学位論文要旨



No 117697
著者(漢字) 大山,健
著者(英字)
著者(カナ) オオヤマ,ケン
標題(和) 重心エネルギー130GeV/核子での金・金衝突における中性パイ中間子生成
標題(洋) π0 Production in Au + Au Collisions at = 130GeV
報告番号 117697
報告番号 甲17697
学位授与日 2003.02.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4267号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 徳宿,克夫
 東京大学 教授 松井,哲男
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 教授 坂本,宏
 東京大学 教授 下浦,享
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)の重イオン衝突型加速器RHICにおける、核子対あたりの重心エネルギー〓=130GeVでの金・金衝突において得られたデ-タからπ0の横運動量分布を求め、その衝突中心度依存性から衝突初期状態を通過するパートンの振舞について研究したものである。

 高いエネルギー密度状態では、クォークの閉じ込めが破れ、ハドロン物質はクォークとグルーオンからなる物質、クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)に相転位すると予想されている。QGPの存在可否を調べることは、直接QCD物理の発展につながる。ビッグバンから1μs後の初期宇宙にもこのようなQGPが存在していたと考えられている。格子QCD計算によれば、このような相転位が起きる臨界温度はTc=150MeV程度と推定されている。これは、エネルギー密度に換算するとεc〜lGeV/fm3程度である。重イオン同士を高エネルギーで衝突させる事で、このような高いエネルギー密度を持った状態を実験室で実現できると考えられている。

RHICで得られるエネルギー密度は、次のように推測することができる。一般的な高エネルギーでの核子+核子(N+N)衝突におけるハドロン生成はストリングモデルでよく記述されるが、このときストリングは衝突軸方向に相対論的に伸長し、その時空発展は固有時によって決まるという特質がある。原子核衝突においても同様の仮定をし、ある固有時T0に系が熱平衡状態になるとすると、T0でのエネルギー密度ε0は、となる。ここで、yはラピディティ、Sは衝突後に生成された系の衝突軸に垂直な断面積であり、<mT>は生成粒子の平均横方向(衝突軸に垂直な方向)質量である。後半の表記は横方向エネルギー流量ETを用いたものである。ちなみに、Sは中心衝突(衝突係数b=0)では原子核の断面積そのものとなる。T0はN+Nにおける粒子生成時間と同じく、1fm/c程度であろうと考えられる。

 PHENIXにおいて測定されたET分布からε0のRHICにおける値を推定すると、Au+Au中心衝突ではおよそ5GeV/fm3となる。これはQGP生成に十分なエネルギー密度である。

 高いエネルギーでの衝突の一つの特徴は、ソフトな多重粒子生成を担うソフトな過程以外に、ハードな散乱過程が顕著になってくる事である。ハードな散乱過程とは、核子内のパートン同士の大きな運動量移行を伴う大角度散乱の事である。しかし、原子核同士の衝突の場合には、単一のハドロン同士の衝突と異なり、衝突初期にハードな散乱によって生成された高い横運動量(pT)を持つパートンが、高エネルギー密度の媒質中を伝播することになる。そのようなパートンは、強いカラー場の中でグルーオンの制動放射により大きなエネルギー損失を受けると考えられる。定量的な損失量はまだわかっていないが、Wangらの摂動論的QCD計算では概ね-dE/dx=0.5GeV/fm程度と見積もっている。パートンは最終的にハドロン群に破砕しジェットとなるが、結果としてこれらのハドロンの運動量が下がり、ジェットが抑制されたかのような現象、「ジェットの抑制効果」が起こるとみられる。

 pT>2GeV/cのハドロンの起源はほとんどがジェットであると考えられる為、高い運動量を持つハドロンを測定する事で「ジェットの抑制効果」を研究する事ができると予想される。本研究ではPT>2GeV/cの中性パイ中間子を測定し、この効果を調べることを最終的な目的とした。

 2000年のRHICの稼働時に、PHENIXではおよそ五百万事象のAu+Au衝突データを記録した。このデータは様々な衝突係数におけるAu+Au衝突事象を含んでいるため、まず、これらの事象を中心衝突(正面衝突)から周辺衝突(かすり衝突)まで、五段階のクラスに分類した。分類には、やや前方y〜3に置かれたチェレンコフ検出器に入射した荷電粒子数と、衝突軸方向に置かれたハドロンカロリメータで測定された粒子数の相関を用いた。

 π0は、電磁カロリメータ(EMCal)を用いてπ0→27の崩壊を再構築して測定した。EMCalは鉛シンチレータ型サンプリングカロリメータであり総数5,184本のタワー要素から成る。各要素は約5cm四方の断面積を持ち、約18放射長の奥行きを持つ。内部で発生するシンチレーション光は、波長変換ファイバーをとおして光電子増倍管によって検出される。EMCalは重心系ラピディティのまわり-0.35<y<0.35を覆い、方位角方向(ビーム軸まわりを一周する方向)には90度を覆う。

 EMCal内で光子は電磁シャワーを生み、数個のまとまったタワーにエネルギーを残し、これらのタワーはクラスターを成す。粒子のエネルギーはクラスター内のエネルギー和、到達場所はクラスターの重心位置を計算することで求まる。光子の同定は、粒子の到着時刻とクラスターの形状比較によって行った。そして、同一事象内の任意の光子の組み合わせについて不変質量mγγを計算し、mγγ分布を作成した。特に、中心衝突ではEMCalに到達する光子数が数百個になるため、mγγ分布は、間違った組み合わせによる大きなバックグラウンドの上に正しい組み合わせによるπ0のピークがのる形となる。そのため、異なる事象間にある無相関の7同士でmγγ分布を求める「事象混合方式」を用い、このバックグラウンドの形状を予測して除去した。また、こうして得たπ0のピーク位置が正しい質量位置(135MeV/c2)になるように、再帰的にEMCalの校正を行った。最後にpTを0.5GeV/c毎に区切り、上記のピーク内のπ0数を各事象クラス毎に測定し、シミュレーションにより求めた検出効率を用いてπ0の不変pT分布を求めた。上記の解析の全段階で系統エラーを見積もった。

 図??は、このようにして求めた各事象クラスにおけるπ0の不変PT分布をプロットしたものである。上から下に向かうにつれ、最中心衝突事象群(bの平均が最小)から最周辺衝突事象群(bの平均が最大)となる。パートンが媒質の影響を受けずに伝搬するならば、ハードな散乱は独立プロセスである為、核子の初期衝突の数に比例した量の高いpTのハドロンが生成されるはずである。グラウバーモデルを用いて衝突一回あたりに含まれるN+N多重衝突数の平均<Ncoll>を各事象クラスについて求めた。一方、ISRとSppSで計測されたN+N衝突における荷電ハドロンの生成断面積を参照して、〓=130GeVにおけるハドロン生成断面積を求めた。それらを用いて、媒質の効果がない場合のAu+Au衝突での予想収量は、となる。ここで、nAA→π0は今回の予測される一事象あたりのハドロン生成量、ηは疑ラピディティ、σNN→π0はすでに知られているN+Nの非弾性散乱全断面積、σinはN+N衝突でのハドロン生成断面積である。図??に、式??で求めた計算結果を重ねてプロットした。最周辺衝突においては、関与する核子数は20個程度であるが、実験結果は単純なN+N衝突の重ねあわせとよく一致している。一方最中心衝突においては、関与核子数は約320個、<Ncoll>〓840となるが、実験値は計算と一致しておらず、π0の収量が抑制されていることがわかった。

 次に、実験データとこの計算との比、を計算した。上式で、分子は実験で求まった運動量分布、分母が式ηによる予測値である。媒質による効果が無い場合、RAA/NN=1となる。このRAA/NNを各pTについて求め、PT>1GeV/cおよびPT>2GeV/cの領域の平均をとった結果を図??に示す。この図の横軸は、カロリメータのETの測定を用いて計算された初期エネルギー密度で、T0==1fmを仮定している。実験デ-タは、ε0>4GeV/fm3での強い抑制を示している。一方、ε0=2〜3GeV/km3ではN+Nの重ね合わせで記述できることを示しており、抑制はε0=3GeV/km3付近から突如はじまっているとみられる。

これまでの実験、CERN-SPSの160AGeVの鉛・鉛衝突においては、pT>2GeV/cのπ0についてRAA/NN>1であった。これは、p+A衝突において良く知られた原子核効果であるクローニン効果(パートンの多重弾性散乱)として解釈できる。PHENIXの結果はこれと相反し、高い運動量領域においてRAA/NN<1となるのは、世界で始めて見出された新しい現象である。

 エネルギー損失を計算する為に、パートンのdE/dxが系のエネルギー密度に比例するとした簡単なモデルをつくり、抑制効果の計算を行ない、結果を図??の4本の曲線として示した。点線と長破線はそれぞれ、エネルギー密度がカットオフ値〓0=3GeV/fm3もしくは2GeV/fm3に達するとdE/dxが消失するという仮定をおこなった計算結果であり、実験結果の傾向と似ている。一方、残り2本はそのようなカットオフ値を考慮しない場合の結果であるが、ε0>3GeV/fm3で抑制がはじまるという傾向が説明できない。このように、カットオフを仮定したほうが仮定しない場合に比べて実験結果を定性的に説明できることがわかった。

図1:〓=130GeVでのAu+Au衝突におけるπ0の不変横運動量分布。

上から下に向かうにつれて衝突係数が大きいイベントになる。統計エラーと系統エラーはそれぞれ実線と灰色の太線で示されている。太い曲線は、過去のN+N衝突実験からの重ね合わせのみで媒質効果を考慮しない場合の予想収量で、細い曲線はその誤差範囲をあらわす。

図2:実験で求まったRAAと初期エネルギー密度の関係。

比較のために、X.-N.Wangによる摂動論的QCD計算の結果(主論文参照)と、dE/dxがエネルギー密度に比例すると仮定した、簡単なモデル計算による定性的な予測図を重ねてある。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、核子対あたりの重心エネルギー130GeVでの金原子核同士の衝突で発生するπ0粒子の横運動量分布を、衝突の中心度別に測定し、そこから高エネルギー重イオン衝突の初期状態を研究したものである。

 格子量子色力学等によると、高エネルギー密度状態では、通常のハドロンに見られるクォークの閉じ込めが破れ、クォークとグルーオンのプラズマ状態(QGP)に相転移がおこると考えられている。多数の核子が短時間に衝突する、高エネルギーの原子核・原子核衝突は、この状態を人工的に作り出す有力な手段と考えられ、QGPの性質を系統的に研究できる場として注目されている。本論文は、米国ブルックヘブン国立研究所に建設された、重イオン衝突加速器RHICを用いて行った実験で、現時点で世界最高エネルギーの衝突からのが粒子生成の初めての論文である。

 QGPの性質とその実験的な観測方法は、多くの理論的な提案はあるが、確定的なものはなく、実験での観測方法は確立しているとは言い難い。このため、衝突から発生する粒子の測定を様々な条件のもとに行い、その比較を進めることが重要となる。提出者は、衝突の初期に生成する高い横方向運動量を持ったパートンが、高エネルギー状態の領域を通過する際にエネルギー損失を行う、ジェットクエンチングと呼ばれる現象に注目し、高い横方向運動量を持ったπ0粒子の生成断面積の測定を行った。QGPの理論からは、定量的な予言が得られていないため、分布を衝突の中心度別に測定し、核子・核子衝突当たりの生成予想と比較した。中心度は、生成粒子の多重度分布から求め、グラウバー理論に基づいて、各中心度での核子・核子衝突の頻度を見積もった。

 測定した1GeVから5GeVまでのπ0の横方向運動量分布を見ると、分布の形は中心度に寄らずほぼ一定であるが、生成量の大きさに大きな中心度依存性があることがわかった。粒子多重度の小さい周辺衝突事象では、核子世核子衝突の実験データから予測する生成量と無矛盾であったが、中心衝突では、予想のほぼ半数に収蟹が抑制されていることを示した。これは、今までのより低いエネルギーでの原子核・原子核衝突では見られなかった現象であった。

 モデルに依存する解析であるが、提出者は、中心度の値から衝突の初期エネルギー密度を見積もり、これを変数として抑制度を調べた。初期エネルギーが2〜3GeV/fm3では、核子・核子の重ね合わせで記述できるが、3GeV/fm3を超えるところで大きな抑制が始まっていることを示した。これは低エネルギーでの実験ではこのエネルギー密度には達していないと考えられるので、このような抑制がなかったと考えると矛盾せず、あるエネルギー密度以上で強い抑制がおこるという、相転移的な変化の可能性を示唆している。

 この考察はモデルに強く依存するため、厳密に定量的な結論をつけることは出来ないが、この論文で得られた、世界最高エネルギーの原子核原子核衝突で初めてのπ0生成の中心度別測定は今後原子核衝突におけるQGPの時間的変化を研究するに当たって、基礎的で重要なデータを与えるものである点、そして中心度に依存した抑制度変化を初めて示した点等で、博士論文としての資格を有すると判断する。

 なお実験は米国ブルックヘブン国立研究所のWilliam A Zajc氏をスポークスマンとする国際共同実験Phenixグループとの共同研究であるが、この論文に関しては提出者が主体となって解析及び検証を行った毛のである。また、実験の遂行にあたって、提出者は測定器の建設から参加し、とくにリングイメージ型チェレンコフ光検出器の読み出し回路開発の中心的な役割を担っていること、この解析に重要なπ0粒子の再構成法の開発を進めたことも特筆でき、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上により、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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