学位論文要旨



No 117682
著者(漢字) 菊地,俊一
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,トシカズ
標題(和) キーワードキャプションの聴解補助効果に関する研究
標題(洋) The Efficacy of Keyword Captions on the Improvement of EFL Students' Listening Comprehension
報告番号 117682
報告番号 甲17682
学位授与日 2003.01.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第398号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,英夫
 東京大学 名誉教授 鈴木,博
 東京大学 名誉教授 松野,和彦
 東京大学 教授 岡,秀夫
 東京大学 教授 Paul,Rossiter
内容要旨 要旨を表示する

 近年、語学教育におけるコンピューターの活用がさかんになり、かつてのLL教室はCALL(Computer Assisted Language Learning)教室へと様変わりしつつある。CALLの環境下では従来の音声テープによる語学学習に加えて、学習者の動機付けの観点から映像教材の果す役割が大きい。本研究の研究対象教材となった英語字幕付映画もそうした教材の一つである。本来、英語字幕付映画は聾唖者のためにアメリカを中心に研究・開発されたものであったが、1985年頃から日本にも輸入され、大学を中心とする教育機関で健常者に対するその効果が試されるようになった。1990年当初には「映像、音声、字幕の三位一体による語学学習」として脚光を浴びたが、高校生のようなまだ初級レベルの学習者にはその効果は必ずしもプラスに作用するわけではなかった。

 筆者もまたいくつかの実験を行ったが、情報源の重なりが映画の内容理解にどう影響を及ぼすかをみる実験で、「映像+英語字幕」の条件と「映像+英語音声+英語字幕」の条件で視聴した場合とでは内容理解にほとんど有意差が認められなかった。その結果生じた疑問は「後者の条件下における英語音声の役割は何か」ということであった。「後者の条件下では、学習者は英語音声からではなく、英語字幕から情報を得ているのではないだろうか。となればこの条件下に長い間学習者を置くことはリスニングカの向上の観点からはマイナスに作用することになる。学習者を英語字幕に集中させずに英語音声に集中させるにはどうしたらよいか。」それが本研究の主題設定の理由であった。

 学習者を英語音声に集中させるには英語字幕を提示しなければよいことになるが、本研究の被験者のように、中学を卒業したばかりの初級者には海外の映画を英語音声だけで理解するのは極めて困難なことである。そこで英語音声をほぼ100%字幕化した英語字幕(以下フルキャプションと呼ぶ)ではなく、重要な単語だけをキーワードとして提示する形態の英語字幕(以下キーワードキャプションと呼ぶ)にしてみたらどうかと考え、予備実験が行われた。その結果、フルキャプションの30%程度をキーワードとして与えても映画の内容理解に影響がないことが判明し、アンケートの結果、被験者の反応も良好であった。

 予備実験の結果を踏まえ、本実験では実験群として「映像+英語音声+フルキャプション」、「映像+英語音声+キーワードキャプション」、「映像+英語音声」の3組を設定し、加えて映像教材をまったく使用しない1組を統制群として設定した。キーワードはフルキャプションの中から発話の聞き取りやすさ、聞き取りにくさを考慮しながら、映画の展開に重要であると思われる名詞、動詞、形容詞が選択され、専用の字幕編集機器により編集された。被験者は高専に在籍する1年生で各組40名である。まず第1週目に各組のリスニングにおける有意差がないことを確かめるためAudio TestとVideo Test 1、Video Test 2によるプリテストが実施された。従来のプリテストはAudio Testに頼ってきたが、使用教材が映像教材であることと、現実社会のリスニングの状況をより反映させるためVideo Testが筆者により作られた。Video Test 1は音声だけから正解が得られるFactual Questionsであり、Video Test 2は音声や登場人物の表情から正解が得られないInference Questionsである。

 第2週から始まるStage Iでは使用語彙、発話速度、ストーリー等の総合的な分析結果からThe Never Ending Story, Episode I(1984, U. S.)の映画が教材として選ばれた。この映画は10個の単元に分割され、実験群の被験者は週に1つの単元をそれぞれの条件で視聴し、単元の内容に関する確認テストを受けた。確認テストはキーワードが直接的なヒントとなるkeyword-related questionsとそうではないkeyword-unrelated questionsから構成されるよう工夫され、必ず1,2問のInference Questionsが含まれるようにもなっていた。Stage I終了後の第12週にはMiddle-testとしてVideo Test 1、Video Test 2とは異なる映像を使用したVideo Test 3が実施された。そのねらいはStage I直後には効果が確認されなくてもStage IIの終わりには効果が確認されるかもしれないと考えたからである。

 第13週から始まるStage IIではStage Iよりやや難易度が上がるForever Young(1992, U. S. )が映画教材として選択された。Stage I同様に被験者は毎週、単元の内容に関する確認テストを受けた。本実験は第22週で終了し、第23週にはポストテストとしてAudio Test、Video Test 1、Video Test 2、Video Test 3が実施され、加えて被験者にとってまったく初めて出会う映像を使用してVideo Test 4が実施された。

 ポストテストの結果、すべてのテストにおいてキーワードキャプション組が他の組よりも高い伸びを示した。キーワードキャプション教材で訓練された被験者は、実験当初は必ずしもkeyword-unrelated questionsへの正解率は高くはないが、訓練期間が進むにつれて徐々に正解率が高まるであろうと予想された。その理由は、キーワードが直接的なヒントになるkeyword-related questionsへの解答で得られた情報を効果的に活用しながらkeyword-unrelated questionsの解答が促進されると考えられたからである。Keyword-unrelated questionsに答えるためには文字情報から正解が得られないので音声から情報を得なければならない、つまり音声に集中することになる。これに反してフルキャプション組ではkeyword-relatedであれkeyword-unrelatedであれ、両者の質問の正解は文字情報として画面に提示されていることになるので、必ずしも音声から正解を得る必要はない。こうした状況を継続すると、フルキャプション組では文字情報からの情報収集に慣れてしまい、結果としてリスニングカがつかなくなる可能性も否定できない。キーワード組では、確実に音声に集中しなければ正解が得られない状況が設定されているため、そうした状況下で長期的に訓練を行うことにより、文字情報と音声情報とを効果的に機能させる戦略を獲得し、フルキャプション組よりはリスニングカが伸びるはずである。それが本実験の大きなテーマであった。

 第二言語の語学学習におけるキーワードキャプションの効果に関する先行研究は筆者の知り得た範囲ではHwang(1991)、Guillory(1997)の2件だけであり、しかも英語のキーワードキャプションはHwangのみであり、極めて限られていることを指摘せざるを得ない。本研究では、これまでリーディングとの関連で研究が行われていたキャプション分野をリスニングとの関連からアプローチし、被験者の年齢、実験のデザイン、実験期間、教材開発への示唆等において、この分野におけるパイロットスタディ的存在として有意義な結果を示したといえる。とりわけ教材開発の観点から、キーワードキャプション教材は学習者が字幕なしで映画を理解できるようになる前の段階の橋渡し教材として機能させることが可能であり、学習者の好みに応じてキーワードの割合を75%、50%、25%等に調整可能な教材が開発されれば理想的である。また、映画がリスニングカを高める教材の一つになり得ることが判明したので、メディア世代に育った学習者に対応する授業科目として英語教育のカリキュラムの中に「映画英語コース」として位置付けることが可能である。キャプション研究の中心ともいうべきアメリカのWGBH-TV放送局では2001年から国家プロジェクトとしてフルキャプションとキーワードキャプションの同時放送を開始し、その効果を聾唖者だけでなく健常者にも試している。WGBH-TVでは急増するアジア系留学生への教材開発への示唆として筆者の本研究の結果に強い関心を示しており、今後は互いに交流を深めながら研究を継続していきたいと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、英語授業における映画教材で英語字幕を取り入れることの教育的効果を、工業高等専門学校の学生を被験者として1年間におよぶ長期の実験を基に、特にキーワードの英語による提示(keyword caption)の優越性を検証することを目的として執筆されている。研究開始の当初より字幕の有効活用に関心を持っていた菊地氏に対するkeyword captionの提案は前言語情報科学専攻所属の松野和彦教授によってなされたものであり、本研究はそれを出発点として、先行研究の不備を参照しつつそれらの不備を補うことによって、理論と実践の両面から取り組んだものである。

 論文は2つのパートに分かれ、Part Iは第I章から第IV章まで、Part IIは第V章から第VII章までとなっている。Part Iはいわば理論面、Part IIは実践面に焦点が当てられてはいるが、両者が緊密に結びついている本研究では、2つのパートを峻別することはできないし、そうすることは、研究の意義を損なうことになりかねないが、以下順を追って各章をごく簡単に概観する。

 第I章"Introduction"では、従来英語教育の現場で広く取り入れられている英語の字幕付き映画教材が真の意味で英語聴取能力に寄与しているのかどうかという問題がまず提起され、その問題を検証するために本研究では次のような4つの仮説が提示される。すなわち、発話そのままを省略することなく提示する字幕であるfull captionと重要語だけを選択的に提示するkeyword captionを比較した場合、仮説1として、keyword captionで学んだクラスの方がfull captionで学んだクラスよりも、keywordに関連する理解度テストにおいて理解度が優る、仮説2として、keywordに関連しない理解度テストにおいてcaption無しのクラスに比べてkeywordクラスの方が優る、仮説3として、1年間の実験の後、全般的聴取理解力において、keywordクラスの方が進歩が見られる、仮説4として、keyword captionの方がfull captionよりも学生の積極的な反応が得られる、という4つの仮説である。

 第II章"Uses of Movies in Language Learning"では映画の創生期から今日までの教育手段としての歴史の概略が辿られる。第III章"Listening Comprehension"では、「聞いて理解する」ということはそもそもどういうことなのかが、「聞く」と「理解する」の両面から、根本的、理論的に論じられる。その理論的考察を基にして次の第IV章"Effectiveness of Keyword Captions"では、John Mortonのlogogenモデルに依拠しつつ、keyword captionがfull captionと比較して、単語や文章の聴取理解において学習者の情報摂取の際の負担軽減という点でいかに有利であるかの理論的裏付けが試みられる。

 Part IIの最初の章第V章"Literature Review"では字幕付き映画が、聴覚障害者および健常者の教育にどのように実験、実践され、また評価されてきたかが、内外の研究論文の批判的読みと共に網羅的、かつ、詳細に紹介される。続く第VI章"Preliminary Experiments"では、本実験に入る前の予備的実験授業が紹介され、ここで得られた知見と反省を基に綿密、周到に構成された本実験が、第VII章"Main Experiment"で報告され、統計処理を経た上、分析、評価されている。本実験は、菊地氏の勤務校である沼津工業高等専門学校の1年生、170名を対象に、第1段階では10回の授業に1作品を視聴する形で、また第2段階では、それとは別の1作品を同じ回数だけ、合計20回という手順で行なわれた。被験者はfull caption組、keyword caption組、caption無しという3つの実験群と、教材に映画を全く使用しない統制群の4組に分けられ、それらの比較実験という形が取られた。pretest、posttestは言うまでもなく、第1段階終了時のmiddle testや、テープの聴き取りよるテストだけでなく、ビデオテープの視聴まで含めた検証の結果、上述の4つの仮説の内、1〜3までは、部分的に立証され、仮説4は全面的に立証されたことが明らかになる。最後の第VIII章、"Implications for Further Research"では、keywordの選択基準、学習者の習熟度別の効果の差異、授業の構成や教材の開発等、本研究で必ずしも明らかにされなかった諸点や今後の応用の可能性まで考察している。

 ほぼ以上が本論文の主要な論点と具体的な実験の内容、および結論の概要である。これで明らかなように、本研究においては、仮説は全体としては部分的立証に留まっているとは言え、実験の過程と結果で得られた数々の知見は、映画字幕の教育的効果についての従来の諸研究に立脚しながらも、その不備を補いつつ独自の説を提唱し、それを現場での授業に応用してその有効性を検証することに成功していると言える。具体的には、まず第一に、本研究の独自性が挙げられる。従来のこの方面の実験の多くが1回限りの、しかも、数分の題材を基にしたに過ぎず、Paul Markhamや小張敬之らによって長期実験の必要性が痛感されていたにもかかわらずその実現はされていなかったのに対して、本研究は、実験の効果を検証するためのテストまで入れると全23週の長期に及ぶもので、学校教育現場の現実そのままを生かしており、このような実験例はこれまでのところ世界に類がない。また、被験者も、従来の研究が大学生、成人、あるいは聴覚障害者が中心であったのに対して、本研究は、中級段階の学習者を被験者としており、これまで検証の手が着けられていなかった年齢層を扱った意義は大きい。このような実験は、長期に亘って特定の実践的研究現場に直接関わることが可能な社会人研究者の利点を遺憾なく発揮したものとして特筆すべきであろう。

 第二に、full captionでは学習者は字幕を読解するのが精一杯で聴覚情報の処理の余裕がなくなるのに対して、keyword captionならば、時間的にも、解読作業においても余裕が生ずることにより、聴覚情報の処理はもちろん、聴取を巡る方略的技能の発達に従って、明示的に語られた発言の裏の言外の意図や感情までも推察できるようになるという実践的仮説が、完全にではないにしても、その可能性がある程度の説得性をもって示唆されたことは注目に値する。

 また、これと表裏一体の関係にあるが、外国語教育界では理論的にこれまで曖昧なままで論じられることが多かった「聴き取り」および「理解」という2つの難問に果敢に立ち向かおうとした点も評価できる。中でも「理解」が、単に事実的情報の受け渡しに留まるものではなく、相手の意図や感情の察知まで含むべきであるとし、学習者がそれを達成しているかどうかを確認するために、直接に言表に現れることのない、言外の内容までも汲み取るよう導く類推的問題をも毎回のテストに含めるよう工夫した点は、生きた人間と人間同士のコミュニケーションに注目した場合、今後の理解度測定のテストのあり方に一つの重要な示唆を与えるものである。これと関連して、単に音声テープだけに頼る従来の聴き取りテストに加えて、現実の言語活動により近い視覚も含めたビデオテープを利用した聴き取り問題の必要性を認識している点も見逃せない。

 とはいえ、改善の余地が全くないという訳ではない。まず、4つの仮説の内、全面的に実証できたのは1つであり、他の仮説が部分的実証に留まざるを得なかった理由の検証が今後の第一の課題として挙げられるであろう。これは、keyword字幕の技法が先行し、理論的裏付けが後行してしまったという本研究の発展過程にその原因を求めることができよう。また具体的な技法面でも、字幕の提示のタイミング、教材となる映画の選択等の再検討や、学習習熟度別に見た場合の効果のさらに細かな分析が必要になると思われる。中でも、例えば、字幕提示のタイミングは、デジタル技術の急速な進歩により、菊地氏が本実験に取りかかった当初ではまだ普及していなかったミリセカンド単位の字幕提示タイミングの調整が今日ではパソコンレベルで実現可能となっている。今後はこうした技術的進歩を積極的に生かした研究が望まれる。また、keyword字幕教材が英語教育全体の中で占める位置と意義の検討が急務であろう。すなわち、学校教育の授業において、英語聴取による理解に重点が置かれる余り、英語運用能力全体に歪みが生じないのかどうか、具体的には、語彙力増強や能動的表現能力の育成と字幕教材がどう関わるのか等の問題を理論的、実践的に深める必要がある。

 このように、今後取り組み、解決すべき問題点は残しているものの、本研究の根幹を揺るがすようなものではなく、その多くは著者の今後の研鑽に待つべき事柄であって、本論文の学問的および実践的意義と貢献をいささかも損なうものではない。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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