学位論文要旨



No 117641
著者(漢字) 山中,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤマナカ,ケンタロウ
標題(和) 動作の遂行と抑制の意志決定に関する皮質内過程
標題(洋)
報告番号 117641
報告番号 甲17641
学位授与日 2002.10.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第88号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,義春
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 講師 多賀,厳太郎
 東京大学 教授 南風原,朝和
 東京大学 助教授 秋田,喜代美
内容要旨 要旨を表示する

 日常生活の様々な場面において適切な行動をとるためには、適切な動作を選択できることと同時に、その選択した動作を遂行するかしないかを決定できることが重要である。それは、選択した動作が適切か否かが、文脈によって変化してしまうためである。こうした文脈に応じて柔軟に刺激を認知・解釈して動作を選択する機能や、その動作を遂行するかしないかを決定する機能、そして実際に動作を遂行あるいは抑制する機能は、おもに前頭皮質が担っていると考えられている。この情報処理の皮質内過程を調べる最も単純な設定としてGo/NoGo課題があるが、本論ではこのGo/NoGo課題遂行中の、とくにGoかNoGoかの意志決定に関わる大脳皮質内の情報処理過程を調べることを目的とした。

 これまでに、Go/NoGo課題を用いた脳機能研究が数多くなされてきた。しかし、遂行するかしないかの「意志決定」の過程に言及したものはきわめて少ない。それは、通常のGo/NoGo課題のほとんどが、Goならば筋出力し、NoGoならばしない、という課題設定であるため、NoGoの決定に伴う、準備していた運動プログラムの停止と、その後の抑制性の運動出力を区分できないためと考えられる。そこで本論では通常のGo/NoGo課題(以下、Push-Go条件)に加え、Goならば出力を停止し、NoGoならそのまま出力し続ける、という逆向きの運動指令を要求するGo/NoGo課題(以下、Release-Go条件)を設定し、両課題遂行中の大脳皮質活動を比較することで、運動出力とは関係のない、純粋にGoかNoGoかの意志決定に関与する皮質内過程を抽出することを試みた。

 第一の実験では、この2種類のGo/NoGo課題を遂行中の視覚刺激呈示後の様々な時点に、動作する右手人差指を支配する左半球の運動皮質付近に経頭蓋磁気刺激(transcranial magnetic stimulation:TMS)を行い、第一背側骨間筋(first dorsal interosseous:FDI)に生じる運動誘発電位(motor evoked potential:MEP)を記録し、さらに事象関連電位(event-related potential:ERP)も記録した。すなわち、同一の筋に対して逆向きの運動指令(筋の活動と弛緩)を与えるGo/NoGo課題遂行中の、皮質脊髄路の興奮性の変容をMEPで、大脳皮質活動をERPで比較した。その結果、Push-Go条件・Release-Go条件ともに、GoかNoGoかの意志決定に関連する大脳皮質活動はほぼ同じ(図1B)であるにもかかわらず、GoあるいはNoGo決定後の皮質脊髄路の興奮性は逆向きに変容することが示された(図1A)。ここから、GoかNoGoかを決定する皮質内の過程と、その後の運動出力の過程は別個に存在することが示唆された。

 第二の実験では、2種類のGo/NoGo課題中遂行中に頭蓋全体から記録したERPに対して独立成分分析(independent component analysis:ICA)(Bell and Sejnowski 1995)を適用して、統計的に独立でかつ機能的に妥当な成分に分解することを試みた。さらに、純粋にGoかNoGoかの意志決定による皮質内過程の差異を調べるため、(Push-NoGo)-(Release-Go)および(Release-NoGo)-(Push-Go)差分ERPを算出し、同様にICAで分解した。その結果、視覚認知(All-N1)・左/右手での動作の遂行(Right/Left Go&SR-P3)・手によらない共通の動作の抑制(NoGo-P3l,NoGo-P3e)、に関連すると考えられるERP成分の他に、Go試行とNoGo試行に共通の成分(Go&NoGo)が、All-N1成分の後、Right/Left Go&SR-P3およびNoGo-P3eの前に、左右前頭領域(おそらく外側前頭皮質)に確認された(図2A)。さらに、差分波形の最初の成分はほぼ同じ時点の前頭領域中央部(おそらく内側前頭皮質)から出現した(図2B,IC1)。これらは、GoかNoGoかの意志決定には外側・内側前頭皮質が関与することを強く示唆するものであった。

 第三の実験として、左外側前頭皮質と左運動皮質にGo/NoGo課題遂行中の刺激呈示前・刺激呈示後60-80ms・160-180ms・260-280msにTMSを行い、その影響を比較した。その結果、TMSを刺激呈示後60-80ms(Go&NoGo出現直前)に左外側前頭皮質に行った場合のみ、NoGo試行にも関わらず間違ってボタンを押してしまう試行が有意に増大した(図3)。この結果は、左外側前頭皮質がヒトのGo/NoGo課題遂行に直接関与していることを示唆するものであった。

 MEPとERPを比較した結果、GoかNoGoかという同じ意志決定に基づき筋出力で考えれば逆向きの動作を遂行している、と考えられた。それゆえ、GoかNoGoかという意志決定は、単純に、あらかじめ準備された運動プログラムを駆動するかしないか、という決定を行っていると解釈できる。また、NoGoという決定によって、準備していた運動プログラムを積極的に否定するような影響が運動出力経路に及んでいることも示されたが、これは遂行中の動作を中断するときにも同様に作用するのかもしれない。ERPをICAによって分解した結果は、刺激の「認知・解釈」をし、運動プログラムを「準備」し(おそらく外側前頭皮質が関与)、一方でするかしないかの「意志決定」を行って(おそらく内側前頭皮質が関与)、動作を「遂行」・「抑制」するという、皮質内の情報処理過程全体の構図を示すものであった。これらの結果からさらに考察すると、NoGoという意志決定は、動作に限らず遂行しようとしていた脳内の情報処理を積極的に抑制することであるのかもしれない。そうであるならば脳のもつこの、現在遂行しようとしている(遂行しはじめている)情報処理を抑制する機能こそが、日常生活の様々な状況において適切な行動をするために不可欠であるのかもしれない。

図1.A.Push-Go条件(左)およびRelease-Go条件(右)でのGo/NoGo課題中に生じたMEP振幅(10名の平均±SE)および背景EMGの経時変化(刺激呈示前の値で標準化)。Go試行では背景EMGに先行したMEPの変容がみられたが、NoGo試行では背景EMGは変化しないにもかかわらずGo試行と逆向きのMEPの変容がみられた。*基準(baseline)値から有意差あり(P<0.05)。B.Czにおける加算平均ERPおよびNoGo-Go差分波形。Push-GoかReiease.Goかの条件によらず、Go試行・NoGo試行でそれぞれ類似し、NoGo-Go差分波形はよく一致した。

図2.A.Push-.GoおよびRelease-Go条件でGo/NoGo課題(および単純反応(SR)課題・視覚観察(VO)課題)遂行中に記録したERPの加算平均(10名分)を、ICAを用いて分解した独立成分活動の経時変化と頭蓋上への投射マップ(各成分の特徴を示す名称を便宜的に付けた)。%var(元データの全分散を説明する割合)の大きい順に7成分のみ表示した。B.(push-NoGo)-(Release-Go)および(Release-NoGo)-(Push-Go)差分ERPを、ICAを用いて分解した独立成分の活動の経時変化と頭蓋上への投射マップ。%varの大きい順に3成分のみ表示した。

図3.刺激部位(L-MC(左)・L-FC(右))・delay(4delayおよびno TMS)・反応(Go・NoGo)ごとに算出した正解率(%correct)(9名の平均±SE)。

L-FCに視覚刺激開始後60-80msにTMSを行ったNoGo試行のみ、%correctの有意な減少が認められた(*P<0.05;Turkey'stest)。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、動作の遂行と抑制の意志決定に関わる大脳皮質内の情報処理過程について、運動出力の制御が逆向きになる2種類のGo/NoGo課題を用いて調べたものである。論文は、「Go/NoGoの意志決定と皮質脊髄路の興奮性の変容」、「Go/NoGoの意志決定を反映する事象関連電位成分の抽出」、「Go/NoGoの意志決定の直前に抽出された独立成分の機能的役割」という3つの研究を含む全7章から構成されている。

 第1章では、Go/NoGo課題を用いてなされてきた先行研究に対し、運動出力の制御とは無関係な、する(Go)かしない(NoGo)かという最終的な意志決定と関連する皮質内過程を調べるという本論文の目的を明示している。続く第2章は、第1、第3の研究で用いた経頭蓋磁気刺激法の解説にあてられている。

 第3章では、経頭蓋磁気刺激法により大脳皮質からの運動出力経路である皮質脊髄路の興奮性を調べると、運動出力と同方向の変化が見られること、一方で、前頭-中央領域から記録した事象関連電位は、運動出力に依存せずGo/NoGoの意志決定に応じて変化することを示している。これらの結果から、Go/NoGoを決定する大脳皮質内の情報処理過程が、その後の運動出力の制御とは別に存在することを示唆している。

 第4章では、第2の研究で用いた独立成分分析について解説し、続く第5章では、運動出力の制御が逆向きの2種類のGo/NoGo課題を遂行中に記録した事象関連電位に対して独立成分分析を適用した。その結果、Go試行とNoGo試行に共通する最後の情報処理過程を反映する成分が背外側前頭皮質に、また両試行の差異を反映する最初の成分が内側前頭皮質にそれぞれ確認されることを示し、これらの皮質領域がGo/NoGoの意志決定に関与している可能性が高いとしている。第6章では、第3の研究として、Go/NoGoの意志決定に関与する成分が観察された背外側前頭皮質に、その成分の出現直前に経頭蓋磁気刺激を行った場合のみ課題遂行が阻害されることを示し、背外側前頭皮質がGo/NoGo課題の遂行に直接関与していることを確認している。

 第7章では、上記3つの研究結果をまとめた上で、本論文で対象とした背外側および内側前頭皮質の持つ「するかしないかを意志決定する」という機能が、日常生活における適切な行動の制御に重要な役割を果たしていると考えられることを、脳損傷患者の機能障害の事例等についての先行研究を含めて総括的に論じている。

 このように本論文は、運動出力の制御とは別に、動作の遂行と抑制の意志決定に強く関わる大脳皮質内の情報処理過程が存在し、その過程には背外側および内側前頭皮質が関連することを示唆したもので、ヒトの行動の意志決定に関する大脳皮質内での情報処理過程について新たな知見をもたらしたものである。よって、本論文は博士(教育学)の学位論文として十分優れたものであると判断された。

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