学位論文要旨



No 117655
著者(漢字) 中川,秀紀
著者(英字)
著者(カナ) ナカガワ,ヒデノリ
標題(和) 微細藻類が含有する主要カロテノイドの生体膜における活性酸素消去能発現に関する研究
標題(洋)
報告番号 117655
報告番号 甲17655
学位授与日 2002.11.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2477号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 助教授 村上,昌弘
内容要旨 要旨を表示する

 微細藻類は水圏の基礎生産、すなわち光合成による有機物生産の主な担い手であるばかりでなく、生物活性物質の宝庫として注目され、近年化学的研究も活発になってきている。微細藻類は、高等植物と同様に、光合成過程において生成したスーパーオキシド(O-2)や一重項酸素(1O2)を、活性酸素消去系酵素およびカロテノイドによって消去するとされている。しかしながら、細胞の内在反応で活性酸素を生成する部位での防御機構が完全であるとしても、それ以外の部位で生成したヒドロキシルラジカル(・OH)などの強力な水素引き抜き反応により開始されるラジカル連鎖反応は、単細胞であることに加えて高度不飽和脂肪酸を多量に含有する水圏の微細藻類にとって致命的な問題となる。したがって、制御されない条件下での活性酸素の生成に対し、膜などの疎水性領域において独特の抗酸化物質が利用されている可能性が大いに考えられる。

 このように、藍藻をはじめとする単細胞微細藻類は、ラジカルスカベンジャー活性物質の探索において好適な対象生物である。そこで本研究では、各種微細藻類の藻体抽出物を用いてラジカルスカベンジャー活性物質の探索を行い、得られた化合物の膜における抗酸化能発現機構の検討を行った。

1.抗酸化物質のスクリーニングおよび活性物質の単離・固定および構造活性相関

 東京大学分子細胞生物学研究所の細胞・機能高分子総合センタ一(IAM)より分譲を受けた微細藻類42株を対象に、ラット肝ミクロソーム膜を用いた脂質過酸化阻害活性、DPPH(2,2-diphenyl-1-picrylhydrazyl)ラジカル消去活性、SOD(superoxide dismutase)活性、リポキシゲナーゼ阻害活性を指標としてスクリーニングを行った。その結果、Closterium acerosum(C-435)、Cylindrospermum muscicola(M-32)、Microcystis aeruginosa(M228)および未同定株MB-1の4種藻体に顕著なラジカルスカベンジャー活性が見い出され、それら4種藻体を大量培養し、強いラジカル消去能を有するα-トコフェロールを対照として単離・精製を行った。

 単離・精製の結果、α-トコフェロール(脂質過酸化に対するIC50=5.1μg/mL)より強いラジカル消去能を示した5つの化合物、すなわち、C.acerosumからneochrome(IC50=0.51μg/mL)、M.aeruginosaからechinenone(IC50=0.42μg/mL)およびzeaxanthin(IC50=0.39μg/mL)、C.muscicolaからcanthaxanthin(IC50=0.34μg/mL)、MB-1からlutein(IC50=3.3μg/mL)を得ることができた。これらの化合物は、NMR、MSスペクトルなどの機器分析を中心とした構造解析を行うことによって同定された。

 そこで次に、従来から抗酸化活性を有することが知られている化合物を入手し、構造と活性との間の相関について検討した。肝ミクロソーム膜の脂質過酸化に対し、前述の5つのキサントフィルはα-トコフェロール(IC50=5.1μg/mL)の10倍以上の阻害活性を示したが、β-caroteneは不活性であった。すなわち、膜におけるカロテノイドの抗酸化能発現にはゲト基またはヒドロキシル基が必須であることが明らかとなった。

 また、all-trans-retinolが活性を示さなかったことから、酸素含有基結合部位は共役フィチル鎖末端ではなく、イオノン核での結合が膜における抗酸化能の発現に重要であると考えられた。

 また、luteinとzeaxanthinを比較したところ、zeaxanthin(IC50=0.39μg/mL)はlutein(IC50=3.3μg/mL)の約8.5倍の脂質過酸化阻害活性を有することが判明した。すなわちラジカルとの反応部位がイオノン核の近傍にあると推測され、その部位での共役構造が重要な役目を果たしていると考えられた。

 さらに、ケト基を含有するcanthazanthin(IC50=0.34μg/mL)およびechinenone(IC50=0.42μg/mL)においても、zeaxanthin(IC50=0.39μg/mL)と同様、顕著な脂質過酸化阻害活性が認められたが、予想に反して、より多くの酸素含有基を有するastaxanthin(IC50=24.1μg/mL)の脂質過酸化阻害活性が非常に弱いことが判明した。

 以上のことから、膜におけるキサントフィル分子の活性発現には酸素含有基の数ではなく、生体膜内での分子配置が重要であることが示された。

2.カロテノイドのラジカル消去能の検討および酸化体の検出・固定

 カロテノイドのラジカル消去能を明らかにするために、生体膜などに結合状態でない、すなわち溶液中などで遊離状態にあるカロテノイドおよび従来から抗酸化活性を有することが知られている化合物のラジカル消去能を調べた。その結果、EtOH中におけるDPPHラジカルとの直接的な反応では、異なるキサントフィル同士(40μM)の比較においてDPPHラジカル消去活性に差が認められず、酸素含有基を持たないβ-carotene(40μM)も同強度の活性を示した。しかしながら、カロテノイドよりも共役二重結合が短い、all-trans-retinolはDPPHラジカル消去活性を示さなかった。いいかえれば、生体膜中のキサントフィル類の酸素含有基は膜の表面に遊離状態で存在しないことが判明し、また、ラジカル消去能の発現には共役二重結合の長さが関与することも明らかとなった。

 さらに、生体膜におけるキサントフィルの抗酸化作用機序解明の一手段として、AIBN(2,2'-azobis(isobutyronitrile))およびAMVN(2,2'-azobis( 2,4-dimethylvaleronitrile))によるラジカル酸化条件を設定し、β-carotene酸化体を検出・同定することを試みた。その結果、AIBNおよびAMVNによるラジカル反応で生成したβ-carotene酸化体はdihydroactinidiolideと同定された。このdihydroactinidiolideの構造を考慮した結果、ラジカルとの反応部位がイオノン核の近傍の共役部位であることが明らかとなった。

3.キサントフィルの膜流動に及ぼす効果

 脂質過酸化阻害活性およびDPPHラジカル消去活性を指標とした構造活性相関により、膜でのキサントフィル分子の存在状態がその抗酸化能発現に大きく関与することが明らかとなった。そこで、キサントフィルの膜での存在様式解明に焦点を絞り、膜物性に対するキサントフィルおよびカロテノイドの効果を31P-NMR、13C-NMRを用いて検討した。

 カロテノイドまたは関連化合物を封入したリポゾーム膜にPr3+を添加し、Pr3+の膜漏洩速度を31P-NMRスペクトルにてモニタリングしたところ、β-caroteneを封入したリポゾーム(半減期:30分)は、レシチンのみから調製したリポソーム(半減期:6.25日)に比して約300倍も膜透過性が増大(膜が不安定化)したが、astaxanthin含有リポソーム(半減期:25日)では膜漏洩速度が非常に遅く、レシチンのみから調製したリポゾームの4倍も膜安定度が高いことが判明した。

 一方、ミクロソーム膜において極めて強い活性を有したcanthaxanthinを封入したリポゾーム(半減期:30時間)では、レシチンのみから調製したリポゾームに比べ、膜透過性が5倍増大(膜が不安定化)した。すなわち、膜におけるastaxanthinの弱い抗酸化活性(IC50=24.1μg/mL)は物理化学的な膜安定化を介したものであることが示され、canthaxanthinの強力なラジカルスカベンジャー活性(IC50=0.34μg/mL)においては、膜の流動化が関与することが明らかとなった。

 さらに、キサントフィル類を封入したリポゾーム膜のレシチン分子各部の動きを、13C-NMRによるIRFT(inversion recovery fourier transform)法を用いて解析したところ、astaxanthinを封入したリポゾームでは脂肪酸鎖の部分運動(緩和時間:T1)は低下したが、canthaxanthinを封入したリポゾームでは、脂肪酸鎖のT1に殆ど変化が見られないことが分かった。したがって、31P-NMRでの結果と合わせ、膜に封入されたキサントフィル類のラジカルスカベンジャー活性発現には、キサントフィルの膜への導入位置による、膜流動化が関与することが明らかとなった。

 本研究の結果から、遊離状態のカロテノイドはラジカルスカベンジャー活性を有するが、膜での活性発現には酸素含有基が必須であることが明らかとなった。また、その活性発現には酸素含有基の数ではなく、膜での分子配置が重要であることが示された。結論として、膜に封入されたキサントフィル類は、脂肪酸鎖の運動を乱すことなく膜流動化を高め、ラジカルとの反応を容易にし、効率の良いラジカルスカベンジャー活性を発現することが明らかとなった。

 以上本研究では、微細藻類がキサントフィルを主な生体膜抗酸化物質として利用することが判明し、また、そのラジカル消去メカニズムはNMRを用いた膜流動の解析により初めて明らかにしたことで、キサントフィルを生体膜における最も有効なラジカルスカベンジャーとして利用できることが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

 微細藻類は水圏の基礎生産、すなわち光合成による有機物生産の主な担い手であるばかりでなく、生物活性物質の宝庫として注目され、近年化学的研究も活発になってきている。藍藻をはじめとする微細藻類は、単細胞でありながら多量の高度不飽和脂肪酸を含有する種が多くラジカルスカベンジャー活性物質の探索において好適な対象生物と考えられる。そこで本研究では、各種微細藻類の藻体抽出物を用いてラジカルスカベンジャー活性物質の探索を行い、得られた化合物の膜における抗酸化能発現機構の検討を行った。

 第1章では、微細藻類42株を対象に、ラット肝ミクロソーム膜を用いた脂質過酸化阻害活性、DPPH(2,2-dipheny-1-picrylydrazyl)ラジカル消去活性、SOD(superoxide dismutase)活性、リポキシゲナーゼ阻害活性を指標としてスクリーニングを行った。その結果、Closterium acerosum(C-435)、Cylindrospermum muscicola(M-32)、Microcystis aeruginosa(M-228)および未同定株MB-1の4種藻体に顕著なラジカルスカベンジャー活性が見い出された。

 第2章では、それら4種を大量培養し、単離・精製の結果、強いラジカル消去能を示した5つの化合物、すなわち、C.acerosumからneochrome(IC50=0.51μ g/mL)、M.aeruginosaからechinenone(IC50=0.42μ g/mL)およびzeaxanthin(IC50=0.39μ g/mL)、C.muscicolaからcanthaxanthin(IC50=0.34μ g/mL)、MB-1からlutein(IC50=3.3μ g/mL)を得ることができた。そこで、従来から抗酸化活性を有することが知られている化合物を入手し、構造と活性との間の相関について検討したところ、膜におけるカロテノイドの抗酸化能発現にはケト基またはヒドロキシル基が必須であることが明らかとなった。また、膜におけるキサントフィル分子の活性発現には酸素含有基の数ではなく、生体膜内での分子配置が重要であることが示された。

 第3章では、生体膜におけるキサントフィルの抗酸化作用機序解明の一手段として、β-carotene酸化体を検出・同定することを試みた。その結果、ラジカル反応で生成したβ-carotene酸化体はdihydroactinidiolideと同定された。このdihydroactinidiolideの構造を考慮した結果よりラジカルとの反応部位がイオノン核の近傍の共役部位であることを明らかにしている。

 第4章では、キサントフィルの膜での存在様式解明に焦点を絞り、膜物性に対するキサントフィルおよびカロテノイドの効果を31P-NMR、13C-NMRを用いて検討した。カロテノイドまたは関連化合物を封入したリポゾーム膜にPr3+を添加し、Pr3+の膜漏洩速度を31P-NMRスペクトルにてモニタリングしたところ、β-caroteneを封入したリポゾーム(半減期:30分)は、レシチンのみから調製したリポゾーム(半減期:6.25日)に比して約300倍も膜透過性が増大(膜が不安定化)したが、astaxanthin含有リポゾーム(半減期:25日)では膜漏洩速度が非常に遅く、レシチンのみから調製したリポゾームの4倍も膜安定度が高いことが判明した。

 一方、ミクロソーム膜において極めて強い活性を有したcanthaxanthinを封入したリポゾーム(半減期:30時間)では、レシチンのみから調製したリポゾームに比べ、膜透過性が5倍増大(膜が不安定化)した。すなわち、膜におけるastaxanthinの弱い抗酸化活性(IC50=24.1μ g/mL)は物理化学的な膜安定化を介したものであることが示され、canthaxanthinの強力なラジカルスカベンジャー活性(IC50=0.34μ g/mL)においては、膜の流動化が関与することが明らかとなった。

 さらに、キサントフィル類を封入したリポゾーム膜のレシチン分子各部の動きを、13C-NMRによるIRFT法を用いて解析したところ、astaxanthinを封入したリポゾームでは脂肪酸鎖の部分運動(緩和時間:T1)は低下したが、canthaxanthinを封入したリポゾームでは、脂肪酸鎖のT1に殆ど変化が見られないことが分かった。したがって、31P-NMRでの結果と合わせ、膜に封入されたキサントフィル類のラジカルスカベンジャー活性発現には、キサントフィルの膜への導入位置による、膜流動化が関与することが明らかとなった。

 以上本研究では、微細藻類がキサントフィルを主な生体膜抗酸化物質として利用することが判明し、また、そのラジカル消去メカニズムはNMRを用いた膜流動の解析により初めて明らかにしたことで、キサントフィルを生体膜における最も有効なラジカルスカベンジャーとして利用できることが明らかとなった。これらの成果は学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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