学位論文要旨



No 117629
著者(漢字) 山本,光夫
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ミツオ
標題(和) 酸素負イオンとCF4/HFCsの反応性に関する研究
標題(洋)
報告番号 117629
報告番号 甲17629
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5346号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 定方,正毅
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 山下,晃一
 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 助教授 廣川,淳
内容要旨 要旨を表示する

1. 研究背景および目的

 1997年12月に開催された気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)において「京都議定書」が採択され、6種類(CO2,CH4,N2O,HFCs,PFCs,SF6)が規制対象ガスに指定された。この中でHFCs(Hydrofluorocarbons)およびPFCs(Perfluorocompounds)は、冷媒や半導体分野など様々な工業分野で使用されている。これらの処理に関しては燃焼法や触媒法など実機に近い分解法が開発されつつあるが、コストや有害副生物の問題が残っている。また大気化学におけるHFCsやPFCsの挙動については、中性ラジカルとの反応は詳細に調べられているが、イオンとの反応は明らかになっていない部分が多い。

以上のことから、本研究では負イオンとHFCs,PFCsとの反応に着目し、その反応性を実験および量子化学計算の両面から評価することを目的とした。負イオンとしては、多くの反応において活性が高い酸素負イオン(O-)に着目した。対象ガスは、PFCsとしてCF4、HFCsとしてCHF3,CH2F2,CH3Fを選択し、O-との反応性を評価した。本研究では、特にH原子置換による反応性の変化を議論し、処理が非常に困難なCF4の新たな分解法開発の可能性を示すことを研究の目的とする。

2. O-とCF4/CHF3の反応性-ab initio計算による評価

SIFT(selected ion flow tube)法を用いた既往の研究では、thermalの条件ではO-とCF4は反応しないことが確認されている。一方でO-とCHF3は速やかに反応し、反応速度は1.9×10-9cm3molecule-1s-1、生成イオンはe-(30%),OH-(4%),F-(16%),HF2-(3%),CF3-(47%)である。この反応性の違いの原因について、ab initio計算を行い反応動力学の観点から考察を行った。計算にはGaussian 98を用い、構造最適化をMP2/6-31+G**、エネルギー計算をMP4/6-311++G(2df,p)で評価した。

O-とCF4の反応経路は、SN2反応が考えられるため、発熱反応で生成するCF3O-,F-,F2-の3つの経路についてポテンシャルエネルギー面(PHS)を描き、反応障壁を評価した(Fig.1)。反応障壁はMP2/6-31+G**では221.9kJ/molにもなることが示された。遷移状態の後に反応経路は分岐して2つの中間体(CF3O…F-,CF3O-…F)が生成し、CF3O…F-からはF-、CF3O-…FからはCF3O-とF2-が生成することが確認された。以上より、反応性の悪さの原因は反応障壁の高さにあると結論付けられた。

 O-とCHF3の反応における反応経路としては、SN2反応に加えてH原子(H+)の引抜き反応が存在する。Fig.2はSN2反応におけるPESである。UMP2/6-31+G**で計算したものであるが、活性化エネルギーは5.6kJ/molである。しかし計算精度の良いUMP4/6-311++G(2df,p)の計算では-3.2kJであり、SN2反応では反応障壁は存在しないといえる。またSN2反応では、遷移状態の後に反応経路は2つに分岐してCOF2-とHF2-が生成し、最終的にF-が生成することが示された。電子については、COF2-からの電離により生成する。一方、CF3-とOH-は、H(H+)の引き抜き反応により生成する。SN2反応の場合と同様にPESを求めた結果、反応障壁は存在しない(-87kJ/mol)ことが示された。以上より、O-とCHF3の計算においても実験と矛盾しない計算結果が得られた。CF4とCHF3の電荷分布の観点から考察した結果、CHF3がCF4に比べてO-との反応性に優れるのは、プラスにチャージしたH原子の存在がO-を近づきやすくするためであるとの知見が得られた。

3. O-とCF4/CHF3の反応性-実験による評価

本研究の実験ではGuided Ion Beam(GIB)法を用いることにし、実験装置の作製を行った。実験装置(Fig.3)は、イオン源、単一イオン種を選択するマスセレクト部、反応部、イオン検出する四重極質量分析部から成り立つ。O-は電子衝撃イオン化法を用いN2Oガスから生成したが、そのエネルギー分布は11.8eV(半値幅)と広い。したがって、実験データはデコンボリューション補正することにした。

 Fig.4はO-とCHF3の反応における生成イオン断面積のO-エネルギー依存性である。O-エネルギーが5,15,35eVの時に検出されたイオンがF-,HF2-,CF3-であったので、この3種の断面積変化を調べた。SIFT法での生成イオンと、本実験の低エネルギー側での生成イオン種は良い一致を示した。予想と違いF-に比べCF3-の断面積が小さいのは生成イオンの散乱方向(角)が関係している可能性が高い。また、CF3-がO-エネルギー上昇と共に減少するのは、OH-の生成ポテンシャル面はCF3-のポテンシャル面の励起状態にあたるため、エネルギーの増大と共にOH-の生成割合が増加しているためと考えられる。

Fig.5は、O-とCF4の反応におけるO-エネルギー依存性である。F-とCF3-のみが生成イオンとして得られている。生成イオンの総反応断面積が非常に小さく、捕集効率はCHF3の場合の1/10以下に落ちた。この原因は、発熱反応経路において生成するイオンのF2-やCF3O-が散乱角の影響で検出できていないことが大きいと考えられる。実際、F-は直線的に生成するのに対して、CF3O-,F2-はその散乱角が大きくなることがab initio計算により示されている。またFig.5ではO-エネルギーが0eVの時からF-,CF3-が生成しており、ab initio計算結果におけるF-とCF3-生成の閾値(2.3eV,3.2eV)とは矛盾した結果が得られた。これはO-のエネルギー分布幅が11.8eV(半値幅)あることによるものと考えられる。実際に、Fの反応断面積のエネルギー依存性を

(C:定数,Et:O-の並進運動エネルギー,E*:閾値)

と仮定して、コンボリューションを行うと、Fig.5のF-の挙動を再現することができた。したがってab initio計算での予想通り、thermalの条件ではO-とCF4の反応は進行しないが、O-の並進運動エネルギーを増加させることにより、CF4の分解反応が進行することを実験的に証明することができた。この結果は、O-によるCF4分解を試みる上で、非常に重要な結果となった。

4. H原子置換による反応性の変化-O-とCH2F2/CH3Fの反応性評価

O-とCF4/CHF3の反応性の違いが明らかになったため、ここではO-とCH2F2,CH3Fとの反応性についてGIB法とab initio計算の両面から評価した。計算は、CH2F2は既往の研究で行われているため、ここではO-とCH3Fの反応のみをGaussian 98を用いて行った。

O-とCH3Fとの反応経路には、(1)H原子の引抜き反応、(2)H2+の引抜き反応、(3)SN2反応の3つの経路が存在する。Thermalの条件でOH-(68%),CHF-(31%),F-(1%)が生成するが、OH-は経路(1)、CHF-は経路(2)、F-は経路(3)から生成する。本研究で計算したこれら反応経路のポテンシャルエネルギー図をFig.6とFig.7に示す。反応経路(1),(2)について(Fig.6)は、PES交錯の後2つの中間体(OH-...CH2F(Cs),OH-...CH2F(C1))を経て、OH-,CHF-が生成する。反応障壁は存在しない。一方で経路(3)(Fig.7)は典型的なSN2反応のPESを示し、こちらも反応障壁は存在しない。

 以上の計算結果は、SIFT法の結果に矛盾しないとともに、同じ3つの反応経路((1)〜(3))を持つO-とCH2F2の反応における計算と一致した。以上より、O-とCH3Fは速やかに反応することがab initio計算からも示された。

O-とCF4/HFCsの反応性に関する計算および実験結果から、O-との反応においてはH原子数が反応経路の種類に直接的な影響を与え、反応性の違いに大きく寄与するとの知見が得られた。

5. 結言

O-とCF4/HFCsの反応性を、ab initio計算と実験の両面から評価した。Ab initio計算にはGaussian 98を用い、実験にはGIB法の装置を作製して用いた。Ab initio計算では、O-とCF4,CHF3,CH3Fの3つの反応に関するPHSを求め、反応障壁・反応分岐などを評価した。その結果、CF4の反応においては、SN2反応が発熱反応にも関わらず221.9kJ/molもの反応障壁が存在するとの知見を得た。一方、CHF3,CH3Fの各反応経路においては、反応障壁は存在せず、F原子とH原子の置換がO-との反応性に大きな影響を与えると結論付けられた。GIB法の実験では、生成イオンへのO-の並進運動エネルギー依存性を評価した。特にO-とCF4の反応ではF-とCF3-が生成し、計算結果の妥当性を証明する結果が得られると共に、O-によりCF4が分解可能であるとの知見を得ることができた。

Fig.1 Schematic diagram of the O- + CF4 reaction calculated at the UMP2/6-31;G** level

Fig.2 Schematic diagram of the O- + CHF3 (SN2) reaction calculated at the UMP2/6-31+G** level

Fig.3 Experimental apparatus of guided ion beam method

Fig.4 Cross sections for the product ions from the O- + CHF3 reaction as a function of collision energy in center-of mass frame

Fig.5 Cross sections for the productions from the O- + CF4 reaction as a function of collision energy in center-of mass frame

Fig.6 Potential energy diagram for H and H+ abstraction channels of the O- + CH3F reaction predicted at the UMP2/6-31+G**

Fig.7 Potential energy diagram for SN2 reaction of the O- + CH3F reaction predicted at the UMP2/6-31+G**

審査要旨 要旨を表示する

 気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)において採択された「京都議定書」では、6種類(CO2,CH4,N2O,HFCs,PFCs,SF6)が規制対象ガスに指定された。この中でHFCs(Hydrofluorocarbons)およびPFCs(Perfluorocompounds)は、冷媒や半導体分野など様々な工業分野で使用されている。これらの処理に関しては燃焼法や触媒法などが開発されつつあるが、コストや有害副生物の問題が残っている。また大気化学におけるHFCsやPFCsの挙動については、中性ラジカルとの反応は詳細に調べられているが、イオンとの反応は明らかになっていない部分が多い。そこで、本論文は「酸素負イオンとCF4/HFCsの反応性に関する研究」と題し、CF4,HFCsの新規分解法開発を目指し、実験および量子化学計算の両面からその反応性を評価することを目的とした。酸素負イオンの中でもO-に着目し、HFCsとしてCHF3,CH2F2,CH3Fを選択している。また本論文は、特にH原子置換によるCF4およびHFCsの反応性の変化に焦点をあてて議論を展開しており、全部で6章からなる。

第1章では、地球温暖化問題におけるCF4,HFCsの現状と課題について整理し、負イオンの役割が重要な分野と既往の研究について言及してO-の特長を示した上で、本研究の位置づけと目的を定義している。

第2章では、O-とCF4/CHF3の反応における反応動力学に関して、Gaussian 98を用いたab initio計算を行い、反応性の違いの原因について検討している。既往の研究においては、O-+ CF4はthermalの条件では反応しないのに対して、O-+CHF3は1.9×10-9cm3 molecule-1s-1もの速度定数を持つことが確認されている。ここでは、O-+ CHF3,O-+ CF4の各反応経路についてポテンシャルエネルギー面の計算を行い、反応障壁の有無を評価している。この反応動力学的考察により、O- + CHF3ではどの反応経路においても反応障壁は存在しない一方で、O-+ CF4では反応障壁が221.9kJ/molも存在することを明らかにしている。そして、CF4とCHF3の反応性の違いは、H原子の置換効果が大きく、分子表面の電荷分布が大きく変化するためであると結論付けている。

第3章では、GIB(Guided Ion Beam)法の実験装置の作製と予備実験であるO-生成実験について言及している。イオン分子反応に用いられる各種の実験装置の概要を記述し、作製した実験装置の特長と装置性能について詳細に述べている。O-生成法としては電子衝撃イオン化法を選択している。S/N比、信号強度共に十分なO-量を得ることができたが、エネルギー分布が半値幅で7.5eVもの幅を持つため、第4章以降の実験結果はデコンボリューションを用いて補正するとしている。

第4章では、作製した実験装置を用いて行ったO-とCF4/CHF3との反応実験結果についてまとめている。O-+CHF3では、発熱反応経路であるF-,HF2-,CF3-の3種類のイオンの生成を確認し、O-の並進運動エネルギーが0〜22eVの範囲での反応断面積の変化を考察している。O-+CF4では、F-とCF3-が反応により生成することを確認し、その並進運動エネルギー依存性を検討している。この結果により、O-にエネルギーを与えることで難分解性のO-+CF4の反応が進行するとのab initio計算による予測を実験的に証明することができたと結論付けている。

第5章では、O-+CF4,O-+CHF3の反応性の違いにH原子置換の影響が大きく反映されたことから、さらにH原子置換したCH2F2,CH3FとO-の反応性についてab initio計算とGIB法での実験を行い、O-+CHxF4-x(x=0〜3)の反応におけるH原子置換の影響を評価している。ここでのab initio計算は、既往の研究例がないO-+CH3Fのみを行っている。考え得る3つの反応経路全てにおいて反応障壁は存在せず、既往の実験に矛盾しない計算結果が得られた。本論文におけるab initio計算結果を総括すると、O-+CHxF4-x(x=0〜3)におけるH原子置換の反応性への影響はx=0とx=1との差は大きいものの、x=2以上ではいずれの経路でも反応障壁が存在しないことから、反応性(速度)へのH原子置換の影響は小さいことが明らかとなった。しかし、反応動力学的にはH原子の増加と共に反応経路が複雑化すると結論付けている。これらのab initio計算結果を踏まえ、第5章ではさらにO-+CH2F2,O-+CH3Fについての実験を行い、O-エネルギー依存性について考察を加えている。

第6章では、第5章までの研究成果を総括すると共に、O-を用いたCF4/HFCs分解法開発に向けた実験装置を提案し、今後の展望としてまとめている。

以上要するに、本論文はO-がCF4/HFCs分解に応用できる可能性を示すとともに、フルオロカーボンのH原子置換が反応性に与える影響について実験と理論計算の両方から明らかにしたもので、環境工学および化学システム工学に大きな貢献をするものである。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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