学位論文要旨



No 117657
著者(漢字) 植田,浩明
著者(英字)
著者(カナ) ウエダ,ヒロアキ
標題(和) 超高圧極低温環境の開発と量子臨界相の探索
標題(洋)
報告番号 117657
報告番号 甲17657
学位授与日 2002.11.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5354号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 ��木,英典
 東京大学 教授 橋本,和仁
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 助教授 花栗,哲郎
 科学技術振興事業団 専務理事 北澤,宏一
内容要旨 要旨を表示する

 通常の金属は,自由電子に弱い相互作用が加わったFermi流体として記述される.Fermi流体の考え方は固体電子論の根底をなしている.ところが、強い散乱などがある場合にはこのような描像が崩れることがある.これを非Fermi流体という.近年,現実の系で非Fermi流体が実現している例として,量子臨界点近傍の金属が取り上げられるようになった.量子臨界点とは,磁気的な転移などが絶対零度で起こる点である.この点の近傍では磁気的な揺らぎが量子性を帯び,散乱が非常に大きくなるために準粒子が定義できなくなる.このため,非Fermi流体の状態が実現する.

 高温超伝導体も量子臨界点近傍に位置するとみなせることなどから,量子臨界点が注目を集めるようになった.これまで,重い電子系と呼ばれる金属間化合物を中心に,量子臨界点の物性が調べられてきた.量子臨界点の初期の研究では,dopingによって磁気秩序相を不安定化して量子臨界点に到達するという手法が主に取られた.しかし,dopingは不純物を導入することになるために,系を乱してしまう.そこで,純粋な物質で磁気秩序を抑制するパラメータとして圧力が注目され,近年は圧力下での量子臨界点の研究も盛んに行われるようになった.その結果,試料の純度によってその振る舞いが異なることがなどが報告されてきている.また最近になって,いくつかの物質において量子臨界点近傍で超伝導が発見され,大きな話題をよんでいる.この超伝導はBCS超伝導とは異なり,非常に純粋な試料でないと発現せず,試料の純度が重要であることを示している.

 以上のことから,純粋な系における量子臨界挙動を研究する必要性が高まっている.本論文では,反強磁性3d電子系における圧力下での量子臨界点近傍の振る舞いを探ることを目的とした.そのために,圧力装置を含む測定システムの開発および,いくつかの系において金属絶縁体転移や反強磁性転移が消失する近傍の常磁性金属の振る舞いの観測を行った.さらに,これらの振る舞いをさまざまな系で比較し,量子臨界相における普遍的な挙動の抽出を試みた.

 3d電子系における量子臨界挙動を抵抗率から探るためには,超高圧,極低温,低抵抗測定という,三つの厳しい条件をクリアする必要がある.まず超高圧に関しては,ピストンシリンダー型の圧力装置の改良を行い,図1に示す圧力装置を作製した.これまでの同じ型のものでは圧力の限界が約2GPaであったが、新しい強度材料を用いることおよび装置の作成法の工夫により,新しい圧力装置では,約3.5GPaまでの圧力を安定して発生させることができることが示された.極低温は市販の3He冷凍機を用いて0.3Kまで冷却することができることを確認した.低抵抗測定は,低温トランスとロックインアンプを組み合わせることにより,0.5mA以下の非常に小さな電流で,10μΩ程度の低い電気抵抗を測定を実現した.これにより,極低温でも発熱による温度の上昇を抑えて低い抵抗率を測定できるようになった.以上を組み合わせて,圧力P〓3.5GPa,温度T〓0.3K,抵抗R〓10μΩでの測定システムが完成した.

 測定可能な量子臨界点近傍の金属としては,比較的小さな圧力で量子臨界点に到達する物質以外に,常圧で量子臨界点近傍にある物質,も考えられる.本論文では,後者の候補としてパイライト型CuS2,CuSe2,前者の候補としてマグネリ相MinO2n-1(M=Ti,V),およびラーベス相YMn2を選択し,物性測定を通してこれらの物質の位置づけを行った.

 パイライト型Nis2は低温で反強磁性絶縁体に転移し,電子相関によって絶縁体となったモット絶縁体としてよく知られている.NiをCuに置換していくと絶縁体相が抑制されて金属相が安定化することが知られている.パイライト型CuS2,CuSe2は,低温まで常磁性金属で,約2Kで超伝導転移を示す.これらはNis2の反強磁性絶縁体相が消失したところに現れた常磁性金属相であるとみなすことができる.

 CnS2,CuSe2では,電子相関の影響が大きく表れると予想されたが,抵抗率,比熱,帯磁率の測定には,その影響がほとんど見られなかった.この理由を明らかにするために光電子スペクトルによってフェルミ面付近の電子状態の特徴付けを行った.その結果,NiS2では,Niのd準位がフェルミ面を占めるのに対して,CuS2,CuSe2では,d準位が安定化するためにフェルミ面付近は主にカルコゲンのp準位によって構成されることが明らかとなった.これらの化合物中では,CuがCu+(d10)となり,カルコゲンのp-バンドにホールが入って伝導に寄与するという描像が成り立つ.このため,電子相関の影響がほとんど表れないと考えられる.マグネリ相MinO2n-1は混合原子価化合物で,化学式当たり,(n-2)個のM4+と2個のM3+からなっていると考えることができる.結晶構造はルチル型のM02から(121)面に沿って酸素面を引き抜いた構造をしている.

 Tiのマグネリ相は電子格子相互作用が強く,n=4,5,6では,低温でバイポーラロンの形成を伴い,絶縁体相へ転移する.n=4,5,6について高圧下での抵抗率測定を行った結果,電子格子相互作用と電子相関の影響を見ることができた.

 高温相の抵抗率の振る舞いから,n=4,5,6とキャリアーが減少するにつれて,電子格子相互作用によって大きなポーラロンから小さなポーラロンへと移行していくことが示唆された.低温の絶縁体相への転移の際の変化および転移点の圧力依存性は,n=6,5,4とキャリアーが増大すると,変化が急激に激しくなっていく.キャリアー濃度が大きくなっていくと,電子相関が大きく影響するようになり,低温の絶縁体相は,ポーラロン的なものから電荷秩序的なものへと移行していくことが明らかとなった.

 一方,Vのマグネリ相は電子相関が強い系として知られ,金属絶縁体転移を示すものが多い.n=6,7,8などについては,過去に2GPaまでの圧力下での抵抗率の測定が行われており,圧力下で転移点の低下が確認されている.n=7,8について,圧力下での抵抗率の測定を行い,初めて量子臨界点の挙動を観測することに成功した.

 まずV7O13は,金属絶縁体転移を示さず,抵抗率は金属的である.常圧で43Kにある反強磁性転移は,圧力の増加に伴って低温側に移動し,Pc〓3.2GPaで完全に消失する.P<Pcではρ-ρO=AT2とFermi流体的な挙動であるが,Aの値は重い電子系に匹敵するほど大きくなり,強い磁気揺らぎの効果があることを示している、量子臨界点近傍のP〓Pcではρ-ρO(〓T3/2となっている.

 次にV8O15は,常圧では低温で絶縁体相をもつ1圧力を印加すると,まず金属絶縁体転移点がPMI〓1.5GPaで消失し,新たに現れた反強磁性金属相も徐々に低温側に移動していき,Pc〓3.2GPaで消失する.低温での抵抗率は,すべての圧力においてρ-ρO=AT2となり,係数AはPcに向かって発散した後に減少する.ρOはP>Pcで急激な減少を示した.

 ラーベス相YMn2は,立方晶C15構造を取る.この構造は酸素のないスピネル構造とみなすことができる.Mnサイトは頂点を共有した正四面体のネットワークを形成しており,三次元的な三角格子を形成しているということができる.室温では常磁性金属であるが,TN〓100K以下で反強磁性絶縁体に転移する.この転移は,約5%の体積の変化を伴う一次転移であり,圧力の印加によりPc〓0.3GPaで消失する.高圧では抵抗率はなだらかに変化しているが,量子臨界点に近い低圧側では,100K付近から抵抗率が急激に減少するようになる.低温での温度依存性はFermi流体的なρ-ρO=AT2となる,圧力が減少するに従って,T2的になる温度領域が狭くなると同時にAが増加し,Pc近傍の低圧では,2K以下においてT3/2的な温度依存性がみられるようになる.さらに,臨界点に近づくにつれて,ρOも増大するという振る舞いがみられる.常磁性相でのρOの変化は,Fermi流体描像からは説明できず,スピンの揺らぎのために特異な基底状態を形成している可能性もある.

 以上のように,超高圧低温環境における抵抗率測定システムを構築し,いくつかの系に関して,新たな知見が得られた.すなわち,Cuパイライトにおけるp-バンド金属としての位置付け,Tiマグネリ相における電子格子相互作用と電子相関の競合の観察,Vマグネリ相における量子臨界相の実現,YMn2における残留抵抗の奇妙な振る舞いなどである.これらを通して,量子臨界相の挙動においては,普遍的な振る舞いとともに,物質の特異性に起因する他の自由度が重要であることが示された.

図1:圧力セルの組み立て図

図2:Tiマグネリ相の圧力相図

図3:YMn2の抵抗率

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「超高圧低温環境の開発と量子臨界相の探索」は、世界でも有数の超高圧・極低温発生装置を開発し、これを駆使して強相関遷移金属酸化物・硫化物に「量子臨界相」と呼ばれる状態を創製し、新規な電子機能を探索するとともに、量子臨界相の基礎学理を論じたものである。論文は全七章から構成されている。

 第一章では研究の背景と基礎知識がまとめられている。現代エレクトロニクスの隆盛を支えるのはバンド理論である。一電子近似であるバンド理論を正当化するのがフェルミ液体と呼ばれる概念である。二つの相、たとえば磁性相と非磁性相が競合する量子臨界点では、このフェルミ液体の概念が崩壊し、質的に異なった電子相(量子臨界相)が出現する。最近、重い電子系と呼ばれる希土類化合物において、量子臨界相で特異点的にエキゾチック超伝導が発現することが見出され、注目を集めている。その延長線上に銅酸化物の高温超伝導が存在するとも言われる。本研究は、磁気エネルギーのスケールの観点から、重い電子系と銅酸化物を橋渡しする存在である遷移金属化合物に着目し、乱れを導入しない制御因子である圧力を用いて、量子臨界相を創製することを狙った。そこにエキゾチックな物性を探索するとともに、物性開拓の場である量子臨界相の基礎学理の確立を具体的な目標とした。

 第二章では、量子臨界相を創製する手段としての極低温・超高圧発生装置の開発について述べられている。これまでのCuBe合金に代わって、CrNiAl合金を用いた小型のクランプ型圧力セルを作製することにより、最高圧力3.5GPa、最低到達温度300mKを達成した。

 第三章では、マグネリ相VnO2n-1(n=7,8)について、量子臨界相を初めて実現した結果が述べられている。n=7,8ともに、3.4GPa程度で磁気秩序が消失し、臨界点が生じた。電気抵抗の臨界挙動を精密に調べた結果、量子臨界相を記述する標準理論であるSCR理論から期待されるフェルミ液体崩壊の前兆現象が全く観測されないことが明らかとなった。これを説明するモデルとして、フェルミ面が磁気揺らぎの影響を受ける部分と相でない部分にはっきり色分けされるという二成分描像を提唱した。すなわちこれまでの理論はスピンの理論であって、フェルミ面という視点が欠けていたことになる。本研究にいたるまで、このような視点が欠けていたのは、今までの試料が比較的多くの不純物を含んでいたために、フェルミ面上の異方性がぼやけたことによると議論した。

 第四章では、幾何学的フラストレーションの効果によって磁気秩序が抑制されているLaves相YMn2について、圧力下で量子臨界相を実現した結果が述べられている。非磁性相にもかかわらずフェルミ面の大きさが圧力変化することを見出した。この事実はフェルミ液体論の延長としての量子臨界相の記述が破綻していることを意味する。その起源として、金属から絶縁体への一次転移に伴う相分離の可能性が議論された。

 第五章では、マグネリ相TinO2n-1(n=4,5,6)について電子-格子相互作用が絡んだ臨界点を探索した結果が述べられている。電子濃度が減少するに伴い、格子との相互作用が強くなり、バイポーラロン固体としての性格が強くなる。この系では電子間相互作用と電子格子相互作用の共存・競合というユニークな量子臨界相が実現していることが明らかにされた。

第六章では、パイライト型CuS2を量子臨界点近傍の金属と予測し、その物性を調べた結果が述べられている。その結果、この物質が磁気的量子臨界点からはるかに遠い領域に位置していることを明らかにした。すなわち、この物質は遷移金属のd電子が主役を演ずる磁性体に近い金属ではなく、Sのpバンドに存在する伝導電子が主役を担う硫黄の分子結晶と見なすべきユニークな金属である。

第七章では、本論文で得られた結果がまとめられ、量子臨界相の基礎学理の理解に対する本研究の貢献が強調された。

以上を要するに、本論文は、圧力・低温複合極限環境の創成技術を飛躍的に向上させ、それを用いて強相関電子物性・機能開拓の新しい舞台である量子臨界相の基礎学理を明らかにした。この点で物質・材料科学の進展に貢献するところが大きい。

よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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