学位論文要旨



No 117642
著者(漢字) 篠原,賢次
著者(英字)
著者(カナ) シノハラ,ケンジ
標題(和) マイクロMHD効果による、金属腐食に対する磁場効果
標題(洋)
報告番号 117642
報告番号 甲17642
学位授与日 2002.10.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5353号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 渡部,俊也
 東京大学 助教授 瀬川,浩司
 東京大学 助教授 立間,徹
 東京大学 講師 大越,慎一
内容要旨 要旨を表示する

 Abstract

 水溶液中で生じる金属腐食に対する強磁場印加が行われた時、反応に伴って流れる腐食電流と磁場との相互作用によるLorentz力によって、微視的な電磁流体現象、micro-MHD効果が生じることが示された。micro-MHD効果は、反応に伴って熱運動として散逸するエネルギーが磁場との作用によって並進運動に変換された結果生じるものであり、反応界面に撹拌効果による擾乱を与える。反応生成物の体積によって加速される反応においては磁場印加による腐食の抑制が、沖合いからの物質輸送によって反応速度が制限された系では磁場印加による腐食の加速が観察された。また反応界面における電子交換過程が反応を律速する系においては磁場による反応速度変化は見出されなかった。

 また、特に反応速度が対流境界層の厚みに非線形に応答する硝酸中における銅の腐食においては、磁場の印加に伴い、反応界面近傍に巨視的かつ動的な溶液流動の秩序が形成されることが見出された。

 Key word:MHD,micro-MHD,corrosion,dissipative structure,and nonlinear effects

第1章 Introduction

 金属腐食に代表される、各種反応プロセスに対する磁場効果は、磁場と人類との非常に古い関係にもかかわらず、詳細な検討が行われていない分野の1つである。静磁場によって系に与えられるエネルギーが、熱運動や、化学反応の活性化のエネルギーに比較して僅少であるために平衡論的には磁場が化学反応系に有意な擾乱を与えることは出来ないという常識と、一般的な手段によって人工的に発生することのできる磁場の磁束密度の低さから、反応系に対する磁場印加においては有意な効果が見出されないであろうことがその詳細な検討を阻んできた。

 近年、直冷型超伝導マグネットが研究室レベルに普及をはじめた。また磁場が非平衡過程との相互作用によって大きな擾乱を系に与えるのではないか、との観点から現象の見直しがはかられ、様々な分野において磁場による新規な現象が見出されている。本研究においては、旧来よりその存在が不明確であるものとされてきた金属腐食に対する磁場効果に焦点を当て、その電気化学的な反応機構と、非平衡性に着目し定性的な機構の説明を試みた。

第2章 強磁場下における、硝酸中での銅の腐食抑制

 金属腐食反応の中でも、非常に基本的な反応系の1つとして知られる硝酸による銅の溶解を取り上げ、外部磁場の有無による反応速度変化を検討した結果、外部磁場印加による大幅な腐食抑制が観察された。また磁場中で腐食させた銅は、通常に比較して平滑な腐食面形状を呈した。

 硝酸による銅の腐食反応は、反応生成物の体積による自己触媒的な反応加速が内包されており、特に亜硝酸を分解する添加物の混入、及び撹拌による反応生成物の界面からの除去によって激しく抑制される事が知られている。磁場による腐食抑制機構としては、腐食電流と磁場との相互作用によって界面近傍に生じる微視的な電磁流体力学現象、マイクロMHD効果による撹拌効果であると推定される。また、腐食面の平滑化は溶液サイドに生じる反応場の揺らぎの成長が撹拌によって阻害されたために生じたと考えられる。

 比較のために巨視的な電磁流体力学現象(MHD効果)を用いた、磁場中での分極測定によっては、酸化反応、還元反応の両者が外部磁場磁束密度の増加に伴って抑制される事が明らかとなった。これは撹拌による腐食抑制機構に良く一致する。

第3章 拡散律速系の強磁場印加による加速

 磁場による腐食反応系への擾乱がマイクロMHD効果による撹拌であるならば、拡散律速状態にある反応系は腐食速度の加速を生じることが予想される。プロトンの輸送過程によって律速された状態にある硝酸による銅の腐食と、溶存酸素による鉄の腐食を取り上げた結果、両者ともに外部磁場の磁束密度の増加とともに反応速度が上昇することが見出された。また腐食面のSEM像からは磁場中で腐食したサンプルでは粒界がより特徴的に腐食しており、溶液サイドに生じる反応場の揺らぎが抑制された結果、金属相中の活性分布が反応速度分布により関与したためであると考えられる。

第4章 硫酸による亜鉛腐食における磁場効果

 2章、及び3章で取り扱われた系においては、反応は溶液サイドに生じた不均一性によって律速されており、マイクロMHDによる撹拌が、溶液中の揺らぎの成長を抑えるためにその速度に観測可能な変化が生じた。しかしながら硫酸による亜鉛の腐食のように、反応速度が界面における電子移行と金属結合の脱離によって決定されているような系においては、磁場はその速度に観測可能な擾乱を与えないと考えられる。実験の結果、硫酸中での亜鉛腐食は外部磁場の印加によっては速度変化を生じなかった。

 しかしながら界面には反応にともなう電解電流が生じているためLorentz力は生じていることが考察される。亜鉛粒子を硫酸溶液中で腐食させた結果、磁場の印加に伴って粒子が運動すること、またその速度変化が理論的な予想と一致することから、この系においても電磁流体力学的な効果は生じていることが明らかとされた。

 また亜鉛単結晶を用いた実験からは、腐食面に生じた微視的な構造が見出された。これらは反応場の揺らぎとマイクロMHD効果が均衡を保った結果、Lorentz力による流体運動セルが安定化した結果生じたと考えられる。前章までおいてはマイクロMHD効果は溶液側の不均一性の成長を阻害したが、この系においてはマイクロMHD効果が微視的な構造を形成しうることを示していると考えられる。

第5章 マイクロMHD流れによる巨視的運動現象

 2章において取り上げられた銅の硝酸中での腐食は、反応を構成する酸化反応と、還元反応の両者の速度が、対流拡散層の厚みに非線形に応答した。このような非線形な関係を介在させた反応速度分布と外部場の相互作用はしばしば巨視的な秩序の形成をもたらす。墨流しによる流体運動の可視化の結果、電極面に垂直に印加された強磁場中では、硝酸による銅の腐食反応に伴って巨視的かつ動的な秩序が形成されていることが観察された。形成された流れは電極平面状に生じた2つの相反する回転方向を持つ回転領域であり、それらは互いに異なる角速度を持ち、電極中心付近を軸にした公転運動を行った。形成されたパターンは安定であり、一時的な乱れを生じても自動的に定常状態へと復帰し、長期間定常状態が保持された。回転方向が磁場の向きに対して非対称性を示すことから、この運動が磁気力由来のものではなくLorentz力によって生じるものであることは明らかである。

第6章 まとめ

 金属腐食に対する磁場効果の存在が示され、その機構の1つとしてマイクロMHD効果が提唱された。マイクロMHD効果は反応に伴う局部的な電解電流と外部磁場の相互作用によるLorentz力によって生じる微視的な電磁流体現象である。マイクロMHD効果は溶液側で反応の進行に伴って成長する不均一性を平滑化することで、反応阻害、反応促進を行うことが可能であり、また非常に均一な金属相上においては微視的な構造を界面に生じさせた。

 またマイクロMHD効果は反応場の揺らぎと流体力学的な安定性とが、磁場の印加によって生じるLorentz力による介在で相互作用しあうことによって生じるものであり、それ自体巨視的な散逸構造をとりうることが、硝酸中での銅の腐食に伴って生じる巨視的かつ銅的な流体運動秩序の観察によって示された。

 本論文において繰り返し述べた通り、マイクロMHD効果によって生じる反応系への擾乱は、本来熱として反応に伴って散逸するエネルギーが磁場の介在によって並進運動へと変換されることで生じるものであり、例え永久磁石によって発生するような低い磁束密度においても充分に生じうる現象であると結論される。

 また腐食反応系はそれ自体が、強い非平衡状態が長期間安定して持続される。またその反応活性点分布はそれ自体が散逸構造として機能している。腐食反応に代表される不均一界面反応系と磁場との相互作用は、全く新しい動的な秩序形成の発現を生じさせうる、今後とも興味深い検討対象であると考えられる。

付録A:冷凍機直冷型超伝導磁石

 本研究で主に使用され、新磁気科学の推進力となった液体ヘリウム不要の超伝導マグネットについて簡単に述べた。

付録B:小面積、テフロン圧入電極による腐食速度測定

 反応に対する実験的な擾乱が少なく、より均一な磁場空間利用が可能である小型の電極を用い、2章における反応速度変化の追試を行い、2章の結果の妥当性を確認した。

付録C:回転電極による腐食速度測定

 硝酸中での銅の腐食反応の対流境界層厚みに対する依存性を検討する目的で、回転電極を用いた腐食速度測定を行い、硝酸中での銅の腐食速度が外的撹拌に対して非線形に応答することを示した。

付録D:磁気力と粘性力を用いた磁化率測定

 本研究に付随するかたちで磁気力について考祭を行った結果として、磁気力と、流体中を相対的に移動する物体にかかる粘性力とのつりあいに基づいた、流体中に分散した粒子の磁化率測定技術を開発した。不均一磁場中を流れる流体中で、粒子の運動を観察することで、粒子にかかる磁気力を算定し、流体磁化率との相対差より粒子の磁化率を求めた。測定結果は文献値と良く一致した。

 また、測定に必要とされる磁場の不均一性を高度に高めるための手段として、微小なポールピースの強磁場中への導入を検討し、最大で106T2m-1オーダーの磁束密度勾配と磁束密度の積を持つ空間を形成することに成功した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、強磁場利用の容易化に伴いその検討の活性化が進んでいるところの、反応・プロセスに対する磁場効果の一種である、金属材料の水溶液中での腐食に対する磁場効果を、金属腐食反応の電気化学的なメカニズムに着目したメカニズムの提唱によって取り扱うものであり、全6章からなる。

 第1章は序論であり、本研究の背景、意義、目的が示されている。主には、多量に存在する非科学的な検討例と共に、寡少な、実験事実の報告例を示し、現象存在の可能性の高さを示し、近年の強磁場応用技術の進展に伴う、強磁場環境下における材料劣化検討の必要性を、またエネルギー論的に鑑みた場合の、磁場が反応系に与え得るエネルギーの僅少さを例にとり、非平衡論的な議論の必要性を述べている。

 続く2章から5章にかけては、金属腐食に対する磁場の影響、特に反応速度変化と腐食面形態変化について、その存在の検証と、電気化学的腐食電流と外部磁場の相互作用によるLorentz力による溶液流動の存在を基礎においたモデルに従ったそれらの現象の定性的な説明が試みられている。

 第2章冒頭では、硝酸溶液中での銅の腐食が外部磁場によって、目視での確認が容易に行えるほどに抑制されることが実験的に示されている。また同時にサンプルの表面観察によって磁場の印加に伴う腐食面の平滑化も実験結果として示され、続くメカニズムの提唱における考察対象として供されている。

 また、2章後半部においては、金属腐食が電気化学反応であり、会面近傍に電解電流成分が生じていることに着目し、電気化学的腐食電流と外部磁場との相互作用によるLorentz力を駆動力とした流体運動効果、マイクロMHD効果による撹拌を提唱している。ここではマイクロMHDモデルに従えば、磁場印加による腐食抑制、反応面の平滑化が、銅の腐食反応に内包される自己触媒過程阻害によって良く説明可能であることが示され、また電磁流体力学的な流れの存在下においてそのような反応抑制が生じることが流体力学的に流れを規制された電解セル(MHD電極)による分極測定によって明らかとされている。

 第3章においては、2章において示されたマイクロMHDモデルの検証として、拡散律速にある金属腐食反応系に対する磁場印加と、その際の反応速度変化が検討されている。硝酸中での銅の腐食、および中性食塩溶液中での鉄の腐食が検討され、反応が活性種の拡散に律速される系においてマイクロMHD効果による撹絆が腐食速度の加速をもたらすことが腐食速度測定、分極測定、腐食電位測定等から示されている。特に銅の腐食に関しては、類似反応系において相反する効果ありうることを強調して論じている。

 第4章においてはさらに、撹拌によっては速度変化を引き起こさないことが予想される、全反応が反応律速状態にある硫酸中における亜鉛の腐食が取り上げられ、強磁場の印加によってその速度に観測可能な変化が生じないことが示されている。4章においてはこの事実を、磁場が直接的に反応に影響を与えているのではないことを示すものとして論じ、さらには、2章3章において反応に間接的に作用した撹拌効果が、亜鉛硫酸腐食系においても生じていることをLorentz力による運動の観察と、Lorentz力を駆動力とした場合に導かれる理論上の予想との比較から論じ、両者の一致を示している。

 5章ではマイクロMHDモデルに従って予想される、電極界面に生じる巨視的な溶液流動の観察が行われ、モデルの妥当性の強調がなされている。2章において検討されたものと同様の硝酸溶液中での銅の腐食反応界面において、巨視的な流体運動が生じることが示され、その特徴が微視的な反応活性点上に生じると考えられるLorentz力と、それによって引き起こされる流れの形状に対する考察から導かれる予想に合致するものであることが述べられている。

 6章は総括であり、本研究を各章ごとに要約すると共に、全体として、腐食に対する磁場効果の存在検証、及びそのメカニズムの1つとして、充分に科学的検討が可能である機構を掲げるという当初の目的が果たされたことが述べられている。またそれにあわせて、本研究の位置付けの再提示、および今後の展望が述べられている。

 以上、本論文は、その検討の必要性にもかかわらず、未踏破のままであった、磁場、及び強磁場中での金属材料の劣化について、新規なモデルの提示、及びその検証を行っている。これらの知見は、今後一層必要とされるであろう、強磁場応用設備の実用的上の問題を解決するにあたって極めて有力な基礎的概念の一部となりうるものであり、材料科学・工学の発展に寄与するところ大である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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