学位論文要旨



No 117611
著者(漢字) 榎並,啓太郎
著者(英字)
著者(カナ) エナミ,ケイタロウ
標題(和) 圧縮予歪を受けた鋼材からの延性及びへき開破壊発生挙動
標題(洋)
報告番号 117611
報告番号 甲17611
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5328号
研究科 工学系研究科
専攻 環境海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 吉成,仁志
 東京大学 教授 野本,敏治
 東京大学 教授 都井,裕
 東京大学 教授 影山,和郎
 東京大学 助教授 高橋,淳
内容要旨 要旨を表示する

 阪神・淡路大震災等のような大地震、または物体の衝突などの物理的・人為的災害を、大型鋼構造物が受けると、大型鋼構造物は局部座屈等の大変形を生じ、数十%に上る大塑性圧縮歪を受ける可能性がある(これを、圧縮予歪と呼ぶ)。そのような場合、たとえ初期欠陥が存在していなくても、予歪に続く除荷または余震などの二次的外力により、予歪を受けた局所的構造部位から延性亀裂あるいはへき開亀裂の発生する可能性のあることが指摘されている。

 さらに、最も厳しい条件が重なった場合には、これら微小亀裂の発生・成長を経て脆性遷移を生じ、構造物にとって致命的なへき開破壊の起こる可能性も考えられる。1995年の阪神・淡路大震災では、大型鉄骨建築構造物の溶接継手接合部などの応力集中部が、塑性子歪を受けて延性亀裂を生じ、さらに応力集中による応力多軸度の上昇という条件も重なって、構造物がへき開破壊したという事例も報告されている。したがって、鋼構造物の致命的なへき開破壊を防止する上で、その第1ステップとなる、圧縮予歪を受けた鋼材からの延性亀裂あるいはへき開亀裂の発生メカニズムを明確にすることは重要である。また、適切な力学パラメータを用いて、圧縮予歪を受けた鋼材からの延性亀裂あるいはへき開亀裂発生を定量的に評価する手法を明らかにすることは、工学上・材料科学上極めて重要なことであると考える。

 一般に、圧縮予歪を受けた鋼材は、予歪を受けていない処女鋼材に比べて延性と破壊靭性とが低下すると言われている。圧縮予歪による延性・靭性低下現象を解明するため、従来から数多くの実験が行われてきた。井上らは、シャルピー試験、コンパクト試験を実施し、数十%レベルの圧縮予歪が破壊靭性に及ぼす影響を調べた。その結果、圧縮予歪材のシャルピー遷移曲線、CTOD遷移曲線は、処女鋼材のそれらに比べ、延性-脆性遷移温度が著しく高温側へシフトすることが明らかにされ、そのシフト量は圧縮予歪量に比例すると報告している。

 しかし、なぜ圧縮予歪を受けた鋼材は破壊靭性が低下するのか、微視的レベルでのメカニズムの考察は十分ではなく、その現象の本質は、未だ不明の部分が多い。また、圧縮予歪が鋼材の延性に及ぼす影響について言えば、従来の実験結果と過去の経験から、漠然と圧縮予歪が鋼材の延性を低下させると言われてきたに過ぎない。圧縮予歪による延性低下のメカニズムを、微視的な側面から考察した事例は少ないと思われる。

 一方、鋼材からの延性及びへき開破壊の発生を、鋼材に作用する局所的な応力・歪パラメータにより、定量的に評価する研究が近年注目されている。延性破壊発生に要する相当塑性歪(これを、限界相当塑性歪と呼ぶことにする)は、応力三軸度の影響を強く受け、応力三軸度が大きくなると指数的に減少することが知られている。応力三軸度-限界相当塑性歪関係で表される延性亀裂発生限界曲線は、鋼材固有の材料特性となると考えられている。一方で、へき開破壊は、切欠底における局所最大引張応力がある限界値に達すると発生することが明らかとされている。これを、局所限界へき開破壊応力クライテリアと呼ぶ。そこで、本論文では、応力三軸度-限界相当塑性歪関係で表される延性亀裂発生限界曲線と局所へき開応力クライテリアを適用し、圧縮予歪を受けた鋼材からの延性及びへき開破壊発生を定量的に評価することを目的とした。

 本論文では、曲げ予加工により圧縮予歪を与えた帯板試験片及び切欠付四点曲げ試験片を用いて、逆曲げ試験(曲げ戻し試験)を実施した。そして、圧縮予歪部からの延性亀裂(またはへき開破壊)の発生が圧縮予歪によりどう変化するか、実験とミクロ観察、及び実験に対応する数値解析により調査した。一方で、一様圧縮予歪を与えた鋼材の円周切欠付丸棒引張試験を行い、延性亀裂発生限界曲線に及ぼす圧縮予歪の影響を、破面ミクロ観察と数値解析により調査した。なお、円周切欠付丸棒引張試験では、延性亀裂は試験片中央部から発生することが知られている。そこで、円周切欠付丸棒引張試験に対応する数値解析を行い、延性破壊発生時の試験片中央部の応力三軸度-限界相当塑性歪関係を求め、延性亀裂発生限界曲線を評価した。

 逆曲げ試験の結果、曲げ予加工により圧縮予歪を受けた板曲げ試験片の表面では、圧縮変形・局部座屈で微視的な皺の発生することが明らかとなった。そして、逆曲げ試験で試験片が曲げ戻される時、皺底部から微小な延性亀裂の発生することが明らかとなった。圧縮予歪量が大きくなると曲げ戻しにより延性亀裂が発生したが、その程度は予歪量によって変化した。しかし、圧縮予歪による靭性低下は顕著であるにもかかわらず、人工的に切欠により応力集中を設け、且つ、低温の場合を除いて、圧縮予歪部から脆性破壊が発生することは無かった。そこで、圧縮予歪部表面に生じる皺が延性亀裂発生に及ぼす影響を調べる為、皺を考慮した局所モデル数値解析を逆曲げ試験条件に対応させて実施した。皺底部の予歪を含めた応力三軸度-相当塑性歪履歴を求め、材料の延性亀裂発生限界曲線と照らし合わせた。その結果、皺底部の応力三軸度-相当塑性歪履歴を延性亀裂発生限界曲線と照らし合わせることによって、皺底部からの延性亀裂発生の有無の実験結果を、予歪に関わらず定量的に評価できることが示された。

 一方で、材料のミクロ組織不均質(例えば、フェライト-パーライト複合組織の組織不均質性)が、圧縮予歪部表面の皺発生に大きな影響を及ぼすことが考えられた。そこで、ミクロ組織不均質を考慮した数値解析と板曲げ実験を別途実施し、ミクロ組織不均質が皺発生に及ぼす影響を調査した。その結果、たとえ鋼材表面が平坦な場合でも、ミクロ組織不均質を考慮すると圧縮予歪により皺の発生することが明らかとなった。

 また、一様圧縮予歪材の円周切欠付丸棒引張試験とそれに対応する数値解析の結果、圧縮予歪材の延性亀裂発生限界曲線は、無歪材(素材)の延性亀裂発生限界曲線と比べて、限界相当塑性歪が小さくなり延性の低下することが明らかとなった。円周切欠付丸棒試験片の破面をSEM観察により調べた結果、圧縮予歪材の試験片内部の延性破面には、微小へき開亀裂の発生していることが明らかとなった。圧縮予歪が大きくなるほど、試験片内部から発生する微小へき開亀裂のサイズは大きくなることが確かめられた。そこで、微小へき開亀裂を考慮した数値解析を行い、亀裂先端部の応力三軸度-相当塑性歪履歴を求め、素材の延性破壊発生限界曲線と照らし合わせた。その結果、微小へき開亀裂先端の応力三軸度-相当塑性歪履歴を、素材の延性被壊発生限界曲線と照らし合わせることにより、圧縮予歪材の延性亀裂発生限界相当塑性歪(円周切欠付試験片中央部の平均的・巨視的な限界相当塑性歪)が低下する実験結果を定量的に評価できた。このことから、圧縮予歪材では微小へき開亀裂の発生の容易となることが大きな要因となり、圧縮予歪により延性亀裂発生に要する巨視的な限界相当塑性歪が低下することが明らかとなった。

 そこで、円周切欠付丸棒引張試験の数値解析において、圧縮予歪材の延性亀裂発生限界曲線を予歪の分だけ上側にシフトさせ、素材の延性亀裂発生限界曲線と比較した。その結果、延性破壊発生時の、予歪を含めて考えた圧縮予歪材の応力三軸度-限界相当塑性歪履歴は、ばらつきはあるものの、素材の延性亀裂発生限界曲線の近傍に集まることが明らかとなった。このことから、第一近似として予歪を含めて応力三軸度-相当塑性歪履歴を考えれば、予歪量に関わらず、統一的に延性亀裂発生の限界線を設定できることが示された。

 一方で、圧縮予歪部からへき開破壊の発生した実験に対応する数値解析を行い、へき開破壊発生部の応力三軸度-最大主応力履歴を求めた。その結果、破壊発生時の局所限界へき開応力は、ばらつきはあるものの、圧縮予歪量に関わらず第一近似としてほぼ一定となる可能性が示された。今後、さらに圧縮予歪材からのへき開破壊発生を、局所応力クライテリアにより定量的に評価する手法について、調査を実施することが期待される。

 以上のことから、本論文で得られた主な知見は次のようである。圧縮予歪部からの延性破壊(又は亀裂)発生は、予歪を含めた応力三軸度-相当塑性歪履歴を考え、材料の延性破壊発生限界曲線と照らし合わせることにより、近似的に定量評価可能である。また、圧縮予歪部からのへき開破壊発生は、局所へき開応力クライテリアにより評価できる可能性がある。へき開破壊特有のばらつきは考えられるものの、圧縮予歪材の局所限界へき開応力は、近似的にほぼ一定となる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 地震・衝突等の災害時に、大型鋼構造物は局部座屈等により大塑性歪(特に圧縮歪)を受けることが考えられる(以下、予歪と呼ぶ)。引き続く二次的な外力により、塑性子歪を受けた構造部位より延性、或いはへき開き裂の発生する可能性が指摘されており、更に応力集中源等が存在して最も厳しい場合には、最終へき開破壊の発生する可能性もある。1995年の阪神大震災では、大型鉄骨建築構造物の溶接継手部等の応力集中部が、塑性子歪を受けて延性き裂を発生し、更に地震の揺り戻しでへき開破壊した事例が報告されている。大型鋼構造物の大変形後のへき開破壊を防ぐ上で、大塑性子歪(特に圧縮予歪)を受けた鋼材からの延性及びへき開破壊発生を定量化する強度評価手法の確立が緊急の課題である。

 延性破壊発生に要する相当塑性歪は、応力三軸度が大きくなると急激に減少することが知られており、応力三軸度-相当塑性歪関係で延性破壊発生を評価する手法(以下、延性限界曲線と呼ぶ)が近年再び注目されている。一方、へき開破壊は、切欠底における局所最大引張応力が限界値に達すると発生することが明らかとされている(以下、局所へき開応力と呼ぶ)。本論文は、延性限界曲線と局所へき開応力クライテリアを適用し、圧縮予歪を受けた鋼材からの延性及びへき開破壊発生を定量的に評価することを目的としている。具体的には、一様圧縮予歪を与えた鋼材の円周切欠付丸棒引張試験を行い、無性限界曲線に及ぼす予歪の影響を調査し、また、曲げ予加工で圧縮予歪を与えた平板試験片等を用いて、逆曲げ(曲げ戻し)試験を実施し、予歪部からの延性き裂(又はへき開破壊)の発生条件を調査している。

 本論文は、全8章で構成されている。第1章「緒言」では、研究の背景及び研究の目的が述べられている。

 第2章「鉄鋼材の破壊挙動」では、延性及びへき開破壊に関する基礎知識と破壊強度評価手法について述べた。延性破壊は、一般にボイドの発生と連結を経て起こると考えられており、延性限界曲線でボイド連結型の延性破壊発生を評価する手法が近年注目されていることを説明した。一方、へき開破壊は、一般にミクロき裂の発生と伝播により起こる、粒内貫通型の高速破壊であると考えられる。へき開破壊は、応力支配型の破壊と考えられることを述べ、局所へき開応力でへき開破壊発生を評価する手法について説明した。また、予歪により延性と破壊腎靭性が低下することを示す、従来の研究報告についてまとめている。

 第3章「実験方法」では、本論文で実施した材料基礎試験、応用破壊実験の方法について説明している。主要な供試材として、API-X65鋼材とJIS-SM490B鋼材を選択した経緯について述べ、各種実験の目的について説明した。主な実験として、基礎試験では丸棒引張試験、円周切欠付丸棒引張試験、シャルピー衝撃試験及び限界CTOD試験があり、応用実験では平板の逆曲げ試験、小型切欠試験片の四点曲げ逆曲げ試験の計6種類がある。

 第4章「材料基礎試験結果」では、供試材の応カ-歪線図、破壊靭性の延性-脆性遷移曲線等の基礎試験結果を説明している。予歪が大きくなると材料の降伏応力が上昇すること、破壊靭性の遷移温度が顕著に上昇することを示した。予歪材の切欠丸棒試験片の破面観察結果を示し、予歪が大きくなると延性破壊に先立って局所へき開き裂の発生することを明らかにしている。

 第5章「応用破壊実験結果」では、平板逆曲げ試験結果、小型切欠試験片の逆曲げ試験結果等を述べている。平板逆曲げ試験では、曲げ予加工により圧縮予歪表面に微視的な皺の発生することが明らかとなった。そして、曲げ戻しにより予歪部が逆方向の引張変形を受け、皺底部から延性き裂の発生することが明らかとなった。逆曲げにより予歪部から延性き裂が発生したが、予歪が大きくなると延性き裂の発生量も大きくなった。また、予歪による破壊靭性の低下は顕著であるにも関わらず、人工的に応力集中源(切欠)を設け、且つ低温でなければ、予歪部からへき開破壊の発生することは無かった。一方、圧縮予歪により表面に皺が発生するが、皺の発生状況は鋼材組織により変化することを明らかにした。

 第6章「数値解析」では、予歪材切欠丸棒試験や平板の逆曲げ試験等に対応する数値解析を行い、予歪部からの延性及びへき開破壊発生を定量的に評価している。予歪材切欠丸棒試験の数値解析の結果、予歪が大きくなると延性限界曲線は低下し、延性の低下することが明らかとなった。そこで、予歪を含めて応力三軸度-相当塑性歪の履歴を考慮すると、予歪材の延性限界曲線は素材のそれとほぼ一致し、本供試材では便宜的に統一的な延性限界曲線を設定できた。

 しかし、ボイド成長率の理論式から考えて、圧縮予歪場でボイドは成長しないにも関わらず、なぜ予歪で延性が低下するかが問題となった。そこで、先述の局所へき開き製を考慮した数値解析を実施し、き裂先端部の応力三軸度-相当塑性歪履歴を求め延性限界曲線と比較した結果、予歪材切欠丸棒の延性破壊発生の実験結果を評価でき、予歪による延性の低下を説明出来た。従って、局所へき開き裂の発生が主な原因で、予歪により延性の低下することを本論文で明らかにした。一方、へき開破壊した予歪材切欠丸棒試験等の数値解析を実施し、へき開発生部の局所最大主応力を求めて局所へき開応力を評価した。その結果、近似的に局所へき開応力は予歪によらず一定となる可能性を示した。

 平板逆曲げ試験で予歪部皺底部からの延性き裂発生を評価するため、皺を考慮した局所モデルを適用した数値解析を実施した。その結果、皺底部の応力三軸度-相当塑性歪履歴を延性限界曲線と比較すれば、予歪部からの延性き裂発生の有無をほぼ評価できることを示した。また、へき開破壊した平板切欠材(曲げ予加工後、一部試験片は切欠加工した)の逆曲げ試験の数値解析を実施した。へき開部の応力三軸度-最大主応力履歴を局所へき開応力と比較した結果、へき開発生の局所最大主応力はほぼ一定となる可能性を示した。

 第7章「考察」では、数値解析の結果等を基に、圧縮予歪を受けた鋼材からの延性及びへき開破壊発生挙動を、延性限界曲線と局所へき開応力で評価することの妥当性を検証している。また、数値解析の適用限界、今後の研究課題等を述べている。

 第8章「結論」では、本論文で得られた知見を総括し、今後の課題を要約している。圧縮予歪を受けた鋼材からの延性及びへき開破壊発生は、延性限界曲線と局所へき開応力クライテリアを適用して定量的に評価可能であると結論付けている。

 以上、本論文は、大型鋼構造物が大規模圧縮予歪を受けた後の延性及びへき開破壊発生挙動を定量的に評価する破壊強度評価手法の一つのあり方を示したもので、鋼構造物の安全性確保に関し、その成果は工学上極めて有用である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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