構造は「芳香核はメトキシル基を有さないp-ヒドロキシフェニル核が主体であり、構成単位を結びつけている結合様式は極端に縮合型構造に富む」という、樹木リグニンとは全く異なった構造であると結論せざるを得ない。しかし、縮合型構造と非縮合型構造に由来するオゾン分解生成物の比を測定したところ、樹木リグニンと大差のないことが確認された。

 以上の結果を前提としてリグニン量の評価を試みた。クラーソン残渣中のメトキシル基定量値を用い、リグニンの1構成単位(式量200として計算)が1メトキシル基を有すると仮定して得られた各試料(抽出残渣)中のリグニン含有率は、3.9〜10.0%であり、これらの値は、クラーソン残渣含有率(37.1〜46.7%)に比べてはるかに小さい。なお、クラーソン残渣のメトキシル基量に基づいて推定したリグニン量を真のリグニン量と考えると、ニトロベンゼン酸化生成物、オゾン分解生成物の収率は樹木のリグニンの場合に近いものとなる。以上の結果から、リグニン以外のクラーソン残渣構成成分が落葉の難分解性物の主体である、と解釈するのが妥当であると考えられる。すなわち、落葉のクラーソン残渣をリグニン量と見なすことは適当でないと結論した。

 なお、葉のリグニンが互いにビフェニル結合したp-ヒドロキシフェニル核を主な構成要素とするという可能性は熱分解、ニトロベンゼン酸化、オゾン分解、メトキシル基分析の結果によって完全に排除されないので、この点に関しては今後の課題になると考えられる。

 上で求めたリグニン推定値の抽出残渣に対する割合はイチョウ以外では、マルチングによってリグニン量が緩やかに減少した。リグニン化学構造の変化を反映するニトロベンゼン酸化およびオゾン分解生成物のリグニン推定値に対する収量はマルチング過程で大きな変化がみられなかった。このこと、および、リグニン中の主要構造であるβ-O-4構造の立体異性体比や、2種類の芳香核構造の比であるS/V比がマルチング過程で大きく変化しないことは、マルチング過程でリグニンの一部は脱離していきますが、残ったリグニンの化学構造は元のものと大きくは異なっていないことを示唆している。

第4章マルチングにおけるイチョウの葉身と葉柄構成成分の変化

 イチョウの落葉とそのマルチング処理物を葉身と葉柄に分けてその成分の分析を行ったところ、つぎの点が明らかになった。中性糖の総量では対抽出残渣で、葉身が22.8%であるのに対して、葉柄において39.4%と相対的に高かった。クラーソン残渣は、葉身が32.8%であるのに対して、葉柄では21.4%と相対的に低かった。リグニン推定値では、葉身で2.3%であるのに対して、葉柄では6.0%と相対的に高かった。16ヶ月のマルチング処理後では、葉柄のリグニン推定値は、葉身の5.3%であるのに対して、葉柄では13.1%にまで増加している。以上のように、葉柄と葉身では化学成分にかなりの相違のみられることが明らかとなり、落葉の化学成分の動態をみるうえでの、組織ごとにおける分析の必要性が示された。

 以上、都市緑化樹木の落葉のマルチングにおける細胞壁化学成分の変化をみたところ、つぎの点が明らかになった。

1)落葉のオリジナルな化学成分が重量減少に大きく影響する。マルチングにおける落葉の重量減少に寄与する成分は、抽出区分と細胞壁構成多糖類が主体であり、クラーソン残渣を構成する成分は落葉中の難分解物であることが確認された。

2)クラーソン残渣のメトロキシル基量に基づいてリグニン量を推定することができ、そのリグニン推定値はクラーソン残渣量よりはるかに少なくマルチング過程で概ね減少することが分かった。また、リグニン化学構造はマルチング前と大きくは異なっていないことが推定された。

3)葉柄に比べ葉身のクラーソン残渣にはリグニン以外の難分解性物質が多く含まれてあることが明らかになった。

 これらの結果によって、都市緑化樹木の落葉のマルチング処理における細胞壁化学成分の時間的経過に伴う変化が明らかにされ、落葉のマルチング処理による土壌の肥沃化や物理化学性の改善、大気中への炭酸ガス放出の抑制等の効果に対する議論に向けた有用な基礎的知見が得られた。

審査要旨 要旨を表示する

 都市の緑では剪定、落葉落枝の除去等の行為が不可欠であり、それに伴い発生する植物発生材の処理が大きな問題となっている。資源問題や環境問題の深刻化により、廃棄物のリサイクル化による有効利用が重要訟課題となり、そのための技術開発が求められている。生物系廃材は微生物学的、化学的変換の処理を施した後、土壌有機物として土壌中に留めることにより、土壌の肥沃化やその物理化学性の改善、また大気中への炭酸ガスの放出の抑制に寄与することが期待されている。しかし、以上のような視点に立った研究は緒についたばかりであり、その知見はきわめて乏しい。本研究では都市の代表的な緑化樹木であるイチョウ、クスノキ、ケヤキ、アオギリの落葉を対象に、そのマルチング処理による時間経過に伴う分解過程を明らかにしたものである。とくに落葉の分解過程で重要な鍵をにぎるとみられるリグニンの動向について、詳細な検討を行っている。

第一:マルチングにおける細胞壁化学成分の変化

 マルチング処理による全体の重量の減少は、処理後1年で、最低のケヤキで30.5%、最高のイチョウで52.7%であった。分解速度の指標となる下記のオルソン指数関係式Wt/W0=e-kt(W0;初期量、Wt;経過時間tにおける残存量、k;分解係数、t;経過時間)による分解係数kを求めたところ、0.75〜0.36の値が得られた。その結果、難分解性とみられていたイチョウの落葉はむしろ、分解され易い部類に属することが判明した。落葉およびマルチング処理物の抽出区分は、時間経過に伴い速やかな低下がみられたが、抽出残渣の減少は緩慢であることが明らかになつた。リグニン量の指標とされるクラーソン残渣の未抽出の試料中における含有率は、その時間経過に伴う継続的な増大が認められた。細胞壁多糖類の主体となる中性糖の含有率では、当初20%前後であったのが1年のマルチング処理により37.9〜71.6%減少した。以上のことから、マルチング処理による落葉の重量減少に寄与する成分は抽出区分と細胞壁構成多糖が主体であり、クラーソン残渣を構成する成分は落葉中の難分解物質であることが確認された。

第二:落葉のリグニン含有率の推定とマルチング過程でのリグニンの役割

 落葉の分解過程では、リグニン量の動向が決定的な要因をなすといわれている。しかし、葉ではクラーソン残渣がリグニン量を表しているかどうかについて疑問があり、種々の化学分析法を組み合わせその検討を行ったところ、クラーソン残渣の主体がリグニンであるとの仮定は成立せず、落葉のクラーソン残渣をリグニンとみなすことは不適当と結論された。クラーソン残渣中のメトキシル基定量値を用い、リグニンの1構成単位(式量200として計算)が1メトキシル基を有すると仮定して得られた各試料(抽出残渣)中のリグニン含有率は、3.9〜10.0%であり、これらの値は、クラーソン残渣含有率(37.1〜46.7%)に比べてはるかに小さい。これらの結果から、リグニン以外のクラーソン残渣構成成分が落葉の難分解性物質の主体をなすものと考えられた。また落葉の分解過程におけるリグニンの果たす役割は、樹種によって異なると推察された。さらにマルチング処理によりリグニン量が減少しても、落葉中に残っているリグニンの化学構造は、元のものと大きく変化していないことが示唆された。

第三:マルチングにおけるイチョウの葉身と葉柄構成成分の変化

 イチョウ落葉について、葉身と葉柄に分け成分分析を行ったところ、マルチング処理前では、抽出区分において葉身に比べ葉柄で少なく、中性糖の総量では対抽出残渣で葉身に比べ葉柄において高く、クラーソン残渣では葉身に比べ葉柄の方が低かった。リグニン量推定値では葉身に比べ葉柄で高いことが判明した。16ヶ月のマルチング処理では、葉柄のリグニン推定値は葉身の5.3%に対し、葉柄で13.1%と増加していることが分かった。以上、葉柄と葉身では化学成分にかなりの相違がみられ、落葉の化学成分の動態の把握上、組織別に分析を行う必要性のあることが示された。

 以上、本研究によって都市緑化樹木の落葉のマルチング処理における細胞壁化学成分の時間的経過に伴う各樹種の変化が明らかにされ、落葉のマルチング処理による土壌の肥沃化や物理化学性の改善、大気中への尿酸ガスの放出の抑制等の効果についての一定の知見が得られた。また、生物系廃材の微生物学的、化学的変換の処理を含め、生物廃材を土壌有機物として土壌中に還元するための技術の開発に資する貴重な基礎的知見が得られた。

 よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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