学位論文要旨



No 117607
著者(漢字) トラン ティ ビエット ンガ
著者(英字) Tran Thi Viet Nga
著者(カナ) トラン ティ ビエット ンガ
標題(和) ハノイ市における地下水汚染と水供給への影響に関する研究
標題(洋) GROUNDWATER CONTAMINATION AND ITS EFFECT ON WATER SUPPLY IN HANOI CITY
報告番号 117607
報告番号 甲17607
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5324号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 助教授 登坂,博行
 東京大学 教授 矢木,修身
 東京大学 助教授 福士,謙介
 東京大学 講師 片山,浩之
内容要旨 要旨を表示する

 地表水中に含まれる濁質や細菌は地層によってろ過されるため、地下水は、清澄で安全な水道水源として、古代より有用な水資源であった。しかしながら、肥料や農薬の使用量の増大により、1970年代には地下水中から硝酸性窒素や農薬が検出され、地下水汚染の問題が明らかとなった。また、1980年代には有機塩素溶剤や燃料による地下水汚染が重大な問題となり、数々の浄化対策が開発され、現場への応用が進められている。1990年代に入ると、バングラデシュ、インドにおける砒素汚染問題の報告を契機として、砒素を初めとする地層由来の地下水汚染が認識されるようになった。このような自然由来の地下水汚染は汚染源の制御が不可能であるだけに、人為的な汚染よりも対策が困難である。自然由来の地下水汚染物質のうち、毒性、濃度、浄水工程における除去の困難さなどから、最も重要と考えられているのは、アンモニアに代表される窒素化合物と、砒素である。自然の地層由来の地下水汚染に対して有効な対策を見出すには、汚染物質の発生源、地下水への溶出メカニズム、地下水中での移動機構などを理解する必要がある。

 ハノイ市では、19世紀末から水道施設の建設が進められ、現在の水道施設は1980年代末に整備されたものである。1996年現在、給水人口150万人に対して、日量45万m3の水道水を供給し、水源は全量地下水である。市内には8つの主要な浄水場と地下水井戸地帯があり、供給水量の約8割をまかなっている。残りは、小規模な井戸と給水施設で構成されている。地下水水質はおおむね良好とされていたが、南部の地下水からは高濃度のアンモニア性窒素(19.7mg/L)、総鉄(11.4mg/L)、砒素(240-320μg/L)が検出されたという報告があった。しかしながら、報告されている汚染濃度は一致しておらず、また、今のところ砒素中毒症の患者も見出されていないなど、正確な現状の把握が十分に進んでいるとは言いがたい。

 本研究の目的は、1)ハノイ市の水道水源としての地下水水質を正確に把握し、問題点を明らかにするとともに、水道供給への影響を評価する。2)地下水中の微量成分、特に微量金属元素を測定し、多変量解析と組み合わせることにより、地下水汚染源及び地下水汚染機構の推定を行う。3)さらに、地下水及び地質の分析と、地層からの汚染物質溶出試験を組み合わせることにより、砒素、アンモニア、有機物、鉄などによる地下水汚染機構を実験的に実証する、ことである。

 水試料は、2000年夏から2001年夏にかけて、雨季と乾季を含む時期に3回に渡って採敢した。採取箇所は、ハノイ市水道の全地下水水源および、ホン河の河川水、ハノイ市内の小河川水、及び個人の所有する浅井戸水約45地点であり、現地及び東京大学にて45の水質項目について分析した。分析の結果、高濃度の砒素(最大110μg/l)、鉄(最大32mg/l),DOC(最大12.6mg/L)及びNH4-N(最大29mg/l)が南部3箇所の地下水水源地帯(Phap Van,、Tuong Mai、Ha Dinh)で検出された。しかしながら、北西部3箇所(Mai Dich,Ngo Si Lien、Ngoc Ha)の水質は極めて良好であり、またホン河に沿った2箇所の地下水(Yen Phu及びLuong Yen)もそれについで良好な水質であった。南部の汚染地下水からは、多くの汚染物質が還元型で検出されており(例えばFe(II)(6-20mg/l)、As3+(30-90μg/l))、硫酸根(S042-)は検出されず、ORPは-100mV以下と低かった。これらのことから、地下水汚染は還元的な条件下で進んでいることが示唆された。また、高濃度の有機物(DOC、COD)、アンモニア、リン、炭酸塩が検出されたため、有機物の分解が推定された。従来の説では、還元的条件下での砒素の溶出は、鉄(Fe(III))の還元と関連付けられると考えられていたが、炭酸の放出量はNickson et al. (2000)らによって提案された式よりも多く、また、鉄と砒素、DOCと砒素、重炭酸と砒素などの個々の相関を調べたところ、鉄の還元以外にも、有機物の分解によって直接砒素が溶出している可能性が示唆された。汚染物質の季節による違いを比較したところ、砒素については雨期(8月)のサンプルの方が乾季(12月)のサンプルよりも高濃度であった。しかしながら、鉄及びアンモニアについては、顕著な違いが見られなかった。

 地下水水質に関して微量金属元素を含む45の水質パラメータを用いて多変量解析(主成分分析、クラスター分析)を行った。その結果、地下水水質に基づいて3つの地下水領域が同定された。これは、従来手法であるPiper Daigramなどから推定される結果と一致しており、より明確に地下水領域を確定できる利点があるとともに、水質指標相互の関連性を明示できることが示された。その結果、地下水中への塩類の溶解過程を示すものとして、Cd、Co、Mg、Mn及びSrが同定された。一方、嫌気的な条件下での地下水汚染を示す指標としては、As、B、Ba、Cr、Cs、Fe(II)、Mo、P、Pb、Rb、Ti、有機物、及びアンモニアが同定された。南部の地下水汚染地帯の水質データを用いて更に分析を進めたところ、地下水汚染を引き起こしているプロセスには、酸化鉄の還元と、有機物の分解の二つがあり、砒素はどちらのプロセスからも溶出する可能性があるが、P、B、Na、Cr、Mo、Cs、Pb、Ti及びRbは有機物の分解によってのみ溶出していることが示された。

 ハノイ市の地下水層は、完新世の地層からなる浅い地下水槽と、更新世の地層からなる比較的深い地下水槽からなっている。完新世の地層はピート層を多く含み、この地層では有機物の分解と炭化が進みつつあると考えられており、有機物中の全窒素のうち有機性窒素の割合が高い。一方、更新世の地層は比較的安定しており、有機物の炭化もかなり進んでいるため、全窒素のうちアンモニア性窒素の割合が高かった。南部の汚染地帯では、両方の地下水層を有しているが、北西部の良好な水質を有するMai Dichでは深い地下水層のみを有している。各地点ごとに鉄含有量の深さ別分布を調べてみると、どの地点においても、鉄の含有量に大きな違いはなく、30mg/gから40mg/gの含有量であった。例外的に40mg/g以上の鉄含有量を有する鉄は、ラテライトの結晶や酸化鉄の塊を含んでいた。それに対して、砒素含有量の分布は、土壌コアのサンプルにより大きな違いを見せた。深さ方向の砒素濃度分布と土壌中の有機物含有量の分布とを比較すると両者はほとんど一致しており、ピート層が砒素の供給源であることが示唆された。土壌中の砒素を連続抽出したところ、砒素を多量に含む成分は、非結晶性の酸化鉄、有機物、硫化物、及び、結晶性の鉄であった。このうち、容易に溶出する可能性のあるのは前二者である。

 回分式溶出試験を行ったところ、パイライトを多量に含む土壌を好気的な環境におくと、Fe(II)、S042-、及びH+が多量に溶出するが、砒素濃度の増加にはつながらないことが示された。一方、ピート成分を多量に含む土壌を嫌気的な条件におくと、Fe(II)とAs(III)濃度が上昇するとともに、硫酸還元反応によりSO42-濃度が減少した。砒素はFe(III)の還元により溶出する場合と、As(V)からの直接還元により溶出する場合、及び、有機物の分解に伴って溶出する場合が考えられるが、本研究では有機物の分解に伴う砒素溶出が最も重要なプロセスであることが示された。一方、嫌気条件下で硫酸還元反応に伴って生成する硫化物は、As2S3やFeSAsを形成して水中の砒素を除去する働きがあるため、水中のS042-濃度がゼロになった時点で、砒素濃度が最大となることが示された。これらの反応には、種々の微生物が重要な役割を担っており、電子供与体(酪酸)の添加により反応速度が上昇した。

 以上のように、ハノイ市の地下水の砒素汚染について、その現状と起源の調査、砒素溶出機構を明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、GROUNDWATER CONTAMINATION AND ITS EFFECT ON WATER SUPPLY IN HANOI CITY (ハノイ市における地下水汚染とその水供給への影響に関する研究)と題し、ハノイの上水水源である地下水の汚染について研究したものである。8章で構成されている。

 第1章では、ハノイ市において上水水源として地下水を利用していること、またハノイの地下水中には鉄、砒素、アンモニアが多く含まれていることを挙げ、住民の健康影響に関わる課題を明らかにしている。これまでの調査では砒素などが地下水に含まれている原因について明らかにされておらず、そのために地下水汚染に対する対策をたてることができない状況であることを示し、ハノイ市の地下水における砒素溶出のメカニズムについて調べることが本研究の目的であるとしている。

 第2章では、バングラデシュなどのアジア諸国における地下水の汚染に関する現状をまとめている。これまでの研究で明らかになっている砒素の溶出に関するメカニズムをまとめている。また、統計的な手法を用いた微量金属をマーカーとして用いる手法について調べ、地下水の流れに適用する手法についてまとめている。

 第3章では、本研究で対象としている地域、試料の採取方法、および実験方法について示している。地下水を水源としている浄水場、ホン河、および養殖池などの水試料、4箇所の浄水場の近くにおける土壌サンプルについて説明している。分析方法について、金属分析の手法などについて詳しく記述している。

 第4章ではハノイ市の水道水質について調べている。ハノイ市南部の浄水場では同北部の浄水場に比べて、アンモニア、有機物、鉄および砒素の濃度が高いことを示している。また、浄水工程における除去率や、その残留塩素の存在形態に与える影響について調査結果を示している。

 第5章では、水中微量金属の濃度プロファイルを多変量解析によって調べ、地下水の類型分けを行うと同時に水質パラメータの特徴について明らかにしている。特に、二価の鉄イオンと砒素の関係は、地下水の類型によって異なる相関を示している。また、ある地下水の類型においては、砒素と溶存有機物質によい正の相関があることを示している。

 第6章では、ハノイにおいて採取した土壌サンプルについて説明している。泥炭層については、炭素や窒素の存在比率などの調査結果を示している。また、砒素の濃度をはじめとするさまざまな土壌の性質を深さ方向に調べ、砒素と鉄の濃度にほとんど相関がないこと、および有機物量と砒素の間に正の相関が見られることを明らかにしている。

 第7章では、土壌から水への砒素の溶出のメカニズムについて実験的に検討を加えている。高圧蒸気滅菌による微生物滅菌による砒素溶出特性の変化、乳酸を加えることによって強い還元状態を実現した場合の砒素の溶出、および土壌サンプル間の相違などについて、30日間にわたる溶出実験を行って明らかにしている。砒素の溶出は、強い嫌気性の還元状態において生じており、微生物によって促進されていることが示された。

 第8章は総括であり、本論文の成果を取りまとめて示してある。

 以上のように本論文はハノイの地下水における砒素汚染の問題について、上水における現状、その起源、および砒素溶出の機構を明らかにしたものであり、都市環境工学の学術分野に大いに貢献する成果である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク