学位論文要旨



No 117587
著者(漢字) シアク,ジャン
著者(英字) Siakeu,Jean
著者(カナ) シアク,ジャン
標題(和) 日本中部における河川水中の浮流物質濃度の時空間的多様性
標題(洋) Spatial and Temporal Variability of Suspended Sediment Concentration in River Water of Central Japan
報告番号 117587
報告番号 甲17587
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4251号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松本,淳
 東京大学 教授 多田,隆治
 東京大学 教授 岡部,篤行
 東京大学 助教授 小口,高
 東京大学 助教授 茅根,創
内容要旨 要旨を表示する

 河川による土砂運搬は,地形学,堆積学,水文学などの分野における主要な研究課題であり,これまで数多くの研究が行われてきた.河川によって運搬される土砂は,河床に接触しながら移動する掃流土砂と,河床から浮上して河川水とともに移動する浮流土砂に大別される.諸外国では,浮流土砂に関する研究が相対的に多いが,日本では山地から河川に粗粒物質が多量に供給されるため,掃流土砂に関する知見がより多く得られている.日本の河川にみられる掃流土砂は,主に急傾斜地における斜面侵食によって供給される.このため,掃流土砂の量は標高と起伏が大きくなるほど増加することが知られている.しかし,日本の大河川流域において,浮流土砂濃度の空間分布を検討した研究はほとんどなかった.このため,浮流土砂の分布を規定する要因は明らかにされていなかった.

 そこで本研究では,中部日本の主要8河川流域(阿賀野川,荒川,信濃川,多摩川,天竜川,利根川,那珂川,富士川)の460地点における浮流土砂濃度のデータを,地理情報システム(GIS)を用いて解析した.その結果に基づき,1978年から1998年における浮流土砂濃度の時空間変動を抽出し,浮流土砂濃度を規定する要因を検討した.8つの流域は,東京付近の都市域を含む低〜中起伏の流域(荒川,多摩川,利根川),中部山岳地域の大起伏山地に発する人口密度が相対的に低い流域(信濃川,天竜川,富士川),人口密度が低い中起伏の流域(阿賀野川,那珂川)の3タイプに区分される.したがって,研究対象地域は自然環境・人文環境の両方の面で多様性に富んでおり,さまざまな要因の効果を検討することが可能である.

 本研究では政府関係機関が整備したデータを活用した.浮流土砂量のデータとともに,流量データ,地形データ,地質データ,土地利用データ,および人口密度のデータを統合したデータベースを,GISを用いて構築した.これらのデータは,最近になって電子ファイルの形で入手可能になったものが多く,その総合的なデータベース化と解析は,これまでほとんど行われていなかった.また,デジタル標高モデルとGISソフトウエアを用いて,調査地域の水系網を抽出するとともに,浮流土砂濃度の各計測地点の上流域を表すポリゴン・データを作成した.このポリゴンとGISを用いて,平均勾配,土地利用構成比率,平均人口密度といった流域の特性を表す指標を,460流域について算出した.また,同様の指標を,上流域のうち観測地点の近隣域(半径20km以内)について算出した.

 次に,各観測地点における浮流土砂濃度の長期的な平均値を計算し,その結果を地図上にプロットした.作成された地図によると,浮流土砂濃度は低地の都市域で高く,山地で低くなる傾向が認められる.また,平均勾配,土地利用構成比率,平均人口密度といった流域および近隣域の基本的特性と,浮遊土砂濃度との関係を調べた.その結果,浮流土砂濃度は標高および勾配と負の相関を持つことが判明した.この結果は,既存研究で明らかにされている日本の掃流土砂量と地形との関係とは大きく異なっており,自然の作用による侵食の強度は,浮流土砂量の濃度を規定する主要因ではないことを意味する.一方,浮流土砂濃度は居住的土地利用と農業的土地利用の比率,および人口密度と正の相関を持つ.したがって,調査地域の浮流土砂の主要な供給源は,都市における工業排水や家庭排水,および農業や土木工事にともなう土地の攪乱といった人為作用と考えられる.ただし,荒川,多摩川,利根川などの都市化が進んだ流域において,居住的な土地利用の比率や人口密度が非常に大きい場合には,これらの指標と浮流土砂濃度との正の相関が不明瞭になる.これは,都市化が非常に進むと農地が減少する効果を反映していると思われ,浮流土砂の供給に農地が最も寄与していることを示唆している.

 上記のように浮流土砂濃度を規定する主要因は人為的作用であるが,自然の作用の影響もある程度認められる.たとえば,武蔵野台地のような大規模な更新世段丘の縁辺部では,浮流土砂濃度がやや低下する傾向が見られる.これは清浄な地下水の供給に起因すると考えられる.また,最も傾斜が大きい富士川と天竜川の流域では,南アルプスなどからの自然の土砂供給が浮流土砂濃度の供給に比較的強く寄与しているためか,人為的要素と浮流土砂濃度との関連が他の流域よりも不明瞭である.また,信濃川の中〜下流域で浮流土砂濃度が高い一因として,粘土分に富む第三紀層からの細流物質の供給が推定された.

 浮流土砂濃度に対する人為作用の影響を詳しく論じるために,近年の都市化と浮流土砂濃度との関係を検討した.この際には,年次による流量変化の影響を考慮するために,57ヶ所の流量観測地点のデータと,それに隣接した浮流土砂量の観測地点のデータを分析した.57地点における解析によると,浮流土砂量は流量と正の相関を持つ.そこで,浮流土砂量の継時変化と流量の継時変化を共に解析して流量の変化に依存しない浮流土砂量の変化を抽出し,それを土砂供給の変化の指標とした.大半の地点では,1970年代末期以降に流量はほぼ一定であるにも関わらず,浮遊土砂量が時間とともに減少する傾向が認められた.これは,1970年代以降における農地の減少,水質汚濁防止法の施行に伴う工業汚水の排出の減少,および河川改修などの侵食防止策による土砂供給の減少を反映すると考えられる.一方,約四分の一の地点では,1970年代末期以降に土砂供給量の増加もしくは維持があったと推定される.

 上記の差異が生じた原因を調べるために,流域の土地条件のうち,唯一異なった時期のデータが全域で入手可能な人口密度に注目した検討を行った.上記の57地点の上流域および近隣域における1980年〜1995年の人口密度の増加率を算出し,上記の土砂供給の時間変化との関係を調べたところ,人口密度の増加率が低いと土砂供給が減少したと思われる事例が多く,人口密度の増加率が高いと土砂供給が維持もしくは増加したと思われる事例が多いことが判明した.したがって,上流域において人口が急増した場所では,土木工事や汚水の排出といった人為活動により,新規に供給される土砂が増加し,その結果,農地の減少,水質汚濁防止法の施行,および河川改修などの影響による浮流土砂量の減少が不明瞭になったと判断される.また,きわめて大規模な土地改変が行われた多摩ニュータウンの下流部では,土地改変時に多かった土砂供給が,その後の裸地の減少に伴って減少する傾向が抽出された.

 本研究の結果は,先進国における人間活動が,浮流土砂濃度の時空間分布に複雑な影響を与えることを示している.すなわち,隣接した流域を取り上げているにも関わらず,浮遊土砂濃度の時空間分布に多様なパターンが認められた.このような多様性は,流域の保全を目的とする水質管理や侵食防止策の普及といった浮遊土砂濃度を減少させる効果と,人為活動の増加といった浮遊土砂濃度を増加させる効果のバランスを反映している.したがって,浮遊土砂に関する研究では,観測地点や流域の特性を十分に考慮することが必要であり,このような検討を行わずに,広域に関する単純な結論を導くことは不適切といえる.

 本研究では,これまで総合的な解析がほとんど行われていなかった日本の浮流土砂に関するデータを解析し,流域特性との関係を検討した.この際にはGISを活用し,効率的なデータの整理と解析を可能にした.本研究では,類似の既存研究がほとんどないことを考慮し,研究の第一段階として,一般的傾向の把握に重点を置いた.本研究で行った試みは,今後より詳細な検討を進めていくための重要なステップになると考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

 河川による土砂運搬は、地形学・堆積学・水文学などの主要な研究課題である。諸外国では浮流土砂に関する研究が多いが、日本では山地から河川に粗粒物質が多量に供給されるため、掃流土砂に関する知見が多く得られている。日本の掃流土砂は、主に急傾斜地での斜面侵食により供給され、標高と起伏が大きくなるほど増加する。しかし、日本の大河川流域において浮流土砂濃度の分布を検討した研究は、これまでほとんどなかった。このため、浮流土砂の分布を規定する要因は不明であった。

 本研究は7つの章からなる。第1章では従来の研究のレビューが、第2章では、研究対象地域の記載があり、第3章では、地理情報システム(GIS)を用いたデータ整理手法が述べられる。具体的には、中部日本の主要8河川流域(阿賀野川・荒川・信濃川・多摩川・天竜川・利根川・那珂川・富士川)の460地点における1978〜98年の浮流土砂濃度のデータを対象に、浮流土砂濃度の時空間変動を抽出し、それを規定する要因を検討した。この際、浮流土砂濃度、流量、地形、地質、土地利用、および人口密度のデータを統合したデータベースを構築したほか、デジタル標高モデルとGISを用いて、浮流土砂濃度の各計測地点の上流域を表すポリゴン・データを作成し、平均勾配、土地利用構成比率、平均人口密度などの流域の特性を表す指標を算出した。また、同様の指標を、上流域のうち観測地点の近隣域(半径20km以内)についても算出し、上流域全体との比較検討も行った。

 第4章では、各観測地点における浮流土砂濃度の長期的な平均値を計算し、その結果を地図上にプロットしたところ、浮流土砂濃度は低地の都市域で高く、山地で低くなる傾向が認められた。また、第5章では、流域および近隣域の基本的特性と浮遊土砂濃度との関係を調べたところ、浮流土砂濃度は標高および勾配と負の相関を持ち、居住的土地利用と農業的土地利用の比率や人口密度とは正の相関を持つことが判明した。したがって、調査地域の浮流土砂の主要な供給源は、自然の侵食によるものではなく、都市における工業排水や家庭排水、および農業や土木工事にともなう土地の攪乱といった人為作用と考えられた。一方、自然の作用の影響もある程度は認められた。たとえば大規模な更新世段丘の縁辺部では、清浄な地下水の供給により浮流土砂濃度が低下していた。また、非常に傾斜が大きい流域では、自然の土砂供給の影響のために、人為的要素と浮流土砂濃度との関連が不明瞭になった。さらに、粘土分に富む第三紀層からの細流物質の供給も浮流土砂の増加に寄与していることが認められた。

 次に、第6章では、近年の都市化と浮流土砂濃度変化との関係を検討した。約四分の三の地点では、1970年代末期以降に流量はほぼ一定であったが、浮遊土砂量は時間とともに減少していた。これは、農地の減少、水質汚濁防止法の施行に伴う工業汚水の排出の減少、および河川改修などの侵食防止策による土砂供給の減少を反映したものと考えられる。一方、約四分の一の地点では、1970年代末期以降に土砂供給量の増加もしくは維持があった。このような差異の原因を調べるために、流域の土地条件のうち、異なった時期のデータが全域で入手可能な人口密度を用いた検討を行った。その結果、観測地点の上流域および近隣域における人口密度の増加率が低いと土砂供給が減少し、人口密度の増加率が高いと土砂供給が維持もしくは増加する傾向があった。したがって、上流域において人口が急増した場所では、土木工事や汚水の排出などにより新規に供給される土砂が増加し、他の流域で一般的にみられる浮流土砂量の減少傾向が不明瞭になったものと考えられた。また、大規模な土地改変が行われた多摩ニュータウンの下流部では、土地改変時に多かった土砂供給が、その後の裸地の減少に伴って減少する傾向が抽出された。最後の第7章には研究のまとめがなされた。

 以上のように本研究では、これまで総合的な解析がほとんど行われていなかった日本の浮流土砂に関するデータをGISによって総合的に解析し、流域の諸特性との関係を検討して重要な新知見を得ており、地球表層部の環境変化に関する地理情報学的研究として高く評価される。以上から、本論文は博士(理学)の授与に値すると判断される。

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