No | 117610 | |
著者(漢字) | 菅原,明彦 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | スガワラ,アキヒコ | |
標題(和) | 白内障治療のためのSkew Ray Tracingによる眼内レンズ度数シミュレーション理論 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 117610 | |
報告番号 | 甲17610 | |
学位授与日 | 2002.09.30 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第5327号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 精密機械工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1.概要 本論文では、白内障治療における眼内レンズ(intraocular lens、以下IOL)の度数予測問題を取り上げ、術前におけるIOL移植眼の光学シミュレーション技術によって、移植するIOL度数を事前に予測するための新しい手法の理論開発および評価を行った。 IOL度数予測における角膜とIOLの光学的計算に、従来の経験的に単純化した方法ではなく、正確な解剖学的情報とskew ray tracingによる光線追跡シミュレーションを行った。その結果、従来法に比べ誤差少なく優れた臨床成績を得た。同様の手法によってIOL度数予測における誤差の原因を分析し、眼光学系各パラメータの誤差への影響を定量した。また本法の実用化戦略や今後の発展性に関しても考察した。 2.背景 白内障は水晶体の白濁であり、わが国では60歳の65%に発症する。根治のため水晶体を摘出しIOLを埋め込む手術が行われ、わが国では年間60万件以上の移植術が行われている。 ここで問題となるのはIOL度数の術前予測である。IOL移植眼では水晶体調節力が失われるため、IOL度数予測誤差の影響は大きく、強度の眼鏡の装用、左右眼の度数ずれによる眼精疲労、再手術などの弊害が報告されている。現在の予測法は必ずしも正確でなく、誤差0.5D(m-1)以上となる例が54%以上と言われる。 現行予測法の代表例はSRK/Tであり、これは角膜屈折力と眼軸長をパラメータとする光学的近似式であり、以下の問題が指摘されている。 (1)計算に用いる実測パラメータが2つだけであり、少なすぎる (2)近軸・薄肉近似計算によっている (3)近似誤差を減じるため、経験補正が施されている このため補正の母集団に多く含まれた欧米人の眼では比較的良好な予測成績を示すが、日本人では予測誤差が大きくなると言われる。新しいIOL度数予測法も研究されているが、従来法に若干の修正を加えるものが多く、抜本的な革新は見られない。 3.目的 そこで本研究では、解剖学的に正確な眼光学系モデルと、近似を排した光学計算skew ray tracingによる厳密なIOL度数予測法の理論開発を行う。現在の予測法を上回る性能の新しい予測法の開発を目的とする。 4.方法 1)解剖学的に正確な眼光学系モデル 図1に、本研究の眼光学系モデルを示す。従来法に比し、屈折面と光学パラメータが多く薄肉近似がないため、予測精度の向上を期待できる。従来法と本法のモデルの相違を表1に示す。モデルの各パラメータは直接・間接測定で個々人の眼にfitさせた。表2に、本研究における術前計測・計算法一覧を示す。 2)近似を排した光線計算 skew ray tracingアルゴリズムによって、眼内光線の屈折計算を3次元ベクトル演算によって定式化した。具体的には、眼内4屈折面での光線通過点を表す位置ベクトルと屈折方向ベクトルを順次幾何学的に計算することによって、従来の近軸近似式に比し精度が高く、非球面の取り扱いができるなど、拡張性の高い光線計算を実現した。 3)I0L度数予測アルゴリズム 以上2つの技術の融合によって、新しいIOL度数予測法を開発した。光線追跡の方向により、像点開始型と物点開始型の2通りを開発した。図2に、像点開始型のアルゴリズムを示す。これは(1)〜(3)の処理からなる。 (1)網膜上中心窩での光線方向の決定 (2)眼内光線追跡 (3)物点上終点での眼鏡度数計算 これによって、あるIOLに対応する術後眼鏡度数が予測され、最適IOLを予測することができる。物点開始型はこの逆のアルゴリズムとなる。 5.基礎評価 本法の基本性能を単純球面モデルと模型眼で評価した。また処理速度の実測を行った。 1)単純球面モデルでの評価 屈折を代数的に求められる単純球面をコンピュータ上で作成し、本法誤差を定量した。結果、シミュレーション誤差は-5.22×10-9±2.40×10-7mm、平均誤差絶対値1.78×10-7mm、相対誤差平均7.19×10-5%であった。これにより、計算途中発生誤差は十分小さく、丸め誤差が大部分を占めると思われた。 2)模型眼での評価 Gullstrand/LeGrand模型眼の正視化眼鏡度数を本法でシミュレートし、角膜、前房水、水晶体、硝子体からなる眼光学系モデルでの本法の誤差を定量した。結果、平均誤差は物点開始型で許容誤差値0.5Dの0.80%、像点開始型で0.66%であり、十分な精度でシミュレーション可能と判断された。 3)処理速度 Intel Celeronプロセッサ446MHz RAM 64MBのノートPCにおいて、仮想1000眼の計算に要する時間を実測した。結果、平均処理時間は物点開始型444±2.26s、像点開始型5.63±0.07sであった。像点開始型が高効率であり、合目的的であった。 6.臨床評価 IOL移植眼N=10においてretrospectiveな評価を行い、従来法SRK-II、SRK/Tと予測誤差を比較した。結果、本法の平均誤差絶対値0.292±0.245D、SRK-II 0.917±0.405D(paired t-test p<0.005)、SRK/T 0.479±0.339D(p=0.128)であった。±0.5D以下の誤差は、本法8/10、SRK-II 2/10、SRK/T 6/10に見られ、本法が最も正確であった。 同様の評価試験をN=725眼で行った結果、本法とSRK-IIとの予測誤差の有意差はp<0.001、SRK/Tではp<0.05であった。 以上より、本法の臨床生体眼での有用性が示された。 7.誤差解析 本法による誤差伝搬解析シミュレーションで、IOL度数予測の工学的・医学的な誤差の原因を定量した。 1)IOL度数予測誤差への影響は、眼軸長で全誤差の58%、前房深度17%、角膜前面曲率半径9%、房水屈折率、角膜径、角膜後面曲率半径で計9%であった。 2)予測誤差を0.5D以内に収めるには、眼軸長誤差0.17mm以内、角膜前面曲率半径0.08mm以内、前房深度0.3mm以内の必要があると考えられた。 3)主観的眼鏡度数誤差を全誤差の約5%と定量した。 4)角膜経時変化による誤差を約4%と定量した。 5)長眼軸長(25mm以上)、薄角膜厚(0.5〜0.55mm)、乱視度数大(2.5D以上)の症例で、本法はSRK/Tより特に誤差小であった。 8.考察 1)SRK/T以降の他研究の多くは近軸光線計算に基づき、臨床成績がSRK/Tより優れるものは少なく、本法を上回るものは見られない。 2)本法では、物点開始型と像点開始型で、アルゴリズムの複雑さ、始点と終点の処理、計算量、誤差指標が異なる。後者の方が効率よく(処理速度約80倍)正確に(眼鏡度数分解能に依存せず)計算可能であった。 3)計測器の精度向上、コンピュータ処理能力の進歩により、今後は近似的予測法ではなく、厳密なskew ray tracingが有用になると考えられる。 4)従来法では度数の同じIOLはすべて同等と見なされた。本法ではIOLを度数でなく形状で扱っているため、度数の同じ複数のIOLからさらに最適IOLを選択できる。 5)従来の予測法は近似式であり、各パラメータ誤差が前房深度計算に埋もれ、詳細な誤差解析が不可能であった。本法では解剖学的計測に忠実な計算によって前房深度予測と光学計算を分離解析可能であり、従来前房深度誤差と言われていた中に、屈折率、角膜厚、角膜径、角膜後面の影響が含まれることを明らかとした。 6)近年、角膜屈折矯正術で角膜形状の変化した患者が白内障となるケースが増えている。従来の予測法は、非球面角膜を光学的に取り扱うことができず、この場合のIOL度数予測法は確立されていない。本法では、3次元角膜形状解析装置などを利用し矯正術後の角膜形状や厚に基づくIOL度数予測が可能となる。 7)本法とSRK/Tを同時に計算し、両者の差が2D以下であれば本法の有意性はさらに増す(p<0.005)。両者の差が2Dより大きければ、計測に誤差が含まれている可能性があるため、再度計測を行なう。これは本法のprospectiveな臨床試験のスクリーニングとして有用である。 9.結論 白内障治療のためのskew ray tracingと解剖学的に正確な眼光学系モデルによるIOL度数予測シミュレーション理論の開発を行い、以下の結論を得た。 1)本法の単純球面モデルでの平均誤差絶対値は1.78×10-7mm、模型眼での平均誤差は物点開始型で許容誤差値の0.80%、像点開始型で0.66%であった。1000眼の処理時間は物点開始型444±2.26s、像点開始型5.63±0.07sであった。本法の誤差は十分小さく、像点開始型が高効率であった。 2)IOL移植眼N=10においてretrospectiveな評価を行い、本法誤差0.292D、SRK-II 0.917D(p<0.005)、SRK/T 0.479D(p=0.128)を得た。誤差±0.5D以下の割合は、本法8/10、SRK-II 2/10、SRK/T 6/10であった。本法は従来法より正確に予測可能であり、長眼軸長(25mm以上)、薄角膜厚(0.5〜0.55mm)の症例では特に誤差小であり有用であった。 3)予測誤差への影響は、眼軸長58%、前房深度17%、角膜前面曲率半径9%、房水屈折率、角膜径、角膜後面曲率半径計9%であった。主観的眼鏡度数誤差は約5%、角膜経時変化誤差は約4%と定量された。本法の予測誤差解析によって、IOL度数予測誤差に関する新しい知見が得られた。 図1本研究の眼光学系モデル。 t1:角膜厚、t2:前房深度、t3:IOL厚、t4:眼軸長、t5:頂間距離、R1:角膜前面曲率、R2:角膜後面曲率、R3:IOL前面曲率、R4:IOL後面曲率、W:角膜径。 表1本法と従来法の眼光学系モデル 表2計測項目一覧 | |
審査要旨 | 本論文は、白内障治療において良好な術後視力を得るため重要な眼内レンズ(intraocular lens、以下IOL)度数予測に関し、解剖学的計測に忠実な眼光学系モデルとskew ray tracingによる新しいIOL度数シミュレーション法を開発し、従来の予測式(SRK-II、SRK/T)と比較評価し臨床的有用性を示すとともに、誤差解析手法により誤差の原因を定量的に示したものである。 近年、白内障の治療として白濁水晶体を摘出しIOLを埋め込む手術が行われている。最適なIOL度数を術前に正確に予測することが重要である。しかし現在の予測法は必ずしも正確でなく、強度の眼鏡の装用や左右眼の度数ずれによる眼精疲労、再手術などが報告されている。誤差の原因としては、眼光学系モデルが省略されている点、近軸・薄肉近似計算によっている点、経験補正を行っている点が指摘されている。そこで本論文では、解剖学的計測に忠実な眼光学系モデルと、近似を排した厳密光学計算skew ray tracingによる新しいIOL度数予測法の開発を目的としている。 本論文ではまず、解剖学的計測に忠実な眼光学系モデルについて述べている。これは眼内の光学的屈折面を薄肉近似なく記述するコンピュータモデルで、従来式が眼軸長と角膜屈折力の2パラメータであるのに対し本モデルは8パラメータ、屈折面数は従来式2面に対し本モデル4面、屈折率の独立設定数は従来式で2、本モデルでは5である。各パラメータは術前計測で個々人の眼にfitさせる。光学計算には、従来の近軸近似では精度に限界があると指摘し、skew ray tracingを導入し眼内光線計算を3次元ベクトル演算によって定式化する手法を述べている。以上2つの技術の融合により、新しいIOL度数予測法が実現される。そのアルゴリズムは光線計算方向により、像点開始型、物点開始型の2通りを提案している。前者のアルゴリズムは、(1)網膜中心窩での光線開始方向の決定、(2)眼内光線追跡、(3)物点上終点での眼鏡度数の計算からなり、後者ではこの逆となる。 開発された手法の基礎評価として、単純球面屈折モデルとGullstrand/LeGrand模型眼での評価を行い、また処理時間を実測した。結果、単純球面屈折誤差は-5.22×10-9±2.40×10-7mm、平均誤差絶対値1.78×10-7mm、模型眼での正視化眼鏡度数予測誤差は物点開始型で許容誤差0.5Dの0.8%、像点開始型で0.66%、仮想1000眼処理時間は物点開始型444±2.26s、像点開始型5.63±0.07s(10試行)であった。以上より、開発された手法の計算途中発生誤差は小さく、丸め誤差が大部分であり、角膜・前房水・水晶体・硝子体からなる眼光学系モデルで十分な精度でシミュレーション可能であり、また処理時間は十分小さく、特に像点開始型が高効率であるとしている。 さらに生体眼によるretrospectiveな臨床評価を行った。IOL移植眼N=10において従来法(SRK-II、SRK/T)と予測誤差を比較し、本法の平均絶対値誤差0.292±0.245D、SRK-II 0.917±0.405D(paired t-test p<0.005)、SRK/T 0.479±0.339D(p=0.128)を得た。±0.5D以下の誤差は、本法8/10、SRK-II 2/10、SRK/T 6/10に見られた。N=725眼による評価でも本法が有意に誤差小となった(SRK-II p<0.001、SRK/T p<0.05)であった。以上によって、本法は従来法より誤差小さくIOL度数予測が可能であると示された。 また開発された手法を応用し誤差解析を行い、IOL度数予測の工学的・医学的な誤差原因を定量した。各パラメータの誤差値と拡大係数を生体眼データから推算し、その結果、誤差構成比率は眼軸長が全誤差の58%、前房深度17%、角膜前面曲率9%、房水屈折率、角膜径、角膜後面曲率で計9%と見積もられた。同様の手法で予測誤差0.5D以内に収める条件を算出し、眼軸長誤差0.17mm以内、角膜前面曲率0.08mm以内、前房深度0.3mm以内と算定した。また本法は、長眼軸長、薄角膜厚、強度乱視の症例で特に従来法より誤差小となることを200眼以上の臨床例から示した。また主観的眼鏡度数誤差を全誤差の約5%、角膜経時変化誤差を約4%と定量した。 考察において、近年の他研究では本法を臨床成績で上回るものは見られないとしている。また本法をアルゴリズムの点から論じ、物点開始型より像点開始型が処理速度約80倍かつ高分解能で予測可能としている。本法によって前房深度予測と光学計算を分離可能であり、従来困難だった屈折率、角膜厚、角膜径、角膜後面の影響をも解析できるとしている。また将来の応用として、角膜屈折矯正術後のIOL度数予測を挙げている。矯正後の角膜形状や厚の実測値を用いて予測精度向上が可能である。また本法とSRK/T式を並列に計算するスクリーニング法を提案し、これによって本法の臨床的有用性が向上するとしている。 以上から本論文では、白内障治療のためのskew ray tracingと正確な眼光学系モデルによるIOL度数予測理論を確立し、これによって模型眼のみならず生体眼においても従来法より予測誤差を低減でき、詳細な誤差解析が可能となり、誤差原因の究明、更なる性能向上など臨床上有用な新しい知見を得られることを示した。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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