学位論文要旨



No 117571
著者(漢字) 西岡,敏
著者(英字)
著者(カナ) ニシオカ,サトシ
標題(和) 沖縄語首里方言の敬語体系
標題(洋)
報告番号 117571
報告番号 甲17571
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第368号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,善道
 東京大学 教授 熊本,裕
 東京大学 教授 林,徹
 留学生センター 教授 菊地,康人
 千葉大学 教授 松本,泰丈
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、沖縄語首里方言を話す一人の女性話者(昭和6年[1931年]生まれ)の敬語体系を記述したものである。沖縄語首里方言は、琉球語諸方言の沖縄中南部方言に属する。本論文では、首里方言の敬語を、丁寧語、尊敬語、謙譲語等に体系的に分類し、沖縄語による文献の敬語使用にも配慮しつつ、個々の単語の敬語まで含めた記述を試みている。

 本論文の目次は次の通り。「はじめに」、「第1章沖縄概説-地理・人口・歴史・社会-」、「第2章沖縄語首里方言とその敬語研究の意義」、「第3章動詞形態論の再考〜敬語体系記述のために〜」、「第4章丁寧語」、「第5章尊敬語」、「第6章謙譲語」、「第7章名詞の敬語」、「第8章卑罵語・尊大語・親愛語」、「第9章人名詞の連体修飾と親疎関係」、「第10章「方言ニュース」における敬語使用」、「補遺応答の言葉・呼びかけ・こんにちは」。

 第1章では、沖縄の地理、人口、歴史、社会について略述した。歴史の略述では、沖縄語による文献を時代を追って紹介した。また、社会の記述では、沖縄の儒教的な影響に基づく男尊女卑的な風潮について紹介した。第2章では、沖縄語首里方言の系統的な位置付けについてふれ、危機に瀕する沖縄語首里方言における敬語研究の必要性について述べた。

 第3章では、服部四郎による分析以来、沖縄語首里方言の動詞形態論として主流となってきた「基本語幹」「連用語幹」「音便語幹」という三語幹を基本に置く考え方を再考した。それは、動詞から尊敬語を作るときに、連用語幹に/i/を付けてできた連用形から、再び/-yi/を削除して尊敬接辞がつく動詞形式を作る、といった操作を不自然に考えたからであった。そこで、「三語幹」の考え方を批判的に継承し、「語根」「代わり語根」の二語根を動詞形態論の基本に置く考え方を提示した。そして、それを本論文の敬語形式(形態論的な手続きに従って作られた敬語の語形)を説明する部分で使用した。

 第4章では、沖縄語首里方言の丁寧語について記述した。共通語(日本語)で丁寧語は「です・ます」の形であるが、首里方言では/-biyiN/という形式を丁寧語として使う。これは、本土側の「はべり」【侍り】に対応する形である。首里方言の丁寧語も、共通語のそれと同じく、聞き手に対する丁寧さを示す。本論文では、動詞および形容詞における丁寧語の活用形式を、第3章で示した語根との関係を基礎にして提示した。また、/natooyibiyiN/(〜であります)や/deebiru/(〜でございます)といった丁寧語の特別な形についてとり上げた。

 第5章では、沖縄語首里方言の尊敬語について記述した。共通語ではおもに「お〜になる」の形であるが、首里方言では/-miseeN/という形式を尊敬語として使う。この/miseeN/は、ee語根の/misee-/、oo語根の/misoo-/、oo代わり語根の/misooc-/という語根から活用形式を作る。/misee-/は「めしあり」【召し有り】、/misoo-/や/misooc-/は「めしおわす」【召し御座す】に対応し、補充法によって現在の活用体系をなしている。

 首里方言の尊敬語も、共通語のそれと同じく、聞き手ではなくて話題の人物にコントロールされている。その話題の人物は、聞き手である「二人称」または第三者である「三人称」の双方の場合が考えられる。首里方言でも話題となる人物が文の「主語」であるときに尊敬語で高めることができる。

 尊敬語には一般形と特定形がある。一般形は規則的に作る形で、首里方言では先程述べた/-miseeN/が付いた形である。敬語独自の形である特定形は、共通語と同じく、基本的な動詞ほど存在している。/'usagayuN/(召し上がる)、/meNseeN/(いらっしゃる)、/'utabimiseeN/(くださる)、/'umikakiyuN/(ご覧になる)、/'uNnukayuN/(お聞きになる)などが首里方言における特定形の代表的なものとして挙げられる。

 特定形の中には、さらに後ろに一般形を作るときの/-miseeN/が付くことによって「二重敬語」になることがある。たとえば、/'usaga-miseeN/(お召し上がりになる)といった例である。/meNseeN/の過去形については、動作(すなわち、「行く」「来る」について)の過去/meNsoocaN/と、状態(すなわち、「居る」)の過去や動作の経験を報告するときの過去/meNseetaN/との二種類があることを示した。尊敬語の特定形には/saayuN/(お有りになる)などの痕跡的なものもある。

 なお、首里方言は「身内敬語」であって、「父」や「母」など身内の者を敬う絶対敬語的な性格を持った言語である。

 第6章では、沖縄語首里方言の謙譲語について記述した。沖縄語首里方言には、聞き手に対して丁重さを示す謙譲語、すなわち、共通語(日本語)で謙譲語Bと呼ばれているものが存在せず、話題の人物によってコントロールされる謙譲語のみである。首里方言の謙譲語も、共通語の謙譲語Aと同じく、文の「補語」の位置で話題の人物を高める。その話題の人物については、尊敬語と同じく、聞き手である「二人称」、または。第三者である「三人称」の双方の場合がある。

 謙譲語にも、一般形と特定形がある。一般形には、/'u/gu〜suN/(お/ご〜する)、/'u/gu〜wugamuN/(お/ご〜する[直訳:お/ご〜拝む])、/'u/gu〜'uNnukiyuN/(お/ご〜申し上げる)、/テ形+'usagiyuN/(〜てさしあげる)という形がある。/'u/gu〜suN/と/'u/gu〜wugamuN/は、聞き手ではなく、補語(話題の人物)を高めるという点で謙譲語の機能としては同じであるけれども、後者のほうが一段敬度が高い。/'u/gu〜'uNnukiyuN/は、共通語の「お/ご〜申し上げる」とは異なり、「お/ご〜」の部分が語彙化されていて、なおかつ、「言う」という意味を含まないと使用できない。/テ形+'usagiyuN/は、語形それだけでは言いやすい響きを持っているけれども、共通語の「〜してさしあげる」と同じく、実際に使用する時には「恩着せがましい響き」を伴うことがある。

 謙譲語の特定形には、/'usagiyuN/(さしあげる)、/yusiriyuN/(うかがう)、/wugamuN/(拝見する・お目にかかる)、/'uNnukiyuN/(申し上げる)、/'uNnukayuN/(お聞きする・存じ上げる)、/'umikakiyuN/(ご覧に入れる)、/'ukagiyuN/(おつぎする)、/'uNdee sariyuN/(お叱りを受ける)がある。/'uNnukayuN/(お聞きする)は、「お聞きになる」(尊敬語)でもあるけれども、「お聞きする」の/'uNnukayuN/(謙譲語)は、/'uNnukiyuN/(申し上げる)との類推によって、新たに謙譲語の意味を得たものと考えられる。

 また、/'u/gu〜suN/などの前部要素/'u/gu〜/の部分が語彙化してしまって、特定形と同じように扱わなければならなくなった謙譲語もある。そういった謙譲語を本論文では「準特定形」と呼んでいる。準特定形には、/'uNcikee suN/(ご招待する、/suN/は/wugamuN/と置換できる。以下同)、/'uNceemuN suN/(お借りする)、/'wiicee suN/(お会いする)がある。

 首里方言の謙譲語は、特定形や準特定形など、全体あるいは前部要素(/'u/gu/〜の部分)が語彙化されているものについては問題なく使用されるけれども、それ以外の一般形についてはあまり使用されず(例えば「お書きする」などに当たるもの)、どちらかというと敬遠されて、丁寧語で済ましてしまう傾向がある。その謙譲の行為を許す何か確かな文脈がないと、その一般形の謙譲語は使用しにくい。

 なお、首里方言にも「二方面敬語」があり、共通語の「お/ご〜しておさしあげになる」に当たる言い方はするけれども、「お/ご〜してくださる」という言い方はしない。

 第7章では、名詞の敬語を扱った。沖縄語首里方言でも、共通語と同じく、名詞の前に/'u-/【御】や/gu-/【御】を付けることが多い。その具体例を列挙し、尊敬語、謙譲語、美化語の別を付した。/'u/gu/以外にの名詞の敬語として、/-kata/【方】(協働性のニュアンスを帯びる)、/mi-/【御-】、/mee-/,/-mee/【前】、/'umi-/【思い】、/-ganasi(i)/【愛し・加那志】、/'aya-/【綾】などを扱った。また、章の後半では『沖縄語辞典』に記載されているものの、現在の話者が使用しなくなっている敬語について、名詞の敬語を中心に提示した。

 第8章では、沖縄語首里方言における「マイナス敬語」と親愛語を扱った。「マイナス敬語」には、乱暴な表現である卑罵語/〜kwayuN/と、傲慢な表現である尊大語/〜misiyiN/とがある。これらの意味の違いは従来の研究では見過ごされていた。こういった「マイナス敬語」は、女性である話者が聞いて理解できる言葉ではあるものの、自らは使用しない。卑罵語にも特定形があって、/kwayuN/(食べやがる)、/yisikayuN/(居やがる)、/'ahwanacuN/(寝やがる)が挙げられる。

 また、首里方言では/テ形+turasuN/という形式を親愛語として用いる。共通語では「〜しておくれ」「〜しておやり」など命令的な用法に限られているけれども、首里方言では、他の動詞活用形でも使用することができる。首里方言の親愛語では、文の「主語」に来る話題の人物に対して、話し手が親愛の気持ちを付与する。そのほか、組踊に出てくる「おわる」/-yooru/や、名詞の親愛語、卑罵語について(-gwaaなど)ふれた。

 第9章では、人名詞の連体修飾について考察した。人名詞が連体修飾語となって他の名詞にかかっていくとき、「/nu/の連体修飾」「/ga/の連体修飾」「ゼロの連体修飾」の三つの種類がある。後部要素(被修飾語)を/sumuci/(本)にコントロールし、前部要素(修飾語)の人名詞が、+/nu/、+/ga/、+ゼロのどれを選択するか分布を調べた。従来の研究の通り、話し手の親疎関係の意識が助詞の選択に関与していて、/nu/が敬遠・尊敬、/ga/やゼロが親愛・愛情と関係があることが言えそうであった。しかしながら、/ga/に関しては、単数指示代名詞との結びつきやすさや、対比の文脈での結びつきやすさなどから、「親疎性」とは別の「卓立性」という概念が働いているのではないかと考えた。

 第10章では、現在、ラジオ沖縄で放送されている「方言ニュース」から具体的に一話をとり出して、その「方言ニュース」における敬語使用の実際を提示した。沖縄語首里方言が絶対敬語的な性格を持っているため、共通語の文脈では尊敬語を使用しないところでも、首里方言では一貫して使用しなければならないこと示した。

 補遺では、本論文で詳しく述べられなかった「応答の言葉」と上下関係、「呼びかけ表現」と男女差、「挨拶表現」の男女差について、ほんの少しであるがふれた。

審査要旨 要旨を表示する

 かつて琉球国の王府の言語であった沖縄語首里方言は,本土方言と異なる独自の敬語体系を発達させている。首里方言における敬語は,それなしには会話がまったく成立しないほど重要であるにもかかわらず,これまでの研究は部分的なものにとどまっていた。そして,今や70代でも流暢な話し手を探すのが困難なほど,首里方言は消滅の危機を迎えている。このような状況下において,西岡敏氏の博士学位請求論文『沖縄語首里方言の敬語体系』は,「方言ニュース」のキャスターを務めていておそらく流暢に話す最後の話者と見られる一人の女性を対象に,その敬語体系を徹底して記述したものである。

 論文の構成は,まず,首里方言の現状と敬語研究の必要性を説き,動詞形態論の再考を行なったあと,敬語体系を「丁寧語」「尊敬語」「謙譲語」「名詞の敬語」「卑罵語・尊大語・親愛語」「人名詞の連体修飾と親疎関係」に分けて論じ,最後に「方言ニュース」においても敬語が使われるその実態を例示している。

 本論文の中心は,第5章の尊敬語と第6章の謙譲語にある。これらに該当する形式を多数取り上げ,その活用を記した後,各々について,話者から聞き出した文例を中心に,沖縄の文献資料からの文例も加えながら,その意味・用法を詳しく分析している。

 形の上では,規則的に作られる「一般形」,独自形をもつ「特定形」,両形の組合せからなる「準特定形」に三分する。尊敬語の一般形は/-miseeN/(お〜になる)を,特定形は/'usagayuN/(召し上がる)など10種を,準特定形は/'waaci-miseeN/(お歩きになる)など2種をあげる。謙譲語では,一般形は/'u〜wugamjuN/(お〜する)など3種,特定形は/'uNnukiyuN/(申し上げる)など8種,準特定形は/'wiicee suN/(お会いする)など3種を扱う。方言の敬語形式をこれほど網羅的に取り上げた研究は,これまでなかった。

 内容面では,首里方言の尊敬語は「話し手が主語を高める表現」(これは標準語と同じ)で,主語が父母などでも適用される「身内敬語」であると規定する。他にも,首里方言の話し手が首里以外の目上に用いる尊敬語形があること,通時的に敬意の補強が見られること,通常の過去形と経験過去形の意味の違い,等々の新しい知見が見られる。

 首里方言の謙譲語については,「話し手が補語を高め,主語を低める」という「補語への敬語」だけをもち,標準語にあるもう一つの「聞き手への敬語」はないこと,および,語彙化した特定形は使われるが一般形の使用頻度は低いこと,等々を明らかにした。

 解釈をさらに深めてほしい箇所があり,また分析の枠組み自体が標準語のそれに依存し過ぎているのではという指摘もあったが,方言の敬語の分析をここまで進めた功績は大きく,本審査委員会は,本論文を博士(文学)にふさわしいものと判断する。

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