学位論文要旨



No 117650
著者(漢字) 鈴木,禎宏
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,サダヒロ
標題(和) 「東と西の結婚」のヴィジョン : バーナード・リーチの生涯と芸術に関する比較文化的研究
標題(洋)
報告番号 117650
報告番号 甲17650
学位授与日 2002.10.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第390号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 三浦,篤
 東京大学 教授 竹内,信夫
 東京大学 教授 草光,俊雄
 帝塚山学院大学 教授 川本,皓嗣
 東京芸術大学 教授 竹内,順一
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、イギリスの陶芸家バーナード・リーチ(1887-1979)の思想、「東と西の結婚」(The Marrage of East and West)をとりあげ、その形成過程と内容、及び作品における実践について論じる。

 リーチについては既に多くの記述がなされているが、その中には思い出話の類も少なくなく、学術的な研究はこの十年ほどの間にようやく本格化してきた感がある。こうした流れの中、本研究は日本における本格的リーチ研究の一つとして、リーチの生涯、作家論、そして作品論の三つにわたる、総合的な研究を目指すものである。その特徴は、リーチという人物を複数の異文化を経験することで自己を形成し、かつ表現を発展させていった表現者とみなし、その生涯と作品を、文化史(美術史)という縦軸と、比較文化論的という横軸の中で位置づける点にある。こうしたアプローチにより本研究は、彼を単なる「陶芸家」と見なし、日本とイギリスそれぞれの工芸史において別々に論じてきた従来のリーチ論とは一線を画すものであり、かつ二十世紀の日英文化交流史研究に貢献するものである。

 リーチの作家研究と作品論を行うにあたり、両者を結びつけるキーワードとして本論文で注目するのが「東と西の結婚」という彼の言葉である。これはリーチを語る上で重要なテーマであるにもかかわらず、この観点からの本格的な研究はまだなされていない。「東と西の結婚」とは、リーチの作品を支える理念ないし美学であると同時に、彼の生涯を貫いた信念・渇望のようなものである。香港で生まれ、東南アジア各地で育ち、イギリス本土で教育を受けたリーチにとって、「東洋」と「西洋」の関わりは己のアイデンティティに関わる問題であった。リーチは現代という、世界の諸文化がますます頻繁に接触をおこす時代の到来を前向きに受けとめ、「結婚」という言葉のもとに諸文化が混合して新しい表現や文化を生み出すことを望んだ。そして彼はこの問題に関する思索を、陶芸作品や著作、講演活動という形で世に表明した。確かに陶芸家としての技術的観点から言えば、リーチの友人濱田庄司が言うように、リーチには「素人」、すなわちアマチュアという一面があることも払拭できない。しかしそれでも、彼は古今東西の既存の造形を彼なりに解釈することにより、独自の作品世界・個人様式をつくりあげた。この意味で、「東と西の結婚」という思想の実践という点が彼の作品・作風を興味深いものにしている。

 リーチが「東と西の結婚」を構想しつつ作陶活動を展開していく過程とは、それは一方で日本・中国・朝鮮という東アジアの文化に分け入っていく過程であり、それはまた一方でヨーロッパの文化を振り返り再発見していく過程でもあった。近代化が東アジアで進行しているという事実をリーチは1910年代に認識するに至ったが、その時彼は柳宗悦らの日本人と共に、日本とイギリス双方に共通する過去として「中世」及び「手仕事」を想定し、それらに近代批判の根拠を求めた。彼は産業革命そのものは否定しなかったが、それに対抗する形で産業革命以前の技術と価値観を復活・保存して次世代に伝えることに意義を見出した。そして、この「対抗産業革命」という立場から、スタジオに拠点を置く「個人作家」のあり方を陶芸の分野で模索した。その一方でリーチはまた、社会進化論という背景のもと、「東洋」と「西洋」という言葉に代表されるような、世界に存在するさまざまな異質で相容れない文化が、そうした異質性を超えるような次元において自ずと結びつき、作品において共存することを願った。このように、「現代性」と「伝統」、「東洋」と「西洋」をそれぞれ橋渡しするという理想がリーチの言う「東と西の結婚」にはこめられており、この思想は1920年以降の彼の生涯を方向づけた。

 1920年のイギリス帰国後、リーチの作家活動は本格化した。彼は既に研究に着手していた、スリップ・ウェアという十八世紀のイングランドの陶器の技法を用いた表現をさらに追求した。イギリスの産業革命以前の陶芸はリーチにとって未知の領域だった。彼はイングランドの「伝統」を、イギリスのみならず日本からのスタッフ、審美観、精神的資金的支援を得て探求し、己の作品に生かしていった。こうした彼のヨーロッパ中世陶芸への関心は第二次世界大戦後まで続き、彼はイングランドの「伝統」を復活させた作家としてまずは評価されるようになる。

 その一方、リーチは「東洋」の伝統への探求も1910年代に引き続きイギリスで行った。東アジアの陶磁器に関する有益な情報は、日本やイギリスの博物館、博覧会、書籍、人的ネットワークを経て彼にもたらされた。中でも中国の宋代と高麗・李氏朝鮮時代の磁器は、人類がこれまで陶芸において達成した最高の表現として、リーチが焼き物を見る際の評価基準となった。彼の作品においても、これらの影響は�b器と磁器の作品に特に認められる。東アジアの造形と審美観をイギリスのスタジオ・ポタリーに導入した点も、リーチの功績として今日評価されている。

 ヨーロッパと東アジアの陶磁器を研究して制作を続けたリーチには、「東洋」と「西洋」という二元の対立が解消しうるような、より高次の次元への指向が常にあった。彼は、現代という時代において世界各地・各時代の陶芸は、一元的な造形言語と基準のもとで理解されうるという見通しを持ち、また真実や美の追究という点で、審美においても世界共通の価値観があり得ると信じていた。こうした新しい造形と普遍性の追求は戦後になるとより宗教色を濃くしていったが、これには彼が1940年にバハイ教へ帰依したことが関わっている。また、たびたびの日本滞在は、リーチの生涯において「普遍」をめぐる内省を促す時間となった。

 リーチの生涯における制作の変遷をここで見ておくと、まず1910年代と20年代は技術の修得と、造形における実験に多くの時間が割かれた。形体や装飾における彼のレパートリーがほぼ出そろったのは1930年代である。1910年代から30年代にかけての時期は、リーチが参照した典拠が割に推測しやすい作品が多く、「東と西の結婚」を目指すリーチの意図も読みとりやすい。これに対し1940年代以降になると、リーチがそれ以前に達成していた表現が成熟をみせ始め、より単純で洗練されたものになった。1950年代から1960年代にかけての作品は、釉薬や土、焼き上がりなどの点で品質が安定している。こうした抽象度の高い表現の達成と技術的安定に関しては、リーチが手がけた製陶所の量産品、スタンダード・ウェアに負うところが少なくない。

 リーチの作品の中で、彼という表現者の個人的資質・独自性が比較的明瞭に認められるものの例として、「生命の樹文」、「飛鳥文」、「巡礼文」という三つモチーフがある。「生命の樹文」は1920年代に構想されたものだが、数々の証拠から、リーチはおそらく左右対称に延びたこの樹の枝枝と、そこにとまる数々の鳥や雛により、「東と西の結婚」のヴィジョンを直接表現しようと試みていると考えられる。これに対し、この「生命の樹」を引き継ぐ形で第二次世界大戦後に現れた「飛鳥文」と「巡礼文」という抽象的な模様においては、リーチは己を鳥や巡礼になぞらえ、世界各地を巡り続けた彼の使命感を暗示しているようである。その一方、陶芸の指導者としてのリーチの到達点は、スタンダード・ウェアが示している。ここには実用性、素材への忠実さ、作者の倫理性などリーチの主張のエッセンスがこめられており、彼自身、スタンダード・ウェアを次世代に伝えるべき新たな「伝統」と見なしていた。

 東アジアの陶芸と西ヨーロッパの陶芸の研究を踏まえたリーチの作品は、日本では彼の作家活動の当初から受け入れられたのに対し、イギリスでは一部の好事家を除くと第二次世界大戦後まで理解されなかった。しかしその晩年には、日本では民芸運動への協力者として、イギリスでは手作業による個人制作のスタイルを確立させた「スタジオ・ポタリーの父」として、彼は高い評価を受けた。

 リーチという人物の持つ今日的意義とは、彼が「東と西の結婚」というヴィジョンを抱き、それを実践し、世に問い続けた点にある。リーチは作品において世界の諸文化に由来する異質なもの同士が混じり合うことを肯定し、それらの作品における共存を構想したが、おそらく誰よりもこの言葉を実践することの難しさを感じていたのは、リーチ本人であっただろう。だが、リーチは安易な文化の折衷を「売春」として非難しながらも、「東と西の結婚」という理想を放棄することはなかった。そして東アジアやヨーロッパをはじめとする世界各地を往還し続けるという己の人生を受け入れた。今日、異文化の接触、混合・折衷、衝突はますます日常的となっており、人類にはそうした状況の中で自己をつくりなおし続け、新しい環境で生きていくための知恵が求められている。こうした観点に立つとき、リーチの言う「東と西の結婚」が、それがもつ様々な問題点と可能性をも含めて、われわれに対し意味を持つのである。(40字*98行)

審査要旨 要旨を表示する

 鈴木禎宏氏の博士学位請求論文、「東と西の結婚」のヴィジョン:バーナード・リーチの生涯と芸術に関する比較文化的研究は、近年ようやく本格的な調査が開始されたイギリスの陶芸家バーナード・リーチを、日本において初めて学術研究の対象とした意義深い試みである。東洋と西洋、とりわけ日本とイギリスにまたがる文化的、思想的越境者であり、現実の場では焼き物を制作する芸術家であるリーチという存在とその営為を、基礎的な資料調査を十全に踏まえつつ、「東と西の結婚」というキーワードで真摯に読み解こうとした壮大な企てと言えよう。

 鈴木禎宏氏の方法論的な独自性は、これまでなおざりにされてきたリーチに関する基本的事実の確定作業を丹念に行う堅実な実証性の上に立ち、美術史学と比較文化という異なる学問分野双方の利点を生かして研究を進めた点にある。すなわち、未だ全貌が把握しきれないリーチ作品の現時点における充実した目録を初めて作成し、これもまたほとんど試みられていない重要作品の詳細な分析を行ったことは、芸術家リーチを解明するために美術史学の方法を援用した部分に当たる。また、同時代における東西の文学、思想、宗教への幅広い目配りを通して、思想家リーチの歴史的位置づけを的確に行い、「東と西の結婚」というヴィジョンをめぐって重層的な考察をなしえたのは、比較文化という視座が有効に機能したからである。こうして、伝記研究と作家論と作品論が融合した包括的、総合的なリーチ研究が可能となったのである。

 本論文は3部構成、全11章より成り、それに序論と結論、図版資料、参考文献表、附録としてリーチに関係する資料、書簡、作品の目録等が付加されている。以下、論文の構成に即して議論を紹介し、審査委員からの指摘を記しておく。

 序論において鈴木氏は、先行研究に言及しながらリーチ研究の現状を提示するとともに、異文化のはざまを生きたリーチ自身の言葉である「東と西の結婚」というヴィジョンに沿って対象にアプローチする妥当性を主張する。ナショナリズム、オリエンタリズムといったイデオロギー批判のみでは捉えきれない、文化の創造的融合の実践例として、リーチの生涯と業績を理解しようとする複眼的な視点には説得性がある。

 第1部「東と西の結婚」の形成、第2部「東と西の結婚」の実践(1)は伝記研究と作家論を構成している。まず、前者では1887年から1920年までのリーチの前半生を扱い、その生い立ちから、最初の日本滞在、中国滞在、二度目の日本滞在を経てイギリスに帰国するまでの生涯、とりわけ交友関係と思想形成のプロセスを着実に追跡している。すなわち、イギリスの美術学校での教育とエッチングの習得、高村光太郎、柳宗悦、岸田劉生らとの交流、近代批判としての中世再発見、日本での陶芸との出会いや自身の作陶活動、中国での磁器の発見、スペンサーの進化論や禅の思想の影響などを通して、東洋と西洋の文化の安易で意図的な折衷ではなく、相互の隔たりを踏まえた上で補完し合って新しい美を生み出す、「東と西の結婚」の理念形成に至る紆余曲折の道筋が鮮やかに描き出されている。その的確な論証を支える鈴木氏の広い視野と深い学識は、審査員が一致して認めるところであった。

 それを受けた第2部「東と西の結婚」の実践(1)では、1920年のイギリス帰国後にセント・アイヴスで製陶所を開き、自らの理想を本国で実現しようとするリーチ後半生の活動を論じている。「芸術家」と「職人」とを峻別する社会の中で、現実的な困難に立ち向かいながら制作活動を続け、次世代の陶工を育成しつつスタジオから工房へと大きく変化していく状況が、資料を駆使して語られる。そして、制作における「自力」と「他力」というリーチ晩年の製作態度を扱う第9章は、近代的な自我を保持する芸術家リーチが、柳宗悦の民芸運動との接触において個が解消する「他力道」の顕現に出会う機会を述べた上で、両者の差異を際立たせた興味深い論となっている。ただし、超常的な体験を記述する際の距離の取り方にはさらなる慎重さを要するとの意見が、審査委員から出された。

 第1部と第2部が伝記研究と作家論であるのに対して、第3部「東と西の結婚」の実践(2)は作品論となっており、これまでのリーチ研究と比して大きな寄与となっている。第10章の総論では、東西の伝統の融合へと向かうリーチ作品の段階的発展、制作の根底にある美学や原理、技法的、造形的、図像的なレパートリーなどを俯瞰的に把握する努力がなされている。論旨はおおむね妥当と認められるが、西洋の古典的、近代的な美学との関係におけるリーチ芸術の位置づけに曖昧さが残ること、また生前からあったリーチ作品への批判に対する言及が不十分であるとの指摘が審査員から出された。第11章の各論では、西洋の伝統、東洋の伝統、両者を融合したヴィジョンという三つの観点から代表作例を3点選び出し、詳細な調査分析を施している。新資料も用いながら、造形的、図像的に説得力のある斬新な解釈を展開しており、とりわけ《鉄絵魚文壷Vase "Leaping Salmon"》と《鉄絵組合せ陶板「生命の樹」》の解析は、「東と西の結婚」という全体の論旨と見事に呼応する、論文中の白眉とも言うべき部分を構成している。ただし、「生命の樹」のモチーフに関しては、なお西洋の過去に遡る図像の系譜を参照すべきとの意見があったことを付記しておく。

 最後に付けられた「結論」に関しては、リーチの思想的到達点であるバハイ教に関する踏み込みが弱い点が指摘されたが、本論文の規模と枠組みからして今後の課題とするのが適当との旨が確認された。

 全般的に見ると、さまざまな経緯の末にアマチュア陶芸家としてこれまで毀誉褒貶の中にいたリーチを、本格的な学術研究の対象とし、その総体を論じた画期的な功績を評価する点で、審査員全員の判断は一致を見た。とりわけ、徹底した資料探索および資料批判に基づいたりーチの生涯の冷静な再構築、異文化の融合に積極的な価値を与えたりーチの歴史的、今日的な意義を比較文化論的な視点から明確化し得たこと、さらには「東と西の結婚」の理念を陶芸で実践したリーチの作品を美術史学的な見地から説得的に解釈し得たことが高く評価された。細部においては、根拠の示されない推論や判断、適切とは言えない表現が散見するとの指摘もあったが、それらは瑕疵に過ぎず、本論文の学問的寄与を大きく損ねるものでないことが確認された。

 以上の審査の後、審査員全員による協議の結果、全員一致で本審査委員会は、鈴木禎宏氏の提出論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。

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