学位論文要旨



No 117582
著者(漢字) 佐藤,尚毅
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ナオキ
標題(和) 盛夏期の日本の天候の年々変動に関連する大規模場の力学過程
標題(洋)
報告番号 117582
報告番号 甲17582
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4246号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 教授 木村,龍治
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 助教授 松田,佳久
 東京大学 助教授 松本,淳
内容要旨 要旨を表示する

 本研究では、盛夏期の天候の変動を、大規模場の力学過程との関連に注目して、十分にデータのある1970年代後半以降の年々変動に注目して調べる。これまでの研究により、フィリピン付近での対流活動に対応した北太平洋上の定常ロスビー波列が盛夏期の天候の変動に関連していることが示されている。実際に明瞭なロスビー波列がしばしば検出されている。しかし、ロスビー波列が生じても対流活動には顕著な偏差が現れていない事例もあり、必ずしもフィリピン付近での対流活動の偏差のみによってロスビー波列の励起を説明できるか疑問も残されている。最近では、インドモンスーンに関連して、アジアジェット上にロスビー波が励起される可能性を指摘する研究もある。このアジアジェット上のロスビー波が、日本の梅雨期の天候に影響を与えていると指摘されているが、アジアジェット上のロスビー波と北太平洋上のロスビー波との関連はまだ十分には調べられていない。本研究では、主に日本付近に見られる定常ロスビー波列に注目して、日本周辺の大規模場の力学過程の年々変動を調べる。

 研究の対象とする定常ロスビー波列を定量的に検出するため、1979〜1995年の17年間の盛夏期(7月下旬〜8月中旬)の日本周辺(北緯25〜80゜、東経80゜〜西経160゜)の250hPa面高度偏差についてEOF解析を行った。その結果、第2モードとして、定常ロスビー波列に対応していると考えられる偏差場が得られた。この第2主成分は、日本における気温偏差の過半を説明する。北半球における250hPa面高度偏差場の、第2主成分に対する回帰を求めたところ(図1)、このロスビー波列が、ヨーロッパから日本を経てアメリカ西海岸まで伝播する一連の波列である可能性が示唆された。

 これまでの研究成果では、北太平洋上に見られるロスビー波列はフィリピン付近での対流活動に対応して励起されていると考えられてきた。そこで、第2主成分と日本の南海上での外向き長波放射(OLR)偏差との相関を調べた。その結果、定性的にはこれまでの研究と矛盾しないパターンが得られたが、この偏差パターンは統計的には必ずしも有意であるとはいえない。対流活動の偏差に対応した発散風と気候場における絶対渦度の分布を調べたところ、盛夏期にはジェットの北偏に伴って日本付近では絶対渦度が他の季節に比べて小さくなっていることが分かった。このため発散風による日本付近での相対渦度の強制は小さくなっている。盛夏期において対流活動に対する中緯度大気の力学的応答が弱いのは、このようなジェットの北偏に伴う基本場の絶対渦度分布の変化が関係している可能性が考えられる。

 気候場において、等価順圧的な小笠原高気圧の形成に、インドモンスーンによる強制に対応した西からのロスビー波の伝播が重要な役割を果たしていることが、これまでの研究により示されている。ここでは、気候場からのずれとしての偏差場について、インド域の対流活動との相関を調べたが、ここでも有意な偏差は見られなかった。気候場においてジェット上に見られる東西平均からの偏差と、本研究で対象としている気候値からの偏差として見られるロスビー波の両方について、渦度収支や熱収支を調べたところ、気候場においては伸縮項の寄与が大きく、強い熱強制を伴っているのに対して、気候値からの偏差として見られるロスビー波列においては、伸縮項は小さく、強制があまり大きくないことが分かった。この点において、両者の構造は大きく異なっている。実際に気候場におけるロスビー波列と、気候値からの偏差場における定常ロスビー波列とでは東西波数が異なっていて、力学的には別々のパターンであると考えられる。すなわちインドモンスーン域付近の気候場におけるロスビー波列に関しては、それを維持するためには強い渦度強制が必要であるといえる。この強い渦度強制は実際にはインドモンスーンに対応した対流活動に伴う熱強制によって維持されている。対流活動に伴う熱強制の気候値に比べて、その年々変動はかなり小さいので、気候場におけるロスビー波列の強弱として有意な年々変動が生じる可能性は考えにくい。一方で気候値からの偏差場におけるロスビー波列は、強制のない定常ロスビー波に近い構造をしているので、波列の上流に有意な渦度強制があって、それが伝播してくるのであれば、波列上には必ずしも強い渦度強制を必要としない。一方で、導波管上では波列の持つエネルギーは速い群速度で東へ運ばれていくので、波列が持続するためには波列の上流においては有意な渦度強制が持続している必要がある。実際に気候値からの偏差場におけるロスビー波列に伴う渦度強制は小さく、また気圧偏差とインドモンスーン域の対流活動の偏差との相関があまり大きくないので、波列の上流での渦度強制が大きく寄与している可能性が考えられる。

 アジアジェット上の定常ロスビー波列の起源を調べるため、アラル海付近の高度偏差に対する高度偏差の1点ラグ回帰を求めた。その結果、20日程度前からヨーロッパ付近に気圧偏差が現れ始め、その偏差がジェット上に射出されていることが明らかになった。ヨーロッパ付近の高度偏差に関して1点ラグ回帰を求めてもヨーロッパに向かって伝播してくるロスビー波列は見られず、ヨーロッパ付近で偏差が生成されていると考えられる。こうした偏差の時間発展を、図1に示したような第2主成分に対する回帰場において、図中の波列の中心線に沿った時間(ラグ)-空間断面上での250hPa高度偏差として調べたところ(図2)、北大西洋からヨーロッパにかけての領域に生じた偏差がゆっくりと南東へ時間発展してジェット上に射出され、ジェット上の導波管に入ると速く東へ伝わっていることが分かった。北大西洋からカスピ海にかけては基本場における絶対渦度の勾配が小さいので、渦度偏差はロスビー波としては伝わりにくく蓄積されやすい一方で、導波管上では強い渦度勾配に対応してより速く東へ伝わることを考えると、このような時間発展を説明することができる。

 基本場の絶対渦度勾配が急激に変化する場所では、基本場の運動エネルギーからじょう乱場の運動エネルギーへの順圧的なエネルギー変換が生じる可能性がある。気候場(基本場)と、アラル海付近における250hPa高度偏差に対する回帰場(じょう乱場)との間の順圧的な運動エネルギー変換を調べたところ、カスピ海付近では、正味で基本場からじょう乱場への運動エネルギー変換が行われていることが分かった。ジェット上での速い群速度に対応して偏差が急速に東へ伝播する際にこの順圧的な運動エネルギー変換が偏差の振幅の維持に寄与していると考えられる。

 前述のEOF解析における第1主成分は、シベリアから日本に伝播する偏差パターンに対応し(図3)、北日本における気温の偏差とある程度相関している。海面気圧の偏差と比較すると、この偏差パターンには傾圧性があり、寒冷高気圧としてのオホーツク海高気圧の出現によく対応している。熱収支を調べると、この領域では対流圏中層、下層において、東西熱コントラストに対応した基本場の東西温度勾配を偏差場の風が移流することによる冷却効果が強く効いている。この冷却効果は、対流圏中層においては基本場による温度偏差の移流の効果、下層においては鉛直流や熱強制とつりあっている。熱強制は偏差を緩和する方向に働いている。これらのことから、このパターンは上層での渦度強制に対応した偏差風が基本場の温度勾配を移流する効果を考えると整合的に理解できる。シベリアの対流圏上層での顕著な渦度偏差の出現は、時間発展という点で統計的に見れば、西からの波列の伝播というよりは、むしろ西シベリアでの急激な渦度偏差の発達として認識できる。図1のパターンについてカスピ海付近で行った解析と同じようにして運動エネルギー変換を調べたところ、この急激な偏差の発達は、西シベリアの局所的な高渦度勾配域での強いβ効果に関連した基本場からじょう乱場への順圧的な運動エネルギー変換による偏差の強化と対応していることが分かった。

 以上の解析により、日本の盛夏期の天候の偏差に大きく影響する偏差パターンとして、ヨーロッパからアジアを経てアメリカ西海岸まで伝播する定常ロスビー波列と、シベリアで強化され寒冷なオホーツク海高気圧の形成に関連する偏差パターンの2つが抽出された。これらの偏差パターンに対応した海面気圧偏差や日本の各気象官署で観測された気温偏差を調べたところ、前者は太平洋高気圧の北偏(南偏)による全国的な冷夏(暑夏)に対応していることが分かった。この偏差パターンによる全国冷夏の場合には、太平洋高気圧に対応した気圧の尾根が北に偏り、オホーツク海付近の高気圧偏差と対応している。また東北地方の太平洋側で顕著な偏差が見られ、オホーツク海高気圧に対応して吹走するとされている「やませ」による気温偏差とよく対応する。この気温偏差に対応して日照時間や降水量の偏差も調べたが、東日本、西日本では基本的に高温偏差は多照,少雨に対応しているといえる。一方で後者は、太平洋高気圧の南偏(北偏)とオホーツク海での別の高気圧(低気圧)偏差によって北日本に低温(高温)偏差をもたらしている。また、南西諸島や九州を除く地域の梅雨明けの時期の変動とも密接に関連している。この偏差パターンによる北冷型の場合、太平洋高気圧に対応した気圧の尾根の軸は南偏し、オホーツク海付近にはこれとは別の気圧の尾根が見られ、日本は相対的に低気圧偏差になっている。また各気象官署での気温偏差は北日本を中心にした低温偏差になっている。この偏差パターンも前者のパターンと同様にオホーツク海高気圧の出現に関連していると考えられる。しかし、東北地方の日本海側と太平洋側とで気温偏差の大きさがほぼ同程度になっていて、オホーツク海高気圧の出現に対応してやませが流入した場合に典型的に見られる気温偏差パターンとは異なっている。ここでの気温偏差パターンは、必ずしもやませの吹走だけで説明できるわけでなない。

図1:第2主成分に対する、250hPa面高度偏差場の回帰。

等値線間隔は10m、負の等値線は点線、有意水準95%で有意な正相関と負相関に、それぞれ影つけと網かけ。時間(ラグ)-空間断面を調べるために定義した波列の中心線を太い実線で示す。

図2:第2主成分に対する250hPa高度偏差の回帰の、図1中の渦列の中心線に沿った、時間(ラグ)-空間断面。

等値線間隔は10m、負の等値線は点線、有意水準95%で有意な正相関と負相関に、それぞれ影つけと網かけ。

図3:図1と同じ。

ただし第1主成分に対する回帰。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、9章からなっている。第1章は、過去の研究を紹介し、第2章は、日本付近での偏差場に見られる定常ロスビー波列を定量的に抽出し、第3章は、抽出されたロスビー波列の力学的な解析を行っている。第4章では、フィリッピン付近での対流活動との関連、第5章では、インドモンスーンとの関連、第6章でヨーロッパからの渦度偏差の射出について議論し、第7章でシベリアでの偏差、第8章で、日本の盛夏期の天候への影響を論じ、第9章でまとめを述べている。

 本研究は、日本の盛夏期の天候の年々変動をもたらす要因の力学的な特性を明らかにすることを目的として行われた。従来、日本の盛夏期の天候を支配する要因としては、フィリッピン付近の対流活動の強弱、インドモンスーンの強弱、あるいは、オホーツク海高気圧の強弱などのプロセスが考えられていた。

 申請者は、1979年から1995年の17年間の盛夏期(7月下旬-8月中旬)のデータを用い、日本付近の250hPa面高度偏差のEOF解析を行い、日本の盛夏期を支配している2つのモードを取り出した。このうちの第2モードは、定常ロスビー波の波列に対応していた。このロスビー波の起源を調べるために、従来から指摘されていたフィリッピン付近の積雲活動による加熱やインドモンスーンの影響を評価した。その結果、ある程度の影響は認められるものの、有意ではないという結論が得られた。

 さらに、定常ロスビー波の起源を捜したところ、ヨーロッパ付近に気圧偏差が現れ、ゆっくりと東に伝播し、ジェット流が強くなるカスピ海付近で、基本場からエネルギーをもらい振幅が増大し、アジア大陸上のジェット気流を伝播し、日本付近の盛夏期の変動に影響を与えていることがわかった。

 また、第1成分は、シベリア付近に現れ、オホーツク高気圧の消長と関係があることがわかった。この急激な高度場の変動は、西からの伝播というよりは、その場所での基本的な順圧的なエネルギー変換によって生じていることがわかった。

 このように、日本の盛夏期の年々変動を規定する要因として、ヨーロッパからアジアを経てアメリカ西部にまでいたる定常ロスビー波列と、シベリアで強化されオホーツク海高気圧の形成に関連する2つの定常ロスビー波列が得られた。このような結果は、従来経験的に論じられていた日本の夏の天候の年々変動の要因について、力学的な観点から新しい視点を与えるものであり気象学の発展に大きく寄与するものと思われる。したがって、博士(理学)の学位を授与するのが適当と判断した。

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