学位論文要旨



No 117678
著者(漢字) 木村,幹夫
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,ミキオ
標題(和) 「移動電話の普及過程の研究」 : 潜在普及上限拡大モデルによる分析
標題(洋)
報告番号 117678
報告番号 甲17678
学位授与日 2003.01.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第5360号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,文雄
 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 橋本,毅彦
 東京大学 教授 藤井,眞理子
 東京大学 教授 馬場,靖憲
内容要旨 要旨を表示する

 移動電話は、デジタル技術の進歩とともに、90年代以降、先進諸国を中心として世界的に急速な普及を示した通信サービスである。本研究の目的は、日本を中心としていくつかの海外を含めた移動電話サービスの普及過程を定量、定性的に分析することによって、技術の進歩が移動電話サービスの普及過程に与えた影響を検証することにある。

 移動電話に関連した技術進歩は、サービスの開始後も継続している。当初、アナログ伝送方式(アナログセルラー)の無線電話として始まった移動電話サービスは、デジタル伝送方式(デジタルセルラー)へと移行し、日本を中心としたいくつかの国ではインターネットヘの接続機能を合わせ持つことにより、"モバイル・コンピューター"とも呼べる機能を持つまでに至っている。しかしながら、従来、移動電話に限らず、技術のアプリケーションである製品、サービスの普及過程分析においては、(少なくとも事後的には)固定された普及上限に向かって普及が進展するモデルが主に用いられてきた。そうしたモデルは、普及期間中に起きた新たな技術進歩が普及過程に与えた影響を分析するには不十分である。

 本研究では、移動電話サービスの開始後に起きた技術の進歩が、普及に与えた影響を分析することに重点をおいている。そのため、普及上限が固定されたモデルに加えて、潜在普及上限が普及期間中に動的に変化し得るいくつかのモデルを用いることによって、移動電話のサービス開始後におきた技術の進歩が普及過程に与えた影響を定量的に検証している。また、日本に加えていくつかの海外における移動電話の普及過程を分析することで、分析結果の普遍性についても検証している。さらに、技術進歩と潜在普及上限の変化の関連性を分析することによって、技術の進歩が移動電話の普及過程に影響を与えるメカニズムを明らかにする試みを行っている。

 本論文の構成は以下のようなものである。

 まず、第1章では、日本における移動電話サービスの誕生、変遷を振り返った後、移動電話分野における技術進歩の経緯と特徴を分析する。その上で、無線アクセス方式のアナログからデジタルヘの変化とインターネットヘの接続機能の付加が最も大きな技術上の変化であったことを指摘した。また、本論文が移動電話サービスのそうした変遷、現状を理解し、さらには将来を見通すに当たって果たし得る役割について述べた。

 次に、第2章では、これまでに提唱された技術、サービスの普及過程を表現するモデルの体系的なサーベイと分類を行うとともに、それらの特徴と利点、適用できる普及データのタイプなどについての検討を行い、次章以降の計量分析のための枠組みを整理した。普及モデルは大きく分けて、普及現象を情報の伝播過程として記述する疫学モデルと、普及に当たっては利用者側の経済的要因が大きく働くとするプロビットモデルの2つに分類できること、また、近年では単一の構造方程式からなるモデルに加えて、複数の式による多項式構造ないしは連立方程式構造で表現されるモデルがいくつか提唱されており、こうしたモデルは潜在普及の動的変化を表現していること、さらに潜在普及上限が変化し得るモデルは対象となるデータの期間や分析自体の目的によって使い分ける必要があること、などを指摘した。また、この章では、移動電話の普及過程についての既存研究のサーベイを行い、合わせてその成果について考察している。

 続く第3章では、日本の移動電話および携帯IP接続サービス、加入電話の普及データと米国、英国、フィンランド、韓国の移動電話の普及データに疫学モデルの代表であるロジスティックモデルと2つのプロビットモデル(累積正規分布曲線と累積対数正規分布曲線)の当てはめを行い、それぞれの普及データがどのモデルで最もよく説明できるかを検証した。結果として、加入電話を含めて全ての普及データについてロジスティックモデルの適合度が最もよく、続いて累積正規分布曲線、最も適合度が悪いのが累積対数正規分布曲線であることを明らかにしている。情報の伝播過程を表現するロジスティックモデルは、国全体という大きな枠組みでの通信の普及過程を表現するには、個々の利用者における経済的要因や意思決定プロセスを内在化したモデルとされるプロビットモデルよりも適していることを示し、次章でのロジスティックモデルをベースとして潜在普及上限が変化し得るモデルを用いた分析への導入とした。

 第4章は、第5章とともに、本論文での分析の柱となる部分である。潜在普及上限が変化しうる3タイプのモデル、N-step Logistic Model(潜在普及上限値が階段状に変化するロジスティックカーブを描く)、Bi-nominal Logistic Model(潜在普及上限値自体がロジスティックカーブに従って増大する)、Bi-nominal Modified Exponential Model(普及過程はロジスティックカーブをベースとしながら、潜在普及上限値は上限値を持つ修正型の指数関数で表現される)を用いて、第3章と同じ移動電話の普及データを分析した。

 結論として、日本の移動電話の普及過程は2回に渡って普及上限が階段状に増加するモデルが、英国、フィンランドについては普及上限が1回階段状に増加するモデルが、米国と韓国については普及上限が変化しない通常のロジスティックモデルが、それぞれ普及データヘの適合度が最も高い一方で、日本の携帯IP接続サービスだけの普及データは唯一、普及上限が持続的に増大する構造を表現するモデルの適合度が階段状の普及上限の拡大を表現するモデルの適合度を上回っていること、などを示した。日本の移動電話の普及上限が2度に渡って増大したのは、モデルで推定された普及上限の増大時期からみて、1回目はアナログセルラーからデジタルセルラーへの移行、2回目は携帯IP接続サービスの開始によるものと考えることができるとした。同様の分析から、英国についてはプリペイド式携帯電話の導入が普及上限を押し上げたこと、フィンランドについては日本同様、デジタルセルラーヘの移行が普及上限を押し上げたこと、米国はアナログセルラーのチャンネル収容能力の高さからデジタルセルラーへの移行が遅れたため、デジタルセルラーの開始は普及上限を押し上げるほどの影響を及ぼすことができなかったこと、韓国はアナログセルラーの普及のごく初期の段階でデジタルセルラーが立ち上がったため、アナログからデジタルヘという移行プロセスが明確化しなかったこと、などの分析結果を提示し、アナログからデジタルヘという革新的な技術進歩は潜在普及上限を一時に上方へ押し上げる役割を果たしたと考えられると結論付けている。また、日本における固定電話(加入電話+ISDN)と移動電話を合わせた通信全体の普及データを用いて通信の長期的な普及カーブについても同様の分析を行い、通信の長期的な普及カーブは移動電話の普及立ち上がりとともに2段目の段階に移行したロジスティックモデルで表現できることを示した。

 第5章では、日本の携帯IP接続サービスの普及過程だけが普及上限が持続的に拡大するモデルで最もよく説明できる構造であることを受けて、携帯IP接続サービスの普及上限が持続的に拡大したメカニズムを明らかにしている。まず、潜在普及上限の増加がネットワークの外部効果や利用料金水準の変化によるものではないことを示した後に、携帯IP接続サービスにおいて提供されるサービス内容と利用者によるサービスの利用行動の変化を各種データやアンケート調査の結果から分析した。

 それらを受けて、携帯IP接続サービスにおけるサービスの多様性を示す定量データとして対応ウェブサイトの数を採用し、これとモデルによって推定された潜在普及上限値、さらにはサイト数と携帯IP接続サービスの加入者数との間の因果関係をGrangerのテストによって計量的に分析することで、潜在普及上限値の上昇はサイト数の増加に先行すること、サイト数と加入者数は相互に影響を及ぼしあっているがサイト数が加入者数に先んじて増加する傾向が認められること、といった分析結果を得た。そして、携帯IP接続サービスの分野ではサービスの開始以来、数多くの漸進的な技術進歩が並行的かつ継続的に起こり続け、その結果サービス内容の進歩が絶え間なく実現している現状との関連から分析すると、潜在普及上限値はその時点での技術の潜在価値を示す指標と考えられるとして、これが技術進歩によって向上すると、その後、サービスの多様化(サイト数の増加)となって市場で具現化し、それを評価する利用者が増えることで新たな加入者が増加する、という一連のメカニズムが並行的に繰り返し働き続けていることが考えられると結論付けた。

 第6章は、本論文の全体を総括するとともに、今後の課題について述べている。移動電話を中心とした通信の普及過程を潜在普及上限との関係で見た場合、普及上限が変化しないもの、普及上限が階段状に増大するもの、普及上限が持続的に拡大するものの3タイプがあること、それぞれの通信の普及過程がどのタイプの普及過程を描くかは当該分野におけるサービス開始後の技術進歩の有無、技術進歩の規模や技術進歩によるサービス内容向上の継続性などとの関連で決まると考えられること等を示すとともに、今後はこうした分析を他の技術分野についても実施して普及過程と技術進歩の関連性についてのより普遍性のある概念を構築していく必要性があることなどを今後の課題として提示した。

審査要旨 要旨を表示する

 日本の携帯IP接続サービスは、「世界で最も成功した"モバイル・マルチメディア・サービス"」と呼ばれ、世界的に稀なほど急速かつ高い普及を遂げ、同時に各種新規サービスの輩出を実現した。しかし、その普及メカニズムについては各所で定性的、感覚的に語られるのみで、定量的に明らかにした分析結果は存在していない。

 そこで、本研究では、移動電話サービスの開始後に起きた技術の進歩が、普及に与えた影響を分析することに注目した。そのため、普及上限が固定されたモデルに加えて、潜在普及上限が普及期間中に動的に変化し得るいくつかのモデルを用いることによって、移動電話のサービス開始後に起きた技術の進歩が普及過程に与えた影響を定量的に検証する事を試みた。

 まず、日本に加えていくつかの海外における移動電話の普及過程を分析して国際比較を行っている。具体的には、それぞれの国について技術進歩と潜在普及上限の変化の関連性を分析することによって、技術の進歩が移動電話の普及過程に影響を与えた場合はそのメカニズムを、影響を与えられなかった場合はその要因を明らかにしている。

 続いて、日本については、携帯電話の普及分析に加えて、固定電話(加入電話+ISDN)と移動電話(携帯電話+PHS)を合わせた通信全体の普及データを用いて通信の長期的な普及カーブについての分析や、携帯IP接続サービスだけの普及過程に限定した詳しい分析を行った。

 その結果、次のことを明らかにしている。日本の携帯電話の普及過程は2回に渡って普及上限が階段状に増加するモデルが、英国、フィンランドについては普及上限が1回階段状に増加するモデルが、米国と韓国については普及上限が変化しない通常のロジスティックモデルが、それぞれ普及データヘの適合度が最も高いことを明らかにした。日本については、通信の長期的な普及カーブは移動電話の普及立ち上がりとともに2段目の段階に移行したロジスティックモデルで表現できることを示した。

 以上のような、移動電話の普及についての国際比較の分析と日本における各種の携帯の電話サービスの普及分析を通して、次のような重要な事実を発見している。すなわち、日本の携帯IP接続サービスだけの普及データが、唯一、普及上限が持続的に増大する構造を表現するモデルの適合度が、階段状の普及上限の拡大を表現するモデルの適合度を上回っていることを示した。

 普及の定量的分析結果の解釈については、次のような説明を与えている。日本の携帯電話の普及上限が2度に渡って増大したのは、モデルで推定された普及上限の増大時期からみて、1回目はアナログセルラーからデジタルセルラーヘの移行、2回目は携帯IP接続サービスの開始によるものと考えることができる。普及上限が1回階段状に増加するモデルが適合していると判定された国については、英国についてはプリペイド式携帯電話の導入が普及上限を押し上げたこと、フィンランドについては日本同様、デジタルセルラーヘの移行が普及上限を押し上げたことで説明できることを明らかにした。

 普及上限が変化しない通常のロジスティックモデルが適合度が最も高いと判定した国については、米国はアナログセルラーのチャンネル収容能力の高さやデジタル化設備投資の遅れから、デジタルセルラーヘの移行速度が緩慢だったため、デジタルセルラーの開始が普及上限を階段状に押し上げるほどの影響を及ぼすことができなかったためであると説明できる。韓国はデジタルセルラーのサービス開始1年後にIMF危機による不況期に入ったため、デジタルセルラーの普及立ち上がりスピードが抑制されてしまったことが原因であると説明している。一般論としては、アナログからデジタルヘという革新的な技術進歩は、潜在普及上限を一時に上方へ押し上げる役割を果たしたと考えられると結論付けている。

 論文の後半においては、日本の携帯IP接続サービスの普及過程だけが普及上限が持続的に拡大するモデルで最もよく説明できる構造であることを受けて、携帯IP接続サービスの普及上限が持続的に拡大したメカニズムを明らかにする分析・調査を行っている。まず、潜在普及上限の増加がネットワークの外部効果や利用料金水準の変化によるものではないことを示した後に、携帯IP接続サービスにおいて提供されるサービス内容と利用者によるサービスの利用行動の変化を各種データやアンケート調査の結果から分析した。

 それらを受けて、携帯IP接続サービスにおけるサービスの多様性を示す定量データとして対応ウェブサイトの数を採用し、これとモデルによって推定された潜在普及上限値、さらにはサイト数と携帯IP接続サービスの加入者数との間の因果関係をGrangerのテストによって計量的に分析している。その結果、潜在普及上限値の上昇はサイト数の増加に先行すること、サイト数と加入者数は相互に影響を及ぼしあっているが、サイト数が加入者数に先んじて増加する傾向が認められることを明らかにした。

 以上より、携帯IP接続サービスの分野ではサービスの開始以来、数多くの漸進的な技術進歩が並行的かつ継続的に起こり続け、その結果サービス内容の進歩が絶え間なく実現している現状との関連から分析すると、潜在普及上限値はその時点での技術の潜在可能性を示す指標と考えられると結論している。さらに、この潜在可能性が技術進歩によって向上すると、その後、サービスの多様化(サイト数の増加)となって市場で具現化し、それを評価する利用者が増えることで新たな加入者が増加する、という一連のメカニズムが並行的に繰り返し働き続けていると推論している。さらに、そのメカニズムを定性的な事例調査によって裏付けている。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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