学位論文要旨



No 117589
著者(漢字) 篠原,直貴
著者(英字)
著者(カナ) シノハラ,ナオキ
標題(和) ファージディスプレイサブトラクション法により単離した抗細胞壁抗体を用いた木部細胞分化過程の解析
標題(洋) Analysis of xylem cell differentiation using anti-cell wall antibodies isolated by phage display subtraction
報告番号 117589
報告番号 甲17589
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4253号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福田,裕穂
 東京大学 教授 米田,好文
 東京大学 助教授 杉山,宗隆
 東京大学 助教授 ��橋,陽介
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
内容要旨 要旨を表示する

(序)

 植物の細胞分化は、常に細胞壁に囲まれた状態で進行する。そして、花粉と柱頭間の認識には柱頭から分泌される低メチル化ペクチンが必須であるという実験結果や、茎頂に局所的にエクスパンシンを添加すると葉が形成されるという実験結果は、断片的であるものの、細胞壁の変化が植物細胞の分化を制御しうることを物語っている。このような観点から、分化に伴った細胞壁の変化を調べることは植物の細胞分化の重要な研究課題である。

 しかし、細胞壁成分の多くは、複数の遺伝子産物が働いて作られる多糖やフェノール性物質からなるため、従来行われてきた遺伝子のクローニングを初めとする分子遺伝学的な手法では均一の分子構造を持つ細胞壁成分を多量に得ることはできず、抽出と精製に基づく生化学的な手法では組織・細胞レベルでの細胞壁成分の変化を捉えられない。その点、モノクローナル抗体は、立体構造によってのみ分子を識別するため、特定の構造分子を選択的に単離・精製することを可能にし、さらに、組織・細胞レベルの情報を得るプローブになる。

 そこで、本研究では、木部分化を解析するツールを得るために、維管束分化のモデル実験系であるヒャクニチソウ培養細胞の細胞壁の抗原として、ファージ抗体ライブラリーを作製し、このライブラリーを分化状態の異なる二つの細胞壁でサブトラクションすることにより、分化特異的細胞壁成分を認識するモノクローナル抗体を単離することにした。修士課程では、このファージディスプレイサブトラクション法により、管状要素分化に伴って出現する細胞壁成分の抗体(CN8)の単離に成功した。そこで、博士課程では、より多くの抗体を得る目的で抗体の選抜過程のモニタリングを行い、このファージディスプレイサブトラクション法を改良した。そして、この過程で、分化特異的細胞壁成分を認識する抗体を新たに二種(XD3, XD27)単離することに成功した。これらのモノクローナル抗体を用いて、ヒャクニチソウ培養細胞・植物体でのエピトープの局在を調べるとともに、抗原分子の特徴付けを行った。そして、木部分化過程に関連して起こる現象、即ち、1)未分化な道管細胞における極性の存在、2)ヒャクニチソウ細胞培養系における木部柔細胞の分化を新たに見出した。

(結果と考察)

<ファージディスプレイサブトラクション法選抜過程のモニタリング>

 一般に、ファージ抗体法では、作製したファージ抗体ライブラリーの中から、目的の結合性を持ったファージ抗体をアフィニティー精製により選抜し、大腸菌に感染させて増幅する。この行程をパニングサイクルと呼び、繰り返すことで目的のファージ抗体をライブラリー中に濃縮していく。本研究では、管状要素分化を誘導したヒャクニチソウ培養細胞と分化を誘導しない対照区の培養細胞からそれぞれ細胞壁(以下、分化誘導細胞壁と対照細胞壁と呼ぶ)を調製し、対照細胞壁で分化に関与しないファージ抗体を取り除き、更にそこから分化誘導細胞壁を用いて分化特異的なファージ抗体を選抜するパニングサイクルを繰り返した(図1,2)。そして、ファージ抗体の濃縮率の増加が頭打ちになっているパニングサイクル3回目と4回目のライブラリーから無作為に約90個のファージ抗体を拾い上げ、抗体遺伝子の増幅DNA断片の制限酵素多型によるクローン分けを行った(図3A左)。また、各クローンのファージ抗体の分化誘導細胞壁と対照細胞壁に対する結合性をELISAで調べ(図3A右)、各クローンの抗体遺伝子の塩基配列を決定した。その結果、1)ほぼ同じ抗体遺伝子を持ち(図4)、分化誘導細胞壁に多く存在する同一のエピトープを認識していると予想されるクローン群(図3のクローン#1-7,#9)が、パニングサイクル3回目のライブラリーでは74%を占めており、4回目では99%にも達すること、2)分化特異的であるにもかかわらず、パニングサイクル4回目では約90個の中に含まれてこなかったクローン(図3のクローン#27)が存在することが明らかになった。このことから、パニングサイクルには目的のファージ抗体を濃縮するという作用の他に、ドミナントなエピトープに対するファージ抗体を優先的に増幅し、目的の特異性を持っていても稀にしか存在しないエピトープに対するファージ抗体を選抜し難くする作用があることが解った。このことは、ファージディスプレイサブトラクション法で未精製の抗原を用いて多様な抗体を選抜する場合、パニングサイクルの回数を最小限に抑えることが重要であることを示している。

 また、パニングサイクル3回目と4回目のライブラリーいずれにも、非サプレス終止変異や-1フレームシフト変異を抗体遺伝子配列中に持つクローンが含まれていた(図3B)。ファージディスプレイ法を用いた他の実験でもやはり非サプレス終止変異や-1フレームシフト変異を持ったクローンが得られる現象が報告されていることを併せて考え、コドン表に従った従来の翻訳機構では説明できない翻訳機構(noncanonical translation mechanisms)がこれらクローンの変異のリードスルーに寄与する可能性について検討した。その結果、変異を持つこれらクローンの少なくとも一部は、単に非特異的な結合で選抜されたものではなく、トリプトファニルtRNAのゆらぎやリボソームホッピングなどのnoncanonical translation mechanismsによりリードスルーされて翻訳された抗体により選抜されたものであることが解った。このことから、ファージディスプレイ抗体法を用いる場合には、変異クローンを予め選抜過程で解析の対象から外すか、変異を正常な読み枠に戻す回復変異を導入することが目的の抗体を効率よく得る方法であることが示唆された。

 このモニタリングの過程で、ドミナントなエピトープを認識するクローン群の代表として#3を、稀にしか存在しないエピトープを認識するクローンとして#27を選抜した。そして、これらのクローンから調製したモノクローナル抗体をXylem Differentiationに因んで、それぞれXD3, XD27と命名した。

<モノクローナル抗体の抗原分子解析>

 培養時間を追って固定したヒャクニチソウ培養細胞を抗原として、ELISAによりXD3, XD27エピトープの変動を調べた。どちらのエピトープも、これまでに単離していたCN8と同様、対照条件の培養細胞では目立ったエピトープの増加は見られず、分化誘導条件の培養細胞でのみ増加した(図5)。このことから、どちらの抗体も分化に伴って増加する成分を認識していることが解り、分化特異的細胞壁成分を認識する抗体を新たに二種単離することに成功したことが示された。そして、ここで用いたファージディスプレイサブトラクション法の妥当性が改めて明らかとなった。

 そこで次に、細胞壁の段階的可溶化によって抗原の特徴付けを試みた。その結果、CN8抗原は、CDTAでは可溶化せず4%KOHで可溶化することから、ヘミセルロース画分に含まれることが解った(図6)。CN8抗原は、アルカリ抽出後、中和すると不溶性になった。この不溶性画分は、しばしばアラビノガラクタンタンパク質(AGPs)を多く含むので、この画分をSDS-PAGEで分離後イムノブロット解析を行った結果、ヤリブ試薬で染色されるAGPsとよく似たバンドパターンを示した。CN8抗体重鎖遺伝子は、(1→6)-β-D-ガラクタンを認識する抗体重鎖遺伝子と高い相同性を持つことが解っており、このことを併せて、CN8はある種のAGPsの糖鎖を認識していると予想された。

 XD3抗原は、CDTAで可溶化するペクチン性画分に存在していた(図7A)。そして、この画分中のエピトープは過ヨウ素の濃度依存的に減少することから、XD3エピトープは糖鎖であることが明らかになった。そこで、XD3の既存のペクチン性多糖類に対する反応性を調べた結果、ジャガイモ塊茎由来のガラクタンを特に強く認識し(図7B)、このガラクタン中のエピトープはエンド型(1→4)-β-D-ガラクタナーゼ処理により減少した(図7C)。この結果から、XD3エピトープはラムノガラクツロナン1の側鎖を形成する(1→4)-β-D-ガラクタンであることが明らかになった。

 XD27抗原は、熱水で可溶化する成分であることが解った(図8)。この抗原は、過ヨウ素酸酸化やプロナーゼでは破壊されないが、pH3以下の酸で破壊されることも明らかになった。

<モノクローナル抗体による免疫局在解析>

 免疫局在解析を行うに当たり、発色基質を蛍光基質に変え、二次抗体・三次抗体の最適化を図った結果、修士課程で行ったCN8の解析結果より詳細な情報が得られるようになった。そこで、XD3, XD27についてもこの条件で免疫局在解析を行った(図9-12)。

 ヒャクニチソウ培養細胞においてCN8, XD3エピトープは互いによく似た局在パターンを示した。即ち、どちらのエピトープも管状要素分化に先立って細胞長軸の先端に局在し(図9B;図10B)、二次壁肥厚がやや見える未成熟な管状要素にも細胞極性を示して局在した(図9C;図10C)。しかし、成熟が進んだ管状要素ではこれらのエピトープは局在していなかった(図9D;図10C, D)。細胞長軸の片側で見られた両エピトープの未成熟な管状要素における局在様式は、植物体でも観察された(図9E,F;図10E,F)。このことから、管状要素分化過程において、CN8, XD3エピトープは未成熟な管状要素に細胞極性を示して局在することが明らかになった。CN8, XD3抗原が互いに異なる細胞壁成分であることを考慮すると、管状要素は分化の早い段階で極性を持って細胞壁を形成すると考えられた。また、管状要素では、成熟に伴って構造的な変化が確認できるほどの一次壁分解が起きることが確かめられていることから、CN8, XD3エピトープは、管状要素の一次壁分解に伴って消失することが示唆された。またCN8, XD3は、組織レベルで未成熟な管状要素以外に木部柔細胞を認識し、培養系においても管状要素以外に培養時間72時間目頃から顕在化する細胞集団を認識することが解った(図9D,E;図10D,E)。培養系において、管状要素の二次壁は細胞内容物を全て失った後もリグニン化を続け、このリグニン化の進行は培地を交換しても起きることがこれまでに明らかになっている。このことは、培養系でリグニン前駆体を供給する細胞が分化していることを意味する。また、植物体においてリグニン前駆体は木部柔細胞から供給されると考えられている。これらの事実を含めて、CN8, XD3が認識した管状要素以外の細胞集団は、培養細胞系で分化した木部柔細胞であると考えられた。従って、ヒャクニチソウ管状要素分化系において、管状要素と木部柔細胞の協調的な分化が起きていることが強く示唆された。

 XD27は、培養細胞・植物体いずれでも管状要素の二次壁のみを認識した(図11,12)。このエピトープは、二次壁がリグニン化するとともに検出されなくなることから、管状要素の二次壁形成初期でのみ機能していることが示唆された。

(まとめと展望)

1)細胞壁を用いたファージディスプレイサブトラクション法のモニタリングを行い、選抜過程へのnoncanonical translation mechanismsの関与を示すとともに、パニングサイクルの回数を最小限に抑えることが多様な抗体選抜のために重要であることを見出した。

2)ファージディスプレイサブトラクション法を用い、新たに分化特異的細胞壁成分を認識する抗体を二種(XD3, XD27)単離した。

3)単離したCN8, XD3, XD27の抗原解析及び免疫局在解析を行い、表1及び図13の結果を得た。

 3-1)CN8, XD3, XD27の抗原解析を行い、XD3は(1→4)-β-D-ガラクタンを認識することが明らかになった。

 3-2)管状要素は分化の早い段階で細胞壁に極性を生じることが明らかになった。

 3-3)ヒャクニチソウ管状要素分化系において、管状要素と木部柔細胞の協調的な分化が起きていることが強く示唆された。

 今後は、モニタリングの結果明らかになったファージディスプレイサブトラクション法を用いて、更に維管束分化を識別する多様な抗体単離を行う。そして、植物の細胞分化の典型としての維管束分化において、細胞壁の変化がどのように起こり、どのように影響するのか、一つの分子ではなく複数の分子を通して理解を図りたいと考えている。また、これまで得られた抗体については、抗原分子の特定を更に進め、抗原分子の木部分化における機能について調べる。XD3のエピトープであることが解った(1→4)-β-D-ガラクタンは、細胞壁を強固にする性質を持つことや、エチレン生成を促すガラクトースシグナリングの情報源として働くことがこれまでに知られているので、これらの力学的・生理学的役割が管状要素分化や木部柔細胞の分化にどのように寄与しているのか解析する。そして、その他の抗原の解析結果とも併せて、未成熟な管状要素の細胞壁で形成される極性が、何を反映し、何に寄与するものかといった問いの答えを見出そうと考えている。

図1.(A)ファージ抗体の構造。

抗体遺伝子をコードするファージミドをパッケージングしたファージ粒子の表面に、遺伝子と対応した抗体タンパク質が提示されている。(B)サブトラクションの過程を含む、細胞壁を用いたパニングサイクルの実験手順。

図2.パニングサイクルによるファージ抗体の濃縮。

選抜に用いたファージ抗体数に対する選抜されたファージ抗体数の比を各サイクル回毎に示している。初回のパニングサイクルは、後のパニングサイクルより低いストリンジェンシーで行った。

図3.選抜したファージ抗体ライブラリー中のクローンの解析。

(A左)パニングサイクル三回目と四回目のライブラリーに含まれていたそれぞれ93個と94個のファージ抗体中のクローンを出現頻度順に並べた。(A右)モノクローナルファージ抗体の分化誘導細胞壁及び対照細胞壁への結合性をELISAにより確認した。(-)は、ファージ抗体の代わりにM13ファージを用いた陰性対照区。(B)抗体遺伝子中の終止変異とフレームシフト変異。各抗体遺伝子の塩基配列決定は、独立したPCRで増幅したDNAを鋳型として3',5'両端から二回行った。オーカーはUAA、アンバーはUAG、オパールはUGAによりコードされる終止変異を示す。-1は、一塩基の欠失を示す。*クローン#19の重鎖遺伝子は、169塩基対と他のものに比べ著しく短く、プライマーアニーリング部位を除いて既知の抗体重鎖遺伝子と相同性を持たない。

図4.互いに高い相同性を持ったクローン群の抗体タンパク質の推定アミノ酸配列。

点は、クローン#1と同じアミノ酸配列であることを示す。(●)はアンバー終止変異を、(■)はオパール終止変異を示す。アミノ酸配列の番号及び相補性決定領域(CDR)は、Kabatのデーターベースに従った。

図6.CN8抗原細胞壁成分の可溶化。

2MCaCl2,50mMCDTA,4%KOH,24%KOHで順を追って培養後72時間目の分化誘導細胞壁を処理し、可溶化した成分をニトロセルロース膜上にブロットしてCN8を用いて検出した(Shinohara et al.,2000)。

図5.ファージディスプレイサブトラクション法により単離した三種類のモノクローナル抗体エピトープのヒャクニチソウ培養細胞表面における変動。

分化誘導条件(●)と非誘導条件(○)で培養した細胞を時間を追って回収・固定し、これを抗原として各抗体を用いてELISAを行った。抗体間で最適反応条件が異なっており、この条件に応じて実験を行っているので、各抗体間でのエピトープ量に相対性は無い。各点は三つの試料の平均、付随する縦線は標準偏差を示している。

図7.XD3抗原細胞壁成分の可溶化及びエピトープ解析。

(A)培養後72時間目の分化誘導細胞壁を50mMCDTAで二回処理し、可溶化した成分を抗原として用いた。(B)多糖標品を抗原として用いた。(C)(1→4)-β-D-ガラクタナーゼで処理したジャガイモ由来ガラクタンを抗原として用いた。各抗原はいずれもELISAにより検出した。各値は三つの試料の平均、付随する縦線は標準偏差を示している。

図8.XD27抗原細胞壁成分の可溶化。

培養後72時間目の分化誘導細胞壁に水を加えて15分間湯煎し、可溶化した成分を抗原としてELISAにより検出した。

図9.分化誘導条件のヒャクニチソウ培養細胞(A-D)と播種後14日目実生の茎頂付近(E,F)におけるCN8エピトープの局在。

疑似的に赤色で示した光学顕微鏡写真に、CN8エピトープの局在を示す緑色蛍光を重ねた。(A)培養30時間目(B)培養42時間目(C,D)培養72時間目の細胞。(E)第一本葉主脈の横断切片(F)第二本葉主脈の縦断切片。D中の矢じりは非管状要素で且つCN8陽性の細胞を示している。E中の矢じりは木部柔細胞を、矢印は未成熟な管状要素を示している。F中の矢印は未成熟な管状要素の細胞長軸の片側に局在しているCN8エピトープを示している。A-D中のバーは30μm、E,F中のバーは50μm(Shinohara et al.,2000)。

図10.分化誘導条件のヒャクニチソウ培養細胞(A-D)と播種後14日目実生の茎頂付近(E,F)におけるXD3エピトープの局在。

疑似的に赤色で示した光学顕微鏡写真に、XD3エピトープの局在を示す緑色蛍光を重ねた。(A)培養24時間目(B,C)培養48時間目(D)培養96時間目の細胞。(E)第一本葉主脈の横断切片(F)第一本葉主脈の縦断切片。C,D中の矢尻は非管状要素で且つXD3陽性の細胞を示している。E中の小さな矢じりは木部柔細胞を、大きな矢尻は未成熟な管状要素を、小さな矢印は師部繊維を、大きな矢印は厚角組織を示している。F中の矢じりは未成熟な管状要素の細胞長軸の片側に局在しているXD3エピトープを示している。バーは何れも30μm。

図11.分化誘導条件で72時間培養したヒャクニチソウ葉肉細胞の切片におけるXD3(A)及びXD27(B)エピトープの局在。

光学顕微鏡で観察した写真。青色は各エピトープの局在を示し、赤色はサフラニンの対比染色によるもの。XD3エピトープは矢印が示す一次壁を、XD27エピトープは矢じりが示す二次壁に局在している。バーは20μm。

図12.14日目実生の茎頂付近におけるXD27エピトープの局在。

第一本葉主脈の横断切片をサフラニンで染色した試料の光学顕微鏡写真(A)、及び、疑似的に赤色で示した光学顕微鏡写真にXD27エピトープの局在を示す緑色蛍光を重ねたもの(B)。二つの写真は、同じ視野を示している。図中の矢印は管状要素のリグニン化した二次壁、矢じりはリグニン化する前の二次壁を示している。バーは50μm。

表1.単離した抗体の局在及び抗原。

図13.ヒャクニチソウ管状要素分化系における細胞分化過程と分化抗原の関係。

下線を付したイベントは予想しているものも含め本研究で見出されてきたもの。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章からなり、第1章では、木部細胞特異的モノクローナル抗体の網羅的単離を目指して、ファージディスプレイサブトラクション法のスクリーニング過程をモニタリングした結果が述べられており、第2章では、単離した3種類の木部分化特異的抗細胞壁モノクローナル抗体を用いて行った、木部分化過程の解析と抗原の特徴付けが述べられている。

 細胞壁は、植物を特徴づける構造であり、細胞の分化状態に合わせて変化する。近年の研究から、細胞壁の変化は、分化の結果であるだけでなく原因となりうる例も断片的ながら報告されるようになった。この点で細胞壁の変化を見出すことは、細胞分化を制御する機構を解明する上で、重要な足がかりになると考えられる。しかし、細胞壁成分の多くは、複数の遺伝子産物が働いて作られる多糖やフェノール性物質からなるため、従来行われてきた遺伝子のクローニングを初めとする分子遺伝学的な手法では均一の分子構造を持つ細胞壁成分を多量に得ることはできず、抽出と精製に基づく生化学的な手法では組織・細胞レベルでの細胞壁成分の変化を捉えられない。その点、モノクローナル抗体は、立体構造によってのみ分子を識別するため、特定の構造分子を選択的に単離・精製することを可能にし、さらに、組織・細胞レベルの情報を得るプローブになる。そこで、論文提出者は修士課程から一貫して、維管束分化のモデル実験系であるヒャクニチソウ培養細胞を用い、分化特異的な抗細胞壁抗体の単離とそれを用いた分化過程の解析を行ってきた。修士課程では、未成熟な管状要素を多く含む培養細胞の細胞壁を抗原として、ファージ抗体ライブラリーの作製ができること、そして、このライブラリーを分化状態の異なる二つの細胞壁でサブトラクションすることにより、木部分化特異的細胞壁成分を認識するモノクローナル抗体を単離できるという予備的な結果を得た。そこで、博士論文では、より多くの抗体を得る目的で抗体の選抜過程のモニタリングを行い、このファージディスプレイサブトラクション法を改良した。そして、この過程で、分化特異的細胞壁成分を認識する抗体を最終的に3種(CN8, XD3, XD27)単離することに成功した。そして、これらのモノクローナル抗体を用いて、抗原分子の特徴付けを行うとともに、ヒャクニチソウ培養細胞・植物体でのエピトープの局在及び木部分化との関連を解析した。

 まず、第1章では、ファージディスプレイサブトラクション法のスクリーニング過程をモニタリングし、ドミナントなエピトープに対するファージ抗体がスクリーニングを繰り返すことで著しく増加することを見い出した。そして、目的の特異性を持っていても稀にしかぞんざいしないエピトープに対するファージ抗体は、スクリーニングを繰り返すことで失われやすくなることが明らかとなった。また、スクリーニングの過程では、通常の翻訳様式に従わないnon-canonical translational mechanismがはたらき、非サプレス終止変異やフレームシフト変異を抗体遺伝子配列中に含むファージ抗体が選抜されてくることが解り、そのようなクローンを排除するようなスクリーニングを行うことが重要であることが解った。これらの結果から、これまで難しかった多様な分化特異的モノクローナル抗体の単離を短期間のうちに達成できる糸口が見い出せた。そして最終的に、木部分化特異的なモノクローナル抗体3種(CN8, XD3, XD27)を単離することに成功した。

 第2章では、まず、得られた3つの抗体(CN8, XD3, XD27)の抗原の特徴付けを行った。その結果、CN8はアラビノガラクタンタンパク質の糖鎖部分を認識していることが示唆された。また、XD3抗原は、ペクチン性多糖であり、そのエピトープは、ラムノガラクツロナン1の側鎖の(1→4)-β-D-ガラクタンであることが明らかとなった。XD27は、熱水で抽出される成分であり、糖鎖を分解する反応や、プロテアーゼでは分解されないものの、酸性条件にさらすと抗原性が失われることが明らかになった。続いて、これらの抗体を用いて、ヒャクニチソウ培養細胞及び植物体を用いて免疫局在解析を行った。これらの抗体は、いずれも木部細胞を認識し、特に未成熟な分化段階にある管状要素を認識していることが明らかになった。未分化な管状要素細胞壁を特異的に認識する抗体はこれまでほとんどなく、有効な抗体の単離に成功した点で高く評価される。続いて、培養細胞と植物体の免疫局在解析の結果を比較した。XD27は管状要素の未成熟な二次細胞壁に特異的に局在し、成熟すると消失するユニークな二次細胞壁特異的な分子を認識することが明らかとなった。CN8, XD3どちらのエピトープも管状要素分化に先立って細胞長軸の先端に局在し、その後次第に拡がった。この局在様式は植物体でも観察された。このことから、管状要素分化過程において、CN8, XD3どちらのエピトープも未成熟な管状要素に細胞極性を示して局在することが明らかになった。この結果は、管状要素分化の細胞壁形成初期において、その形成が極性をもって行われることを初めて示したもので、世界の注目を集めた。また、細胞レベルの詳細な解析から、CN8とXD3は、組織レベルで未成熟な管状要素以外に木部柔細胞を認識し、培養系においても管状要素以外に培養時間72時間目頃から顕在化する細胞集団を認識することが示された。この結果は、培養系において木部柔細胞が分化していることを強く示唆し、これまで予想されていた単細胞培養系において複数の木部細胞が分化しているという仮説を裏づける有力な証拠となった。

 以上ここで得られた結果の多くは新知見であり、いずれもこの分野の研究の進展に重要な示唆を与えるものであり、かつ本人が自立して研究活動を行うのに十分な高度の研究能力と学識を有することを示すものである。よって、篠原直貴提出の論文は博士(理学)の学位論文として合格と認める。

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