学位論文要旨



No 117674
著者(漢字) 丸山,康司
著者(英字)
著者(カナ) マルヤマ,ヤスシ
標題(和) 人間-自然系の枠組みにおける動的な関係性に関する考察 : 環境問題としてのニホンザル問題の事例
標題(洋)
報告番号 117674
報告番号 甲17674
学位授与日 2002.12.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第397号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丸山,真人
 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 教授 中西,徹
 東京大学 助教授 佐藤,仁
 東京農工大学 教授 鬼頭,秀一
内容要旨 要旨を表示する

 本研究の目的は、原生自然の保護を基調とする従来型の自然保護概念を批判的に検討し、多元的現実としての自然を踏まえた上で人間と自然の関係性を捉え直すことである。自然保護の問題は、対象や方法など様々な点で多様化しつつある。この結果、利害関係が発生する主体も多様化している。こうした状況に従来型の自然保護や環境保全の枠組みから対応することには限界があり、人間と自然の関係性に影響する要因を幅広く取り上げ、歴史や社会なども含めた系の問題として分析する必要がある。人間社会と自然のこうした関係性に人間-自然系という分析枠組から接近し、自然との共存という概念の再構成を試みた。具体的には(1)同一の自然物が地域性や歴史性などの社会的文脈によっては異なる存在であるということを明らかにする(2)地域性や歴史性に応じて構成される価値の多元性を記述的に指摘するだけではなく、相違点を具体的に比較できるような枠組みを設定する(3)(1)および(2)を明らかにした上で、自然保護、あるいは自然との共存という概念を再構成する、の3つが主要な課題である。

 これらの課題を明らかにするため、本研究は理論面に関する議論を行っている部分と、具体的な事例を扱った部分によって構成されている。理論に関する部分については文献研究を中心に行い、事例に関しては文献調査と聞き取り調査を行った。

 事例として取り上げたのはニホンザルによる有害鳥獣問題である。有害鳥獣との「共存」という課題は自然からの負荷ということも含めて、多義的な自然とどのような関係を持つのかという課題であり、自然の保護と地域社会との整合性を高める試みとしても重要である。さらに、ニホンザルには保護管理を困難にするような生物学的・生態学的・文化的な特徴があり、ニホンザル問題という独自の問題領域を形成している。その一方で、人間にとって多義的な存在である自然とどのように共存するかという課題一般に対して応用可能な解答を期待できる事例でもある。

 対象とする地域は、青森県下北郡脇野沢村である。この地域はサルとの関係も比較的長く、地域住民とサルとの関わりも多様である。また、集落ごとの個別性もある。このため、サルとの関係性に応じた多様な価値の構造を明らかにすることが可能である。

 論文の構成は全八章からなる。序章において問題提起を行い、第二章および第三章において方法および理論についての検討を行った。第四章から第七章ではニホンザル問題に関連する事例を通時的・共時的に扱った。以上を踏まえ、第八章で結果のまとめと考察を行った。各章の内容は以下のとおりである。

 序章においては、有害鳥獣問題を取り上げながら従来型の自然保護を批判的に検討した。また、「自然保護」や「自然との共存」という概念の再考を促した。

 自然保護が対象とする「自然」には、自然の価値、自然との距離、自然保護の手段において特徴があり、現実的には自然全般に適用可能な普遍的概念とはいえない。だが、こうした理解は必ずしも共有されておらず、このことが「自然保護」的心象や手法への違和感や反発の原因にもなっている。またその普遍的妥当性に対する学問的問い直しも始まっている。

 有害鳥獣問題はこうした「自然保護」とは矛盾する問題の一つの典型である。有害鳥獣は様々な点で「自然保護」が想定する「自然」から逸脱する。特にニホンザルの問題はその程度が顕著であり、「自然保護」とは異なる枠組みの中で捉える必要があるということを明らかにした。

 以上の議論を踏まえ、「自然保護」や「自然との共存」という概念の再考を主張した。このことは、学問的には自然科学と社会科学の合体を意味するが、同一の自然物が社会的には異なる存在であることを客観的に理解する方法と、自然の価値に関する問題を統合的に扱う方法の2つが課題になる。

 第2章は方法に関する検討である。ここでは、自然との関係性に関する問題を複数の社会的文脈の中で扱うためには、通時的視点による分析が有効であることを示すと共に、具体的な方法については検討が必要であることを明らかにした。

 環境史に代表される通時的視点は、価値意識の構成過程や長期間に渡る人間と自然の関係を扱う視点として有効であるが、現在の人間-自然関係に対する問題意識の影響を受けやすいという問題点もあることを指摘した。これを回避するためには「人間」や「自然」という包括的な概念を直接分析の対象とするのではなく、問題群を構造化するための方法や、人間と自然の関係性の変化を動的に捉えるための方法を導入する必要があることを明らかにした。

 第3章では前章の問題提起を受け、環境史研究において指摘されている問題群を構造化し、関係性の変化を動的に捉えるための方法について検討した。この2つの課題を解決するために、人間-自然系という枠組みを導入し、人間と自然の関係性を動的に分析する方法について考察した。具体的には、地域主義、生活環境主義、社会的リンク論、共進化などを検討しながら議論を進めた。

 地域や生活という概念を導入することによって、普遍的で一意に定義可能な空間は否定され、人間と自然との具体的な関わりと文化的多様性との関係を明らかにすることが可能になる。この結果、環境史研究において提起されてきた諸問題を構造的に捉えることが可能になる。

 さらに、社会的リンク論や共進化のアプローチを生かすことによって、人間と自然の関係性を動的な変化として捉えることが可能になる。こうした議論を踏まえ、人間-自然系という分析枠組みを導入し、人間と自然が相互に関係する過程を把握する方法を明らかにした。具体的には、人間-自然系を構成する複数のサブカテゴリーを設け、各カテゴリー間の関係や相互性の有無に注目することによって、系全体をネットワークとして分析し評価する方法を提案した。また、人間-自然系という枠組みを導入することによって、人間と自然の関係性を損なわないための課題を具体的に把握することが可能になることを明らかにした。

 第4章からは人間と自然の関係性に関する事例研究である。まず、自然保護概念の歴史性を明らかにし、ニホンザル問題との矛盾を明らかにした。

 「自然保護」という思想は社会的背景を伴って発生したものであり、「自然保護」における「自然」は自然破壊に対する反動をはじめ、様々な価値を付与されながら「発見」されたものである。その一方で、普遍的な概念として「自然保護」を適用することは様々な矛盾も生み出してきた。こうした矛盾の一つとして有害鳥獣問題は理解できる。さらに、ニホンザルにはいくつかの生態学的な特徴や文化的特徴があるため、「自然保護」との間に存在する矛盾が特に顕著である。第5章では、日本社会における「自然」や「自然保護」の受容過程を森林管理や自然保護の制度を中心に明らかにした。「自然」や「自然保護」という概念は日本の近代化過程で受容されており、自然を専ら利用の対象とみなす森林管理の歴史や保護の対象としての自然に特化した諸制度はそれぞれ独立して存在してきた。

 その一方で、野生動物に関係する諸制度には目的と手段の多様性が認められる。この多様性は制度面での矛盾としても理解できるが、野生鳥獣という存在自体の多義性が反映されたものである。近年においては、自然保護制度は包括的に自然を保護する方法へと変化している。こうした方法には評価できる面もあるが、人間-自然系における動的な関係性を阻害する要因にもなっているということを指摘した。

 第6章は日本における人間とサルとの関係を通史的に扱った。両者の関係は縄文時代から始まっているが、その関係性は一様ではない。サルとの関係には対立的な側面も親和的側面もあり、多様かつ動的な関係性が構築されていた。

 近代化はこうした関係性に影響を与えた。狩猟圧の上昇や、それに次ぐ生息地の撹乱によってニホンザルは希少化し、保護の対象にもなった。その一方で、動物を愛護の対象として見なす心象も普及し、サルを含めて動物は「かわいい」ものになった。こうしたサル観の変化を背景として、サルの観光資源化、サルヘの餌付け、サルの人慣れといった変化も発生している。ニホンザル問題は、こうした社会状況の変化の結果として発生している構造的な問題であることを明らかにした。

 第7章では青森県下北半島における「北限のサル」と地域住民の「共存」の歴史を、脇野沢村の事例を中心に扱いながら明らかにした。ここでの事例は、ニホンザル問題の一つの例であると同時に、脇野沢村における人間-自然系の歴史という独自の問題でもある。

 この地域のサルも、他の地域と同様な事情によって生息数が減少していた。絶滅も危惧されていたサルが1960年代に「発見」されて以来、保護や排除ということも行われてきたが、基本的にはサルと地域住民は共存してきた。だが、ここでの「共存」は、いわゆる自然との共存とは異なる。地域住民とサルとの関係は多様であり、この多様性がサルの存在感を確固にしている。その結果、サルは「土地のもん」として理解され、「共存」の対象と見なされている。

 第8章では全体的なまとめと、考察を行った。

 本研究から(1)有害鳥獣の問題は人間-自然系の矛盾という問題として扱うべきであり(2)この矛盾は多元的な人間-自然系における諸関係を相互的かつ動的に結びつけることによって解消可能であり(3)環境正義や人間的主観性などの社会的視点を効果的に取り入れることも可能になる、ということが明らかになった。また、こうした手法の有効範囲は有害鳥獣問題に限られず、自然との共存に関する問題一般を新たな視点から捉え直すことが可能になることを明らかにした。

 本研究を通じて明らかになった今後の課題は、事例研究については個々の住民への詳細な聞き取りを行うと同時に、量的調査によって確認可能な図式を構築することである。また、理論面についても、不確実状況下における意思決定や専門家-非専門家論といった関連領域も含めて体系化したいと考えている。人間-自然系の概念図については、導入する論理軸の妥当性や時間軸を組み込む方法などについて、他の事例に関する調査とも関連させながら検討することが今後の課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、環境問題を解決するための方法に関して社会科学の立場から論じたものである。筆者は、環境問題を捉える新しい枠組みとして人間と自然との多様で動的な関係性を構造化した「人間-自然系」モデルを提示し、それを「ニホンザル問題」の事例に適用することによって、モデルの有効性を検証しようと試みている。

 筆者の問題意識を支えているのは、これまで環境問題の多くが開発か自然保護かという二者択一問題として捉えられてきたために、真の解決が見出されるに至っていない、という現状認識である。筆者は、開発を規制するという手法で自然保護を強化しても、改めて人間と自然との望ましい関係を構築する努力がなされなければ両者の関係は疎遠となり、環境問題を解決する道からかえって遠ざかることになりかねない、と考える。そこで筆者は、まず二者択一的な問題の設定がそもそも何故成立したのか、そして、そのような問題枠組みが何故一般化したのか、その結果、環境問題の解決に当たってどのような困難が生じるに至ったのかという一連の問題群を、環境史の批判的検討を通して俯瞰する。その上で、人間と自然との多様で動的な関係性を再構築するための条件を示し、「ニホンザル問題」の事例を用いてそれを具体的に説明する。

 本論文は8章から構成されており、序章で一般的な問題を提起した後、第2章と第3章において、問題を解くための分析枠組みとして人間-自然系の導出およびその基本的説明がなされる。第4章から第7章にかけては、「ニホンザル問題」を、「開発か自然保護か」の二項対立図式から解放し、人間-自然系モデルの中に位置づけることで具体的分析を試みている。第8章では分析結果の理論的意味を総括している。各章の具体的な内容は以下のとおりである。

 序章では、社会通念としての「自然保護」概念の中に「人間対自然」という二項対立関係が埋め込まれており、人の手の加わらない「原生自然」が前提されているために、現実の自然と「自然保護」概念においてモデル化された「自然」との間にズレが生じ、モデルに該当しない自然が保護の対象から排除されることによって問題がより深刻化することを指摘する。有害鳥獣問題はまさにそのような問題として存在し、その真の解決を図るためには「人間対自然」の対立図式を超えなければならないと主張する。

 第2章では、「人間対自然」の対立図式が伝統社会の中で徐々に形成され近代社会に至って一般化するに至る過程について、環境史の批判的分析を通して明らかにしている。ここでは、伝統社会と近代社会とを対比させて後者を批判し前者を再評価する方法によっては上述の対立図式を克服することができないことを指摘する一方、人間と自然との関係を構造的に捉えた上でその構造が変化する過程を動的に捉えることによって、人間と自然との間の多様な関係性を明示的に取り出して分析することが可能になることが示唆される。

 第3章では、人間と自然との間の多様で動的な関係性を分析可能な対象として捉えるための枠組みとして、人間-自然系モデルが導出される。まず、人間概念および自然概念を抽象的レベルではなく具体的レベルにおいて捉えるために、地域主義、生活環境主義、生命地域主義の考え方が紹介され、それらを参照することによって、人間と自然との関係が多様なかかわり方の網目の中で構造化されることを示す。その上で、鬼頭秀一の「社会的リンク論」およびリチャード・ノーガードの「共進化」モデルを組み合わせることによって、人間-自然系の全体構造の動態的変化を分析することが可能になるとしている。具体的には、価値、知識、環境、技術、制度の各項目間の相互作用を通して構造化されたシステムが、それらの相互作用の不断の進行とともに動的に変化していくことを、記述することが可能になるというのである。ただし、ノーガードの「共進化」モデルにおいては価値が単一のカテゴリーにとどまっていたのに対し、筆者はそれを文化的価値と経済的価値に区分することによって、より現実に対して適用度の高いモデルに修正している。

 第4章では、「自然保護」が対象とする「原生的な自然」概念が成立する歴史的過程を叙述し、その過程で価値、知識、環境、制度、技術それぞれの間の相互関係の断片化が進行し、その結果、「好ましい自然」と「好ましくない自然」の価値区分が固定化するに至り、自然をトータルに把握することが困難になったことを指摘する。両義的な価値を持つニホンザルはまさにこのような断片化した構造においては理解不可能な存在となる。そこで、あらためて人間とニホンザルとを人間-自然系の枠組みの中に置くことで、独自の構造を持った「ニホンザル問題」が描き出され、問題解決への糸口が開かれると説く。

 第5章では、ニホンザル問題を実際に描写するために必要な背景の説明が行われる。まず、ニホンザルの生息する中山間地域における人間と森林とのかかわりの変化を記述し、生産過程を含んだ多様な関係性が薄れて次第に保護の対象として森林を捉える断片化した関係性が展開される様子が説明される。そのような過程において注目に値するのが鳥獣保護法の存在である。筆者は同保護法にもとづく制度の多様性が関係の多様性を反映していたことを強調する。そして、それとは対照的に、公園制度や天然記念物制度が自然を特定の文化的、経済的利益の対象として断片化し、規制という限られた方法によって人間と自然との関係性を単純化するものであると指摘する。

 第6章では、人間とニホンザルとの関係が、独特の構造を持った「ニホンザル問題」として現れる過程を、動物園および野猿公苑制度の成立史を通して概観する。ここで筆者は、文化的価値、経済的価値、制度、技術、環境、知識の各要素からなる人間-自然系モデルをニホンザルの場合に即して具体化し、サルをめぐる人間-自然系の構造の変化を、13世紀から19世紀までと、19世紀後半から20世紀前半まで、および20世紀後半以降の3段階に分けて説明し、最終段階において「原生的自然」に対応する観念的な「サル観」が出現することを確認する。

 第7章では、「ニホンザル問題」のケーススタディとして青森県脇野沢村における「北限のサル」の事例が取り上げられる。筆者は、過去40年間にわたる脇野沢村の住人とニホンザルとのかかわりにおいて、住人がサルの両義的価値を生産と生活の現場においてトータルに受け止め、緊張感を保ちながら共存する方向でサルとの関係を構築してきた事実を紹介し、その理由を人間-自然系における各構成要素の内容の豊かさと、各要素間の関係の複雑さに求めている。筆者は、そこに、断片化され固定化されようとしていた関係性が次第に相互に結び合い、ふたたびトータルな人間-自然系として継続的に変化を重ねていく可能性を見いだそうとする。

 第8章では、脇野沢村の事例において人間-自然系を構成する諸要素が断片的関係を超えて相互的関係を獲得するに至っていることを再確認し、そこから、価値、制度、技術、環境、知識の各要素の間の関係が断片化しているところに環境問題の本質があるという結論を導き出す。そして、問題の解決を図るためには、それらの要素の間に相互的な関係を作り出すことが必要不可欠であるとして、個々の環境対策や施策についても、それらが人間-自然系において多様で多元的で動的な関係性を築きうるものかどうかという観点から評価すべきであると論じ、全体を締めくくっている。

 本論文の独創的な点は第一に、人間と自然との関係について、人間-自然系モデルを提示することによって、人間対自然という二項対立図式とはまったく異なる相互依存的な関係性、しかも動的に変化する関係性を分析可能な概念として明示化したことである。先行研究としては、第3章で取り上げた鬼頭秀一の「社会的リンク論」とノーガードの環境と社会に関する「共進化論」がある。

 「社会的リンク論」は、自然と人間との間の断片化された関係性と相互に結ばれた関係性をそれぞれ「切り身の関係」「生身の関係」と命名することによって対比させ、両者の質的な相違を明らかにしたのであるが、本論文は基本的にこの対比の図式を継承している。しかし、「社会的リンク論」の対比の仕方は比較静学的であり、一方の関係性から他方の関係性への移行過程を動的に説明するものではなかった。本論文の筆者は、「社会的リンク論」にしたがって、環境問題の本質を「切り身の関係」に求めており、問題の解決のためには「生身の関係」を構築することが必要と認めるのであるが、「社会的リンク論」では前者から後者への移行の具体的過程を明らかにすることができないとして、環境と社会に関する「共進化論」に突破口を見出すことになった。

 環境と社会に関する「共進化論」においては、人間の生活が生態系の一部に組み込まれたモデルが提示され、価値、組織、技術、環境、知識の各要素の間の相互関係の総体として表現されている。本論文の筆者は、組織をもう少し広く制度一般と読み替えて全体に幅を持たせた上で、各要素間の関係の変化が環境と社会からなる総体システムの共進化を引き起こすと捉えた。その上で、ノーガードが価値カテゴリーを価値一般としていたのに対し、筆者は文化的価値と経済的価値との間の相互作用がシステム全体の共進化過程に影響を与えるとして、文化的価値、経済的価値、制度、技術、環境、知識の6つの要素からなる人間-自然系を導出したのである。

 本論文の独創性の第二点目は、筆者のオリジナルである人間-自然系モデルを用いて、現実の環境問題としての「ニホンザル問題」を分析したことである。筆者の分析枠組みによれば、環境問題は人間-自然系の諸要素間の関係が断片的であることによって生じるのであり、具体的には、自然が「好ましい自然」と「好ましくない自然」に二分され、前者が保護され後者が否定されることによって問題が構造化・固定化されることになる。筆者は、「有害鳥獣」と「天然記念物」という相対立する価値を併せ持つニホンザルという存在に焦点を絞ることで、問題の本質を先鋭化して抉り出すことに成功した。

 本論文の学問的メリットは多岐に渡るが、とりわけ市場原理にもとづいた環境経済学の限界を明らかにする上で効力を発揮する。なぜなら、環境経済学は自然を希少価値のある資源として限定的に捉えるため、対象領域を拡張するためには絶えずモデルを高度化して自然の中に希少価値を発見する新たな方法を捜し求めなければならなくなる。このような方法では、モデルは無限に複雑化する一方、どこまでいっても人間と自然との関係が断片的であるということを自覚できない。また、個別事例の具体的記述に特化しているかに見える環境社会学に対しても、個々の事例の中に潜んでいる普遍的問題を明示化するための指針を提供している。さらには、環境政策や環境対策、環境運動のような実践に対しても、個別の政策や対策や運動を、断片化された関係性においてではなく、人間-自然系の総体的な関係性の中で正当に評価するための基準を示している。

 以上のように、本論文は独創性、メリットの両面で高く評価することができる。しかしながら欠点もないわけではない。まず、「社会的リンク論」の批判ともかかわる問題であるが、筆者は異なる関係性を持った構造のあいだの動的な変化を強調するあまり、すべての構造のあいだに相対性、連続性を見出そうとし、その結果「社会的リンク論」において明らかであった「切り身の関係」を近代に固有の構造として特定し、近代社会の特殊歴史的な構造を浮き立たせる視点が後景に退いた感がある。とはいえ、この点に関しては筆者の動的な視点を突き詰める中から新たに問題を構成し直す契機を感じる部分もあるので、今後の展開に期待したい。

 また、人間-自然系モデルの完成度に関しては、まだ十全とはいえない部分もある。(文化的、経済的)価値、制度、技術、環境、知識の各カテゴリーに含まれる具体的項目の選択がどの程度客観的に行えるか課題が残されている。さらに、動的な変化を重視すると言いながら、モデル上は諸項目を結ぶ線が共時的に表現されているため、現段階では諸関係の変化の起こる順序を明示することができない。今後、共進化の過程を具体的に明確にできるような形でより精緻化を図る必要があろう。

 さらにまた次のような問題もある。筆者は「開発か自然保護か」という二項対立図式にとらわれたアプローチを批判することから出発するが、結果的には「開発」にも「自然保護」にもそれぞれの存在意義を認め、最終的にそれらを人間-自然系モデルの中に整合的に位置づけようと試みている。しかし、その手続きがやや不鮮明である。批判の対象をも包摂するようなより総合的な視点を提示したならばもっと説得性が増しただろう。

 本論文には以上のような問題点が認められるが、それらはいずれも論文の学術的意義を否定するものではない。むしろ、環境社会科学という揺籃期にある学問が避けて通ることのできない問題群を余すところなく示しており、それらと正面から向き合いながら自らの論理を構築したという点で、本論文は環境社会科学の新しいページを開いた貴重な労作であると言える。したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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