学位論文要旨



No 117637
著者(漢字) 金,熙容
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヒーヨン
標題(和) 東シナ海におけるマアジ卵・仔魚の輸送過程に影響する流動構造と変動に関する研究
標題(洋) Studies on the current structure and variability affecting the transport process of jack mackerel (Trachurus japonicus) eggs and larvae in the East China Sea
報告番号 117637
報告番号 甲17637
学位授与日 2002.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2474号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 小松,輝久
 東京大学 助教授 木村,伸吾
 東京大学 助教授 川辺,正樹
内容要旨 要旨を表示する

 東シナ海の大陸棚縁辺の黒潮前線域は、多獲性浮魚類の産卵場として重要である。この海域は黒潮の影響を強く受けている。黒潮は台湾の東側から東シナ海に流入しトカラ海峡から流出するが、一部は台湾海峡から流入し対馬海峡から流出している。九州西岸沖合では、黒潮の一部が分枝流として間欠的に北上し、対馬暖流に加わっている。しかし、それらの動態とメカニズムおよび物質輸送過程については、まだよく分かっていない。マアジTrachurus japonicusは東シナ海に主産卵場を持ち、そこで発生した仔稚魚は黒潮や対馬暖流によって日本周辺の沿岸成育場へ輸送されると考えられている。東シナ海のマアジは、九州北部系群、東シナ海中部系群、東シナ海南部系群の3系群に分けられている。そのうち、東シナ海中部系群は九州近海および黄海方面にまで回遊し、産卵場は東シナ海中部、産卵盛期は2,3月である。この系群は日本周辺のマアジ系群の中でも資源量が最も多く、マアジ資源の主体となっている。しかし、東シナ海におけるマアジの産卵場と仔稚魚の時空間分布・輸送に関する知見は乏しく、加入量や資源変動予測モデルを構築する上で大きな障害となっている。

 東シナ海におけるマアジ卵・仔魚の輸送過程について、これまでは、東シナ海陸棚縁辺域におけるマアジ仔稚魚の月別・体長別の水平分布様式から仔魚の輸送経路が推定されてきた。しかし、広い産卵海域と複雑な物理環境(海流、前線、水温と塩分)を考慮した輸送過程の研究はほとんどなされてない。これまでのマアジ漁場に関する知見では、漁場分布の南限は黒潮と大陸棚水間の黒潮前線である。マアジの主産卵時期である1月から2月にかけて2001年に西海区水産研究所が行った東シナ海のマアジ卵・仔魚採集調査の結果、水深150m周辺に多く分布していることが明らかになった。この分布は大陸棚上において前線渦の形成されている位置とほぼ一致している。

 そこで本研究では、この様なマアジの初期生活史における卵・仔魚の輸送過程を以下の三つの観点・方法での解明を試みた。まず、係留系による現場の流速の長期連続観測により、卵・仔魚の輸送に影響を及ぼす黒潮前線域の流動変動特性と、九州南西沖合における黒潮前線から派生した暖水渦の挙動について調べた。次に、季節変動を考慮した3次元全球海洋数値モデルによる流動場を用いて浮遊粒子の移流・分散実験を行い、東シナ海におけるマアジ卵・仔魚の輸送経路に対する黒潮前線に相対的な産卵場位置の違いの影響を検討した。さらに、九州西岸の沿岸成育場に来遊する仔稚魚の輸送経路をより詳しく調べるため、海面水温分布の人工衛星画像の連続シーンからより詳細な流速場を推定し、これを用いた数値モデルによる移流・分散実験を行った。その結果を現場におけるアルゴスブイの漂流経路と合わせて検討し、輸送過程に対する黒潮前線波動と暖水渦の影響の重要性を明らかにした。

 得られた研究成果の概要は以下の通りである。

1.東シナ海における黒潮前線の変動と九州南西沖合域での暖水渦の挙動

 東シナ海の陸棚斜面上と九州南西沖合域に長期間設置した係留系による流速データを用いて、黒潮前線と暖水渦の時間的変動特性を解析した。九州南西沖合の2地点における底層の流速には周期17日、波長240km、位相速度16.3cms-1の変動が認められた。黒潮流軸の北西側の陸棚斜面上における上層の平均流は下流向きであったが、中層の平均流は、九州南西沖の底層の流速と同様、黒潮上流向きであった。しかし、中層の流れの変動成分は上層の影響が強く、九州南西沖の底層の流速との相関を取ると、周期18日、波長は310kmで、位相速度は下流向きに20cms-1を示した。また、黒潮上流側の陸棚斜面に直交する三系の係留系から上層のデータを用いて流速変動を調べたところ、黒潮流軸とその北西側の斜面上の流速は0.9の高い相関を示し、卓越周期は12日であった。次に、九州南西沖の黒潮前線と暖水渦の動態をモニターするため、東経129度に沿って南北に設置した三系の係留系の流速データを見ると、南(北緯29度40分)の地点における平均流は東向きで、変動には、13,18日と26日に卓越周期が認められた。また、北の二系(北緯31度30分と30度30分)では、18-20日と13-14日周期で変動する時計回りの渦が認められた。

2.数値実験と漂流ブイの流跡から見たマアジ卵・仔魚の輸送過程

 能動的に遊泳する前のマアジの浮遊性卵・仔魚は、海洋の表層流によって輸送される。そこで、マアジ卵・仔魚が、東シナ海における流動場の影響を受けて、どのように輸送されるかを調べるため、季節変動や吹送流の入った全球大気海洋数値モデルによる流速場を用いて検討した。この数値実験では、黒潮前線を横断する東経126度線上の四地点に粒子を投入して追跡し、仔稚魚が死亡しない場合(ケース1)と、温度と成長段階に依存して死亡する場合(ケース2)について、粒子の漂流経路を計算し、成育場への到達経路等を検討した。

 その結果、ケース1では黒潮流軸(北緯27.5度)と前線付近(北緯28.0度)に放流された粒子は、2ヶ月の間に80%以上が日本南岸沖合に流れた。一方、北緯28.5度と29.0度の大陸棚上に放流された粒子は、62%以上が東シナ海の陸棚上と九州西岸に残り、これらの一部が東シナ海のマアジ漁場に加入するものと考えられる。また、九州南西の黒潮前線渦から北上する流れがあり、黒潮前線付近の粒子の一部は九州西岸に沿って北に輸送されることも分かった。ケース2の場合、マアジの成長に伴う適水温帯(成長とともに適水温帯が広がる)を適用して生残率を与えて輸送・生残実験を行った。その結果、九州西岸沖の暖水渦流域は適水温帯が広く、放流後50日目まで生残しているものが存在した。

 数値モデルによる粒子の追跡とともに、現場でアルゴス漂流ブイの追跡実験を、2001年2月に行った。その結果、水深200m以上の黒潮前線域に投入された漂流ブイは、黒潮流軸に沿って流され日本南岸沖の黒潮とその周辺域に達するが、陸棚上の水深100-150m付近に投入された漂流ブイは、対馬海峡に向かって流れた。この二つの流路パターンは、黒潮前線から離れた大陸棚上および黒潮本流に産卵された卵・仔魚は、数値実験でも示されたように、九州西岸に輸送される確率が低いことを示している。マアジ仔稚魚の生残に良好な環境を持つ九州西岸沖の暖水渦域への輸送には、産卵場が大陸棚縁辺の150m等深線付近に形成されることが重要であることが見出された。

3.九州南西岸沖の前線渦・暖水渦による仔稚魚の輸送過程

 五島列島南方、九州西岸沖の渦流域は、マアジ仔稚魚の成育場として重要であると考えられている。そこで、この海域に焦点を当て、仔稚魚のこの海域への輸送・来遊過程を調べた。このために、人工衛星AVHRR画像の連続シーンを用いてより細かい時空間スケールの流速場を作成し、仔稚魚の輸送経路を求めて考察した。その結果、平均的な移流場として、済州島南方の陸棚上では、対馬海峡に向かう北上流と九州南西沖の黒潮前線から発生した反時計回りと時計回りの渦対によって北上する暖水の流れ(ストリーマ)が示された。このような中規模渦の水平流速場を用いた仔稚魚の追跡実験を三ケ所の放流地点(韓国済州島南方の大陸棚上と、九州西方の陸棚斜面上と、九州南西の黒潮前線渦中)から行った。その結果、九州南西沖の黒潮前線渦中に放流された粒子は、強い流れの影響で比較的早く九州西岸沖の成育場に到達し、加入に良好であることが示された。しかし、済州島南方と九州西方の陸棚上に放流された粒子は、流れが弱いために、陸棚上の比較的低温な海域に残される傾向が示された。また、漂流ブイの現場実験からも、九州西方沖の大陸棚上、九州の南西沖合の黒潮前線域から暖水渦流域、および対馬海峡への輸送経路が明らかになり、数値実験の結果ともよく対応していることが分かった。

 以上、東シナ海におけるマアジの主産卵場である中部陸棚縁辺の黒潮前線域から、黒潮と対馬暖流および沿岸成育場への輸送過程を解明するため、係留系による流動場の変動特性の現場観測と、数値モデルによる粒子の移流・分散実験を行った。それらの結果、陸棚縁辺部のほぼ等深線に沿った流動場の空間的構造と時間的変動、黒潮前線域における前線波動およびそれらの卵・仔魚輸送機能の実態が詳細に解明された。さらに、海面水温分布の連続画像に基づくより詳細な流速分布を用いた数値モデルによる卵・仔魚の移流・分散実験と漂流ブイの輸送経路から、産卵場から沿岸成育場等への輸送における黒潮前線渦や暖水渦の重要性が明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

 東シナ海の陸棚縁辺の黒潮前線域は、浮魚類の産卵場として重要である。マアジは東シナ海に主産卵場を持ち、仔稚魚は黒潮や対馬暖流によって日本周辺の沿岸成育場へ輸送される。東シナ海の中部系群は日本周辺のマアジ資源の主体であり、産卵盛期は2、3月である。しかし、産卵場と仔稚魚の時空間分布・輸送に関する知見は乏しく、加入量や資源変動予測を行う上で大きな障害となっている。従来は仔稚魚の月別体長別の水平分布から仔魚の輸送経路を推定してきたが、広い産卵海域と複雑な海洋構造を考慮した輸送過程の研究はほとんどなされてない。西海区水産研究所の最近の調査からマアジの仔魚は黒潮前線が位置する陸棚縁辺の水深150m付近に多く分布していることが明らかになった。

 そこで本研究では、以下の3つの方法でマアジ仔魚の輸送過程の解明を試みた。まず、現場の流速の係留系による長期連続観測により、仔魚の輸送に影響を及ぼす黒潮前線域の変動特性と、九州南西沖合の黒潮前線から派生した暖水渦の挙動について調べた。次に、季節変動の入った3次元全球海洋数値モデルによる流動場を用いて浮遊粒子の移流・分散実験を行い、東シナ海におけるマアジ仔魚の輸送経路に対する産卵場の位置の違いの影響を検討した。さらに、九州西岸沖の成育場に来遊する仔稚魚の輸送経路を詳しく調べるため、海面水温の人工衛星画像の連続シーンから詳細な流速場を推定し、これを用いた粒子の移流・分散実験を行った。それらの結果を、現場におけるアルゴスブイの漂流経路と合わせて検討し、産卵場から成育場への仔魚の輸送に対する黒潮前線波動と暖水渦の影響の重要性を明らかにした。

 得られた研究成果の概要は以下の通りである。

1.東シナ海における黒潮前線の変動と九州西岸沖の暖水渦の挙動

 東シナ海の陸棚斜面上と九州南西沖合域に長期間設置した係留系による流速データを用いて、黒潮前線と暖水渦の時間的変動特性を解析した結果。周期17.18日、波長240.310km、位相速度下流向き16.20cms-1の変動が認められた。

2.数値実験と漂流ブイの流跡から見たマアジ卵・仔魚の輸送過程

 マアジ卵・仔魚が、東シナ海における流動場の影響を受けて、どのように輸送されるかを調べるため、季節変動や吹送流の入った全球大気海洋数値モデルによる流速場を用いて検討した。この数値実験では、東シナ海中部の陸棚縁辺および黒潮前線を横断する東経126度線上の4地点に粒子を投入して追跡し、流れによる流去と死亡の効果を区別するため、仔稚魚が死亡しない場合と、温度と成長段階に依存して死亡する場合について、粒子の漂流経路を計算し、生残率を検討した。その結果、黒潮流軸と前線付近に放流された粒子群は、2ケ月の間に80%以上が東シナ海から日本南岸沖合へと流去するが、大陸棚上に放流された粒子は、60%以上が東シナ海の陸棚上と九州西岸に残った。また、九州南西の黒潮前線渦から北上する流れがあり、黒潮前線付近の粒子の一部は九州西岸に沿って北の成育場に輸送されることや、九州西岸沖の暖水渦流域は適水温帯が広いことが分かった。

 さらに、現場でアルゴス漂流ブイの追跡実験を行った結果、水深200m以上の黒潮前線域に投入されたブイは、黒潮流軸に沿って日本南岸沖に達するが、陸棚上の水深100-150m付近に投入されたブイは対馬海峡に向かって流れた。この2つの流路パターンは、黒潮前線から離れた大陸棚上や黒潮本流で産れた仔魚が九州西岸沖に直接輸送される確率は低くマアジ仔稚魚の生残に良好な環境を持つ九州西岸沖の暖水渦域への輸送には、大陸棚縁辺の150m等深線付近に産卵場が形成されることが必要であることが見出された。

3.九州南西岸沖の前線渦・西岸沖の暖水渦による仔稚魚の輸送

 稚魚の分布から、九州西岸沖の渦流域は、マアジ仔稚魚の成育場として重要である。そこで、人工衛星による表面水温分布の連続画像を用いてより細かい時空間スケールの流速場を作成し、輸送経路を求めて考察した結果、九州南西沖の黒潮前線から発生した反時計回りと時計回りの渦対によって北上する暖水ストリーマが示され、黒潮前線渦中の粒子は比較的早く九州西岸沖の成育場に到達できることが見出された。

 以上、東シナ海におけるマアジの主産卵場から、黒潮と対馬暖流および沿岸成育場への輸送過程を解明するため・係留系による流動場の観測と、数値モデルと漂流ブイによる粒子の漂流経路が解析され、前線波動と渦の機能が詳細に解明された。本研究の成果は、日本近海におけるマアジなどの浮魚資源の加入機構の解明において、学術上、応用上寄与するところが大きい。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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