学位論文要旨



No 117649
著者(漢字) 内田,彩子
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,サイコ
標題(和) ヒト羊膜上皮細胞培養上清の神経細胞死抑制作用
標題(洋)
報告番号 117649
報告番号 甲17649
学位授与日 2002.10.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2043号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,耕三
 東京大学 助教授 中福,雅人
 東京大学 助教授 山岨,達也
 東京大学 助教授 上妻,志郎
 東京大学 講師 川原,信隆
内容要旨 要旨を表示する

 羊膜は妊娠中、子宮内面全体を覆う最内層の膜であり、内側に羊水を満たしている。羊膜の基本的な機能は、羊水を介して胎児を保護することと考えられてきた。また、羊膜は生理活性物質の授与に関与していると予想されていた。1920年代に、羊膜が熱傷後の皮膚の創傷治癒に有効に使用できるとの臨床報告があった。さらに、1940一年に脳硬膜下移植に使用されて以来、羊膜は移植片として、神経剥離術、腱癒着剥離術、末梢血管障害などに使用されてきた。

 1982年、羊膜の免疫原性に関する研究で、ヒト羊膜組織やヒト羊膜上皮細胞(HAECs)にはHLA-A,-B,-C,-DR抗原が発現していないことが明らかになった。1985年、羊膜組織の移植が一部のライソゾーム病に有効であることが証明された。1992年、我が国で初めて羊膜組織移植術が施行され、ゴーシェ病の1女児に有効であることを報告された。臨床的効果が一過性であったため、それ以降、組織の変わりに羊膜細胞を移植する研究が進められてきた。従来の研究では、HAECsがアセチルコリン及びカテコールアミンを合成・分泌する能力をもつ細胞であること、また、神経系及びダリア系細胞のマーカー遺伝子を発現することが報告されてきた。さらに、HAECsは免疫学的に脆弱であり、またドーパミンを合成・分泌することから、パーキンソンモデルラットにHAECsが移植され、臨床症状を部分的に改善することが報告されてきた。

 一方で、羊膜の神経保護・神経再生作用については、文献的に羊膜上皮細胞を除去した羊膜組織に関しての報告は見られるが、培養羊膜上皮細胞を用いた研究は行われていない。また、眼科領域では、1995年以来、羊膜組織は瘢痕性角結膜疾患で前眼部の再建術に使用されているが、培養羊膜上皮細胞を用いた研究は行われていない。

 本研究では、HAECsの神経栄養因子の合成・分泌能を検討し、HAECsの培養上清が、培養中枢神経細胞(ラット大脳皮質ニューロンとラット網膜神経節細胞)に神経細胞死抑制効果を有することを報告する。

羊膜細胞は神経栄養因子を合成・分泌する

 まず初めに、羊膜細胞培養上清の作成方法について示す。インフオームドコンセントを施行後、帝王切開時に入手した胎盤からHAECsを分離し、10%FCSを含むRPMI培地で2-3日間培養した。PBSで3回洗浄後、無血清培地(N2添加Neurobasal medium;N2-NB)で2日間培養し、培養上清(HAEC-CM)を回収した。次いで、HAEC-CM中の神経栄養因子(nerve growth factor,NGF,brain-derived neurotrophic factor;BDNR,neurotrophin-3;NT-3)の濃度を酵素免疫法にて測定した。HAEC-CM中にBDNFは610±242pg/ml,NT-3は600±125pg/ml(平均±標準誤差)と測定され、NGFは測定限界値未満であった。また、羊膜組織凍結切片を作成し、抗神経栄養因子抗体を用いて免疫染色を行った。その結果、羊膜上皮が抗NGF抗体及び抗血3抗体により特異的に染色された。さらに、HAECs及び羊膜組織を用いてRT-PCRで神経栄養因子のmRNA発現を検討した。その結果、HAECs及び羊膜組織ともにBDNF,NT-3,NGFの当該バンドを検出した。これらの結果から、HAECsは神経栄養因子を合成・分泌する能力をもつ細胞であることが明らかとなった。

羊膜細胞培養上清の培養ラット大脳皮質ニューロンに対する神経細胞死抑制効果の検討

 次に、HAEC-CMが、ラット大脳皮質ニューロンに対して神経細胞死抑制効果を有するか否かをin vitroで検討した。皮質ニューロンは胎生18日令のラット大脳皮質から採取した。N2-NBで1日培養後、N2-NB、HAEC-CM、種々の神経栄養因子を含むN2-NBに培地を交換した。さらに培養2日後にMAP2で免疫染色を行い、生存率を検討した。培養1日目のMAP2陽性細胞数を生存率100%とした。生存率はN2-NBで培養した群で10.7±3.8%(平均±標準誤差)、HAEC-CMで培養した群で92.6±2.6%と統計学的に有意差を認めた(P<0.0001)。その他の因子の生存率はepidemal growth factor(EGF)添加N2-NBで49.2±3.2%、activin A添加N2-NBで48.6±13.1%であり、N2-NBと比較し統計学的に有意に上昇した。しかし、HAEC-CMの神経細胞死抑制効果の方が統計学的に有意に高かった。その他、BDNF,NT-3,NGF,basic fibroblast growth factor(bFGF),insulin-like growthfactor(IGF-1),ciliaWneurotrophic factor(CNTF),interleukin-2(IL-2)では神経細胞死抑制効果は認められなかった。また、HAECsが分泌すると報告されている神経伝達物質dopamine、norepinephrineとBDNF、NT-3を同時に添加した場合、神経細胞死抑制効果は認められなかった。次いで、HABC-CMを高分子量分画(>30kDa)と、低分子量分画(<30kDa)に分け、同様に培地交換し、生存率を検討した。その結果、HAEC-CMの神経細胞死抑制効果はほぼ低分子量分画(<30kDa)に存在した。HAEC-CMの神経細胞死抑制効果は既知の生理活性物質の相乗効果であることは否定できないが、HAEC-CM中には新規の生理活性物質(<30kDa)が含まれている可能性が示唆された。

 次に、MAP2陽性細胞の神経突起長を計測した結果、培養1日目で43.3±7.4μm/cell、HAEC-CMに培地交換後2日目で76.9±11.5μm/cellと統計学的に有意に延長していた(P<0.0001)。この結果は、HAEC-CMには神経細胞死抑制効果に加えて神経突起の成長促進効果があることを示唆している。

 さらに、皮質ニューロンのTUNEL染色を行った。N2-NBに培地交換した場合、多くの細胞がTUNEL法により陽性に染色された。一方、HAEC-CMに培地交換した皮質ニューロンはTUNEL染色陽性細胞が減少し、HAEC-CMはアポトーシス抑制効果を有することが示唆された。

羊膜細胞培養上清の培養ラット網膜神経節細胞に対する神経細胞死抑制効果の検討

 次に、HAEC-CMが、ラット網膜神経節細胞(RGCs)に対して神経細胞死抑制効果を有するか否かをin vitroで検討した。RGCsは生後8日のラット網膜から2段階イムノパンニング法を用いて単離精製をおこなった。無血清培地B27,complete medium(B27,forskolin,glutamine,BDNF,CNTF添加Neurobasal medium)で3培養日後、以下に示す培養液に交換した。(1)無血清培地N2-NBIFG(N2,forskolin,glutamine添加Neurobasal medium)、(2)HAEc-CMIFG(fbrskolin,glutamine添加HAEC-CM)、(3)種々の神経栄養因子を含むN2-NB/FG。さらに培養2日後にcalcein染色を行ってRccsの生存率を検討した。B27 complete mediumで5日間培養した群を生存率100%とした。その結果、生存率はN2-NBIFGで8.1±3.1%、HAEC-CM/FGで52.3±5.1%と統計学的に有意差を認めたP<0.0001)。その他の生存率は、BDNF(40ng/ml)添加N2-NBIFGで13.5±6.5%、 CNTF(40ng/ml)添加N2-NBIFGで11.3±5.0%、M3(40ng/ml)添加N2-NBIFGで7.5±4.5%、BDNF+CMF(各々40ng/ml)添加N2-NB/FGで10.3±4.9%、BDNF+NT-3(各々40ng/ml)添加N2-NBIFGで8.9±5.1%、BDNF+NT-3(各々0.6ng/ml)添加N2-NB/FGで6.1±4.0%であった。これらの因子に神経細胞死抑制効果は認められなかった。次いで、HAEC-CMを高分子量分画(>30kDa)と、低分子量分画(<30kDa)に分け、forskolin,glutamineを添加後、同様に培地交換し、生存率を検討した。その結果、HAEC-CM/FGの神経細胞死抑制効果は主に低分子量分画(<30kDa)に存在した。このことは、HAECsがBDNF,NT-3,CNTF以外の何らかの生理活性物質(<30kDa)を分泌していることを示唆する。

まとめ

 本研究ではヒト羊膜上皮細胞が神経栄養因子を合成・分泌する能力をもつ細胞であることを明らかにした。また、羊膜細胞培養上清はラット皮質ニューロン及びラット網膜神経節細胞に対し、神経細胞死抑制効果を有すること示した。

 さらに、培養上清の神経細胞抑制効果は、いずれの培養神経細胞にても低分子量分画(<30kDa)に存在することを示した。今後、培養上清中のどの因子が神経細胞死に抑制的に働くかを検討することにより、脳神経変性疾患や、緑内障を含む網膜神経節細胞変性疾患に対する新しい神経保護療法の発見につながる可能性がある。また、ヒト羊膜上皮細胞は免疫学的に脆弱であることから、網膜神経節細胞変性をきたす疾患を含めた中枢神経変性疾患の治療に、細胞療法として応用できる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は多能性の機能を有すると考えられているヒト羊膜上皮細胞の神経細胞死抑制作用を明らかにするため、培養ラット皮質ニューロン・培養ラット網膜神経節細胞を用いて、中枢神経細胞の細胞死抑制作用の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.ヒト羊膜上皮細胞と羊膜組織には、RT-RCRにより、神経栄養因子であるbrain-derived neurotrophic factor(BDNF)、neurotmphin-3(NT-3)、nerve growth factor(NGF)が検出された。また、酵素免疫法により、ヒト羊膜上皮細胞の培養上清中にはBDNFとNT-3が検出された。羊膜の凍結切片を用いた免疫組織化学染色では、抗NGF抗体と抗NT-3抗俸により、羊膜上皮が特異的に染色された。以上のことから、ヒト羊膜上皮細胞は神経栄養因子を合成・分泌することが判明した。

 2.ヒト羊膜上皮細胞の培養上清は、ラット大脳皮質ニューロンに対して、神経細胞死抑制作用を有することが示された。その他の因子ではepidermal growth factor(EGF)とactivin Aに神経細胞死抑制作用が認められたが、培養上清の神経細胞死抑制作用の方が統計学的に有意に高かった。BDNF、NT-3、NGF、basic fibroblast growth factor(bFGF)、insulin like growth factor(IGF-1)、cillary neurotrophic factor(CNTF)、intedeukin-2(IL-2)には神経細胞死抑制作用は認められなかった。ヒト羊膜上皮細胞が分泌すると報告されている神経伝達物質dopamine、norepinephrine、BDNF、NT-3を同時に添加した場合、神経細胞死抑制効果は認められなかった。ヒト羊膜上皮細胞の培養上清の神経細胞死抑制効果は、既知の生理活性物質の相乗効果であることは否定できないが、培養土清中には新規の生理活性物質が含まれている可能性が示唆された。

 3.ヒト羊膜上皮細胞培養上清で培養したラット大脳皮質ニューロンは、TUNEL染色陽性細胞が減少した。ヒト羊膜上皮細胞培養上清はアポトーシス抑制効果を有することが示唆された。

 4.単離精製した培養ラット網膜神経節細胞に対して、ヒト羊膜上皮細胞の培養上清は神経細胞死抑制効果を有することが示された。培養上清にはBDNF、NT-3、CNTFより顕著な神経細胞死抑制効果が認められた。このことから、ヒト羊膜上康細胞はBDNF、NT-3、CNTF以外の何らかの生理活性物質を分泌することが示唆された。

 5.これら2種類の培養中枢神経細胞(大脳皮質ニューロンと網膜神経節細胞)に対し、ヒト羊膜上皮細胞培養上清中の低分子分画(<30kDa)に神経細胞死抑制活性が存在することを明らかにした。

 以上、本論文はヒト羊膜上皮細胞が神経栄養因子を合成・分泌する能力を有することを明らかにした。また、ヒト羊膜上皮細胞の培養上清が培養中枢神経細胞に対し、神経細胞死抑制効果を有することを明らかにした。本研究は、免疫原性が少ないことが報告されているヒト羊膜上皮細胞による中枢神経変性疾患(網膜神経節細胞変性疾患を含む)の新たな治療法の発展に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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