学位論文要旨



No 117703
著者(漢字) 山地,裕
著者(英字)
著者(カナ) ヤマジ,ユタカ
標題(和) ヘリコバクター・ピロリ感染と、胃癌および逆流性食道炎に関する検討
標題(洋)
報告番号 117703
報告番号 甲17703
学位授与日 2003.02.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2049号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 助教授 真船,健一
 東京大学 助教授 渡邊,聡明
 東京大学 講師 下山,省二
内容要旨 要旨を表示する

[検討1]

[研究の背景および目的]

 ヘリコバクター・ピロリ(H. pylori)と胃癌との関連は,多くの疫学的研究により明らかにされ,IARCにおいてGroup 1のcarcinogenと認定されている.しかし過去の研究の結果は必ずしも一定でなく,関連が証明されない例から,関連の指標としてのオッズ比が10を越えるものまで様々である.特にH. pylori感染,胃癌とも頻度の高い東洋において関連がみられないとする報告が目立つ傾向がある.

 H. pylori感染の指標としては抗H. pylori IgG抗体(H. pylori抗体)が多く使用されている.問題点として,H. pyloriは慢性胃炎を惹起し,胃粘膜萎縮,腸上皮化生を経て,胃癌を発症すると想定されているが,一方胃粘膜萎縮の進行とともに菌量は減少するため,胃癌を発症するような進行した萎縮性胃炎において,抗体価の低下を来す可能性があり,関連の過少評価につながると思われる.また,胃癌の頻度,H. pylori抗体の陽性率ともに,高齢者ほど高く,年齢との関係に留意する必要がある.

 そこで,多数の一般成人が対象である人間ドックの,上部消化管内視鏡受診者において,血中H. pylori抗体を測定し,特にH. pylori抗体の抗体価を3段階に分類し,また対象の年齢に注目して,胃癌との関連を検討した.

[方法]

 亀田総合病院または同附属幕張クリニックにおいて人間ドックの上部内視鏡検査を受診した,総計10,234名(男7,021名,女3,213名,平均年齢49.1才)について検討した.

 全例上部内視鏡検査により胃癌の診断を行い,血中H. pylori抗体の測定を施行した. H.pylori抗体はELISAキットである富士レビオ社ピリカプレートGヘリコバクターを用いて,添付文書に従い(+),(±),(-)の3段階で評価した.

[結果]

 10,234名中37例(0.36%)の胃癌が発見された.

 H. pylori抗体価は,(+)の者が4,909名(48.0%),(±)1,750名(17.1%),(-)3,575名(34.9%)であった.

 H. pylori抗体価(+),(±),(-)の各群における胃癌の有病率は,(+)群が0.47%(23/4,909),(±)群0.51%(9/1,750),(-)群0.14%(5/3,575)であり,非噴門部癌に限ると,H. pylori抗体価(-)の群に対する性・年齢を補正したオッズ比は,(+)群4.3(95% CI=1.3-14; p=0.02),(±)群4.3(95% CI=L1-16; p=0.03)となり,(+)及び(±)の両群ともに(-)群よりも有意に胃癌の危険度が高かった.

 また年齢別の検討では,各群とも加齢により胃癌の有病率が上昇する傾向を示したが,その傾向は特に(±)の群において顕著であった.

[考察]

 本研究は多数の人間ドックにおける上部内視鏡受診者を対象とし,対象の特徴として,病院受診群に比して疾患に伴うバイアスが少なく,より一般人口に近い構成をもつと考えられること,全例内視鏡により信頼性の高い診断を得ていること,年齢別の有病率を求めるのに十分な母数であることなどがあげられる.H. pyloriは多くの上部消化管疾患と関連があり,また年齢との関連も強く,対象の設定により結果に大きな違いが生じる可能性があるので注意を要すると考えられる.

 H. pylori抗体は(+),(±),(-)の三段階に分けて検討した.胃癌例では,高度の萎縮性胃炎のため菌量が減少し,抗体価も減少する可能性が考えられる.この現象が,過去の疫学研究の結果に大きな影響を与えていた可能性があり,抗体価別の解析が有意義であると考えた.

 結果は,やはり抗体(+)群においてはいずれの年代においても,(-)群より非噴門部の胃癌の危険度が有意に高かった.しかし抗体(±)群もほぼ同様の危険度を示しており,さらに注目すべき点として,高齢になるに従い(±)群の危険度が顕著に上昇する傾向が認められた.

 萎縮性胃炎を有する者で抗体価(±)の者は,胃液を用いたPCR法など感度の高い方法で検討すると陽性であることが多く,高度な胃粘膜萎縮にもとづく抗体価の低下である可能性が示唆される.

[検討2]

[研究の背景および目的]

 [検討1]の結果,H. pylori抗体の低値の者が,特に高齢者において,胃癌の危険度が高いという傾向がみられたが,その機序として,胃粘膜萎縮の進行とそのことによるH. pylori抗体価の低下が関与している可能性が考えられた.そこで,胃粘膜萎縮の指標として,血中ペプシノゲン値を測定し,H. pylori抗体価とペプシノゲン値との組み合わせによる検討を行った.

 また,近年H. pyloriによる慢性萎縮性胃炎との逆関連が示唆されている,逆流性食道炎との比較検討を行った.

[方法]

 亀田総合病院または同附属幕張クリニックにおいて人間ドックの上部内視鏡検査を受診した,総計5,732名(男3,732名,女2,000名,平均年齢48.1才)について検討した.

 全例上部内視鏡検査により胃癌および逆流性食道炎の診断を行い,血中H. pylori抗体およびペプシノゲン値の測定を施行した.

 H. pylori抗体はELISAキットである富士レビオ社ピリカプレートGヘリコバクターを用いて,添付文書に従い(+),(±),(-)の3段階で評価した.血中ペプシノゲン値はダイナボット社Pepsinogen I/II RIA BEAD Kitにより血中ペプシノゲンIとペプシノゲンIIの測定を行い,ペプシノゲンI≦70ng/mlかつペプシノゲンI/II比≦3.0の場合を陽性すなわち胃粘膜萎縮ありと判定した.

 H. pylori抗体価(+),(±),(-)とペプシノゲン値の陽性・陰性との組み合わせにより六群に群わけを行った.

[結果]

 対象5,732名中,胃癌が26例(0.5%),逆流性食道炎が108例(1.85%)認められた.

 対象者中H. pylori抗体(+)の者が2,695名(47.0%),(±)の者919名(16.0%),(-)の者2,118名(37.0%)であった.また1,218名(21.2%)がペプシノゲン値陽性すなわち慢性萎縮性胃炎ありと判定された.

 H. pylori抗体価(HP)及びペプシノゲン値(PG)により,1群:HP-かつPG-,2群: HP±PG-,3群: HP+PG-,4群:HP+PG+,5群:HP±PG+,6群:HP-PG+の六群に分類した.

 各群における胃癌の有病率は,1群0.05%(1/1,992),2群0.14%(1/711),3群0.44%(8/1,811),4群1.0%(9/884),5群1.9%(4/208),6群2.4%(3/126)となり,この順に有意な増加傾向を示した.群が1段階進むことについての,性・年齢を補正したオッズ比は1.9(95% CI:1.4-2.5,p<0.0001)であった.

 一方,逆流性食道炎においてはほぼ正反対であり,1群から6群までの有病率はそれぞれ2.4%(48/1,992),2.7%(19/711),1.7%(31/1,811),1.1%(10/884),0%(0/208),0%(0/126)と有意な減少傾向を示し,群が1段階進むことについての補正オッズ比は0.72(95% CI:0.61-0.86,p=0.0001)であった.

[考察]

 胃粘膜萎縮の指標としてペプシノゲンを,H. pylori抗体と同時に測定した.全受診者は,H. pylori抗体価の(+),(±),(-)及び血中ペプシノゲン値の陽性・陰性により六群に分類されたが,胃癌の危険度は,1群(HP-PG-),2群(HP±PG-),3群(HP+PG-),4群(HP+PG+),5群(HP±PG+),6群(HP-PG+)の順に上昇した.すなわち,ペプシノゲン陰性群ではH. pylori抗体価が高くなるほど,ペプシノゲン陽性群ではH. pylori抗体価が低くなるほど胃癌の危険度が高くなるという結果であった.

 これら六群は,感染も萎縮もない状態(1群)から,まずH. pyloriの感染が生じて(2-3群),その後胃粘膜萎縮が進行し(4群),さらに胃粘膜萎縮が進行したため,H. pyloriの菌量も減少し,H. pylori抗体価が低下した(5-6群)と考えると,H. pylori感染による胃粘膜萎縮が高度になるほど,胃癌の危険度が上昇するという結果と解釈できた.

 一方,H. pylori感染と,逆流性食道炎をはじめとするGERDとの関連については,確定的ではないが,近年H. pylori感染による抑制作用が指摘されるようになってきている.その機序の一つとして,胃粘膜萎縮にもとづく胃酸分泌低下が関係する可能性がある.

 本研究の結果は,H. pylori感染とペプシノゲン値にて判定した胃粘膜萎縮はともに逆流性食道炎に対して負の関連があり,かつその傾向は胃癌の場合と正反対であった.したがって,H. pyloriは胃粘膜萎縮の進行という機序を介して,胃癌に対しては促進的に,逆流性食道炎に対しては抑制的に作用する可能性が示唆された.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はH. pylori感染と胃癌との関連を,多数の人間ドック受診者を対象に検討したものである.血中H. pylori抗体価とペプシノゲン値を指標として用いて,逆流性食道炎との対比を行っており,下記の結果を得ている.

1.H. pylori抗体価の検討においては,抗体(+)群が,いずれの年代においても,(-)群より胃癌の危険度が高かった.しかし抗体(±)群もほぼ同様の危険度を示しており,特に高齢になるに従い(±)群の危険度が顕著に上昇する傾向が認められた.

2.H. pylori抗体とペプシノゲン値を同時に測定し,H. pylori抗体価の(+),(±),(-)及び血中ペプシノゲン値の陽性・陰性により六群に分類した結果,胃癌の危険度は,1群(HP-PG-),2群(HP±PG-),3群(HP+PG-),4群(HP+PG+),5群(HP±PG+),6群(HP-PG+)の順に上昇した.高度の胃粘膜萎縮ではH. pylori抗体価が逆に低下するため,上記の結果になったと考察している.

3.逆流性食道炎については胃癌の場合と正反対であり,H. pyloriは胃粘膜萎縮の進行という機序を介して,胃癌に対しては促進的に,逆流性食道炎に対しては抑制的に作用する可能性が示唆された.

 以上,本論文は,多数の日本人の一般集団においてH. pylori感染と胃癌との関連を示すとともに,血液マーカーでの検討ではあるが胃粘膜萎縮を介した胃癌および逆流性食道炎との逆関連を示しており,また過去のH. pylori抗体を用いた疫学研究の不十分な部分を補足した点で,学位の授与に値すると考えられる.

 なお,審査会時点から,論文の内容中,以下の点が改訂された.

1.当初H. pylori抗体価とペプシノゲン値の組み合わせは,H. pylori抗体価の陽性(+と±)・陰性(-)及び血中ペプシノゲン値の陽性・陰性により四群に分類していたが,H. pylori抗体価の(+),(±),(-)及び血中ペプシノゲン値の陽性・陰性により六群の分類に変更して再解析した.

2.全体の構成を,検討1と検討2に分けて書き改めた.

3.用語や方法の定義を明確にした.

4.考察で「ほとんどすべての胃癌はH. pylori感染者より発生すると考えてよい」としていたところ,「H. pylori抗体陰性で従来H. pylori感染なしと判定された胃癌のなかに,進んだ胃粘膜萎縮を示すものが含まれ,H. pylori感染が関連した可能性を示唆している」と書き改めた.

5.誤字修正を行った.

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