学位論文要旨



No 117585
著者(漢字) 森本,真紀
著者(英字)
著者(カナ) モリモト,マキ
標題(和) サンゴ骨格酸素同位体比の高時間分解能キャリブレーションと中期完新世北西太平洋の気候復元
標題(洋) A high time-resolution calibration of coral oxygen isotope records and mid-Holocene climate in the Northwestern Pacific from corals
報告番号 117585
報告番号 甲17585
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4249号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,隆治
 東京大学 教授 棚部,一成
 名古屋大学 教授 松本,英二
 東京大学 助教授 松本,淳
 東京大学 助教授 茅根,創
内容要旨 要旨を表示する

 中期完新世(現在から6,000年前を中心とする2〜3,000年間)は21000年前(cal yrs BP)の最終氷期極大期から現在までの後氷期の間で最も温暖であったとされる時期である.温暖であったことを示す多くの証拠は,花粉分析や,古土壌,湖水位など主に陸上,中高緯度域から得られたものであった.しかし,中期完新世の気候変化の主な要因と考えられている地球の軌道要素の変動に伴う日射量変化は,緯度帯毎に異なっており,全球の温暖化を支持してはいない.

 近年,さらに広範囲で長期間の地質学的データが得られており,中期完新世を含んだ千年スケールでの気候変動や湿潤化に伴うアフリカやアジアにおける植生の拡大が詳細に復元されつつある.また,深海底堆積物の分析による完新世の海水温復元も進められている.しかし,海洋や低緯度での研究はまだ少なく,海面水温(SST)や表層塩分(SSS)の復元結果から,海洋に温暖期が存在したのかどうか,全球的な現象であったのか,また全球の水循環(特に降水量/蒸発量変化)が現在とどのように異なっていたのかは明らかになっていない.

 全球の亜熱帯・熱帯海洋に分布する造礁サンゴ骨格は,化学的手法を用いた水温定量ができる,密度バンドによる年輪カウントによって試料と期間の対応が正確で高時間分解能である,14C法を用いて生息年代が定めやすい,などの理由から,中期完新世の海洋気候の復元に適している.骨格に含まれる古環境指標の中で,水温復元にはSr/Ca比が,また[水温]+[降水量/蒸発量]復元には酸素同位体比(δ18O)が多く用いられている.サンゴ骨格のδ18Oは水温成分と海水のδ18O成分との組合わせによって以下の様に定まる.しかしながら,骨格による古気候復元の時間スケールである週〜月単位でのこの三つの指標(骨格δ18O,水温、海水δ18O)の関係を,実測に基づいて明らかにされてはいなかった.さらに,現在の低緯度域における[降水量/蒸発量]のバランスの結果として表れるSSS変化と,同様の要因で変化する海水δ18Oとの関係から,サンゴ骨格を用いた古SSS復元の可能性が指摘されているが,同一地点の観測によるサンゴ骨格δ18O,海水δ18O,SSSの季節変化スケールでの関係が明らかにされていなかった.このことから,サンゴ骨格のδ18OによるSSSの定量復元研究が進んでいなかった.

 本研究の目的は,(1)サンゴ骨格のδ18Oを用いた古塩分復元の可能性を現生サンゴの分析から明らかにすること,(2)これまで情報の少なかった低緯度海洋における中期完新世のSSTとSSSを,北西太平洋の琉球列島に位置する喜界島の化石サンゴのSr/Ca比とδ18Oを用いて定量的に推定し、中期完新世における東アジアの気候を復元することである.

サンゴ骨格δ18Oを用いた古塩分復元の可能性

 サンゴ骨格のδ18Oと環境指標であるSST,海水δ18O,SSSの間の関係を,熱帯西太平洋に位置するパラオ諸島において,現生サンゴ骨格の分析と環境指標の観測・分析により調べた.パラオ諸島は,SSTの年変化範囲が平年で2℃以下と小さく,ENSOなどの気候変動による[降水量/蒸発量]バランスの変化に伴う海水δ18OとSSSの変化が大きいと考えられることから,調査地点として選択した.その結果,先述の式に示した骨格のδ18O,SST,海水δ18Oの関係が2週間単位の時間スケールでも成り立つことを,El Nino, La Ninaイベントを含む1998-2000年の2.5年間のサンゴと海水の観測・分析データから明らかにした.さらに同期間の海水δ18OとSSS変化の間に高い相関関係があることを示した。

 これら二つの関係から古塩分の復元が可能であるが、海水δ18Oと塩分の関係は,[降水量/蒸発量]のバランスにより変化することから海域や時代により若干異なっている可能性があり、塩分の復元にはある程度の誤差が含まれることを考察した。またサンゴ骨格を用いて古環境を復元する際の試料採取・データ解析時の注意点を明らかにした.

中期完新世北西太平洋の古気候

 現生サンゴから得られた結果を化石サンゴ試料に適用することにより,亜熱帯北西太平洋に位置する琉球列島喜界島で採取した6000-7000年前の化石サンゴ2群体の分析から,Sr/Caを用いて水温復元を,次に骨格δ18OとSST復元結果を組み合わせて海水δ18O(≒SSS)の現在との差の復元をおこなった.SSTは,6130cal yrs BPにおいて夏に現在よりも+0.2℃,冬に-0.3℃であり,7030cal yrs BPには夏に-0.8℃,冬に-0.7℃という結果が得られた.海水δ18Oはいずれも現在より高い値を示し,6130cal yrs BPの夏に+0.5‰,冬に+0.2‰,7030cal yrs BPの夏と冬は共に+0.7‰であった.よって亜熱帯北西太平洋ではユーラシア大陸におけるような明確な温暖期は年間を通じて存在しなかったこと、さらに海洋では夏季・冬季ともに,高い海水δ18Oすなわち高SSSであったことを推定した。

 本研究の復元結果と、東アジアにおける現在の気候・他の地質試料を用いた中期完新世の復元結果・気候モデルによる復元結果との比較をおこなった.中期完新世の東アジアでは日射量の季節変化が現在と異なっていたことにより、夏季には海洋と大陸の湿度差が現在よりも拡大していたことから、夏季アジアモンスーンが現在よりも強化され,海洋においては降水量に比べて蒸発量の割合が高かったことが考えられる.一方,冬季には北半球全域で現在よりも日射量が減少していたことによる冷却からシベリア高気圧が強化され、冬季アジアモンスーンも現在より強化していた,よって日射量減少とモンスーン強化により冬季東シナ海は現在よりも冷却していたであろうことを考察した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、先ずパラオ諸島における現場測定に基づいて、サンゴ年輪の酸素同位体比とSr/Ca比の分析を組み合わせて過去の水温と塩分を復元する手法の評価を行った。次に、これに基づいて琉球列島喜界島の化石サンゴ年輪の分析を行って、中期完新世(今から約6000年前)における同海域の水温と塩分を復元し、その古気候学的意義を議論した。

 サンゴ骨格年輪は、その酸素同位体比や微量金属の分析によって、水温や塩分などの記録を週から月という高い時間分解能で復元することができる、古気候学における有効な試料である。しかしながら、従来の研究ではサンゴ年輪の酸素同位体比と塩分との関係がどのような要因で規定されるかについて検証されておらず、サンゴ年輪による古塩分復元の妥当性は十分評価されていなかった。そこで、本論文では、パラオ諸島において現生サンゴの酸素同位体比を測定し、その結果を現場で時系列で採水した海水の酸素同位体比、塩分の測定結果と比較することによって、これらの間の関係をはじめて実証し、サンゴ年輪から塩分を復元する手法の評価を行った。分析手法は、サンゴ試料と海水の酸素同位体比、Sr/Ca比など、最先端の手法を用いて信頼性の高い多数の結果を得ている。

 次にこうして評価した手法に基づいて、琉球列島喜界島の化石サンゴの解析を行った。本論文で古気候復元の対象としてとりあげた中期完新世(今から約6000年前)は、現在より温暖だったといわれる時期であり、気候変動のダイナミクスを理解する上で重要な時期である。しかし、低緯度の海域における気候値の復元結果は少なく、地球全体での気候復元とその変動メカニズムの解明のためにはこの地域における古気候データが必要である。本論文では、自ら確立した手法に基づいて、琉球列島喜界島において採取した化石サンゴの分析を行って古水温と古塩分の復元を行った。その結果、中期完新世の西太平洋低緯度海域では、水温は現在と変わらず、塩分が現在より高かったことが明らかになった。これは、この時期の海洋の状態について地球化学的指標に基づく重要な知見である。また、今回確立した手法の評価結果に基づいて、復元された値の不確定性もあわせて示すことができたことは、より客観的な議論が行えるという点で高く評価できる。

 本論文ではさらに、自らの成果に加えて最新の研究成果をまとめて、中期完新世の古気候を議論し、復元結果の意義付けを行っている。主に陸域の情報に基づいて議論されてきたこの時期の気候像に海域の情報を加えて行われた議論は斬新である。また、サンゴ年輪を解析する際に妥当な結果を得るための基準をまとめているが、今後の研究にとってきわめて重要な情報である。

 問題設定、手法の検証、検証した手法に基づいて行った古気候復元とその解釈の全体にわたって、本論文のオリジナリティは高い。本論文によって、サンゴ年輪を用いた古塩分復元における問題点が明らかにされ、その手法が確立されたことによって、サンゴ年輪解析による古気候復元の妥当性が増し、その有効性が広がった。本研究の結果によって、中期完新世の古気候像と古気候モデルに対して信頼性の高い束縛条件を与えることができた。本研究で用いた手法は、他の海域、他の時期の古気候復元にも適用が可能であり、より信頼性の高い古気候復元に寄与することが期待される。

 なお本論文のうち、第6章の一部は阿部理・茅根創・栗田直幸・松本英二・吉田尚弘との共同研究(Geophysical Research Lettersに公表)、第7章の一部は茅根創・阿部理との共同研究(Earth and Planetary Science Lettersに投稿予定)であるが、いずれも論文提出者が主体となって現地調査と試料の分析、データの解析を行い、筆頭著者として論文をまとめたもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 上記の点を総合的に審査した結果、本論文は地球惑星科学、とくに古気候学の新しい発展に寄与するものであり、博士(理学)の学位に十分値すると判断される。

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