学位論文要旨



No 117668
著者(漢字) 信賀,順
著者(英字)
著者(カナ) シンガ,ジュン
標題(和) アフリカツメガエル胚の脳の初期パターン形成に関わる遺伝子の検索および機能解析
標題(洋) Screening and Functional Analysis of Genes Involved in Early Brain Patterning in Xenopus Embryos
報告番号 117668
報告番号 甲17668
学位授与日 2002.12.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4263号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 平良,眞規
 東京大学 助教授 広野,雅文
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 野中,勝
 東京大学 講師 嶋村,健児
内容要旨 要旨を表示する

脊椎動物の脳の各領域(前脳・中脳・後脳)が発生途上の前部神経外胚葉からどのようにパターン形成されるかについての分子メカニズムは充分明らかにされていない。脳を含む中枢神経系は、背側中内胚葉からの誘導により背側外胚葉から発生し、神経誘導と神経組織のパターン形成は同時並行で進行すると現在考えられている。しかし、初期の脳では、形態学的に明瞭な各領域ごとの境界を持たず、ある発生段階でどの程度のパターン形成が起こっているのかについての知見を形態学的に追跡するのは困難である。一般に、形態学的変化および組織分化に先だって、遺伝子発現パターンの変化が起こることが知られている。そこで、脊椎動物脳の初期パターン形成を遺伝子の発現領域地図として記述する必要があり、本研究では領域特異的に発現する新規遺伝子を体系的にかつ効率良く検索・単離する方策を検討した。さらに、単離した遺伝子について機能解析を試みた。

領域特異的に発現する遺伝子を効率よく単離するため、アフリカツメガエルの前部神経外胚葉から単一方向性のcDNAライブラリーを作製した。プラークハイブリダイゼーションによりハウスキーピング遺伝子を除去した後、約800クローンについて全胚in situハイブリダイゼーション法による発現パターンと部分塩基配列(ESTs,expressed sequence tags)により新規遺伝子の検索を行った。これらのファージクローンについては、単離後96穴プレートに保存し、後の操作をプレート単位で行えるようにし、効率性を実現した。その結果、既知遺伝子を含むいくつかの前部神経板特異的遺伝子を単離することができた。そのうちのひとつはHairy and Enhancer of split(HES)ファミリーに属する転写抑制因子の新規遺伝子であり、XHR1(Xenopus HES-related gene 1)と名付けた。XHR1は尾芽胚期では中脳・後脳境界に限局した発現を示した。脊椎動物の中脳・後脳境界領域は、後に中脳側に視蓋、後脳側に小脳を誘導する脳の局所的なオーガナイジングセンターとして機能する重要な領域であり、脳の初期パターン形成の過程において中心的な役割を果たす領域であると考えられる。それゆえ、私はXHR1に注目し、詳細な発現解析および機能解析を行った。

 各発生段階でのXHR1の発現を中脳・後脳領域に発現する既知遺伝子と比較検討した結果、XHR1は、XPax-2やEn-2、XFGF-8よりも早期に発現を開始し、原腸胚初期には既に背側神経外胚葉で限局した発現が認められることを見い出した。尾芽胚後期では、形態学的に明瞭となった中脳・後脳境界の比較的狭い領域に特異的に発現していることを確認した。これまで、原腸胚期初期から発現する中脳・後脳境界領域の遺伝子マーカーは報告されていない。そこで、中脳と後脳の境界は脊索前板と脊索の境界にほぼ対応することより、原腸胚期でのXHR1の発現領域を脊索の遺伝子マーカーであるXbraと比較検討した。その結果、原腸胚中期のXHR1の発現領域はXbraの予定脊索領域での発現の前端に相当し、原腸陥入の進行と共に両者の発現が胚の前方に移動した。さらに、背側陥入中胚葉でのXbraの発現領域とXHR1の発現領域との間には間隙が認められ、それが予定後脳領域および予定脊髄領域であると考えられた。これらのことから、原腸胚初期でのXHR1の発現領域は予定中脳・後脳境界領域であること、およびその領域化は原腸胚初期に既に前部神経板上で開始していることが示唆された。

 マウスおよびニワトリでこれまでに報告されている結果から、中脳・後脳境界領域の前後軸に沿った位置決定は、前脳および中脳領域に発現する遺伝子Otx2と後脳および脊髄領域に発現する遺伝子Gbx2との発現境界の形成に依存すると考えられてきた。そこでXHR1とアフリカツメガエルのオーソログであるXotx2およびXgbx-2との発現領域の関係を中期原腸胚を用いて検討した。その結果、XHR1の発現領域はXotx2の神経外胚葉での発現領域の後端に一部重複していたが包含されてはいなかった。また、この時期のXgbx-2は胚の両側に発現し背側正中での発現は認められず、XHR1の発現領域とは重複していなかった。これらのことから、Xotx2とXgbx-2の発現領域が神経外胚葉で境界を形成する以前からXHR1は特異的な発現を開始すること、すなわち、これまでの知見と異なり予定中脳・後脳境界領域の位置決定はXotx2およびXgbx-2の発現に依存しないことが示唆された。

中脳・後脳境界領域でのXHR1の機能解析を行うため、各種ドミナント・ネガティブ型XHR1のRNAを合成し、初期胚に顕微注入することで機能阻害実験を行った。XHR1は、一次構造から二量体で機能する塩基性ヘリックス・ループ・ヘリックス(bHLH)型の転写抑制因子と考えられ、C末端にWRPWモチーフを持つ。そこで、塩基性領域に変異を導入してDNA結合能を欠損させたもの、WRPWモチーフを欠失させ転写抑制共役因子Grouchoの結合能を欠損させたもの、およびbHLH領域よりC末端側をVP16の転写活性化領域に置換したものを作製し検討した。その結果、これらの変異体XHR1は神経胚期での中脳・後脳境界領域のマーカー遺伝子であるXPax-2およびEn-2の発現を抑制することを見い出した。また、転写活性化型変異体であるXHR1-VP16は最も強力にXPax-2およびEn-2の発現を抑制し、また野生型XHR1との共注入によりその活性が減少した。さらに、低濃度の野生型XHR1の注入により、低頻度ながら中脳・後脳境界領域でのEn-2の発現上昇が認められた。これらのことから、注入された変異型XHR1は内在性XHR1の機能を阻害することによりXPaX-2およびEn-2の発現を抑制すること、およびXHR1は中脳・後脳境界領域のパターン形成に関与する因子であることが示唆された。

 一方、高濃度の野生型XHR1の注入を行った場合は、上皮組織の過形成およびXPax-2とEn-2の発現抑制が認められた。そこで汎神経組織のマーカー遺伝子であるnrp-1の発現を調べたところ、変異型XHR1ではnrp-1の発現抑制は認められなかったのに対し、野生型XHR1によりnrp-1の発現が減少した。従って、過剰発現された野生型XHR1が神経組織形成に関与するbHLH型転写活性因子と非特異的に二量体を形成し、その機能を阻害している可能性が考えられる。これがXHR1の本来の機能とどのように関係するかは今後の課題である。

ドミナント・ネガティブ型XHR1を異所的に発現させたところ、尾芽胚期に神経組織の過形成および眼胞の形成不全が認められた。これまでにbHLH型転写抑制因子のドミナント・ネガティブ型変異休の過剰発現による神経組織の過形成については報告がないため、これをツールとして用いて神経形成について解析を行った。XHR1-VP16を将来の神経組織付近に過剰発現した場合神経組織の過形成が見られたが、腹側表皮に過剰発現させた場合は異所的な神経組織は認められなかった。また、アニマル・キャップアッセイの結果からXHR1-VP16の神経誘導活性は非常に弱いため、単独では外胚葉に対し神経の過形成を引き起こさないと考えられた。過形成された神経組織の由来を明らかにするため、尾芽胚期より早期にnrp-1、Xotx2、そして菱脳分節のマーカー遺伝子であるXKrox-20の発現を調べた。その結果、神経胚期においてnrp-1の発現境界が不明瞭かつ表皮側に拡大し、XKrox-20およびXotx2の発現が減少していた。すなわち、変異型XHR1は前後軸のパターン形成を乱すと共に神経板と表皮の境界形成を阻害した結果、尾芽胚期において未分化な神経組織が過形成したと考えられた。このことより、本来の神経と表皮の境界形成が転写抑制型bHLH因子によって規定されていることが示唆された。

 以上、本研究で試みた体系的遺伝子検索により見い出したXHR1について、以下の点が明かとなった。(1)これまで報告された中で、XHR1は中脳・後脳境界領域に発現を開始する最初の遺伝子である。(2)予定中脳・後脳境界領域は原腸胚初期に既に前部神経板上に領域化されている。(3)予定中脳・後脳境界領域の最初の位置決定はXotx2およびXgbx-2の発現境界に依存しない。(4)XHR1は中脳・後脳境界領域のパターン形成に関与する因子である。(5)神経と表皮の境界形成が転写抑制型bHLH因子によって規定されている可能性がある。

 今後の発展としてXHR1の標的遺伝子を同定することで中脳・後脳境界形成と神経・表皮境界形成に関する新たな遺伝子経路が明らかになることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章からなり、第1章は領域特異的に発現する新規遺伝子を体系的にかつ効率良く検索・単離する方策を検討し、単離した遺伝子の中から新規bHLH抑制型転写因子XHR1について機能解析を行った結果について述べている。第2章はXHR1を用いて神経組織と表皮との境界形成に関して検討した結果について述べている。

 脊椎動物において、神経胚期の前部神経外胚葉から脳の各領域がどのようにパターン形成されるかについての分子メカニズムは未だ充分には明らかにされていない。そこで、神経板内で領域特異的に発現する新規遺伝子を検索・単離し、脳の初期パターン形成をそれらの発現パターンとして記述すると共に、それらの中から発生制御遺伝子と目される遺伝子の機能解析を行うことで脳の初期パターン形成のメカニズムを明らかにし得ると考えられる。

 アフリカツメガエル胚の前部神経外胚葉から単一方向性のcDNAライブラリーを作製し、約800クローンについて全胚in situハイブリダイゼーション法による発現パターンと部分塩基配列により新規遺伝子の検索を行った。これらのファージクローンは単離後96穴プレートに保存し、後の操作をプレート単位で行えるよう効率性を実現した。その結果、既知遺伝子を含むいくつかの前部神経板特異的遺伝子を単離し得た。そのうち、bHLH-WRPW型転写抑制因子をコードする新規遺伝子XHR1(Xenopus HES-related gene 1)は、脳形成においてオーガナイジングセンターとして重要な中脳・後脳境界領域に限局した発現を示した。

各発生段階でのXHR1の発現を既知遺伝子の発現パターンと比較検討した結果、XHR1の発現で示される予定中脳・後脳境界領域の領域化は原腸胚初期に既に開始していることが示唆された。さらに、XHR1はXotx2とXgbx-2の発現領域が神経外胚葉で境界を形成する以前から特異的な発現を開始することより、これまでの知見と異なり予定中脳・後脳境界領域の位置決定はOtx2およびGbx2の発現に依存しないことが示唆された。機能解析として、各種ドミナント・ネガティブ型XHR1のRNAを初期胚に顕微注入した結果、中脳・後脳境界領域のマーカー遺伝子であるXPax-2およびEn-2の発現を抑制し、野生型XHR1の注入によりEn-2の発現上昇が認められた。これらの結果よりXHR1は中脳・後脳境界領域のパターン形成に関与する因子であることが示唆された。

 上記機能解析の過程で、ドミナント・ネガティブ型XHR1の異所発現により尾芽胚期での神経組織の過形成が認められた。その原因を種々の神経マーカーにより検討したところ、神経胚期において神経板の境界が不明瞭かつ表皮側に拡大することが過形成の原因と考えられた。このことより、神経と表皮の境界形成がXHR1と相互作用し得るある種の転写抑制型bHLH因子によって規定されていることが示唆された。

 本研究では、予定中脳・後脳境界領域に特異的に発現する新規遺伝子XHR1を見い出し、その機能解析を行うことで中脳・後脳境界形成に関する新たな遺伝子カスケードの存在と、神経と表皮の境界形成におけるbHLH型転写因子の関与が示唆された。

 なお、本論文第1章は伊藤万里、塩川光一郎、平良珠美子、平良眞規との、第2章は平良眞規との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析と検証を行ったもので、論文提出者の寄与は十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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