学位論文要旨



No 117688
著者(漢字) 楯岡,求美
著者(英字)
著者(カナ) タテオカ,クミ
標題(和) メイエルホリド演出におけるグロテスクの手法について
標題(洋)
報告番号 117688
報告番号 甲17688
学位授与日 2003.01.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第385号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 沼野,充義
 東京大学 教授 長谷見,一雄
 東京大学 教授 金沢,美知子
 東京大学 教授 浦,雅春
 早稲田大学 教授 桑野,隆
内容要旨 要旨を表示する

 20世紀初頭、ロシアでは社会の急速な変化に呼応して、芸術においても変革を求める運動、いわゆるロシア・アヴァンギャルドが起こった。芸術の根源的な原則ともいえるウスローヴノスチ(約束事:各芸術ジャンルを律する独自の規則性)の追求が文学や美術の分野で行われたが、演劇もまた例外ではなかった。

 本論文では,ロシア革命という激動の時代を含め、20世紀の最初のほぼ40年にわたるメイエルホリドの演出活動の特質を、彼自ら演劇性の本質だと主張した「グロテスク」を手がかりに論じる。 ここで「グロテスク」の意味するところは、辞書的な誇張された醜悪なもの、という意味ではない。メイエルホリドのいうグロテスクとは、「明確な根拠なしに種類の異なる概念を結びつける」点にある。彼の言葉によれば、「対立するものを混ぜ合わせ、意識的に対立を激化させ、その独自性をもてあそぶ」。つまり、コントラストが誇張されるように仕組まれた異なる要素を「衝突させる」ことではじめて意味をもつのである。

 このようなグロテスクの概念の中でも、「異なるものを恣意的に組み合わせ、衝突させる」という限定的な要素をとくに強調したのが、モンタージュである。この手法はエイゼンシュテインが映画において展開し、確立した。

 このモンタージュによる衝突がより効果的に起きる場を提供し、保証するのが、ファルス(笑劇)やその中心となる道化芝居である。ファルスは、極端に誇張した表現やそれにともなう滑稽さを武器に、規定の価値基準から逸脱することを可能にする。特に既存の社会の外側に存在する道化は規範から自由であり、常識にたいして、オルタナティヴを提示する。彼らの無軌道な変わり身の早さは、対立する価値観を、その身に同時にあわせもつことを可能にしてしまう。矛盾する価値すら両立を可能にする彼らの自在さは、日常では起きにくい、対極にあるもの同士の衝突を加速させる触媒となっている。

 つまり、グロテスクは、日常をファルスという拡大鏡で拡大(誇張)して映し出し、モンタージュによって衝突を起こし、観客の常識に動揺をあたえるための仕掛けである。特異なウスローヴノスチを有している舞台は、日常とは異質な空間であり、メイエルホリドにとって、それはまさに日常的な習慣の中で凝り固まってしまった感覚に衝撃を与え、解きほぐし、従前とは違う視点を与える、つまりグロテスクな空間である。

 本論文は6つの章からなる。

 第一章では、メイエルホリドのグロテスクーモンタージュという考え方に、潜在的な深い影響を与えたチェーホフの戯曲『かもめ』と『桜の園』とについて論じた。チェーホフの作品はコントラストの強調された相対的な関係によって構築され、中心となるべき特権化された登場人物の不在によって戯曲世界は脱中心化されている。世代間、男女間、芸術家と世俗といった対比は、比較対照の機軸が多様に錯綜する中でポリフォニックに描かれ、互いの優劣を決め付けることはない。メイエルホリドは『桜の園』の劇構造を分析することによって、登場人物の人間関係の中に立ち現われる、言葉では表わせない雰囲気に時代の虚無感を表現する方法を見て取った。メイエルホリドはさらに、チェーホフが人物を典型化する手法に発想を得て、独特の「仮面」理解へいたる契機を得た。

 第二章では、チェーホフ的な劇構造をさらに深化させたともいえる、ブロークの『見世物小屋』をとりあげた。物事の本質が、実は他者との関係の中で相対的に変化しうる世界を、虚構を重層的に組みたてることで、動的にモデル化している。ここでもまた、風刺のカによって誇張された、互いに異質ないくつものメタ世界が組み合わされ、つまりモンタージュされ、世界と世界の隙間に生じた真空という恐怖が雰囲気として立ち表われる。また、メイエルホリドはこの作品に触発され、演劇における虚構性と俳優の身体表現の可能性の応用に秀でたイタリア仮面即興劇コメディア・デラルテに対する強い関心を抱いた。

 第三章では、メイエルホリドが演劇の(文学からの)自立を意識し、演劇を構成するミニマムな単位としての身体へと関心を向けた時代背景をロシア・アヴァンギャルドとの関わりにおいて考察した。文学からの演劇の自立を促す重要な要素としてあらためて俳優表現に注目したメイエルホリドは、自在な俳優表現の基礎となる演技の根源としてのコメディア・デラルテの様式性および即興性を重視するようになった。そしてそのような関心は、20世紀初頭の急速な技術革新を背景に、機械や科学、体操などの時代の先端理念と、サーカスなどの高度に訓練された身体性をあわせて、「ビオメハニカ」という独自の俳優訓練の体系化へとつながった。身体表現の可能性が増大するとともに、言葉は光や音など他の要素に異化され、相対化された。そして様々に情報を発信する演劇を構成するあらゆる要素とともに饒舌な祝祭空間をつくる一翼を担うようになった。

 第四章では、メイエルホリドの演出にみられるファルスの手法が、過去の民衆芸能の模倣ではなく、構造そのものを復活させようとする試みであったことを20年代の作品群をとおして考察する。また、道化の既存の社会にたいする外在性に着目し、道化をただ部分的に利用するのではなく、演劇のほうを道化芝居の構造に読み込んだ。それは、生み出されたばかりの新しい社会であり、時代である「ソ連」においての新たなる「民衆演劇」を創造することを狙いとしていた。

 第五章では、モンタージュの機能について考察した。モンタージュは第一に、異質なものどうしが出会い、衝突する瞬間をクローズアップして強調するということである。メイエルホリドは『森林』(オストロフスキイ原作)の上演に際し、言葉で内容を説明してしまうシーンを削除し、あくまで、立場の異なるもの同士の衝突を、舞台上で徹底的にデモンストレーションすることをめざした。言葉による戯曲の一解釈を与えるのではなく、観客自身に、虚構という条件つきながら、舞台上で起きる事件に遭遇する、という体験をさせるのがモンタージュである。第二の特質は、時間的な経過を表わすことである。第一のような衝突の瞬間を複数組み立て、芝居全体を構築する。『仮面舞踏会』(レールモントフ原作)において、主人公のアルベーニンが上流社会の陰謀に追い詰められていく状況をオムニバス風に描き、彼を取り巻く状況が、時間の経緯に従って変化するさまを動的なイメージとして描写している。

 モンタージュは、ファルス(道化)が保証する、既存の価値基準から開放された空間で、変化するものを、通時的にも共時的にも表現する。それによって、事象の全体像を多面的かつ動的に表現することを可能にした。観客に与えられるのは、それまで常識的に前提となってきたあたりまえの日常が、ある種(心理的衝撃としては)暴力的でさえある方法で動揺させられる祝祭的な時空間である。

 この様な動的な場の提供が、メイエルホリドの目指したグロテスク演劇である。

 第六章では、以上のようなグロテスク演劇の新たな展開として、オレーシャの『善行目録』を分析した。当時、亡命者かソ連に留どまったかにかかわらず、ロシアの創作家たちにとってアイデンティティの危機が重大な精神的問題であった。この作品のヒロイン、モスクワでハムレットを演じている女優は、革命と芸術との二者択一を迫られ、逡巡する。オレーシャは、ハムレットの構図を使い、ふたつの選択の狭間で逡巡する彼女の心理を、両極の世界を体現する登場人物に具現化することで、彼女の心理を外面化して表象する可能性を提示した。それにたいし、メイエルホリドは舞台を客席から見て、まるで斜めに回転しているような舞台装置を作り、オレーシャの創る創世界そのものを外から眺め、ヒロインの心理だけではなく、戯曲の持つ二項対立的構造までも相対化することに成功した。モスクワ芸術座に象徴される心理的リアリズムにたいし、グロテスクーモンタージュの手法をつかって、個人の心理表現にまで踏み込んで描く可能性を開いたのである。

 以上のように、チェーホフの作品およびチェーホフその人との出会いに触発されて始まったメイエルホリドの演劇性探求は、動的な世界構造を提示しうるグロテスクの手法として展開されている。それは、文学的表現からはすり抜けるものを演劇ならではの手法で、観客にたいし、挑発的に提示する方法である。コメディア・デラルテやサーカスなどの民衆文化のもつ、表現力豊かな身体性、さまざまな価値体系が同居する解放的な空間、そしてなかでもファルスや道化のもたらす祝祭性を舞台の上に回復し、グロテスクな演劇表現の可能性は、世界のモデル化から個人の内面描写にまで広げられていったのである。

 現在、メイエルホリドの実験的な試みの成果は、ロシアで活躍する演出家のみならず、ピーター・ブルックをはじめとする各国の演出家に有形無形の形で、その手法と精神が受け継がれている。

審査要旨 要旨を表示する

 楯岡求美氏の論文「メイエルホリド演出におけるグロテスクの手法について」は、フセヴォロド・エミリエヴィチ・メイエルホリドの20世紀初頭から1930年代にいたる演出活動の特質を、具体的な戯曲とその演出の分析に基づいて論じたものである。メイエルホリドは20世紀前半ロシア最大の演出家の一人であり、その後の世界の演劇に大きな影響を与えた演劇史上極めて重要な存在だが、日本ではこれまである程度の紹介はなされてきたものの、戯曲とその演出の具体的な分析に基づく本格的な研究は先例がほとんどなかった。その意味で、楯岡氏の論文は日本における先駆的な意欲作として位置付けられよう。

 具体的に取り上げられている戯曲は、チェーホフの『かもめ』『桜の園』、ブロークの『見世物小屋』、レールモントフの『仮面舞踏会』、オストロフスキーの『森林』、オレーシャの『善行目録』などである。楯岡氏はこれらの戯曲そのものの特質を緻密に分析したうえで、資料の丹念な調査に基づいてメイエルホリドの演出を復元・分析し、戯曲ないし原作が持つ潜在的な可能性をよりはっきり引き出す方向でメイエルホリドが独創的な演出を展開したことを論証した。またこの論文では、メイエルホリドの演出に影響を与えた同時代の様々な文化的コンテクストも視野に入れられ、イタリア仮面即興劇コメディア・デラルテやロシアの民衆芸能との関係も的確に論じられている。

 こういった分析を通じて、楯岡氏はメイエルホリドの様々な演出を一貫してつらぬく基本的な手法はモンタージュとファルス(特に道化芝居)が複合した結果生ずる<グロテスク>であるという結論を導いた。これはメイエルホリド演劇の本質に迫る、説得力ある明確な論旨として高く評価できる。

 審査の過程では、グロテスク、モンタージュ、ウスローヴノスチ(条件性、芸術の約束事)といった基本概念の吟味がやや不十分ではないか、という批判も出され、また注や文献目録の形式に若干不備が見られることが指摘された。しかし、それらの点は本論文の美点を損なうような深刻な欠陥ではなく、本論文を全体として評価すれば、日本における20世紀ロシア演劇研究の分野における重要な一歩となる優れた業績であることは明らかである。それゆえ審査委員会は全員一致で、本論文が博士(文学)の学位に十分値するものであるとの結論に至った。

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