学位論文要旨



No 117551
著者(漢字) 渡辺,信
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,シン
標題(和) 乾燥及び高塩濃度条件下におけるPopulus euphraticaの浸透調節
標題(洋)
報告番号 117551
報告番号 甲17551
学位授与日 2002.09.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2470号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 助教授 小島,克己
内容要旨 要旨を表示する

 現在人間活動の増大に伴う砂漠化地域の拡大が世界的に大きな問題となっており、これ以上の砂漠化の進行を阻止することは重要、かつ緊急な課題の一つとなっている。砂漠化防止のための有力な手段として緑化造林が広く行われるが、その際優れた耐乾性を持つ樹種を用いることが不可欠である。また、土壌地表面からの水分蒸発量が降水量を上回る地域では、土壌表層部へのナトリウム塩等の集積も制限要因となるため、耐乾性と共に耐塩性を有する樹種を選択することが重要である。

 ヤナギ科(Salicaseae)ポプラ属(Populus)のPopulus euphratica Olivier(中国名:胡楊、以下胡楊と称する)はポプラ属樹木の中では最も乾燥が厳しい地域に自生していることから、水分欠乏や塩集積に対し、他のポプラ属樹種よりも優れた適応能力を備えていると考えられる。胡楊の耐乾性及び耐塩性能力を有効利用するためには、その適応機構を解明することが重要である。しかし、胡楊の耐乾性及び耐塩性に関する研究はほとんどがフィールド調査によるもので、どの程度の耐性能力を持つのか明確でない。また、その耐乾性、耐塩性の機構はほとんど解明されていない。本研究では胡楊の耐乾性と耐塩性を評価し、どのような生理的機構的機構が耐乾性及び耐塩性に関与しているかを知ることを目的として、乾燥及び高塩濃度環境下での植物体の浸透ポテンシャルの変化とそれに伴う生理的変化を調べた。

 まず、本研究に必要な実験材料の確保と胡楊の耐性機構解明に必要な実験系確立のために、in vitroの初代培養から馴化に至る組織培養系を確立した。胡楊の組織培養では、低濃度のBAPを単独添加することにより、不定芽誘導とシュート伸長成長を促進できることが確かめられた。試験管内での組織培養では形態的生理的異常を伴うガラス化現象が問題となるが、低濃度のBAPを単独添加した条件でガラス化の発生率が低く押さえられることがわかった。また、低濃度のNAAを単独添加することにより、発根率が高くなることが確かめられた。

 in vitroの実験系を用いて、胡楊の耐乾性及び耐塩性の評価を行った。胡楊と耐乾性を持つ中国産ポプラ、P.alba CV.Pyramidalis×P.tomentosa(毛新楊)、2種の発根シュートを400mMマンニトール添加処理液体培地(-1.14Mpa)と250mMNaCl添加処理液体培地(-1.29Mpa)で培養した。毛新楊は全ての個体が枯死したのに対し、胡楊は100%の生存率を示したことから、胡楊は優れた浸透圧ストレス耐性とNaClストレス耐性を持つことが確かめられた。液体培地中の浸透圧ストレスは一定であるため、根を伸張することでストレスを軽減することはできない。また、高湿度の試験管環境においては、機構閉鎖による水分欠乏抑制効果も小さい。これらのことから胡楊は細胞レベルで吸水、あるいは水分保持能力を高めることができたと考えられる。浸透圧ストレスに対する植物の適応反応に、細胞内に物質を能動的に蓄積することで細胞内浸透ポテンシャルを低下させ、細胞の含水率を高い状態に維持する浸透調節がある。浸透調節物質の一つであるプロリンの蓄積について調べたところ、胡楊の葉で高濃度の蓄積が確認された。今までポプラ属樹木において、高濃度のプロリン蓄積が確認された例は無く、本研究の結果はポプラ属樹木の環境適応の多様性を示唆する一つの例といえる。また、ポプラ属樹木で蓄積量が多い遊離糖について調べたところ浸透圧、あるいはNaClストレス条件下の毛新楊の葉では蓄積が減少したのに対し、胡楊の葉では蓄積が維持、又は増加することが確かめられた。これらのことから、胡楊は乾燥や塩ストレスに伴う浸透圧ストレスに対し、浸透調節によって適応している可能性が示唆された。

 胡楊の葉における浸透調節の有無を確かめるために、馴化植物体を乾燥処理条件下で栽培した。胡楊は他のポプラ属樹木に比べて優れた耐乾性を持つことが示されたことから、in vitro系における耐性評価はin vitro系における耐性評価にも反映されることが示唆された。胡楊の浸透調節能力を評価するために葉の浸透ポテンシャルと相対含水率を測定したところ、土壌水分ポテンシャルが-2.5Mpaの厳しい乾燥条件下において、高い浸透調節が確認された。胡楊の葉の相対含水率は他のポプラ属樹木に比べて高く維持されていたことから、乾燥条件下の胡楊は高い浸透調節能力によって生存に必要な水分を保持することが可能であると考えられた。また、プロリンの蓄積量だけでは胡楊の浸透調節を補うことができないことから、胡楊の主要な浸透調節物質はプロリン以外の物質であることが示唆された。そこでin vitroの浸透圧ストレス条件下における胡楊の葉の蓄積物質を調べたところ、遊離糖とKが主要な浸透調節物質であることが明らかとなった。

 ポプラ属樹木の耐塩性に関する研究はほとんど行われておらず、高塩濃度環境下におけるポプラ属樹木の耐性機構についてはほとんど知られていない。高塩濃度環境が伴う浸透圧ストレスに対して胡楊の葉で浸透調節が起こるかどうかを調べた結果、NaClストレス条件下における葉の浸透ポテンシャルが大幅に低下し、葉の相対含水率が高く保たれた。つまり胡楊はNaClが伴う浸透圧ストレスに対し、乾燥による浸透ストレスの場合と同様、浸透調節によって水分を維持することが明らかとなった。NaClストレス条件下の胡楊の葉の蓄積物質の内訳を調べたところ、NaとCl-が葉の増加した蓄積物質の7割を占めた。グラム乾燥重量当たり1000μmolのNaClが蓄積したにもかかわらず、胡楊の葉は枯れなかった。また、NaClストレス条件下の胡楊の葉において遊離糖の蓄積が増加したが、この遊離糖は葉のデンプンの分解や根の遊離糖が転読したものではなく、高濃度のNaClが蓄積した葉において生成されたものであることが間接的に示された。これらのことから胡楊の耐塩性機構は、植物体内へのNaClの侵入を抑制するものではなく、植物体内の生理代謝にイオン害が及ばないように塩類を蓄積し、塩類蓄積で低下した浸透ポテンシャルによって水分を維持するものであると考えられた。また、耐塩性植物の適合溶質であるグリシンベタインは、胡楊では蓄積しないことが確かめられた。

 プロリンの蓄積が適応的反応か傷害誘導なのかを調べるため、NaClストレス解除前後の葉におけるプロリンの挙動を調べた。NaClストレス処理期間中、胡楊の若葉でNaClが増加し、NaClストレス解除後は若葉のNaCl蓄積が減少した。プロリンはNaClストレス処理期間中にNaClと共に増加し続け、NaClストレス解除後はNaClの減少と共にプロリン蓄積も減少した。もし、プロリンの蓄積が傷害誘導である場合、プロリン分解酵素の失活が原因と考えられ、NaClストレス解除後もプロリン分解経路の酵素反応が正常に行われないことから、プロリンは蓄積したままになるはずである。しかしプロリンはNaClストレス解除後に蓄積が減少したことから、胡楊におけるプロリンの蓄積はNaClストレスに対する適応的反応であると考えられた。プロリンはNaClストレス解除後に速やかに消失することから、別の物質と結合した形で機能するのではなくプロリン単体の蓄積自体に意味があることが考えられる。プロリンの蓄積量を勘案した場合、細胞質に蓄積して適合溶質として機能するか、あるいは蛋白質や膜質の安定性を高める保護機能が考えられるが、どちらであるか確かめることは本研究ではできなかった。

また、NaClストレスで誘導される遊離糖蓄積の挙動について調べた結果、プロリン同様にNaClストレス条件下で増加し、ストレス解除後は減少したことから、遊離糖の蓄積もストレスに対する適応的な反応であると考えられた。

 本研究によって、胡楊が高い耐乾性、及び耐塩性を備えていることが示され、砂漠化の防止、あるいは砂漠化した土地を修復するための造林木として有効な樹種であることが示唆された。

 胡楊は乾燥や塩ストレスに伴う浸透圧ストレス対し、葉における高い浸透調節能力により細胞レベルの吸水を可能にしていることが明らかとなった。また、胡楊の浸透調節物質は浸透圧ストレスとNaClストレスで異なり、浸透圧ストレス条件下では遊離糖とKが、NaClストレス条件下では植物体内に侵入したNaClが浸透ポテンシャルを低下させることが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、地中海沿岸から中国西部にかけての乾燥一半乾燥地に自生するヤナギ科の落葉樹Populus euphratica(漢名:胡楊)を、砂漠化防止のための造林木および遺伝資源として活用するために、試験管内での組織培養系を確立すると共に、その系を用いてP.euphraticaの耐乾性および耐塩性の評価をおこない、耐乾性および耐塩性機構に関与する生理的反応を明らかにしたものである。

 本論文は、次の6章から成る。

 第1章は、研究の背景やヤマナラシ属樹木に関する既報の総説にあてている。

 第2章では、試験管内におけるP.euphraticaの組織培養系について述べている。培地に添加する植物成長ホルモン等の最適条件を検討した結果、組織培養によるP.euphraticaの増殖系を確立した。

 ここで確立した増殖系によって得た馴化植物体を用いて、第3章では、P.euphraticaの乾燥に対する生理的反応を明らかにしている。まず、温室内の乾燥条件下における栽培実験結果から、P.euphraticaが乾燥に対して高い耐性を持つことを確認している。また乾燥条件下ではP.euphraticaの葉の浸透ポテンシャルが大きく低下する一方で、葉の相対含水率と蒸散速度が高く維持されていたことから、P.euphraticaは高い浸透調節能力によって葉の水分を保持し、乾燥条件下での葉の生理活性を維持していると推察した。さらに、乾燥条件下のP.euphraticaの葉において、適合溶質であるプロリンの蓄積が確認され、浸透調節に寄与することが示唆された。

 第4章では、高塩濃度条件に対するP.euphraticaの耐性を評価している。NaClを添加した液体培地においてP.euphraticaの幼植物体を培養し、P.euphraticaは海水の2分の1濃度に相当する高濃度NaClでも成長する高い耐塩性を持つことを確認している。また、適合溶質であるマンニトールの添加によって同程度に浸透ポテンシャルを下げた培地より、高濃度NaCl培地の方が乾重成長が大きくなったことから、P.euphraticaはNaClの低浸透ポテンシャルだけでなく、ナトリウムイオンおよび塩化物イオンそのものによるイオン害に対しても耐性を持つと推察している。さらに、マンニトール添加培地の個体とNaCl添加培地の個体、それぞれの葉においてプロリンが蓄積することを明らかにした。しかしながら、細胞全体における浸透ポテンシャルに換算すると、その浸透調節効果は小さいことから、P.euphraticaの主要な浸透調節物質はプロリン以外にあると結論している。

 第5章では、低浸透ポテンシャル条件と高濃度NaCl条件に対するP.euphraticaの浸透調節の機構を明らかにすべく、マンニトールあるいはNaClを添加した培地でP.euphraticaの幼植物体を培養し、葉の浸透ポテンシャルや細胞内溶質の定量結果を示している。いずれの条件下でも、対照とした他のPopulus属樹種と比べ、浸透ポテンシャルが低下し、それによって相対含水率が高く保たれたが、低浸透ポテンシャル条件に対しては遊離糖とカリウム、高濃度NaCl条件に対してはナトリウムと塩素が浸透調節物質として大きく寄与していることを明らかにした。またP.euphraticaの葉にはナトリウムと塩素が高濃度で蓄積しても遊離糖の蓄積が減少しないことから、P.euphraticaはナトリウム及び塩素のイオン害が細胞質の代謝へ及ぶのを防ぐ機構を持つと推論している。

 第6章では、以上に得られた結果をとりまとめ、P.euphraticaの耐乾性及び耐塩性について総括している。

 過耕作や過放牧、森林の過剰な伐採等の人間活動による砂漠化地域の拡大が世界的に大きな問題となっており、これ以上の砂漢化の進行を防止することが重要かつ緊急な課題の一つとなっている。砂漠化防止のための造林木としてP.euphraticaは既に注目されている樹種であるが、乾燥地におけるその耐性については野外での現象の記述にとどまっており、実証的な耐性評価はなされていなかった。本研究は、P.euphraticaの耐性機構に結びつく生理反応を実験的に明らかにしたものであり、造林木および遺伝資源としての利用を進める上で重要な知見を与えるものである。また、試験管内の組織培養系の確立は、細胞レベルでの生理学的実験研究を可能にしただけではなく、今まで困難であった造林用苗の安定供給を可能にする大きな技術革新であり、応用上の価値も極めて高い研究といえる。

 よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものであると判断した。

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