学位論文要旨



No 117550
著者(漢字) ヌルル,クマイダ
著者(英字) Nurul,Khumaid
著者(カナ) ヌルル,クマイダ
標題(和) ダイズおよび陸稲の遮光ストレスヘの適応機構に関する研究
標題(洋) Studies on adaptability of soybean and upland rice to shade stress
報告番号 117550
報告番号 甲17550
学位授与日 2002.09.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2469号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高野,哲夫
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 教授 白子,幸男
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 助教授 山岸,順子
内容要旨 要旨を表示する

 慢性的な耕地不足を解消するために、インドネシアでは樹間の耕地利用が注目されている。樹間を耕地として利用する場合、最も深刻な問題になるのは、樹木による遮光により混作する作物が享受する光が不足することである。そこで、弱光条件に遺伝的に適応した作物や、樹間栽培に技術的な点で適した作物、経済的に有利な作物を明らかにするための研究が行われている。今後、そのような遮光ストレスに耐性を持つ作物を育種するためには、作物の耐性機構を明らかにすることが必要不可欠である。しかし、耐性機構に関して、生理学的または分子遺伝学的なレベルで行われた例はこれまでなかった。そこで遮光(弱光)条件における植物の適応反応を明らかにする事を目的とした研究を行った。

1.遮光に対する耐性が異なるダイズ・陸稲品種の生育特性の解析

 50%遮光区と対象区とを設けて、ダイズ・陸稲品種を栽培し、いくつかの発育ステージで生育調査を行い、品種間差について解析した。用いた品種は、ボゴール農科大学(インドネシア)におけるスクリーニングで遮光に対する耐性が異なることが明らかになったダイズ・陸稲品種である。遮光区では、市販の50%遮光ネットを用いて、光の波長等の質的な変化はなく、光の強さだけを減じた。

 遮光区のダイズにおいて、遮光耐性が弱い品種はより徒長し、分枝の数が著しく減少したため、100粒重が減少する結果となった。陸稲では、遮光は播種後50日の時点まで草丈に影響を及ぼさなかったが、80日から110日で草丈に変化が生じた。遮光区で耐性品種は分げつ数が感受性品種より多く、感受性品種は、分げつ数、有効分げつ数共に少なかった。これらの結果から、遮光に対する植物の生育応答は品種に強く依存することが明らかになつた。

2.遮光区および対象区におけるダイズの光合成特性

 遮光耐性の異なるいくつかのダイズ品種を用いて、遮光下における光合成特性および光合成器官の微細構造の変化を解析した。光合成速度は、完全に展開した葉で上から3番目の葉を用い、携帯型の光合成測定装置を用いて計測した。光合成測定に用いた葉と同じ葉位の葉を切り取り、クロロフィル含量を測定した。電子顕微鏡による組織観察のためには第2葉を固定して用いた。遮光区において、遮光耐性品種と感受性品種との間で、光合成速度、クロロフィルb含量、クロロフィルa/b比、および葉緑体の形態に大きな差が見られた。遮光耐性品種の中では、品種Pangrangoがもっとも大きな光合成速度を示した。 また電子顕微鏡による組織観察により、遮光耐性品種のPangrangoとB613は、より発達したグラナ、多くの澱粉粒、チラコイド膜を持ち、逆にストロマは少ないことがわかった。それに対して遮光感受性品種のGodekでは、未発達のグラナと、より多くのストロマが観察された。また、耐性品種Pangrangoと感受性品種GodekとのF1においては、暗黒下に9日間おいた後でも、耐性品種である片親のPangrangoと比較して、非常に発達したグラナが観察できることが興味深かった。これらの結果から、耐性品種においては、遮光下においても、光化学系IIが存在するグラナがよく発達することにより光合成能力が高いことが示唆された。また光合成速度はクロロフィルb含量と正の相関、クロロフィルa/b比と負の相関関係にあることがわかった。

3.ダイズおよび陸稲品種の葉における光合成関連遺伝子の発現解析

 遮光ストレス下において感受性品種では光合成能力が低下することが重要な意味を持つと考えられる。そこでいくつかの光合成関連遺伝子の発現が、光条件によりどのように変化するか、ノーザンブロットにより解析した。

 遮光処理は1、3、9、18日(短期間遮光)および70日(長期間遮光)行い、プローブとするRubisco(rbc)Rubisco activase(rca)、light-harvesting complex protein(lhcp)のcDNAはRT-PCRにより合成した。

 rbcとrbaに関しては、対照区および遮光区において耐性品種と感受性品種との間で遺伝子発現の差は観察できなかった。両遺伝子の発現には正の相関があった。また、遮光区において対照区より強い遺伝子発現が観察できた。

 lhcpの遺伝子発現も遮光区において対照区より強かった。またダイズの耐性品種(B613、Ceneng、Odba、Pangrango)は感受性品種(Godek、8529)よりもlhcpの遺伝子発現が明らかに高かった。さらにlhcpの遺伝子発現量はクロロフィルb含量と正の相関、クロロフィルa/b比と負の相関を示すことから、lhcpの遺伝子発現が遮光ストレス耐性に深く関与することが示唆された。

4.遮光ストレスに応答する遺伝子のディファレンシャルディスプレイ法による同定

 rbcやrcaの遺伝子発現には耐性品種と感受性品種との間に大きな差がなかったことから、遮光ストレスに応答する遺伝子を同定することを目的としてディファレンシャルディスプレイ法を試みた。播種後3週間のダイズ品種を9日間ストレス処理し、RNAを抽出した。合成したcDNAを鋳型としてアンカープライマーを用いたPCRを行い、電気泳動後、特異的なバンドを検出した。リバースノーザン法で特異的発現が確認できたクローンについて塩基配列を決定しノーザン解析を行った。

 得られたクローンについてデータベースを検索したところ、特異的な発現が確認できた9クローンのうち3クローンは、光化学系II、チトクロム、光化学系Iに関与する遺伝子と高い相同性があり、光合成の電子伝達の過程に深く関与するチラコイド膜のタンパク質であることが明らかになった。この結果は、遮光区の耐性品種において感受性品種よりも発達したグラナ構造が観察された結果とよく一致する。

 これら3つの遺伝子は、対照区においては差がなかったが、遮光区においては耐性品種において感受性品種より高発現していた。

 光化学系IIに関与する遺伝子の発現についてより詳細に解析するために、反応中心のタンパクをコードする遺伝子psbA、psbDおよび内部アンテナのタンパクをコードする遺伝子psbB、psbCについてもノーザン解析を行った。これらの遺伝子は、耐性品種、感受性品種のいずれにおいても遮光処理により発現が低下したが、両品種のF1においては遮光区における低下が見られなかった。この結果はF1植物の遮光に対する適応に、光化学系IIの反応中心と内部アンテナが重要な役割を果たす可能性を示している。

 以上の結果から、葉緑体におけるグラナ構造の発達や、クロロフィルbの合成などによる光合成における適応が、遮光ストレス下で光を最大限受容する上で重要であることが明らかになった。また、lhcp遺伝子の発現は光合成能力を高める上で重要であると考えられた。さらにチラコイド膜のタンパク質は、光合成の電子伝達の過程を制御することにより遮光ストレス耐性に関与することが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 慢性的な耕地不足を解消するために、インドネシアでは樹間の耕地利用が注目されている。樹間を耕地として利用する場合、間作する作物が享受する光が不足することが大きな問題となる、また、混作においても、草丈の低い作物は草丈の高い作物による遮光の影響を受けるため、遮光条件に適応した品種が望ましい。したがって遮光ストレスに耐性を持つ作物を育種することは重要であるが、耐性機構に関して、生理学的または分子遺伝学的なレベルで行われた例はこれまでなかった。そこで遮光条件における植物の適応機構を明らかにする事を目的として本研究は行なわれた。

 1章の緒論では、研究の背景、意義と目的について述べている。

 2章では、遮光区と対象区とを設けて、ダイズ・陸稲を栽培し、生育調査を行い、品種間差について解析した。用いた品種は、インドネシアにおけるスクリーニングで遮光に対する耐性が異なることが明らかになった品種である。遮光区のダイズにおいて、すべての品種で草丈は著しく増加したが、感受性品種は耐性品種と比較してより徒長した。また遮光により収量は減少したが、減少の割合には品種間差があり、感受性品種の減少の程度は大きかったが、耐性品種の中にも感受性品種より収量が大きく減少する品種があった。陸稲では遮光区で、耐性品種の分げつ数、有効分げつ数はともに感受性品種より多かった。これらの結果から、遮光に対する植物の生育応答は品種に強く依存することが明らかになった。

 3章ではダイズにおける光合成特性および光合成器官の微細構造の遮光下における変化を解析した。遮光区において、光合成速度、クロロフィルb含量、クロロフィルa/b比、および葉緑体の形態に品種間差が見られた。遮光耐性品種の中では、Pangrangoがもっとも大きな光合成速度を示した。また、遮光耐性品種のPangrangoとB613は、感受性品種のGodekと比較してより発達したグラナ、多くの澱粉粒、チラコイド膜を持ち、逆にストロマは少ないことがわかった。また、PangrangoとGodekとのF1においては、暗黒下に9日間おいた後でも、両親と比較して、非常に発達したグラナが観察できることが興味深かった。これらの結果から、耐性品種においては、遮光下においても、光化学系IIが存在するグラナがよく発達することにより高い光合成能力を持つことが示唆された。

 4章では、Rubisco large subunit(rbcL)、Rubisco activase(rca)、light-harvesting complex protein(lhcp)遺伝子の発現が、光条件によりどのように変化するか解析した。遮光処理は1、3、9、18日(短期間遮光)および70日(長期間遮光)行った。rbcLとrbaに関しては、対照区および遮光区において耐性品種と感受性品種との間で遺伝子発現の差は観察できなかった。両遺伝子の発現には正の相関があり、遮光区において対照区より強い遺伝子発現が観察できた。lhcpの遺伝子発現も遮光区において対照区より強かった。またダイズの耐性品種(B613、Ceneng、Orba、Pangrango)は感受性品種(Godek、8529)よりもlhcpの遺伝子発現が強い傾向が見られたことから、lhcpの遺伝子発現が遮光ストレス耐性に関与することが示唆された。

 5章では遮光ストレスに応答する遺伝子を同定することを目的としてディファレンシャルディスプレイ法を試みた。特異的な発現が確認できた9クローンのうち3クローンは、光化学系II、チトクロム、光化学系Iに関与する遺伝子と高い相同性があり、電子伝達の過程に深く関与するチラコイド膜のタンパク質をコードすることが明らかになった。これらの遺伝子は、遮光区の耐性品種において感受性品種より高発現していた。光化学系IIに関与する遺伝子の発現についてより詳細に解析するために、反応中心のタンパクをコードする2つの遺伝子、および内部アンテナのタンパクをコードする2つの遺伝子についても発現解析を行った。これらの遺伝子は、いずれの品種においても遮光処理により発現が低下したが、両品種のF1においては遮光区における低下が見られなかった。この結果はF1植物の遮光に対する適応に、光化学系IIの反応中心と内部アンテナが重要な役割を果たす可能性を示している。

 本研究においてはインドネシアにおけるスクリーンの結果明らかになった遮光耐性品種と感受性品種との耐性の差の要因を明確に特定することはできなかった。しかし葉緑体におけるグラナ構造の発達などによる光合成における適応が、遮光ストレス下で光を最大限受容する上で重要であることが考えられた。また、lhcp遺伝子の発現は光合成能力を高める上で重要であると考えられた。さらにチラコイド膜のタンパク質は、光合成の電子伝達の過程を制御することにより遮光ストレス耐性に関与することが示唆された。

 以上本論文は、ダイズおよび陸稲の遮光耐性機構について明らかにするために、初めて詳細な検討を行ったものであり、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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