学位論文要旨



No 117630
著者(漢字) 庄司,裕子
著者(英字)
著者(カナ) ショウジ,ヒロコ
標題(和) コンセプトの精緻化過程として特徴づけられる購買行動を支援するためのインタラクション
標題(洋)
報告番号 117630
報告番号 甲17630
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5347号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 馬場,靖憲
 東京大学 教授 西田,豊明
 東京大学 助教授 杉本,雅則
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 購買は,誰もが日々の生活の中で経験する極めて日常的な行為である.毎回の購買は小さな意思決定であるが,そこで行なわれる真剣な思考活動は非常に興味深いものである.我々は欲しいものを買いに行くのが購買だと思いがちであるが,アンダーヒルが指摘したように「欲しいものは店で決まる」場合も多い.このように,曖昧な要求やコンセプトしか持たない顧客が店舗内での環境や店員とのインタラクションによって「これこそが私の欲しいものだ」と確信して意思決定に至るような購買を,本研究では「コンセプト精緻化型購買」と呼ぶ.この種の購買を実店舗だけでなくオンラインショッピングでも効果的に支援する枠組みを提案することが,本研究の目的である.

 コンセプト精緻化型購買は実店舗ではしばしば観察されるが,既存のオンラインショッピングサイトのほとんどは,顧客の要求が予め明確に定まっていることを前提としており,コンセプト精緻化型購買を対象としていない.したがって,本研究の知見は経験的・感性的マーケティングをオンラインショッピングで実現するために有意義であると期待される.

2.問題解決型購買とコンセプト精緻化型購買

 本研究ではまず,現実世界の店舗での購買行動を観察することから始めた.そして,購買時の意思決定過程に焦点を置いて107の購買事例を観察した結果,購買は主として問題解決型購買とコンセプト精緻化型購買の2つに大別できることが確かめられた.

 問題解決型購買とは「何を買うべきか」が予め決まっているような購買である.問題解決型購買を行なう顧客は欲しい商品のイメージや機能がはっきりしており,要求を満足するような商品(解)を探索して候補を発見し,候補を(複数あれば比較)検討し,評価し,買うかどうかの意思決定を行なう.

 一方,コンセプト精緻化型購買とは「何を買うかを考えながら決める」ような購買である.コンセプト精緻化型購買を行なう顧客は,要求が曖昧な状態から始まって,色々な商品を見るうちに何らかの情報がトリガーとなって未分節であった自分の要求を分節し,自分の要求とそれに合う商品について理解し,納得して,買うかどうかの意思決定をする.顧客は,商品を見て初めて自分の要求が明確になるのである.

 実購買では状況に応じて問題解決型購買とコンセプト精緻化型購買が使い分けられる.また,1回の購買中で両者が入り混じって観察されることもある.

3.対話によるコンセプト精緻化

 次に,収集した事例のうち分析可能であった51事例について,購買時の顧客と店員の対話を分析し,店員とのコミュニケーションによって顧客のメンタルワールドがどのように変化するかを調べた.特に,本研究の主対象であるコンセプト精緻化型購買において,どのような情報提供が効果的であるかに焦点を当てて分析を行なった.その結果,コンセプト精緻化型購買を行なう際の顧客の意思決定プロセスにおいては,適切なタイミングで店員が「意外な対応」をすることによって顧客の視点が変化し,その視点の変化が探索目標自体の変化を誘発するケースが多数観察された.そして,このようなインタラクションがコンセプト精緻化型購買の意思決定に効果的であることがわかった.

 ここで,「意外な対応」とは何かを簡単に説明する.本研究では,実購買時の店員の対応を,顧客の視点に変化が起こるかどうかを基準として,「順当な対応」と「意外な対応」の2つに大別した.

 店員の役割は通常,顧客の要求に応えるような解(商品)を提示することだと考えられている.この役割を果たすような対応を「順当な対応」と呼ぶ.顧客が問題解決型購買を行なう場合には,順当な対応が有効である場合が多い.

 それに対して,顧客の現在の思考とは別の視点からの情報提示を行なうような対応を「意外な対応」と言う.顧客がコンセプト精緻化型購買を行なう場合には,意外な対応が有効となる場合が多い.なぜなら,適切なタイミングで「意外な対応」によって新しい視点が提供されることによって,顧客の潜在的な要求により合うように探索目標自体が変化し,顧客は自分の要求をより明確にイメージできるようになるからである.

4.コンセプト精緻化を促す情報

 意外な対応はコンセプトを精緻化するためのトリガーとして有効である.すなわち,意外な対応はコンセプト精緻化型購買を支援するために有効である.そして,コンセプト精緻化を促すためには,「気づき」と「理解と納得」の双方を支援することが重要である.

 意外な対応によって顧客の視点が変化し,その視点の変化が探索目標自体の変化を誘発し,結果として意思決定が促進される場合がある.優秀な店員は意外な対応を上手に使って「気づきの支援」を行なうことができる.

 そして,意外な対応によって新たな視点に気づいた顧客がその視点を自然に受け入れるためには,理解と納得が必要になる.優秀な店員は,具体的な使用場面や使用方法などを上手に説明するなどして,「理解と納得の支援」を行なうことができる.

5.S-Conart:Concept Articulator for Shoppers

 本研究では実購買行動の分析を通じて得た知見をもとに,オンラインショッピングシステムにおいてコンセプト精緻化型購買を支援するための効果的な情報提供手段について考え,実験システムS-Conart(Concept Articulator for Shoppers)を作成した.

上述のように実購買行動の分析を通じて,コンセプト精緻化型購買を支援するには「気づきの支援」と「理解と納得の支援」が重要であることが見出された.S-Conartでは,空間配置形式による情報提示によって気づきの支援を行ない,場面情報を提供することによって理解と納得の支援を行なうというアプローチを採用した.

空間配置による気づきの支援を試みた理由は,従来の創造性支援研究などの知見から,空間配置による情報提示が有効であると考えられたためである.したがってS-Conartでは,MDS(多次元尺度構成法:Multi-Dimensional Scaling Method)を用いた空間配置による情報提示によって「気づきの支援」を行なう機能を実装した.

 一方,場面情報による理解と納得の支援を試みた理由は,ブランドイメージ戦略に関する従来研究などの知見から,商品のイメージや使用場面などについての情報(本研究ではこれを場面情報と呼ぶ)がコンセプトの精緻化に効果的であると期待されたためである.そこでS-Conartでは,(1)商品に関する場面情報が記載されたコメントを閲覧できるようにする.(2)全商品に関するコメントから抽出した語を「場面ウィンドウ」内にグラフとツリー形式で表示する.という2つの機能を実装し,現在のユーザの思考に適した場面情報を提供してユーザの「理解と納得の支援」を行なう機能を実装した.

6.評価実験

さらに本研究では,作成した実験システムS-Conartによるオンライン購買実験を行ない,気づきの支援効果,理解と納得の支援効果のそれぞれについて評価検討を行なった.

 最初の実験では,空間配置形式の情報提示による「気づきの支援」効果について検討した.比較対象としてリスト形式による情報提示を用いた.その結果,空間配置による情報提示はユーザに対して新たな視点への気づきを促すのに効果的であることが確認できた.また,リスト形式の情報提示は,むしろ問題解決型購買の場合に有効であることが見出された.

 次の実験では,場面情報の提示による「理解と納得の支援」効果について検討した.その結果,ユーザが新たな視点に気づいたときに場面情報を利用すると,買うべき商品やコンセプトについてのイメージを膨らませるためや,あるいは逆に絞り込むために効果的であることが見出された.

 したがって,空間配置形式の情報提示と場面情報の提示を適切に併用することによって,コンセプト精緻化型購買を支援するのに役立つと期待される.

 従来の創造性支援システムに関する研究では,空間配置形式の情報提示による気づきの効果のみが強調されることが多かった.従来研究で対象とされた作業は設計や芸術的な創作活動といったプロフェッショナルタスクであったため,専門家であるユーザは新たな視点に気づけば必ず理解と納得できる.したがって,従来研究では理解と納得の支援を必要としなかったと考えられる.しかしながら,非専門家の日常的な行動におけるコンセプト精緻化を支援するためには,気づきとともに理解と納得を支援することが重要である.そして,専門家にとっても「非専門家(クライアントなど)に説明して納得してもらう」ことは重要な課題である.したがって,理解と納得の支援に関する本研究の知見は,プロフェッショナルタスクを対象とするシステム作成に対しても重要な示唆を与えるものである.

7.まとめ

 本研究では,人間のメンタルワールドの変化という問題に焦点を当てたインタラクションデザインについて考えた.具体例として購買を取り上げ,コンセプト精緻化型購買においては,新たな視点への気づきを支援し,新たな視点を自然に受け入れられるような理解と納得を支援するようなインタラクションが有効であることを述べた.そして,空間配置形式の情報提示による気づきの支援および,場面情報の提示による理解の納得の支援によってコンセプト精緻化型購買を支援するためのシステムS-Conartを作成し,評価実験を行なってその有効性を検討した.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「コンセプトの精緻化過程として特徴づけられる購買行動を支援するためのインタラクション」と題し、7章からなる。

 現代の杜会において、人々の生活と情報技術の関係は、多様なものになろうとしている。しかしながら、情報技術が普通の人々の日常の行動を十分に分析した上で開発されてきたかというと、必ずしもそうではなかった。本論文は、購買行動という人間の日常的な活動に焦点をあて、その詳細な分析の結果を生かして、新しい情報技術を提供し、その有用性を実証しようとするものである。

 本論文は大きく言って二つの点において貢献している。第一点めは、購買行動という日常的な行動において、創造的認知過程が働いていることを、発見したことである。人々は、物を購入しようとする時、買いたいものが最初から明確に定まっているとは限らない。店員とのやりとりの中から、買いたいもののコンセプトを分節していくことも多い。その過程を、認知科学の研究手法を用いた購買行動データの分析結果から、コンセプト精緻化過程として説明し、そこには創造的認知過程が含まれていることを明らかにした。第二点めは、従来のシステムでは対応していなかったそのような創造的認知過程を含む購買行動を支援するシステムを構築し、その有用性を実験により実証したことである。商品データの空間的表現と商品の背景情報のことばでの説明の間をユーザが往復できるシステムを提案し、その効果を認知科学的に詳細に調べる実験を行なった。

 第1章は序論であり、本研究の背景、位置付け、および目的を述べている。

 第2章では、関連研究を紹介し、本研究の位置付けを明らかにしている。関連する研究領域として、創造性に関する研究とマーケティングに関する研究のふたつの異なる研究領域を取り上げて説明し、従来は存在しなかったそれらのふたつの領域を結ぶ新しい研究領域を本論文が開拓しようとしていることを主張している。

 第3章では、実購買行動の分析結果について述べている。実際の購買における客と店員との会話を分析することにより、優秀な店員と普通の店員との違いを明らかにしている。その結果、優秀な店員と客との間の会話においては、創造性に関わる認知科学的研究で報告されてきたのと同型の、思考空間の不連続な変化が観察されることを、示している。

 第4章では、コンセプト精緻化過程を支援することのできるインタラクションシステムを提案している。3章で分析した優秀な店員の機能を、そのままコンピュータ上にコピーするのではなく、コンピュータからの情報提示方法を変えることにより、優秀な店員との会話と同等の効果を実現できることを、主張している。

 第5章と第6章では、システムを用いた実験の結果を述べている。第5章においては、商品の間の関係を空間的に表示するシステムが、買いたい商品のコンセプトについて気付かせるという効果をもたらすことを、実証している。第6章においては、商品の背景知識を説明する機能が、商品のコンセプトについての理解と納得を促進するという効果を、実証している。

 第7章は、結論であり、本研究の成果をまとめ今後の課題を示している。

 以上を要するに、本論文は、購買行動という人々の日常行動における認知過程を分析し、その結果を生かしたインタラクションシステムを構築し、実験によりその有効性を確認したものであり、工学上寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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