学位論文要旨



No 117661
著者(漢字) 高野,太輔
著者(英字)
著者(カナ) コウノ,タイスケ
標題(和) アラブ系譜体系の構造と成立過程
標題(洋)
報告番号 117661
報告番号 甲17661
学位授与日 2002.11.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第380号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,次高
 東京大学 教授 蔀,勇造
 東京大学 助教授 高山,博
 東洋大学 教授 後藤,明
 明治学院大学 教授 花田,宇秋
内容要旨 要旨を表示する

 イスラーム時代前後のアラブ世界には、「系譜集団(=カビーラ)」と呼ばれる社会的グループの枠組が存在し、人々の生活を様々な局面から規定していた。系譜集団とは、共通の祖先(=名祖)から分かれたと見なされている一種の擬制的な血縁集団であり、太古の人物を基準とする大規模なものから、数代前の祖先を基準とする小規模なものまで、様々な種類の枠組が重層的な構造を形成していたことが知られている。このような系譜集団の枠組は、ジャーヒリーヤ時代のアラビア半島における社会的単位を構成していたばかりでなく、初期イスラーム時代の各征服地においても、軍営都市(ミスル)におけるアラブ=ムスリム軍の居住区を定める単位として、あるいは征服戦争と治安維持活動に従事する部隊の編成単位として、さらには国庫から支給される現金給(アター)と現物給(リズク)の受給単位として、国家機構の中に様々な形で活用されることになった。

 アラブ系譜集団の実態を分析しようとするとき、従来の研究者が利用してきた主要な情報源は、年代記・戦記等の叙述史料と、文学書に保存された各種の詩歌などが中心であった。これらの史料は、いずれも各時代におけるアラブ系譜集団の具体的な行動を直接に記録しているという点で数多くの貴重な情報を含んでいるが、あくまでも個別の歴史的事件を対象とした伝承の集積であるために、アラブ社会を構成していた系譜集団の全貌が把握しにくいという欠点もある。

 一方、アッバース朝時代(西暦749〜936年)のアラブ=ムスリム社会では、南北アラブに含まれる全系譜集団の血縁関係を確定し、これを巨大な系譜体系の中に整理しようとする「系譜学」という学問が発達することになった。その学問の成果として編纂された各種の「系譜学書」には、イスラーム時代前後のアラブ社会に存在した大小様々な系譜集団の内部構造と相互の親疎関係が網羅的に記述され、アラブという「民族」の歴史が系譜の連鎖という形で明確に表現されている。従って、これら一群の系譜学書は、アラブの系譜集団に関する情報が最も大量に含まれた文献であると言って良い。

 しかし、各種の系譜学書に記録されているアラブの系譜体系は、後代のアラブ=ムスリムが「信じていた」歴史として部分的に参照されることはあっても、アラブ系譜集団の実態を分析するための直接的な史料としては、積極的に利用されることが少なかった。その理由は、これらの史料に含まれている情報の内容が、年代記・戦記等の叙述史料とは異なり、基本的にフィクションの産物であることが明白だからである。例えば、アラブの系譜学書に収録されている情報の中には、あらゆる著名な人物について20代以上も昔に遡る先祖の名前が完全に記録されていたり、全ての系譜集団がアドナーンとカフターンという太古の祖先から分かれたことになっていたりなど、多分に伝説的もしくは人為的に整理された伝承が数多く含まれている。

 無論、アラブの系譜学書に記された系譜体系は、社会の実態と全く無関係に捏造されたわけではなく、それぞれの系譜集団が実際に辿ってきた分裂と融合の歴史を、血縁的な親疎関係という形で表現した部分が大きいと予測される。ところが、伝説的な祖先群から末端の下位集団に至るアラブ全体の系譜体系を一挙に提示するという系譜学書のスタイルは、仮に何らかの歴史的事実を反映した部分があるとしても、(1)集団間に存在した現実の血縁関係、(2)当事者によって信じられていた擬制の血縁関係、(3)後代の学者によって意識的に調整された血縁関係、などの諸要素が複雑に錯綜しており、有効な情報を選択的に抽出することが極めて困難となっている。従って、これらの系譜体系を基にアラブ諸集団の歴史を再構成することは、これまで技術的に不可能と考えられてきた。

 そこで、本論文ではアラブの系譜学書に記されている系譜体系の構造を様々な角度から分析し、幾つかの新しい手法を用いることによって、それらの系譜体系が次第に整理されてきた具体的な過程を再構成することに実際的な目標を置くことにした。つまり、アラブの系譜学史が辿ってきた歴史を逆方向へ遡ることにより、人為的な整合性の背後に見えにくくなっているアラブ系譜集団の本来の姿を、可能な限り再現しようという試みである。

 その結果、本論文は全5章と若干の附論から構成されることになった。前半の2章ではアラブの系譜集団と系譜学史に関する記載的な叙述を中心とし、後半の3章ではアラブ系譜体系の形成過程に関する理論的な分析を行なっている。

 第1章では、当時のアラブが保有していた系譜システムの原則を概説すると共に、南北アラブに含まれる主要な系譜集団の系譜と歴史を網羅的に紹介した。

 第2章では、アラブの系譜学が誕生・発展してきた過程を通時的に観察すると共に、彼らの用いた方法論の特徴について考察を加えた。

 第3章では、アッバース朝時代の最も代表的な系譜学書であるヒシャーム・ブン・アルカルビーの『大系譜書』を中心的な史料として、そこに記された系譜体系の成立過程を解明するために、各々の系譜情報に附された男女間の婚姻関係に注目して、同書が提示している系譜体系の矛盾点を抽出した。その結果、アドナーン族(北アラブ)を構成する様々な系譜集団のうち、ムダル系の諸集団については、始祖アドナーンから数えた世代数の近い男女同士が結ばれているにも関わらず、ラビーア族の下位集団であるバクル・ブン・ワーイル族とタグリブ族については、一律に上位の世代に属する他集団出身者と息子を儲けていることが判明した。従って、両集団のアラブ系譜体系内における位置は、一連の婚姻情報が決定された時期よりも後に移動を受けたということになり、アドナーン族(北アラブ)の系譜体系が成立してきた過程には、(1)ムダル系諸集団の系譜確定、(2)一連の婚姻情報の確定、(3)ラビーア族の系譜確定、という諸段階があったと結論できる。

 第4章では、南北アラブに含まれる主要な系譜集団が、『大系譜書』に記された系譜体系の中で、如何なる配列の下に整理されているかという問題を分析した。その結果、各系譜集団の配列法には、複数の系譜集団が同世代で一挙に分岐する<等位構造>と、1本の系譜軸から各世代ごとに1つの系譜集団が分岐していくという<階層構造>とが存在し、カフターン族(南アラブ)の系譜体系は前者の構造を、アドナーン族(北アラブ)の系譜体系は後者の構造を基本として、それぞれ組み立てられていることが判明した。南北アラブの構成がウマイヤ朝時代の前半まで流動的であったにも関わらず、両者が対照的な系譜集団の配列法を有しているという事実は、その配列が当事者の間で自然に生じたものではなく、それぞれが別個の方法論に基づいて後代に整理されたことを示している。

 第5章では、幾つかの系譜集団間に見られる連続的な「母祖の供出」という現象に注目し、各々の母祖伝承に現れた集団間の世代関係と、最終的に確定した系譜体系の中における集団間の世代関係とが示すズレを利用しながら、アドナーン族(北アラブ)の系譜体系が確定されてきた過程を具体的に再現した。その結果、少なくともラビーア族の系譜構造に関しては、(1)最も下位のイジュル族やシャイバーン族といった枠組が、漠然とムダル系の主要集団に並置されていた時期、(2)ムダル系諸集団との血縁関係は曖昧のまま、バクル・ブン・ワーイル族の系譜が統合された時期、(3)バクル・ブン・ワーイル族やタグリブ族を含むラビーア族の系譜構造が確定し、アドナーン族(北アラブ)全体の基本的な系譜構造も合わせて確定した時期、(4)微調整によってラビーア族の基本軸が延長され、最終的な系譜体系が完成した時期、という諸段階の存在した事実が確認された。

 本論文の分析によって明らかとなった最も重要な事実は、バクル・ブン・ワーイル族やラビーア族といった複数の下位集団を統合する大集団の枠組が、系譜学史の最終段階に至るまで、血縁集団としての具体的な系譜構造を与えられていなかったということである。つまり、こうした大規模な系譜集団の内部では、親族集団としての漠然とした同族意識は共有されていても、下位集団を結ぶ明確な血縁関係までは意識されていなかったのであり、これを最終的に確定したのは、アッバース朝時代の系譜学者であったということになる。

 従って、ウマイヤ朝時代のアラブ=ムスリム社会では、複数の集団が互いの親族関係を主張するとき、それぞれの名祖を結ぶ具体的な系譜関係を提示する必要がなかったということになり、個々の集団は漠然とした帰属意識の下で自由に融合することが可能であったと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 論文「アラブ系譜体系の構造と成立過程」は、これまで漠然として把握されてきた初期イスラーム時代のアラブ血縁集団の性格を、アラビア語史料にもとづいて厳密にとらえなおすことを第1の課題としている。筆者は、アッバース朝(750-936年)時代に発達したアラブの系譜学書を綿密に解きほぐし、基本的にはフィクションの産物である系譜学書に記されている系譜体系の構造をさまざまな角度から分析することによって、それらの系譜体系が学者たちによって整理・統合されてきた過程を具体的に再構成することをめざす。この作業を通じて、アラブ系譜集団の本来の姿を可能な限り再現することが本論文の最終的な目標である。

 第1章では、当時のアラブが保有していた系譜システムの原則を概説するとともに、南北アラブに含まれる主要な系譜集団の系譜と歴史を網羅的に紹介する。続く第2章ではアラブの系譜学が誕生・発展してきた過程を通時的に観察したうえで、彼らの用いた方法論の特徴について考察している。本論に相当する第3章〜第5章では、アッバース朝時代のもっとも代表的な系譜学者であるヒシャーム・ブン・アルカルビーの『大系譜書』を主要な史料に用いて、以下のような結論が導かれる。すなわち、 (1)婚姻関係にみえる世代関係の矛盾から、系譜体系を確定するに当たっては、系譜学者による意図的な「作為」があったこと、 (2)系譜集団が分岐していく仕方には、南北アラブで「等位構造」と「階層構造」との明らかな相違があったこと、また(3)ある集団が他の集団に対して行う連続的な「母祖の供出」、つまり婚姻関係の取り結び方に注目すれば、現在に伝えられるような系譜体系が確定されてきた過程を、具体的に再現することが可能である。

 これらは、同時代のアラビア語史料を綿密に分析して得られた貴重な結論であるが、「系譜集団」と「血縁集団」とをさらに明確に定義する必要があること、また史料収集をいちだんと徹底させることが求められることなど、今後研究を深めるべき余地は残されている。しかし大規模な血縁集団の内部では、小規模な下位集団を結ぶ明確な血縁関係は意識されていなかったが、これを体系化することによって擬制の血縁関係を確定したのは、アッバース朝時代の系譜学者であったとする結論は、内外の学界への貴重な貢献であり、博士(文学)論文として十分な評価に値する。

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