学位論文要旨



No 117648
著者(漢字) 小島,淳一
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,ジュンイチ
標題(和) エンドトキシン・トレランス誘導による手術侵襲反応軽減の試み : その機序における交感神経系の関与について
標題(洋)
報告番号 117648
報告番号 甲17648
学位授与日 2002.10.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2042号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 斉藤,英昭
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 助教授 有田,英子
内容要旨 要旨を表示する

<背景>

 エンドトキシン・トレランス(ExT)とは、あらかじめ少量のエンドトキシンを投与しておくと、その後のエンドトキシン投与に対して生体の応答性が低下した状態になることであり、この状態では炎症性サイトカインの産生は低下する。また、ExTを誘導することで、他の侵襲(出血性ショック、熱傷、低酸素など)に対しても耐性(交叉耐性)を示すことが知られている。

 外科的侵襲に対する過度の炎症性免疫反応は、炎症性サイトカイン優位であるSIRSの病態を呈し、サイトカイン・ストームや好中球のプライミングの原因となっており、引き続き起こる侵襲による臓器不全に繋がる。そこで、ExTを利用して手術時の炎症性サイトカイン産生を抑制することにより、周術期における侵襲反応を軽減することが出来るのではないかと考えた。しかし手術侵襲とエンドトキシンによる侵襲との交叉耐性が存在するか否かの研究報告はない。

 一方、ExTの機序に関して様々な研究報告はあるが、未だ十分に解明されていない。交感神経系の活性化反応は外科的侵襲反応の一つであるが、カテコラミン(CA)の過度の分泌は血圧や心拍出量の維持には必要だが、重要臓器の血管収縮による虚血障害や異化反応の亢進をきたし、さらにはノルエピネフリンがTh細胞を介して細胞性免疫能低下をもたらす、諸家の報告ではExTを誘導すると、交感神経系活性は抑制されることがわかっており、さらに、CAの前投与によって、その後に与えたエンドトキシンに対して耐性を示すことが動物モデルにて認められている。つまり交感神経系がExT誘導の機序に関与していることが示唆されるが、その関係についての報告は今までになされていない。そこで以下の研究を行った。

<実験1>ラットにおけるExT誘導による手術侵襲反応軽減の試み

 [目的]ExTを誘導することにより手術侵襲反応を抑制することが出来るか、ラットで調べた。

 [方法]Wistar系雄性ラットを用いて、LPS0.2mg/kgを1日1回2日間連続で腹腔内注射し、ExTの誘導を行った(LPS群)。LPSの代わりに生理食塩水(saline)を投与したratをSal群とした、この方法でExTがTNFα産生抑制を指標として誘導されるのを確かめた上で、上記の2群を手術侵襲の有無でさらに2つに分けた。最初のLPS投与から5日目に、頚静脈カニュレーションと開腹、胃切開縫合術を施行し、シーベルに固定して完全静脈栄養下で管理した(Op群)。

 頚静脈カニュレーションのみを行った群をcontrol(Sham群)とした。侵襲度の評価は、手術後6、24、48、72、96時間後に採血を行い、血漿IL-6、AST濃度を測定した、また蛋白代謝の評価として、手術後7日間にわたり窒素平衡を測定した、4群間での比較検定をTwo-way ANOVA法で行い、P<0.05を有意差ありとした。

 [結果](1)手術侵襲により血漿IL-6濃度は増加した、(手術侵襲後6時間のデータは、Sal-Sham群=83±8pg/ml、Sal-Op群=197±37pg/ml、P<0,01)、術後24、96時間でも同様であった。(2)LPS前投与により、術後6時間の血漿IL-6濃度(LPS-Op群=73±19pg/m1)はSal-Op群より有意に減少し(P<0,01)、LPS-Sham群と同じレベルになった、(3)窒素平衡は、手術侵襲により明らかに不良となった。(術後2日から5日までのSal-Sham群=L34±0.29、2.02±0.19、3.50±0.20、3.19±0.34mg/day;Sal-Op群=-0.80±0.43、-0.56±0.73、0.09±0.49、L37±0.29mg/day)(4)LPSを前投与しておくと手術侵襲下であっても窒素平衡は有意に改善した(LPS-Op群=1.77±0.25、2.79±0.48、2.56±0.39、4.18±0.27mg/day)。(5)血漿AST濃度は手術侵襲後6時間、24時間で、Sa1-Sham群(135±14.2、96±4.2IU/ml)に対し、Sa1-Op群(237±18.4、174士19.2IU/ml)では有意に(P<0.01)増加した、LPS前投与を行う(LPS-Op群)と、術後6時間で166±24IU/mlと、Saline-Ope群と比較して有意に(P<0、05)減少した。

 [考察]ExT誘導を行うと、手術侵襲に対する生体反応を軽減する可能性が示唆されたが、今後は経時的変化や長期予後も含めて検討する必要がある、さらに、臨床応用を考慮するにあたり、毒性のないMonophosphoryl Lipid Aや免疫促進剤がLPSに対する耐性誘導を示すことから、それらの薬剤を前投与に用いることが考えられるが、その効果に関しては今後の研究課題である、

<実験2>ExT誘導における交感神経系の関与

 実験2-A;in vivo study

 [目的]ExT誘導と交感神経系との関係をみるため、LPS前投与によるトレランス誘導時に、交感神経受容体阻害薬を使用することにより、その誘導に与える影響をラットで調べた。

 [方法]wistar系雄性ラットを用いて、頚静脈にカニュレーションを行い、シーベルに固定して72時間は自由経口摂取とした。その後、完全静脈栄養下にて管理を行い、LPS0.2mg/kgを1日1回3日間連続で静注し、ExTの誘導を行った(LPS群)。Control群ではLPSの代わりにsalineを投与した(Sa1群)。LPS又はsaline投与後3時間で採血を行い、ExT誘導段階での血漿カテコラミン(CA)、TNRα、IL-6を測定した。またExT誘導段階にてPhentolamine(10mg/kg/day)またはPropranolol(10mg/kg/day)を持続投与することにより交感神経系を制御した。LPS0.2mg/kg最終投与から48時間後にLPS5mg/kgを静注して、その2、4時間後に採血し、血漿CA、TNFα、IL-6、AST濃度を測定した。

 [結果](Table1)

 LPS5m/kg投与後の炎症性サイトカイン、AST濃度は、1)LPSの前投与により有意に減少した。これはPhentolamine、Propranololの投与の有無にかかわらなかった。2)LPS前投与群間で比較すると、Propranolol投与により血漿NE濃度も含めてSaline投与と比較して有意に増加した。

 実験2-B in vitro study

 [目的]ExT誘導におけるCAの役割とα、β受容体の役割をマウス・マクロファージであるRAW264cell lineを用いて細胞レベルで調べた。

 [方法]

 (a)ExT誘導におけるCAの影響

 RAW264cell(1x106cell)を24穴ポリスチレンプレートに分注し、その30分後にepinephrlneとmrepinephrineを10-7M加えた群をCA群、saline0.1ml加えた群をSal群とした。その30分後にLPS10ngを加え、37℃、5%CO2環境下で24時間培養した、PBSによる洗浄後、さらに24時間培養し、LPS100ngを加え、その3、6、24時間後の細胞上清中のTNFα、IL-6、IL-10濃度をELISA法にて測定した。検定はANOVA法にて行いP<0.05を有意差ありとした。

 (b)ExT誘導におけるαまたはβ受容体の影響

 RAW cellの分注と同時にphentolamine10-7Mまたはpropranolol 10-7Mまたはsaline0.1mlを加え、その30分後にCAを加えて、以下は(a)と同様とした。LPS前投与の有無、phentolamineまたはpropranolol投与の有無で群に分け各群間の比較検定はANOVA法を用いて、P<0.05を有意差ありとした、

 [結果](Table2)

 1.LPS10ngを加えた24時間の培養で、LPS100ngに対する耐性が獲得された。2.ExT誘導時にCAを加えることにより、その誘導は促進された。3.ExT誘導時にCAに加えて、β受容体阻害剤を用いることにより、その誘導は抑制された。4.IL-10濃度は全ての群で測定感度以下であった。5.CAのみの前投与によってLPSに対する耐性が獲得されている可能性がIL-6を指標として示された。

 [考察]

 RAWcellにおけるExT誘導実験で、カテコラミン投与がExT誘導を促進させた。さらに、ExT誘導において交感神経系がβ受容体を介して密接に関係していることがin vivo studyとin vitro studyの両者で示された、今回の実験でその機序を解明するデータは得られていないが、β受容体を介する細胞内cAMPの上昇がNFκB活性を抑制しExT誘導に関係していることや、cAMPの上昇が抗原抗体反応などの免疫反応には不可欠であるという文献的考察より、β受容体阻害剤投与が細胞内cAMPの上昇を抑制し、ExT誘導が制限された可能性を考察した。さらに、β受容体そのものの変化や、IL-10の関与も考慮すべきことであるが、今回の実験からはそれらの関与は証明されなかった。

 [結語]

 1.ラットにLPS前投与によるExT誘導を行うと、引き続き施行した手術による炎症性サイトカインやCA、AST上昇を指標とした侵襲反応と窒素平衡の悪化を改善した。

 2.ExT誘導の機序に交感神経系はβ受容体を介して関与している可能性が、ラットとマウス・マクロファージレベルにおいて、示された。

Table1.PlasmaTNF-alpha、IL-6、NE、AST level after LPS5 mg/kg administration

Table2.Effect of catecholamine and adrenergic antagonist in endotoxin tolerance induction inRAW264cell line

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、エンドトキシン・トレランスを誘導することによって、手術侵襲反応が軽減させるか否かをラットを用いて検討し、さらにエンドトキシン・トレランス誘導の機序に交感神経系が関与しているかどうかを、ラットとマウス・マクロファージを用いて調べたものであり、以下の結果を得ている。

 1.エンドトキシン・トレランスを誘導することによる手術侵襲反応軽減の有無をみた実験において、Wistar系雄性ラットにLPSを2日間連続で腹腔内注射してエンドトキシン・トレランスの誘導を行うと、その3日後に施行した頚静脈カニュレーションと開腹、胃切開縫合術という手術侵襲による血漿IL-6濃度、AST濃度の上昇を抑制し、蛋白代謝の評価としての窒素平衡の悪化を改善することが出来た。このことから、ラットにおいてエンドトキシンと手術侵襲との交叉耐性の獲得が示唆された。

 2.エンドトキシン・トレランス誘導における交感神経系の関係をみるため、トレランス誘導時に交感神経受容体遮断薬(αblocker;phentolamlneまたはβblocker;propranolol)を用いることによって交感神経系を制御した時、エンドトキシン・トレランス誘導にどのように影響を与えるかをラットを用いて調べた結果、1)LPS(0.2mg/kg)を3回投与(1日1回)することによって、その48時間後のLPS(5mg/kg)投与による血漿カテコラミン、TNFα、IL-6、AST濃度の上昇が抑制され、エンドトキシン・トレランスの誘導が認められた。2)LPS前投与時にβblockerを使用すると、血漿AST、TNFα、norepineophrine濃度を指標としてエンドトキシン・トレランス誘導が有意に抑制された。以上より、エンドトキシン・トレランス誘導に交感神経系はβ受容体を介して関与していることが示唆された。

 3.エンドトキシン・トレランス誘導における交感神経系の関与が細胞レベルでも認められるかどうかをRAW264cell lineを用いて調べた結果、

 1)RAWce11(1x106)にLPS10ngを加えて24時間培養した(LPS前投与)後、LPS100ngに暴露すると、Saline前投与と比較してTNFα、IL-6濃度は減少し、エンドトキシン・トレランス誘導が獲得された。

 2)細胞にカテコラミン(epinephrineとnorepinephrine10-7M)を加えてLPS前投与を行うと、エンドトキシン・トレランス誘導は促進された。

 3)LPS前投与にさらにβ-blockerを加えるとエンドトキシン・トレランス誘導は抑制された。

 4)IL-10濃度は全ての群で測定感度以下であった。以上より、エンドトキシン・トレランス誘導に交感神経系はβ受容体を介して関与していることと、IL-10の関与は乏しい可能性が示唆された。

 以上、本論文は今までに報告されていない外科侵襲とエンドトキシンの交叉耐性の存在を明らかにして、外科侵襲反応の抑制に術前のエンドトキシン・トレランス誘導を利用できる可能性を示唆した。さらにエンドトキシン・トレランスの誘導機序に侵襲時の共通の反応である交感神経系が関係していることを証明する最初の報告であり、臨床におけるエンドトキシン・トレランス誘導の意義と、その機序の解明に重要恋貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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