学位論文要旨



No 117624
著者(漢字) 沢田,英敬
著者(英字)
著者(カナ) サワダ,ヒデタカ
標題(和) 半導体材料の結晶粒界原子・電子構造
標題(洋)
報告番号 117624
報告番号 甲17624
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5341号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 市野瀬,英喜
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 佐久間,健人
 東京大学 教授 須賀,唯知
 東京大学 教授 山本,良一
内容要旨 要旨を表示する

【1.緒言】

 結晶粒界は、その結晶とは異なる構造を活かして、ナノ領域に新奇物性を作る場所として期待できる。半導体材料においては、欠陥構造の物性が薄膜の電気的・光学的物性に非常に大きな影響を与えることを考えると、結晶粒界における原子尺度の構造変化が粒界特有の電子状態を作ること、それが全体の物性に影響を与えそうなことが期待される。結晶とは異なる構造を活かしたナノ構造を利用するには、まず原子・電子構造を探ることが必要である。しかし、その構造は原子数屑分しかない局所構造であったため、粒界の性質を支配する原子・電子構造は明らかにするのは困難であった。いままで行われてきた結晶粒界原子構造解析は周期性から構造を類推するもので、直接的原子構造解析の例は少ない。また、ある電子状態がどの原子構造に関与したものであるかなど、結晶粒界特有の電子構造を実験的に決定された原子構造との相関を探りながら研究する必要があろう。

 そこで、本研究の目的は、第一に、半導体材料において、結晶粒界の原子構造の直接決定を行うこととした。第二に、特定された原子構造を基に、結晶粒界特有の電子構造を探る。粒界特有の電子状態がどの原子に局在したものなのかを電子論的に捉えることを挙げた。半導体材料としては、シリコンとダイヤモンドを取り上げる。シリコンは、すでに現在の半導体産業の中心材料であるが今後のナノテクロノジーにおいても当分主役の座は揺るがず、研究すべき事項は特にナノテクロノジーの立場に立つとまだ多い。結晶における各種物性に関しては十分研究されているが、結晶とは異なる構造である粒界に関しては原子尺度の研究は未だ十分ではない。ダイヤモンドは電気的光学的性質だけでなく物理的化学的性質も他の半導体に比べ優れ、炭素の環境・生体への適合性を併せ持つため近未来の中心的半導体として期待される。このような次世代半導体であるダイヤモンドの、結晶とは異なる構造における原子・電子構造を探る研究を先んじて行っておく必要があるだろう。

 カーボンナノチューブ等構造の多様性に富む炭素を原料としているダイヤモンドは、構造によって異なる電子状態をとることが示唆されており、原子構造と電子構造、物性の相関を探る研究はたいへん興味深い。

 こうした原子尺度での粒界・界面研究の手段として今日分解能が向上した高分解能電子顕微鏡法を採用する。この手法では、原子の持つポテンシャルの投影が観察できる。粒界・界面のような局所領域で実験的に原子配列を決定できる唯一の手段である。具体的には、分解能0.1nmを越える超高圧超高分解能電子顕微鏡を用いる。また相補う手段として、スーパーセルを用いた第一原理分子動力学計算法を用いる。

【2.実験及び計算方法】

2.1超高圧超高分解能電子顕微鏡による粒界原子構造解析

 実験に用いた超高圧電子顕微鏡(JEM-ARM1250)は、加速電圧1250kV(波長0.736pm)、対物レンズの球面収差Cs=1.4mm、色収差Cc=2.5mmである。分解限界は0.1nmを切っている。高純度多結晶シリコン試料は、水素還元法により作製した。電子顕微鏡観察試料薄片化には、機械研磨後Arイオン研磨を用いた。ダイヤモンド多結晶は、CVD法で作製した。FIBあるいは、Arイオン研磨法で薄片化を行った。

 2.2第一原理擬ポテンシャル分子動力学法

 電子構造計算には、第一原理計算プログラムを用いた。この方法は結晶粒界を含んだスーパーセルを用いたバンド計算法であり、初期原子モデルから共役勾配法に基づいた分子動力学計算法で安定原子配列を求めることが出来る。本計算法では、非常に精度高く粒界の性質を電子論的に解釈できる。擬ポテンシャルは、シリコンにはHSC型、カーボンにはTM型を用いた。計算に用いる適切な格子定数を計算した。平面波基底打ち切りエネルギーは、シリコンは15Ry、ダイヤモンドは60Ryとした。超高圧電子顕微鏡観察から構築した粒界原子構造モデルを用いて、原子数96或いは48個のスーパーセルを作成した。その後、第一原理分子動力学法にて、粒界原子構造緩和を行った。

【3.結果及び考察】

3.1結晶粒界原子構造

 シリコン・ダイヤモンドにおいて結晶部や構造のコンセンサスが取られている{111}Σ3結晶粒界を用いて、原子構造直接決定が行えることを示した。マルチスライス計算も併せて行い、超高圧電子顕微鏡を用いて十分薄い試料を観察して行った粒界原子構造直接観察では、複雑な粒界構造においても、光学的偽像の導入等により誤った像解釈をすることなく、ポテンシャルの投影像を用いての粒界原子構造決定が行えたことを示した。シリコン{221}Σ9結晶粒界、{112}Σ3結晶粒界、{111}/{115}Σ3結晶粒界、{111}/{552}Σ9結晶粒界の原子構造決定を行うことが出来た。原子・電子構造が非常に興味が持たれていた{112}Σ3結晶粒界原子構造を初めて明らかにした。結晶とは異なる構造を向いたSi-Si dumbbellや、単原子コラムサイトの様な特有の原子構造が、粒界にあることを示した。

CVDダイヤモンドにおいては、{111}Σ3結晶粒界、{221}Σ9結晶粒界、{112}Σ3結晶粒界、{114}Σ9結晶粒界、5対称双晶中心の粒界原子直接構造決定を行うことが出来、その構造を明らかにした。{221}Σ9結晶粒界、5対称双晶中心は、ダングリングボンドの無い構造であることを示した。{112}Σ3結晶粒界、{114}Σ9結晶粒界においては単原子コラムサイトが観察された。EELS測定により、1s->π*遷移のスペクトルが報告されている結晶粒界では、単原子コラムサイトが観察されたことから、ダイヤモンドのギャップ内準位は単原子コラムサイトと関係があることが示された。

3.2結晶粒界電子構造

観察した粒界原子構造を基に、粒界特有の電子構造を計算した。粒界ナノ領域において、粒界特有の電子状態が、粒界のどのような原子構造に局在したものなのかを電子論的に解析した。

シリコン{112}Σ3結晶粒界においては、<110>方向の変位を伴った<110>方向の結合を作ってダングリングボンドを回避していることが高分解能像から示された。電子構造計算を行った結果、シリコン結晶においてダングリングボンドを回避した構造では、バンドギャップ内に粒界特有の準位を持たなかった。シリコン粒界において、{110}平面内で存在する幾何学的な3配位原子は、<110>方向への結合を作り、4配位化することを示した。{111}Σ3結晶粒界付近で観察されたシリコン{112}Σ3結晶粒界高分解能像中に見られた単原子コラムサイトにおけるコントラストの黒い濃度の低下は、第一原理計算とマルチスライス像計算を用いて、高い原子密度の領域において原子を取り除いた構造で説明ができた。第一原理計算によるエネルギー計算も原子を取り除いた構造が、取り除かない構造よりも低いエネルギー値を示し、実験像と矛盾しない結果となった。高い原子密度の領域において原子を取り除いた粒界構造では、バンドギャップ内に準位が現れた。シリコン結晶粒界で観測される準位は、不純物等の外来要因ではなく、高い原子密度の領域において原子を抜いた粒界構造で説明できた。

 第一原理分子動力学計算を用いてダイヤモンド{112}Σ3結晶粒界の電子構造解析を行った結果、単原子コラムサイトに現れた<110>方向の結合はダイヤモンド粒界中では、十分な価電子密度分布の上昇は起きず、その原子間距離も結晶中のC-C原子間距離に比べ、110%以上広がっていた。ダイヤモンド結晶粒界中の単原子コラムサイトは、3配位原子+弱い結合となっている計算結果が得られた。単原子コラムサイトが作り出す局在した電子状態が、伝導帯の下に存在するギャップ内非占有準位を生み出していた。ギャップ内準位は、<110>方向の原子間距離に依存していた。高分解能観察結果から導き出された、単原子コラムサイトとギャップ内準位の相関を、電子論的に説明できた。

【4.まとめ】

 ポテンシャルの投影像を用いての粒界原子構造決定により、原子尺度で非対称な構造や、原子が電子線方向に取り除かれた構造を特定することが出来た。今までの、格子像を用いての周期性から類推した粒界原子構造解析では、説明できなかった電子構造を説明することが出来、原子・電子構造の相関を捉えることが出来た。

 特定した粒界原子構造を基に、粒界特有の電子状態の起源を電子論的に捉えることが出来た。シリコンでは、粒界に存在するダングリングボンドは、新たな結合を作ることにより回避されるが、高すぎる原子密度の領域で原子が取り除かれることにより生じる配位数欠陥が、粒界特有の電子状態を作っていた。ダイヤモンドにおいては、粒界に弱い結合が存在し、それが粒界特有の電子状態の起源となっていた。

 以上のように、結晶粒界という第3の原子構造おいて、原子構造と電子構造とが明確な相関を示すことを、実験と計算との協働により示すことができた。また、シリコンとダイヤモンドのように半導体という同種の物質として同列に論じられる傾向のある材料が、局所領域に着目すると、それぞれ個性を持っていることが見えてきた。

審査要旨 要旨を表示する

 結晶粒界における構造研究は、検証が多様な物質におよび精度が増すにつれて、参照規範である幾何学モデルの範疇に収まりきれない実験結果が、無視できない頻度で出現し、この傾向は共有結合物質で著しい。他方、結晶粒界の持つ特殊な原子構造には、新たな物性を生み出しうる未知な源泉として、産業的側面からの早すぎる期待があり、結晶界面は、分類学すら未完のまま、基礎研究と産業化の同時進行を迫られている。そうした中で本論文は、研究対象を現在と未来の主役半導体であるシリコンとダイヤモンドに選び、原子構造直視が可能な、世界唯一の透過型電子顕微鏡を用い、近年発達した電子エネルギー損失分光を応用し、最新の第一原理計算を駆使して、結晶粒界を原子構造、電子構造、物性の三者の相関で捉えるという、困難な試みに挑戦している。

 本論文は、全7章からなる。

 第1章は、序論である。帰納的アプローチにより始まった初期の結晶粒界構造モデル、その後発展した幾何学的モデルについて述べた後、最近の実験と理論の両方による原子構造研究及び電子構造研究について述べ、本研究の歴史的位置づけを明確にしている。

 第2章では、本研究で用いた実験及び計算手法を述べている。超高分解能電子顕微鏡ポテンシャル投影像の理論、第一原理分子動力学法の理論、試料作製方法、試料薄片化技術、等について明快に述べている。

 第3章では、多結晶シリコン粒界の原子構造直接決定を行った結果を述べている。構造が既知な{111}Σ3粒界の観察で、超高分解能電子顕微鏡ポテンシャル投影像法の妥当性を確認した後、{221}Σ9結晶粒界、{112}Σ3結晶粒界、{111}/{115}Σ3結晶粒界、{111}/{552}Σ9結晶粒界の原子構造を、ポテンシャル投影像により直接決定し、結晶とは異なる方向を向いたSi-Si対や、幾何学的な配位数欠陥を有する原子が<110>方向に並ぶ配位数欠陥原子コラム等、結晶に対して粒界を特徴づける特異な原子構造の存在を見出している。

 第4章では、シリコン結晶粒界について第一原理計算による電子構造解析を行った結果を述べている。前章で構造決定を行った粒界のうち、二つの緩和構造を持つ代表的な{112}Σ3結晶粒界について計算し、配意数欠陥を有する一般的な{112}Σ3粒界では、欠陥に起因する準位がギャップ内に存在し得ることを示している。新たに見出した配意数欠陥を持たない構造は、ダングリングボンドが<110>方向の結合を作ることによって、実際には欠陥の生成が回避されていることを示し、配意数欠陥が回避された結晶粒界では、粒界特有の準位を作らないことを示している。

 第5章では、多結晶ダイヤモンド粒界の原子構造直接決定を行った結果を述べている。シリコンの場合と同じ{111}Σ3結晶粒界、{221}Σ9結晶粒界、{112}Σ3結晶粒界、{114}Σ9結晶粒界に加え、5回対称双晶を見出し中心の粒界原子構造を決定している。配位数欠陥原子コラムに原子が実在することが観察され、この構造が電子エネルギー損失分光法によってπ*ピークが観測される粒界に対応することを示している。このことによって、ダイヤモンドにおいては、ギャップ内準位は配位数欠陥原子コラムと密接な関係があることを示している。

 第6章では、電子エネルギー損失分光法と第一原理計算を用いてダイヤモンド結晶粒界の電子構造解析を行った結果を述べている。ダイヤモンド粒界の電子エネルギー分光実験において出現するπ*ピークを生み出す源となっている配位数欠陥原子の<110>方向の結合が、σ型の結合に比べて弱い結合となっていること、この弱い結合は、伝導帯の底部に位置する非占有準位を生み出していること、等を示している。また原子構造解析の結果との比較により、ギャップ内準位は、<110>方向の原子間距離が結晶部に比べ110%以上になると現れることをつきとめ、配位数欠陥原子コラムの原子構造とギャップ内準位との間に密な相関があることを電子論的に説明している。

 第7章は前章までの結果をまとめ、シリコン結晶粒界とダイヤモンド結晶粒界の比較を行って総括としている。多様なパラメータの中で結局は、配位数欠陥原子の<110>方向に作る弱い結合が、シリコンとダイヤモンドの結晶粒界を特徴づける特有の電子状態を作ることを述べている。

 以上のように、本論文は、超高圧超高分解能電子顕微鏡と第一原理計算の協働により、半導体結晶粒界における原子構造と電子構造の相関を初めて具体例で明らかにしている。また、シリコンとダイヤモンドのように、半導体という同種の物質として同列に論じられる傾向のある材料が、結晶粒界では同一でないことを明確に示している。さらに、結晶粒界特有の電子状態の起源や、原子種による違いをも確認しており、半導体工学や結晶界面学ひいては、近未来の結晶粒界工学への進展に寄与するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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