学位論文要旨



No 117680
著者(漢字) 本間,典子
著者(英字)
著者(カナ) ホンマ,ノリコ
標題(和) キネシンスーパーファミリープロテイン2(KIF2)の分子遺伝学的研究
標題(洋) Molecular Genetic Analysis of kinesin superfamily protein 2(KIF2)
報告番号 117680
報告番号 甲17680
学位授与日 2003.01.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2045号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 栗原,裕基
内容要旨 要旨を表示する

概要

 キネシンスーパーファミリー(KIF)は、ATPを加水分解しながら微小管上を動くモーター蛋白群として単離精製され、機能解析がなされてきた。KIF2は、そのATP酵素活性部位を分子の中央にもつ、ユニークなサブファミリー(M-kinesins)に属する。過去の研究から、M-kinesinsの蛋白質は、微小管の脱重合活性を持ち、細胞分裂期の紡錘体形成や細胞の突起形成に関与することが示唆されていた。しかし、KIF2ではそれらの作用は未だ確認されておらず、また、生体内特に、発現の多い発生初期の脳における機能は不明であった。

 今回、遺伝子標的組み換え法を用いて、KIF2遺伝子欠損マウスを作製し、細胞および個体レベルにおけるKIF2の機能解析を行った。面白い事に、KIF2遺伝子欠損マウスは生後一日以内に全て死亡し、その脳には、神経細胞移動の障害による、著明な層構造の形成異常と神経核の位置異常がみられた。また、本来主枝が優先して伸長するはずの軸索に、多くの側枝が発達していた。海馬の初代培養を用いた実験から、この側枝発達が、細胞移動の遅れの原因であることが分かってきた。さらに、微小管脱重合能について調べたところ、in vitroでのその作用は明らかであった。また、培養細胞においても、KIF2遺伝子欠損マウスでは、微小管脱重合能の低い成長円錐が増加していた。以上のことから、KIF2は、神経系の発達における「側枝抑制因子」としての機能が示唆された。すなわち、KIF2は、側枝の成長円錐において微小管を脱重合することによってその伸長を抑制するのである。その結果として主枝の優先的伸長を促し、細胞移動や形態形成に重要な役割を果たしていることが示唆された。

序論

 神経発生において、神経細胞は、分裂を終えた場所から所定の場所に移動し、目的の場所に到着後、突起を伸長させて神経回路を形成していく。それぞれの過程で、神経細胞の突起は、必要に応じてその分枝を発達させたり、逆にその伸長を抑制したりする。特に軸索は、長く複雑な神経回路の形成や神経細胞の移動を可能にするため、その主枝を優先的に伸させる必要があると考えられてきた。こうした特徴ある神経細胞の形態形成においては、その構成に必要な要素が主枝に優先的に輸送される必要がある。しかし、特に軸索における物質輸送は微小管に依存していることを考慮すると、物質輸送に先んじて、微小管のorganizationが神経細胞の形態形成の鍵を握っている可能性がある。

 一方、Kinesin Super Family(KIF)は、微小管上をATPを加水分解することによって動くモーター分子群の一つである。KIFはさらにそのモーター領域(ATP結合領域)の分子内位置によって大きく3つのsubfamilyをなし、現在、総数45あることが知られている。それぞれのモーター分子はそれに応じたcargoを細胞体から末梢(順行性)に運んだり、末梢から細胞体(逆行性)に運んだりしていると考えられている。

 今回我々は、これらの中で特にKIF2に注目した。KIF2は分子の中央にモーター領域を持つ、数少ないsubfamily(M-kinesins)に属する。そのマウスにおける発現は全組織に及ぶが、特に脳に多く、続いて脾臓、胸腺、肺に多い。時期的には幼弱な神経細胞、特に成長円錐に多く発現していることが知られている。また、近年、他のM-kinesinsが、ATP依存性に微小管脱重合活性を有することが分かってきており、細胞内の微小管のorganizationにKIF2が関与している可能性が示唆されていた。しかし、これらの研究はすべて、生化学的、もしくは継代培養細胞を用いたものであり、KIF2の生体内における機能の解明は重要な課題であった。今回、我々は、標的遺伝子組み換え法を用いてKIF2A遺伝子欠損マウスを作製し、その生体内の機能の詳細な解析を行った。

方法と結果

 1.KIF2遺伝子欠損マウスの作製

 KIF2はATPaseであることから、ATPが結合する領域(p-100p)のexonを欠損させるよう、ターゲティングベクターを作製した。Positive selectionにはネオマイシン耐性遺伝子を、negative selectionにはジフテリア毒素Aフラグメント遺伝子を用いた。ES細胞はJ1株を用い、エレクトロポレーションにてベクターを導入後、単離培養し、サザンプロット法によって相同組み換え体を得た。組み換えが起こったES細胞をC57B1/6胚盤胞に打ち込み、キメラマウスを得、C57b1/6の雄をかけ合わせてヘテロマウスを得た。このヘテロマウスは、雌雄共に外見上目立った異常は見られず、繁殖能も正常であった。

 2.KIF2遺伝子欠損マウスのフェノタイプ

 今回作製したKIF2遺伝子欠損マウスは、生後一日以内にすべて死亡した。その脳を固定して形態観察したところ、神経細胞層の形成異常や顕著な神経核の位置異常が観察された。そこでまず、抗体やdiIなどの蛍光色素を用いて神経細胞および神経突起を可視化し、KIF2を欠損したマウス脳における神経細胞の位置や移動状況を観察した。その結果、中枢神経系の各所で明らかな細胞移動の障害が認められた。特に細胞移動距離のもっとも長いといわれる顔面神経核では、その移動障害が特に重篤であった。面白い事に、KIF2遺伝子欠損マウスでは、移動中および移動後の神経細胞の軸索に、異常に伸長した側枝が多く観察されていた。その上、移動障害を受けている細胞群の軸索束は、ひどくばらけてしまっていた。これらの結果から、突起形成異常と細胞移動障害には関連があることが示唆された。これらの現象は、脳より樹立した培養神経細胞においても同様に認められたため、我々は次に、初代神経培養細胞を用いて移動中の神経細胞の突起の変遷を観察した。その結果、KIF2遺伝子欠損マウスの神経細胞では、神経突起、特に移動細胞の軸索の側枝が伸長し、その結果として神経細胞の移動が障害を受けることが示唆された。細胞体の移動の様子をさらに観察した結果、KIF2遺伝子を欠損した神経細胞の細胞体は、側枝が異常に発達してしまったために移動方向である主枝の選択が難しくなり、その分岐点で移動が障害されることが推測された。さらに、生化学的な解析から、KIF2がATPに依存して微小管を脱重合することも明らかになった。KIF2が神経細胞の成長円錐に多く発現している事を考慮すると、KIF2の神経発生における二つの機能の可能性が示唆された。一つは、KIF2が軸索側枝の形成自体を抑制している可能性であり、他方は、KIF2が軸索状の既存の成長円錐の伸長を抑制している可能性である。軸索の主枝上の成長円錐の数と側枝の長さを測定比較したところ、両遺伝子型の神経細胞の成長円錐の数に大きな変化はなく、側枝の長さのみに差がみられた。すなわち、KIF2は成長円錐において、微小管を脱重合し、伸長すべきでない側枝の伸長を抑制している可能性が支持された。我々は最後に、アデノウイルスベクターを用いてGAP-tubulinを神経細胞に発現させ、成長円錐内でのmicrotubuleの脱重合能の解析を行った。もしKIF2が成長円錐の中で微小管代謝に関わっているとすれば、KIF2遺伝子を欠損した細胞の成長円錐では、微小管の脱重合速度が低下するはずである。結果は予想通りであった。

 以上の結果から、KIF2は、軸索の主枝上に形成された成長円錐において、微小管を脱重合することによって側枝の伸長を抑制する、側枝抑制因子であることが示唆された。この側枝抑制の結果として、K[F2は主枝優先的な軸索の伸長を促進し、生体内においては、少なくとも脳における神経細胞の移動に重要な役割を持つことが提唱された。

結論及び考察

 古くより、突起の伸長・退縮の際の細胞骨格変化や、突起伸長の方向を決定する分子メカニズムについては多くの研究がなされてきた。しかし、なぜ軸索が主枝優先的に伸長するのかについてはほとんど解明されていなかった。今回我々は、キネシンスーパーファミリープロテイン2(KIF2)の遺伝子欠損マウスの解析を通して、主枝優先的な突起伸長のメカニズムとその個体における重要性を示唆した。まとめると以下のようになる。

 1.神経系の形態形成とりわけ軸索突起形成において、KIF2Aは側枝抑制の働きをする。また側枝には主枝の投射ミスを補償する役割もあることがしられている。面白いことに、その成長円錐は投射ミス等が生じるまえからあらかじめ備えられており、非常事態以外はその伸長が抑制されていると考えられているKIF2A遺伝子欠損マウスでは成長円錐内での微小管代謝回転のバランスがくずれ、側枝の伸長抑制が解かれるため、神経突起、特に側枝の伸長が著しく増大すると考えられた。

 2.KIF2Aは、神経細胞の成長円錐において、微小管を脱重合する作用をもち、神経細胞形態形成に重要なはたらきを持つ。

 4.神経細胞が移動する際には、その進行方向に優位に伸長した突起に沿って移動する必要がある。その過程で側枝は退縮する必要があるが、側枝が異常に伸長してしまうと、優位な突起がなくなり、細胞体はその移動速度失う。

 5.伸長を抑制すべき成長円錐を認知するメカニズムや、微小管を脱重合するメカニズムについては、今後の研究を要する。

 6.KIF2Aが軸索伸長において側枝伸長抑制に関わっているとすれば、神経回路網の形成にも重要なはたらきをすると考えられるが、この解明にはさらなる解析を必要とする。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、高等動物の初期神経発生過程において重要な役割をはたしていると考えられる、神経細胞の主枝優先伸長のメカニズムを明らかにするため、キネンシンスーパーファミリープロテイン2Aの遺伝子欠損マウスを作製し、その解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.KIF2A遺伝子欠損マウスは、生後一日で全て死亡し、その脳は、層構造の乱れや神経核の位地異常などの重篤な異常を示していた。一定期間に分裂した神経細胞を標識する実験を通して、これらの異常は、細胞移動の遅れによるものであることが示唆された。

2.さらに、KIF2Aの細胞内での働きを明らかにするため、遺伝子欠損マウスの脳から海馬の神経細胞を取り出して初代培養したところ、通常主枝のみが優先して伸長する軸索から、多くの側枝が伸長していた。また、主枝の単位長さ当たりの側枝の数と長さを野生型のそれらと比較したところ、数に大きな差は無く、長さに明らかな変化が見られた。このことは、KIF2Aが神経細胞において、側枝の数ではなくむしろ長さの調節に重要であることを示唆している。実際、定期的に海馬の培養神経細胞の発達を観察したところ、野生型では側枝が生じても短く保たれるのに対し、KIF2A遺伝子欠損神経細胞は、一度生じた側枝は伸長を続ける傾向にあることが観察された。

3.最後に、KIF2Aの突起伸長調節の分子メカニズムを明らかにするため、まず、KIF2Aをバキュロウイルスを用いて発現させて精製し、その生化学的性質を解析した。KIF2Aは、ATp依存性に微小管を脱重合することが明らかになった。KIF2Aが成長円錐に多く発現していることから、アデノウイルスベクターを用いてGAP-tubulinを神経細胞に発現させ、成長円錐内での微小管の脱重合能の解析を行った。KIF2遺伝子を欠損した細胞の成長円錐では、微小管の脱重合速度が低下していた。これらの結果から、KIF2Aが成長円錐において、微小管を脱重合し、伸長すべきでない側枝の伸長を抑制していることが示唆された。

 以上、本論文は、キネシンスーパーファミリープロテイン2A(KIF2A)の遺伝子欠損マウスの解析を通して、KIF2Aが、神経系の形態形成とりわけ軸索突起形成において、側枝抑制の働きをすることを明らかにした。KIF2A遺伝子欠損マウスでは成長円錐内での微小管代謝回転のバランスがくずれ、側枝の伸長抑制が解かれるため、神経突起、特に側枝の伸長が著しく増大すると考えられた。本研究は、これまで未知に等しかった、主枝優先的な突起伸長のメカニズムと、個体における神経軸索の側枝抑制の重要性を示したものであり、神経のネットワーク形成の調節機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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