学位論文要旨



No 117700
著者(漢字) 石橋,郁雄
著者(英字)
著者(カナ) イシバシ,イクオ
標題(和) 産業組織論における3つの研究
標題(洋) Three Essays in Industrial Organization
報告番号 117700
報告番号 甲17700
学位授与日 2003.02.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第161号
研究科 経済学研究科
専攻 経済理論専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神取,道宏
 東京大学 教授 松井,彰彦
 東京大学 教授 松島,斉
 東京大学 助教授 柳川,範之
 東京大学 助教授 松村,敏弘
内容要旨 要旨を表示する

 本学位論文は、タイミングの内生化に関する理論的研究の進展を、産業組織論における主要な問題に応用した3つの研究をまとめたものである。

 第1章「Overview」では、既存のタイミングの内生化に関する研究を紹介しながら、本学位論文に収められている私の研究との関連を説明していく。筆者の知る限り、(ゲーム理論を用いて体系的な分析を行ったという意味での)タイミングの内生化に関する研究はDowrick(1986)を出発点としている。初期の目的意識としては、Cournot(Bertrand)とStackelbergのどちらがより現実に即しているかという問題を考えることにあった。それに対するアプローチとして、企業が自由に自分の行動を決定する時期を選べるモデルを採用したのである。この後、Hamilton and Slutsky(1990)によって、action commitment gameとobservable delay gameという二種類のゲームが定式化され、より多様な文脈でタイミングの内生化の問題を考えることが可能になった。本学位論文では、spatial entry deterrence、price leadership、mixed marketという3つの問題にタイミングの内生化を明示的に取り入れた場合の分析を行っている。

 第2章「A Model of Credible Spatial Entry Deterrence」は、製品差別化のある市場において、独占企業が過剰な店舗(製品)の設立によって潜在的な参入企業を締め出す新しい可能性を示唆したものである。このような形の参入阻止の議論はSchmalensee(1978)までさかのぼる。彼は、潜在的に獲得可能な市場を狭め、参入企業のネットでの利潤を負にする効果があるため、過剰な店舗の設立は参入障壁になっていると主張した。この主張は80年代半ばまではかなり支持され、関連論文も多数出版された。こうした流れに対し、Judd(1985)は、過剰な店舗の設立による参入阻止は空脅しであり、その効果は疑問であると指摘した。独占企業は実際に参入が起こった場合、競争の激化を防ぐために事後的に一部の店舗を撤退させるインセンティブが生じるからである。本研究では、潜在的な参入企業が複数存在し、参入の意思決定のタイミングが内生化されていて、かつ、撤退の意思決定のスピードよりも参入のそれの方が相対的に速い場合は、Juddの想定するような状況の下でも過剰な店舗の設立が参入障壁となる場合があることを具体的なモデルを構築して明示した。その直観は次のような例で得ることができる。製品差別化のある市場で独占企業が既に複数の店舗を立地していたとする、潜在的な参入企業は2社で、いつ参入するかも自分で決定できるとする。Juddの議論にあるように、独占企業は実際に参入が起こると状況に応じて一部の店舗を撤退させることができる、しかし、一方の企業による参入に対して、独占企業よりも前に他方の企業が反応して、参入の意志決定を行うことができると仮定する。(従って、両企業が参入した際は、独占企業は両者の立地を見てから撤退させる店舗を選ぶことになる。)このような状況の下で、仮に一方の企業がある場所に参入をしたとする。このとき、2番目に参入する企業は、最初に参入した企業とできるだけ離れた所に立地しようとする一方で、自分の近くの店舗を独占企業が撤退させるように立地しようとする。この2つの要素を組み合わせると、相対的に独占企業と最初に参入した企業が近くに立地し、両者から離れた場所に後から参入した企業が立地するような場合がある。このように後から参入した企業が漁夫の利を得ることによって、最初に参入した企業のネットの利潤が負になれば、どちらの潜在的な参入企業らは参入しようとしなくなり、結果的に参入は起こらない。多店舗を市場全体にバランス良く設立することは、撤退させる店舗を選ぶ際に、最初に参入した企業の立地の影響を小さく、後から参入した企業の立地の影響を大きくする効果がある。従って、上で述べたような潜在的な参入企業間での利害の衝突を誘発し、参入障壁となるのである。本研究では以上を円周上の市場モデルを用いて証明している。

 第3章「Price Leadership in a Repeated Game with Endogenous Timing」は、長期的関係で捉えたとき、(1)price leadershipが非常に強い非競争性的効果を持つこと、(2)大規模企業も小規模企業もprice leaderとなり得るが、談合の維持という観点からは小規模企業がprice leaderになった方が望ましいことを明らかにした研究である。price leadershipとは、ある企業が一定期間後の価格変更を予告し、同一産業内の他の企業がその価格変更に追随することで、全ての企業が同時期に同内容の価格変更を行う行為である。この行為は、50年以上前から非競争性との関連性を指摘されてきた産業組織論上の重要な問題であると同時に、price leaderとなる企業の性質についても議論されてきた。また、特定の企業が先に行動しなければならない積極的な理由はないことから、最近のprice leadershipに関する研究では、タイミングの内生化を既に取り入れている。非競争性に関しては、既存の研究ではprice leadershipが持つ非競争的効果は主に短期的関係から分析されてきた。しかし、その効果の大きさや前提となる条件を考慮すると、非競争性を支持するに十分な強い理論的基礎付けを提供しているわけではない。こうした研究に対し、本論文では、price leadershipを企業間の長期的関係で捉え、それが談合をどの程度強化するのかについて着目した。具体的には、price leadershipのない場合の談合と、price leadershipが可能な(企業は将来の価格変更にコミットできる)場合の談合を比べ、後者は前者に比べ、相当に低い割引率の下でも(各期の)独占利潤を均衡で維持できることを示している。本論文で得られる結論は、(Folk Theoremと整合的な形で) price leadershipを非競争的行為とする明確かつ強力な理論的根拠を提供しており、競争政策上非常に重要なものである。price leaderの特徴づけに関しては、短期的な関係から分析している既存の研究の多くは、他企業と比較して何らかの優位を持つ企業(dominant firm)がprice leaderになるという結論である。(ただし、Cooper(1996)のbarometric price leadershipでは、対称的な任意の企業がprice leaderになることができる。)本研究では、どちらの企業もかなり弱い条件の下でprice leaderとなりうるが、小規模企業がprice leaderになる方が談合の維持には適していること、均衡経路上でのprice leaderの交代もdiscount factorを少し高くすれば起こりうることを明らかにしている。このように企業間の長期的関係からprice leadershipを捉えると、現実に観察されている多様なパターンを非競争性という視点から一つの枠組みで捉えることが可能になる。この点も本研究がもたらした大きな成果といえる。

 第4章「R&D Competition between Public and Private Sectors」は、松村敏弘氏との共同論文を基にしている。本研究は、社会余剰最大化を目的とする公企業と、利潤最大化を目的とする私企業が同一市場で研究開発競争を行う状況を動学的に分析している。主要な結論は、(1)公企業の存在は私企業の誘因を損ない過少投資に陥らせてしまう場合がある、(2)政府が公企業の予算や研究計画に介入できる場合は、(1)の状態に比べて必ず社会余剰が改善される、という二点である。(2)の行動の順番は外生的に与えてしまっているが、行動のタイミングを内生化しても同じ結果になることが容易に示せることから、政府が介入して公企業の行動を予め決定することができるという仮定は十分に妥当であり、現実的にも実現可能であることが分かる。本研究において、特殊法人改革の議論に度々出てくるような「(公企業の)組織としての非効率性」は一切仮定されていない。つまり、公企業それ自体は、社会余剰最大化を目的とするという意味で、我々が想定し得る最も理想的な企業である。その上で得られた上述の結果は、非常に重要な政策的含意を持っている。仮に最も理想的な公企業を想定しても、その社会余剰最大化行動が私企業に対して市場を通じて悪影響を及ぼしてしまうために、政府は何らかの形で公企業の意思決定に介入することが望ましいのである。

審査要旨 要旨を表示する

 1.本論文は、産業組織論のさまざまな問題において、戦略的意思決定を行うタイミングがどう決まるか、またそのことが全体の結果をどう左右するか、ということに関する3本の理論的研究論文と、全体の展望を示す序章(第1章)からなっている。第一の研究論文(第2章)は、店舗や製品を多数出すことで市場を飽和させ、参入を阻止することが出来るかどうかを検討している。このことに関しては、Schmalenseeの先駆的業績以降多数の研究の蓄積があるが、本章は複数の参入者がお互いに参入するタイミングをはかって行動する場合には、より効果的に参入阻止が出来ることを示したものである。続く第3章は、長らく観察されてきたが理論的な分析が今ひとつ進んでいなかったプライス・リーダーシップという現象を、くり返しゲームの理論を使って分析したものである。特に、今まで指摘されていなかった、プライス・リーダーシップが共謀を容易にする新たなメカニズムを解明し、同時にサイズの小さな企業がリーダーになる可能性を示唆している。最後の第4章は、私企業と公企業が研究開発をする動学的ゲームが分析されている。公企業は社会の総余剰を自らの利得と見て戦略的に行動するが、このことが私企業の研究開発の意欲をかえって削いでしまうことが示される。以下では、序章をのぞいた博士論文の中核部分、すなわち第2章から4章のそれぞれの概要を論じ、最後に全体に関する審査結果を記すことにする。

 2.第2章は、店舗や製品を多数出すことで市場を飽和させ、参入を阻止することが出来るかどうかを理論的に検討している。このアイデアは、Schmalenseeが1978年に指摘して以来、多くの研究がなされてきたが、これまでの研究の進展をおおまかに要約すると次のようになる。Schmalenseeは、Hotellingの立地競争モデルを使って、店舗を(独占利潤最大化の観点からは)過剰に出すことにより、新規参入を防ぐことが出来ると論じた。新規参入企業は既存の企業の店舗の隙間をねらって参入するが、この隙間が十分にないと、参入の固定費用を回収することが出来ないからである。この考えは一時は多くの支持を得て、アメリカのコーンフレーク市場を始めとするさまざまな現実問題がこの観点から分析されてきた。この流れを大きく変えたのが、Juddによる1985年の論文である。Juddは現代的なゲーム理論の分析用具を使ってSchmalenseeの論理を再検討し、彼の結論が実は信頼性のない脅しに依存していることを明らかにした。いま、既存の企業がいくつか店舗を出しているとして、新参企業がそのうち一つとまったく同じ場所に店舗を出したとしよう。すると、その地点ではベルトラン競争が起きて、両店舗の利潤はゼロまで下がってしまう。Juddが指摘したのは、ここで既存の企業はその店舗を引き払うインセンティヴがあるということである。なぜなら、店舗を引き払っても引き払わなくても、その地点での利潤はゼロで変わらないが、店舗を引っ込めればその地点での価格が上昇して、既存の企業が他の店舗から得る利潤は上がるからである。つまり、Schmalenseeの理論は、「既存の企業は新規参入が起こっても店舗を引き払わない」という、信頼性のない脅しに依存したものだったのであり、ここで定説が大きく覆った。石橋氏の本章の研究は、こうした状況において参入者が複数存在する場合には、それらをうまく競争させることで参入阻止が可能であることを示し、Schmalenseeのアイデアを復権させるという意義を持つものである。

 石橋氏のモデルで重要なのは、複数の参入者がいることと、それらが参入のタイミングを戦略的に決めるということである。とくに、参入者は、相手より先に参入するか、相手が参入した直後に参入するかを選べる状況を考えている。石橋氏が示した均衡戦略は、次のような性質を持っている。もし片方の企業が先に参入すると、残りの企業は直後にうまく場所を選んで参入する。これを受けて、既存の企業は(Juddが指摘したロジックに従い)一つを除いて他の店舗をすべて引き払うことになる。石橋氏は、既存の企業が初期の店舗の配置をうまく選んでおくと、最初の企業がどこに参入しても、次の企業がうまく立地を選ぶことで、最後に残る既存企業の店舗が最初に参入した企業に比較的近くなるように仕向けることができることを証明した。このとき、参入の固定費用が適当な大きさだと、はじめに参入すると(既存企業とより近くなるため)赤字になるが、後に参入すると黒字となることが可能である。すると、潜在的な参入者は、お互い先に動くのを嫌がって結局参入が起こらないことになる。つまり、既存の企業が複数の潜在的参入者をうまく競争させることで漁夫の利を得ることが出来るという、興味深い結論が導かれている。

 3.第3章は、プライス・リーダーシップをくり返しゲームの理論を使って研究したものである。ひとつの企業が値上げの先鞭をつけ、他企業がこれに追随するプライス・リーダーシップという現象は、ゲーム理論が浸透する以前の産業組織論では、さまざまな事例が紹介・分類されてきた大きなトピックスのひとつであったが、そのメカニズムの理論的解明は依然十分に進んでいないのが現状である。本章はこのような状況に一石を投ずるものである。

 プライス・リーダーシップを、高価格を維持する共謀の一形態と見る場合、その分析に長期的関係を通じた共謀のメカニズムを解明するくり返しゲームの理論を使うことは正鵠を得たものであろう。石橋氏は、二つの企業が各期同時に価格をアナウンスするくり返しゲームと、各期片方の企業が先に価格をアナウンスし、残りが次に価格を決めるくり返しゲームを比較し、後者(プライス・リーダーシップ)ではより弱い条件の下で共謀(独占価格の維持)が可能であることを明らかにした。くり返しゲームでは、裏切りによる短期的な利潤の上昇が、将来の競争激化による利得の減少を下回るとき、共謀が達成できる。まず、同時に価格をアナウンスするケースについて考えると、両方の企業は価格をわずかに切り下げて相手から顧客を奪う短期的な誘因を持つ。一方プライス・リーダーシップでは、先導者の逸脱はすぐさまその期に相手の価格戦争を誘発するため、先導者には逸脱する誘因はない。これに対し、追随者には短期的な価格切り下げの誘因が残るのだが、石橋氏の巧みなアイデアは、先導者と追随者のシェアを適当に選ぶことで、追随者の誘因をうまくコントロールできるということである。製品差別化のない市場で先導者と追随者がおなじ(独占)価格をつけた場合、消費者はどちらから製品を買っても無差別である。そこで、さまざまな方法を使って顧客をうまく割り振ることが現実には出来るはずである(たとえば、片方の企業がわずかに低い価格をつけ、一定の数以上の顧客を断るなど)。いま、追随者のシェアを十分大きくしておくと、価格を切り下げて相手から奪える利得は小さくなり、逸脱の誘因をおさえることができる。こうして同時に価格を選ぶ場合よりも低い割引因子のもとでも、独占価格の維持が出来るのである。石橋氏は、この基本的アイデアを各企業にキャパシティの制限があるケースにも拡張し、比較的キャパシティの小さい企業が先導者になったほうが容易に独占価格を維持できることを示した。

 4.第4章は、私企業と公企業それぞれ一つづつが、連続無限時間上で研究開発競争を行うモデルを分析している。それぞれの企業の研究開発成果はPoisson過程によって結実し、そのスピードが各時点での研究開発費と研究計画という二つの戦略的変数でコントロールされる。研究開発の成果は1次元のパラメター(たとえばパソコンの処理速度)で表され、各企業は現在最高の成果をどれだけ改善するかという研究計画を決めるとともに、それに対する支出を決める。成果が結実するスピードは、改善の幅が小さいほど、また支出が多いほど早くなる。各時点での利得は、自分と相手の研究開発成果の差に依存してきまる。こうした状況で、私企業は自らの利潤を、公企業は社会的総余剰を最大化するように、戦略的に行動する。本章の分析は、こうした状況では、公企業が社会的総余剰を自らの利得と見て戦略的に行動するよりも、事後的には総余剰を最大化しない戦略にコミットするほうが、(民間企業の研究開発を促進するため)かえって総余剰を大きくすることが示される。より具体的には、政府は研究開発費を過小におさえ、また研究計画をより野心的にする方向でコミットするのが最適であることが示される。

 5.全体として、著者は産業組織論の先行研究を踏まえオリジナルなアイデアを学術論文の形でまとめる能力を十分に示し、またここに収められた各論文は最終的に審査つきの学術雑誌に掲載可能な水準に達しているという評価に審査委員全員が達した。また、第4章は松村敏弘氏との共著になっているが、松村氏より、石橋氏は「主要な命題の厳密な証明のほとんどすべてを担当したのみならず、全てのSectionの執筆について大きな役割をはたした」との報告を文書にて受け取っており、石橋氏の貢献は十全であると判断される。各研究成果の審査の概要は以下の通りである。第2章に関しては、Schmalensee、Judd以降の研究成果をよく踏まえ、複数参入者間の競争をあおって参入を阻止するという、現実的にも重要でオリジナルな論点を提出したことが評価された。本章は、産業組織論の分野で評価の高い査読つきの国際学術雑誌、International Journal of Industrial Organizationにすでに印刷中である。一方、本章でしめされたロジックで参入阻止がおこる現実の事例が何かという点では、均衡経路からはずれた際の行動が重要になるため、必ずしもどういうものがあるかを特定することが容易でないとの指摘も出された。第3章は、小さい企業が先導者となるプライス・リーダーシップの実例はなにかという質問が出された。これに対し石橋氏は、大きな企業が先導者となる所謂「ドミナント・プライス・リーダーシップ」以外の事例は伝統的に「バロメトリック・プライス・リーダーシップ」と呼ばれることが多く、環境の変化をいち早く察知した(したがって必ずしも大きくない)企業が価格改定の先鞭をつけるものと理解されることが多かったが、これらの中には本章で取り上げたようなメカニズムでむしろ説明されるべきものもあるのではないかと指摘した。これに対し、審査委員から国内航空会社の再編劇の最中にエア・ドゥが値上げの先鞭をつけたことがその一例になるのではないかという、興味深い示唆がなされた。最後の第4章に対しては、政府が最適な研究開発(研究費は少なめに、プロジェクトは野心的に)にコミットする具体的な手法について質問が出された。これに対し、基礎研究を担う研究機関の活用などが示唆された。以上のようにいくつかの要望・示唆が出されたが、本論文は全体として学位申請論文としての要件を十分に満たしており、博士(経済学)の学位授与に値するものとの結論に、審査委員全員が一致して到達した。

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