学位論文要旨



No 117584
著者(漢字) 松多,信尚
著者(英字)
著者(カナ) マツタ,ノブヒサ
標題(和) 糸魚川-静岡構造線活断層帯の構造と第四紀の変位様式 : 斜めすべり断層帯上でのすべりの分配
標題(洋) Structure and behavior of the Itoigawa-Shizuoka Tectonic Line, central Japan, in Quaternary time : Partitioning of Slip on an oblique-slip fault zone
報告番号 117584
報告番号 甲17584
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4248号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐藤,比呂志
 東京大学 教授 木村,学
 東京大学 助教授 池田,安隆
 東京大学 教授 平田,直
 東京大学 助教授 須貝,俊彦
内容要旨 要旨を表示する

目的および方法

 東北日本の日本海側から北部フォッサマグナに至る地域では,新生代の地層が大きく変形しており,現在も活発な地殻変動が進行している.島弧-海溝系の変形メカニズムを知る上で,この背弧側の変形のメカニズムを解明することが重要である.糸魚川静岡構造線は北部フォッサマグナの西縁に位置し,この断層を境に激しく変形した新第三紀層と先第三紀層が接している.そのため,本断層は北部フォッサマグナの変形を造る上で重要な役割を演じてきたと考えられている.しかし,糸魚川-静岡構造線活断層系に関する従来の研究では,島弧の変形過程を論じるに十分な調査がなされていない.物理探査を用いて本断層の地下構造を解明することおよび変動地形学的手法を用いて地表変形を明らかにすることによって,本断層の運動像を総合的に理解することが必要である.

 そこで本研究では,糸魚川-静岡構造線活断層系を対象として,(1)地形・地質学的手法を用いて,地下の断層の動きに伴って生じる地表変形を明らかにするとともに,(2)スウィープ震源を使用した浅層反射法地震探査を実施し,その結果と既存の重力異常データから,断層浅部の地下構造を明らかにすることを試みた.また,ディスロケーション・モデルを用いて,得られた浅部構造から観測された地表変形を再現できるか否かについて検討を行った.

 糸魚川-静岡構造線の構造と変位様式には地域的な差異があることが予想されている.そこで本研究では,代表的な6つの地域を選んで調査を実施した.調査地域は北から順に,(1)白馬・神城地域,(2)大町地域,(3)豊科地域,(4)松本地域,(5)松本南部地域,(6)富士見地域,である.

結果

 白馬・神城地域:地質構造と地表変形データから,主断層は東傾斜の逆断層であり,1.65Ma頃に逆断層フロントの前進が生じたことが分かった.P波を用いた反射法地震探査を断層フロント付近で実施したが,表層に極端に減衰の強い地層が存在するために,良好な記録は得られなかった.ボーリング調査とS波を用いた極浅層反射法地震探査を実施した結果,過去約28kaの期間における平均すべり速度は4.4-5.2mm/yrであることがわかった.この値は,トレンチ調査等で求められている地表付近でのすべり速度より約3倍大きい.このことは,表層の未固結堆積物中での塑性変形によってすべりが減衰していることを示している.

 大町地域:P波反射法地震探査を現在の断層フロント付近で実施した結果,水平な層理を持った盆地堆積物と東に傾斜する鮮新世の扇状地礫層とが,東傾斜の逆断層(神城断層)で接していることが分かった.上盤側の鮮新統が東に急斜していることから,神城断層は東傾斜の逆断層と判断できる.鮮新世の扇状地礫層は,現在の断層フロントより数km東に位置する未確認の断層で,鮮新世前期の浅海成堆積物(日野層)と接する.日野層はこの逆断層よりさらに1km東に位置する東傾斜の逆断層(小谷-中山断層)によって中新統と接する.重力データを解析した結果,鮮新世の扇状地堆積物と日野層とが接する高角の逆断層が物質境界になっていることが分かった.これは,この逆断層が,かつて糸魚川-静岡構造線の断層フロントであったことを意味する.また,小谷-中山構造線もかつての断層フロントであったと推定される.以上の結果から,白馬・神城地域と同様,この地域でも,逆断層フロントの前進現象が生じ,その現象は2回起きていることが明らかになった.

 豊科地域:重力異常と地表変形の解析から,主断層は東傾斜の逆断層(横ずれ成分は未確認)であること,および鮮新世以来断層フロントの位置は変化せず一定であることが分かった.

 松本北部地域:重力異常のパターンから見ると,この地域の構造は基本的に豊科地域と同じで,主断層は東傾斜である.しかし,地表変形のパターンは大きく異なり,主断層の上盤側に局所的な沈降域(深志盆地)が存在する.この沈降域は,主断層上盤側に存在する左ずれ断層(牛伏寺断層)の北端に位置する.

 松本南部地域:ここでは,左ずれ断層(牛伏寺断層)とその西側に活褶曲(赤木山背斜)が存在する.赤木山背斜の東翼は随伴する西傾斜の逆断層(赤木山断層)で切られる.重力異常値が急変する位置は赤木山背斜の西翼付近にある.したがって,高密度の中新統と鮮新世以降の盆地堆積物とが接する物質境界(主断層面)は松本以北と同様に東傾斜であり,牛伏寺断層はこの主断層面の上盤側に位置することがわかった.両断層を横切ってP波反射法地震探査を実施した結果,この主断層面は低角のblind thrustをなし,その先端部における歪み集中によって赤木山背斜とそれに随伴する赤木山断層とが生じたと推定された.

 富士見地域:重力異常の解析から,この地域の主断層面(物質境界)は,松本およびそれ以北の地域とは逆に西傾斜であり,これを境に赤石山脈側の基盤岩類とフォッサマグナ側の低密度の堆積層とが接していると予想される.地表変形の調査を行った結果,この地域には低角の逆断層(青柳断層)とその西側(上盤側)を併走し断層で変形したtectonic bulgeを伴う左ずれ断層(若宮断層)とが存在することが分かった.両断層を横切るP波反射法地震探査と,左ずれ断層を横切るP波極浅層反射法地震探査とを実施した.その結果,主断層は低角西傾斜であり,その上盤に存在する左ずれ断層は高角東傾斜で主断層に収斂していることが分かった.

考察および結論

1.糸魚川-静岡構造線の斜めすべりに伴う地表変形

 物理探査によって推定された活断層の地下構造と地形調査から求められた地表変形の関係について,ディスロケーションモデルを用いて考察した.

 富士見地域では,雁行配列を示す若宮断層(高角東傾斜)に沿って,tectonic bulgeが発達する.モデル計算の結果,tectonic bulgeが東側にのみ発達するのは断層面が東に傾斜している為であることが確かめられた.地形的に求めたtectonic bulgeの隆起量とモデル計算との比較から,若宮断層の平均すべり速度は2.1-3.1mm/yrと推定される.Tectonic bulgeの幅は断層面の(深さ方向の)幅に依存する.したがって,富士見地域で観察される狭い幅のtectonic bulgeを生ずるためには,若宮断層の幅が極めて狭いことがモデル計算から要請される.これは,若宮断層が低角の主断層の浅部から分岐していると予想した反射法探査の結果と調和的である.

 松本地域北部では伏在する東傾斜の主断層の上盤側に局所的な沈降域(深志盆地)が存在し,ここを境に南側でslip partitioningが生じている.低角東傾斜の主断層上で斜めすべりを与えたモデル計算の結果,深志盆地の形成は,浅部でslip partitioningを行っている領域の末端で生じる歪み集中として説明できることがわかった.このモデルは同時に赤木山背斜の形成を説明する.しかし,計算されたこの背斜の隆起速度は,地形学的に求めた隆起速度を有意に上回る.このことから,主断層の先端は水平な層面すべり断層として赤木山背斜のさらに前方(盆地側)までに延長していると予想された.

2.糸魚川-静岡構造線の構造と運動様式の地域差

 糸魚川-静岡構造線活断層帯の構造と運動様式には,顕著な地域差があることが本研究によって明確になった.諏訪以北では,主断層は一様に東傾斜である.しかし,運動様式には顕著な地域差が認められる.大町より北では,断層の動きはほぼ純粋な逆断層すべりであり,横ずれを示す証拠が認められない.この部分では逆断層フロントの前進現象が1.65Ma頃に起こっており,その結果断層下盤側の堆積盆地の幅は極端に狭くなっている.一方,その南の豊科から松本南部までの間では,主断層上で斜めすべり(逆断層すべり+左ずれ)が生じており,そのうち深志盆地以南では主断層浅部から高角の左ずれ断層が分岐することによるslip partitioningが生じている.

 一方,諏訪以南の糸魚川-静岡構造線は,北部とは逆に西傾斜である.すべりのセンスは豊科-松本地域と同様な斜めすべりであり,富士見地域では断層帯浅部でslip partitioningが生じている.

 この様に,糸魚川-静岡構造線には,見かけの運動様式に有意な不連続が認められないにも関わらず,諏訪付近を境に南北で構造が大きく変化する.諏訪以北の本断層は,前〜中期中新世のrift basin(北部フォッサマグナ)を形成した東傾斜の正断層を起源とする.諏訪以南の本断層の起源は明確でないが,上記のrift basinは松本盆地南端で途切れそれ以南に追跡できない.したがって,諏訪以北の糸魚川-静岡構造線と,諏訪以南のそれとは,起源も構造も異なる全く別の断層である可能性が高い.

3.プレート境界におけるスリップパーティショニングとの比較

 Slip partitioningは,斜め沈みこみ帯において最初に論じられた.斜め沈みこみ帯では,上盤プレート内の高角横ずれ断層が動いて,プレート収束運動のうち海溝に平行な成分を吸収している場合が多い.一般にこのような横ずれ断層は,プレート境界断層とasthenosphereを介してdecoupleしていると考えられている.沈み込みの方向がトレンチに対して十分に斜行している場合,プレート境界面での剪断応力が限界に達するより早く,横ずれ断層上での剪断応力が限界に達する.そのため,上盤プレート内で横ずれが起こって海溝に平行な方向の剪断応力を解放する.しかし,海溝に直行する方向の圧縮応力は解放されず増加し続けるため,プレート境界面でもすべりが発生しslip partitioningが起こる.

 糸魚川-静岡構造線におけるslip partitioning現象は,斜め沈みこみ帯におけるそれとは本質的に異なる.本断層におけるslip partitioningは,深さ数km以内で主断層から分岐する断層上で起こる表層現象である.分岐断層の深度は地震発生領域の上限より浅いから,これらは主断層深部での斜めすべりに伴って受動的に動くと考えられる.従って浅部の横ずれ断層と逆断層とは同時に動く可能性が高い.これに対して,斜め沈みこみプレート境界では,横ずれ断層とプレート境界面とが互いにdecoupleしているので,両者は独立に動いて地震を発生する.

 糸魚川-静岡構造線の深部で斜めすべりが生じていることは,この断層の走向が現在の主応力軸と斜交していることを示している.これは,糸魚川-静岡構造線が過去の応力場で形成された古傷であり,それが再活動しているためと考えられる.Slip partitioningは再活動をしている他の断層沿いでも生じている可能性が高い.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,本州弧を東西に隔て,かつ日本列島の内陸部では最も大きな平均変位速度を示す活断層の一つである糸魚川-静岡構造線活断層系について,変動地形学的・地球物理学的手法によって総合的に検討し,スリップパーティショニングを示す活断層システムの実態を明らかにし,力学的なモデル化をおこなったものである.本論文は6章から構成され,第1章では,糸魚川-静岡構造線活断層系についての概要と,研究目的が述べられ,第2章では地質学的・変動地質学的・地球物理学的な本活断層系の位置づけが概説されている.第3章では変動地形学的な調査方法,本研究で用いられた主要な地下構造探査法である反射法地震探査・重力探査方法について述べられている.第4章では,糸魚川-静岡構造線活断層系の7地区で行った変動地形学的研究・反射法地震探査・重力探査による地下構造探査の結果が述べられ,とくに断層系の地下形状と変動地形的な特徴それぞれの関係について要約されている.断層系北部に位置する白馬・神城地域や大町地域では,基本的には東傾斜の主要逆断層が西方へ前方移動を伴いながら,変形域を拡大させてきたことが,定量的に明らかにされた.豊科地区・松本南部地区・松本北部地区では,基本的には東傾斜の逆断層から派生するいくつかの断層によって,横ずれ運動を伴いながら変形してきた状況が明らかにされた.また,この南方の富士見地区では西傾斜の低角度の主断層の横ずれ運動によって,一連の断層系が活動してきたことが明らかにされている.

 第4章では,これらの糸魚川-静岡構造線活断層系の構造と運動様式について,ディスロケーションモデルを用いて検討されている。反射法地震探査や重力探査から得られた断層の地下構造と,変動地形学的に明らかにされた地表変形をもとに,とくに主断層の斜めすべりによって,地表では複雑なシステムを構成する活断層群の運動様式が統一的に説明できるモデルを提示した.また,糸魚川-静岡構造線活断層系の研究で明らかになったスリップパーティションニングについて,プレート境界において報告されている現象と比較し,発生メカニズムの差異について考察が加えられている.

 糸魚川-静岡構造線活断層系については,これまで多数の研究がなされてきたが,複雑なシステムを構成している断層群の相互の関係を明らかにし,それらを力学的なモデルとして提示した研究はなされておらず,本研究が最初のものである.本研究においては,変動地形学・地質学・地球物理学的手法を駆使し,スリップレートや断層面の形状を定量的に解析することによって,総合的な力学モデルを提示したもので,今後の活断層研究の重要な方向性を提示している.これらの斜めすべり断層帯上でのすべりの分配についてのシステマテックな記載と現象の解明は,内陸活断層系については世界初であり,また,こうした研究成果は活断層から発生する地震規模の想定に対しても重要な貢献をなした.

 なお,本論文第4章7節の神城地区についての研究は,池田安隆・今泉俊文・佐藤比呂志との共同研究であるが,論文提出者が主体となって解析および検証をおこなったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 しかがって博士(理学)の学位を授与できると認める.

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