学位論文要旨



No 117663
著者(漢字) 三宅,芳夫
著者(英字)
著者(カナ) ミヤケ,ヨシオ
標題(和) ジャン=ポール・サルトルの社会思想
標題(洋)
報告番号 117663
報告番号 甲17663
学位授与日 2002.11.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第394号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 森,政稔
 東京大学 教授 山脇,直司
 東京大学 助教授 高橋,哲哉
 共立女子大学 教授 見田,宗介
 立教大学 教授 川崎,修
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は次のような論点に注意しながら、ジャン=ポール・サルトルの、思想と軌跡を統一的な視点から描きだすことを目的とする。

 第一に従来「近代的主体主義」や「マルクス主義」という解読格子でのみ捉えられがちであったサルトルの「実存主義」を、19世紀以来のフランス近代の「アナーキズム」という文脈に置き直してみること。

 第二にサルトルの「実存主義」が近代独我論の典型であるという通説を批判すること。「実存主義」とは存在論から倫理学、秩序形成論、政治理論にいたる抽象化の異なるあらゆる水準において、独我論を「他者との関係」の視点から批判しつつも、共同体論を回避し、存在論的=超越論的複数性を擁護しようとする試みである。すなわち「関係性」の可能性の条件としての「単独性」、「単独性」の可能性の条件としての「関係性」という循環を主題化すること。

 第三に「国民国家」と資本主義の論理を相対化し、植民地主義・人種主義を批判する20世紀の「アナーキズム」としてのサルトルの「実存主義」が具体的にどのような「政治」と渡り合ったのかということを当時の社会構造や知識人の空間の配置などを参照しながら追跡すること。

 具体的な論文の構成としては、まず序論において「ジャコバン」モデルと「社会国家」の結合としてフランス国民国家の統合原理を押さえた上で、それとの対抗関係としての「アナーキズム」の位置を測定することを試みる。その考察にあたっては「アナーキズム」の社会的基盤と、思想の内在的原理の双方を分析の対象とする。

 本論では20世紀前半から中頃にかけての孤立した「アナーキズム」という視角からサルトルの思想とその軌跡を分析する。その際、第一部においてサルトルの思想の内在的論理を分析し、第二部においてサルトルが如何に自らの原理的な立場と政治的有効性の要請との折り合いをつけようとしたかという視点の下に、当時の政治社会状況、社会運動の構造、知識人の空間の配置などと関係づけながらその軌跡を追跡する。

 第一部では当時の「実存主義」的環境の見取図とそのなかでのサルトルの位置を第一章で簡単に素描した上で、第二章でサルトルの思想の内在的な分析を行う。節の構成としては第一、第二節において、予備的作業としてそれぞれ、サルトル及びボーヴォワール自身の証言及び『嘔吐』、『壁』等の小説や戯曲、『シチュアシオン』の記述を検討し、、続く第三-五節において『存在と無』や『道徳論のための草稿』、『弁証法的理性批判』等の理論的著作を分析する。

 第三節では主に『存在と無』に依拠しながら、サルトルが独我論を「他者との関係」の視点から批判しながら同時に共同体論を回避し、存在論的複数性を確保するという試みに如何に取り組んだかということを明らかにする。

 続く第四節では、第三節で明らかにしたような存在論に基づいてどのような倫理をサルトルが構想したかを、従来あまり扱われてこなかった『道徳論のための草稿』を中心に考察する。そこでは実存主義の倫理学は次のように要約される。第一に存在論的複数性の根拠である「関係性」の可能性の条件としての「単独性」、「単独性」の可能性の条件としての「関係性」という「超越論」的循環を引受け、この循環を隠蔽するような「理念」の基礎づけを批判すること。第二に超越的理念に基礎づけられた倫理ではなく、存在論的=超越論的複数性条件である自-他の「自由」相互の調整に基づいた具体的暫定的な倫理を構想すること。第三に倫理を行為者の自由によって無限に更新され続ける創造行為として捉えること。またこのような倫理へのサルトルの問いがフーコーやデリダなどの「ポスト・モダン」の思想と無縁ではないことを示唆する。この点は補論2において詳説される。

 秩序形成論を扱う第五節では、サルトルが前期の個人主義的実存主義から後期においてはマルクス主義に移行したという通説を批判し、実存主義の秩序形成論として『弁証法的理性批判』を再検討する。ここでは「行為」や「時間」といった分析のための基本的範疇の内容や「他者との関係」の視角からの独我論批判という論点、存在論的=超越論的複数性という条件の重視などの面で、『存在と無』の立場との連続性が確認される。その上で、サルトルが『批判』において、こうした立場から「歴史」や「社会」を構成することの可能性の条件をどのように考察したかが分析される。

 第二部では第一章で両大戦間の急激な重化学工業化と工場の大規模化を伴う産業構造の転換が、労働運動を中心とした広汎な社会運動のレベルで僅かに残存していた「アナーキズム」の社会的基盤を消滅させたことを指摘し、第二章でそのような状況下での「アナーキズム」的知識人の行動様式を把握するために1920年代のシュルレアリスムと人民戦線期のジイド、マルローの「社会参加」を検討する。

 以上のことを踏まえた上で第三章以下で五つの時期に分けてサルトルの政治的軌跡を考察する。

 第三章では1939年以前の時期を扱うが、メルロー=ポンティが言うようにこの時期のサルトルが「政治」と極めて厳しい緊張関係を保っていることを指摘し、「政治に無関心な観念的プチ・ブル」と規定する通説を批判する。そしてその政治思想を、政治的「理念」に諸実存の存在論的複数性を統合する「政治主義」に対する批判としての「非政治主義」として捉え直す。しかもその際、サルトルが「歴史の不条理」や「社会変革の不可能性」に決して居直らず、あくまで「倫理の不条理性」と「倫理の必要性」の間の緊張関係にとどまり続けたことを特記する。

 ナチス・ドイツの侵攻と捕虜収容所及びレジスタンス体験によって状況倫理と政治的プラグマティズムの重要性を自覚した時期を扱う第四章では、政治思想として、単に米ソ対立の間で中立を追求するだけでなく、労働組合を軸とした「中間集団」の連合及び「自主管理」という68年以降の動きを先取りしたものを提示していたことを明らかにする。また同時に『-指導者の幼年時代』などの小説、『ユダヤ人問題に関する考察』などの論説、『恭しき娼婦』などの戯曲、「黒いオルフェ」などの詩論といったジャンルを横断したテクストにおいてサルトルが一貫して人種主義と植民地主義を批判していたことを指摘する。とくに「ネグリチュード」を論じた「黒いオルフェ」を従来にない視点から分析し、シュルレアリスムなどのアヴァンギャルドとサルトルの間の対立という通説を相対化する。アヴァンギャルドとサルトルの関係については、補論1でも論じられる。

 第五章では国家社会主義も資本主義も批判する「第三の道」が冷戦の激化で挫折した後に、社会運動のレベルでの現実的に有効な批判勢力との連携を求めて共産党に接近した1952-1956の第三期を扱う。この節では有名なカミュやメルロー=ポンティとの論争が扱われるが、そこで通説とは異なってサルトルの歴史哲学が個人の複数性を「歴史の進歩」という「理念」に積分するいわゆる「歴史主義」では全くないことを示す。

 続く第六章ではハンガリー動乱の評価をめぐって再び共産党と対立し、政治的に孤立したままアルジェリアの反植民地闘争に関わり、同時に構造主義が拾頭した1956-68の時期を扱うが、ここでもレヴィ=ストロースの『野性の思考』のサルトルに対する「西欧中心主義」と「歴史主義」という批判が今日からみるといささか性急であったことを指摘する。むしろフランツ・ファノンとの関わりや『トロイアの女たち』という戯曲に見られるように植民地主義と結びついた「西欧中心主義」を一貫して激しく批判していた点を強調する。またこの時期の、ベトナムにおけるアメリカの行動を批判するために「ラッセル法廷」に参加したことをはじめとする「アンガジュマン」にも注意を払う。

 第七章では1968年の五月革命の衝撃から生まれた「自主管理」路線とエコロジーなどの「新しい社会運動」を背景にして、ドゥルーズ=ガタリ、フーコーなどの政治的位置と絡めながら、再び「アナーキズム」を見出したサルトルを扱う。

 補論1においては20世紀駐想の同時代性という視点から花田清輝とサルトルの比較を行う。ここでは「内在」論への批判という視点から「物自体」=「即自存在」という問題圏が両者においてどのように主題化されていたかに注目する。その際、「物自体」と「オブジェ」という概念を比較することでシュルレアリスムをはじめとするアヴァンギャルドとサルトルの関係を再考することをも目指す。

 補論2ではジャック・デリダのある一面とサルトルの比較を通じてサルトルから「ポスト・モダン」へという「進歩史観」を相対化する試みを行う。具体的には「物書き」としての両者のスタイルを検討した後に、「時間」論や「他者」論について考察する。また「他者」との関係と絡めて、「贈与」や「言語」というテーマについても分析する。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は20世紀フランスの哲学者・思想家ジャン=ポール・サルトルについて、その哲学と政治思想を貫く全体像を再構成しようとする試みである。周知のように、サルトルは、代表的な実存主義者として、かつて哲学界に絶大な影響力を有し、また政治に参加する知識人としての活動においてもきわめて注目される存在であったが、知的および政治的環境の変化とともに、その権威の失墜が言われるのが常となっていた。すなわち、実存主義から構造主義を経て、ポスト構造主義への推移のなかに、サルトルによって代表された人間主義の終わりや、サルトルがコミットしたマルクス主義の凋落と、それに伴う左翼知識人の役割の終焉を読み取り、サルトルをすでに過去の思想家として葬ろうとする態度が一般的であるといえよう。それに対し本論文は、以上のような通念が根拠のないものであることを示し、サルトルが流行していた時代以来、誤解されてきたものを明るみに出して、サルトル解釈の重点を移行させ、さらに、サルトルの哲学と政治の密接な関係を読み解き、ポスト構造主義の時代に失われがちになった政治の重要性に注意を向けようとすることを目的とするものである。

 本論文は本体部分とそれを補完する二つの補論から成り、さらに本体は二つの部分に分かれている。「20世紀における「アナーキズム」=「実存主義」」と題された第一部は、サルトル前期の哲学的主著『存在と無』を中心に、サルトルのいわば原論的部分が解明され、その核にあるのはアナーキズムであることが指摘される。一方、第二部は「サルトルにおける『アナーキズム』と『マルクス主義』」と題され、ここでは20世紀におけるフランス知識人の政治参加の様式が歴史的に辿られたうえで、サルトルの政治的発言や行動が状況の変化と関係付けられつつ、時系列に沿って明らかにされ、マルクス主義、戦争、植民地主義などの問題にサルトルがいかなる態度を取ったのかが歴史的に検討される。

 やや詳しく見るならば、第一部でまず、サルトルの実存主義とアナーキズムの結びつきが問われる。サルトルおよびボーヴォワールの回想をもとに、サルトルがマルクス主義よりもむしろアナーキズムに親近感をもっていたことが示される。本論文でアナーキズムと呼ばれているのは、歴史的に存在した政治思想であると同時に、人間相互、自己と他者の根源的な関係を示す存在論次元の問いを含むものである。サルトルは「実存主義とはヒューマニズムである」という講演によって有名であるにもかかわらず、小説『嘔吐』などでは自他を均質化し容易に「われわれ」を立ち上げる類のヒューマニズムを批判していた。本論文は、このような自他の還元不可能な非対称性、複数性を、サルトル思想の根源的な契機としてとらえようとする。

 『存在と無』における「対自」とは、自律的な実体ではなく、また自我や意志とも区別されるものであって、「なにものでもないもの(無)」として、自己から隔てられている。すなわち、対自は自己と関係する「自己への差異」として把握される。同時にこのような「自己への関係」は「他者との関係」によって可能となるものであり、他者とは原理的に認識の対象ではありえず、世界の外に存在し、世界という出来事を可能にしている条件だとされることになる。サルトルにあっては、自己と他者は相互に否定的に関係しあうことによって成立するのであり、その結果、サルトルの存在論は通常批判されるような独我論や原子論に立つものではなく、逆に「対自」の単独性が他者との関係によって可能とされていることが示されるのである。

 本論文によれば、このような原理的な把握は、サルトルにおける倫理学や秩序形成論の基礎となっている。サルトルは「人類」などの「全体」を持ち出すことによって他者性を消去しようとする企てを批判し、存在論的複数性を保持し引き受けることを、倫理として要請した。また、集団論や秩序形成論を扱う後期の『弁証法的理性批判』にあっても、自他の関係に関する『存在と無』の立場は否定されておらず、ヘーゲル的な歴史の全体性の立場が批判されている。本論文はこのようなサルトル思想を貫徹する自他の還元不可能な非対称性、複数性を、アナーキズム的原理として特徴付けている。

 第二部では、第一部で論証されたサルトルの「アナーキズム」的原理が、現実の政治参加の過程でどのように発揮され、またどのような困難に遭遇していったかが、年代記的に叙述される。まず本論文は、1920-30年代フランス知識人の政治参加を、シュルレアリストたち、ジッド、マルローなどアナーキズムと親近性のあった人物を比較の対象として論じつつ、サルトルの政治参加の論理を明らかにしようとする。すなわち、さきに述べられた意味でのアナーキズム的な実存主義からは反政治主義が帰結しやすいのに対して、サルトルは、社会改革の不可能性に居直ることなく、自らの政治的立場を選択しようとする。しかしこの際に選択された政治的立場に全面的に同化するのではなく、自らの原理的な実存主義=アナーキズムの立場からそれを常に批判し続けようとする点にサルトルの政治参加の特徴があるとされる。

 たとえば、サルトルは第二次大戦時にナチス・ドイツの脅威に対して、言動において絶対平和主義を断念し、状況倫理と政治的プラグマティズムにもとづいて反ファシズムの側に立った。また戦後、アメリカの資本主義からも、ソ連型の国家社会主義からも独立した第三の道を志向し、その挫折のあと、1950年代前半にマルクス主義に深くコミットしていく際にも、サルトル自身の原理的立場との差異や緊張が常に意識されていた。メルロー=ポンティやカミュに比して、歴史哲学や存在論において最もマルクス主義から遠かったはずのサルトルが、彼らの反対を押し切ってマルクス主義に傾斜していくのは、限定的で戦略的なものであったことが確認される。

 一方、反ユダヤ主義や植民地主義に対する批判もまた、サルトルの政治的言動の重要な部分を形成している。サルトルは「ユダヤ人」を超歴史的に本質化することを回避し、そのアイデンティティが他者たちによって歴史的に構成されてきたことを示す一方で、「普遍主義」に立ち差異を消去する同化政策をも退けている。また「黒いオルフェ」において、サルトルは黒人の「ネグリチュード」運動を評価しつつも、黒人であることのアイデンティティを称賛するのではなく、むしろ逆にその不可能性を明らかにする。本論文によれば、ネグリチュードとは、言語による「他有化」に対する抵抗が生み出した言語の破壊であり、「言語によって沈黙をつくりだす」という矛盾した試みであることを示そうとしたものである。

 本論のあとに付けられた二つの補論では、本論で論じられたテーマを、他の思想家と比較することを通して、別の角度から扱っている。第一の補論は、花田清輝とサルトルの類似性を、「物=オブジェ」の意識からの外在性、および即自存在の自明性の喪失に見出そうとする論考である。また第二の補論はデリダとサルトルの関係を扱い、サルトルの「対自」とデリダの「差延」の比較、現前不可能な他者や贈与をめぐる議論、政治参加とそのポジションなどに関して、「ポストモダン」がサルトルの主体車義を乗り越えたとする通俗的言説に反して、サルトルからデリダヘと繋がる線があることを証明しようとする試みである。

 本論文のすぐれた意義は以下の諸点に見出される。

 第一に、サルトルの原理的・哲学的次元での読解(第一部)と、具体的・歴史的な政治参加の論理に関する検討(第二部)の両方がきちんとなされており、両者のあいだの緊張関係を指摘しつつ、筋の通った論理によって、両者を関係付けている点である。サルトルのような、哲学者であると同時に、政治への参加に重要な意味を見出した思想家を扱う方法として妥当と言えよう。

 第二に、通説的解釈の多くが、『存在と無』に代表される初期の時代を、非政治的なブルジョワ的個人主義として特徴づけ、それと対照して『弁証法的理性批判』に代表される後期の時代を、政治の優位、およびマルクス主義と集団主義への移行として説明するのに対して、本論文は両者を一貫するサルトルの立場が存在することを説得的に立証している。単に個人か共同性かということではなく、単独性と他者性の関係付けにサルトルの理論的成果を見出す本論文の解釈は、最近の社会哲学における通念的な論争の構図自体を作り替える可能性を含むものである。

 第三に、一般的に非政治的であるとされてきた、いわゆるポストモダニズムの知的領域にあっても、最近アイデンティティ・ポリティクスやポストコロニアリズムなどに関わる政治的イシューが注目されるようになってきたが、これらに関して、すでにサルトルが鋭い問題提起を行なっており、多くの点でポストモダンの論客たちによる最近の議論を先取りしていることを説得的に示し得たことである。こうして、サルトルの実存主義が構造主義やポスト構造主義によって乗り越えられた思想であるとする常識には根拠がないことが論証されている。

 以上のように、本論文はサルトルの全貌の再解釈に止まらず、いわゆる現代思想と政治との関係付けに関して、きわめて意欲的な問題提起を行なうとともに、その解釈を裏付ける周到な論証を提示している。最近欧米でも、哲学における政治の契機の重要性が問われ、サルトルの再評価が少しづつ行なわれつつあるが、それらの業績と比較しても、本論文はサルトルの意義への問いの根源性においてはるかに卓越している。日本はもとより、欧米においても類例を見ない、貴重な貢献であると評することができる。

 もとより本論文においても、異論を生じる箇所、なお改良すべき箇所がないわけではない。たとえば、サルトルの原理的立場を示す観念として繰り返し用いられている「アナーキズム」の用語について、本論文中で歴史上のアナーキズムを指す場合と、サルトルの原理的立場を示すために用いられる場合とでは、意味内容が必ずしも重なるとは言えず、歴史的視点からは異議が出される可能性があることは否定できない。そのような混乱を避けるためには、両者をいったん分離し、サルトルの解釈にふさわしいアナーキズム概念を新たに定義して提示すべきであったと考えられる。

 また、本論文では『存在と無』およびその周辺については詳細な検討が加えられているのに対して、サルトルのもう一つの主著というべき『弁証法的理性批判』については、歴史や社会を語る際の限界を提示する試みとしてごく簡単に言及されているにすぎない。その結果、『弁証法的理性批判』でサルトルが試みようとした社会理論の部分への言及が薄くなったことは否定できない。先にも触れたように、原理的存在論と政治的発言の二つの領域が共にきちんと論じられているのは本論文の長所であるのだが、両者を媒介するはずの社会理論の部分がもう少し詳細に論じられていればなお良かったであろうことが惜しまれる。それは本論文の立場として、『弁証法的理性批判』よりも『存在と無』の知的独創性を高く評価することからの帰結であると見られなくもないが、そうであるとしても、サルトルのマルクス主義との格闘の結果である社会理論について、入念な批判的検討があってもよかったのではないかと思われる。

 しかし、以上のような欠点と考えられる部分も、本論文の基本的価値を損なうものではない。本論文は今後のサルトル研究において必ず言及されるべき研究文献となることは確実であり、きわめて高い学術的価値をもつものと評価することができる。したがって、本審査委員会は、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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