学位論文要旨



No 117708
著者(漢字) 本間,栄男
著者(英字)
著者(カナ) ホンマ,エイオ
標題(和) 17世紀ネーデルラントにおける機械論的生理学の展開
標題(洋)
報告番号 117708
報告番号 甲17708
学位授与日 2003.02.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第402号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,力
 東京大学 助教授 廣野,喜幸
 東京大学 助教授 信原,幸弘
 東京大学 講師 岡本,拓司
 順天堂大学 講師 月澤,美代子
内容要旨 要旨を表示する

 17世紀西欧が生み出した近代科学のいくつかの前提の中で,最も重要なのは機械論的世界像である.この機械論的世界像の成立は,しばしば物理化学の領域で考察されてきた.本論文は,比較的軽視されてきた医学分野,特にその中で最も基本的な部分である生理学の機械論化を扱う.そして,特に機械論的生理学が展開したネーデルラント生理学での「機械論的」というものが,具体的には何を意味していたのか,ということを明らかにしようということが本論文の目的である.

 ルネサンスの人文主義者たちの努力と15世紀半ばの活版印刷術の発明によって,15世紀末から,それまでは入手困難だった医学テクストが比較的容易に入手可能になった.16世紀前半には,古代ギリシャの医学の権威HippocratesとGalenosの全集がギリシャ語・ラテン語版で各種出版され,中世には断片的だった古代ギリシャ医学の全貌が明らかになった.これを受けて人文主義の流れを受けて反中世であり脱イスラムを目指した古くて新しい医学テクストが生まれることになった.本論文が注目する生理学では,フランスの医学者Jean Fernelの『医学の自然的部分について』(1542)がその後の生理学の原型となり,この著作と構成をほぼ同じくする一連のテクストが生まれた.本論文ではそれをルネサンス生理学テクストと名付け,それらのテクストが扱う内容をルネサンス生理学と呼んだ.ルネサンス生理学は16世紀半ばからアルプス以北の世界で大きな影響力を持ち,ネーデルラントでは17世紀半ばまで支配的であった.

 ルネサンス生理学は7つのトピック,即ち元素,調和状態,体液,精気と生得温熱,身体部分,能力,機能を持つ.特に重要なのは最後の2つである.能力(facultas)は,身体諸現象の原因である.これをできるだけ枚挙し分類して記憶するということが目的であった.機能(functio)は,身体内の諸現象である.これは栄養付与論,心肺論,感覚運動論,発生論の4つに分けられる.

 ルネサンス生理学に重大な修正を迫る解剖学的発見が1620年代に相次いだ.1627年のイタリア人医学者Gaspare Aselliによる乳管の発見と1628年のイングランド人医学者William Harveyによる血液循環論が,ルネサンス生理学の機能論,特に栄養付与論と心肺論に直接関わる発見であった.これらの新発見を取り込みつつもルネサンス生理学の基本的な枠組みを残した新しい生理学が17世紀中葉のネーデルラントで見られた.1641年に公開されたLeiden大学医学教授Johannes Walaeusの書簡に原型が見られ,1650年代にLeiden大学医学教授Albert Kyper, Groningen大学医学教授Anton Deusingによって新しいルネサンス生理学が完成された.ここでは,特に変化が著しかった機能論が大きく取り上げられ,Walaeusの書簡でのように機能論だけが独立して扱われるような場合も生じた.

 これとほぼ時を同じくして,専門の医学者ではない人々からの影響が生理学に及んだ.医学博士でもある原子論者のIsaac Beeckmanは,生理学を原子論的に再解釈する試みを行っていたし,フランス人で当時ネーデルラントに住んでいた哲学者Rene Descartes自身が解剖学と生理学の研究を行い,機械論によって説明される生理学を1637年の『方法序説』で披露した.Descartesの影響を受けて1646年にHenricus Regiusが『自然学の基礎』を発表し,その中で生理学をDescartes主義的な機械論で説明した.また,同じ年に別のDescartesの友人Cornelis van Hogelandeが『諸考察』を出版し,その著作中の主要な論文「動物身体のオエコノミア小誌(historia de oeconomia corporis animalis)」で機械論的な説明を試みた.Regiusの著作の生理学部分とVan Hogelandeの「小誌」は共に,新しいルネサンス生理学の機能論と共通の構成を持っていた.彼らの著作は新しいルネサンス生理学の機能論を機械論的に説明したのである.この場合の機械論的な説明とは,身体内の諸現象の仕組みを,身体内の物質を構成する粒子の運動・形・大きさによって説明することであった.これは身体内の諸現象の原因を求めたルネサンス生理学と学問の目的が異なる.目的を変えた理由は,ネーデルラントの機械論者が視覚的明晰性を強調して,学問を記憶するものから,仕組みを眼で見たように理解できるようにしようとしたためであった.そのためにDescartesやRegiusは多くの図やモデルを使って,自らの説明の視覚的明晰性を高めた.一方,Van Hogelandeによって,生理学の説明の中に化学の概念と化学の比喩が導入されたことも重要であった.医学への化学の導入自体はParacelsus以来の医化学派が行っていたが,Van Hogelandeは,化学の諸概念をも機械論化できることを示したことに独自性があった.

 Van Hogelandeによって使われた「オエコノミア・アニマリス」と同じタイトルを持つ生理学テクストがその後複数現れる(オエコノミア・アニマリスとは,動物身体内の諸部分の秩序ある配置を意味する).それらはほぼ同じ構成を持つので,本論文ではオエコノミア・アニマリス型テクストと名付けられる.基本的には新しいルネサンス生理学の機能論が他の全ての部分を取り込んだ構成である.17世紀後半に出版される生理学全般を扱う著作が主にこのオエコノミア・アニマリス型の構成であり,18世紀初頭のHerman Boerhaaveの『医学教程』(1708)でオエコノミア・アニマリスが生理学自体と同義とみなされることになって,完全に旧来のルネサンス生理学の構成と入れ替わったのである.

 オエコノミア・アニマリス型テクストの伝統は1650年代末にイングランドの医学者Walter Charletonによって受け継がれた.その『動物的オエコノミアについて』(1659)は,Van Hogelandeの影響はあるものの,Descartes主義の影響は少なく,イングランドの同時代の医学者たち(Harvey, Geroge Ent, Francis Glisson)の見解をフランス人哲学者Pierre Gassendiの原子論で再解釈した機械論的生理学になっていた.この著作にはすぐにネーデルラントで反応があり,上述のDeusingが『オエコノミア・アニマリス』シリーズの4冊の著作を著して,Charletonの著作を是々非々の態度で詳説した.両者の相違点は,ルネサンス生理学に対する態度の違いであり,Charletonが原子論を採用してルネサンス生理学の能力をほとんど否定するのに対し,Deusingは原子論は否定して(だが,粒子論的な発想は認める,原子論と粒子論との大きな違いは真空を認めるか否かだけである)かなりの能力を認める点である.しかし,両者とも機械論的な説明を認めながら,Descartes主義者のように程度の差はあれ能力を完全に否定する,ということはない.能力による説明と機械論的な説明が併存する生理学が存在していたのである.これは両方の説明の目的が異なるために併存が可能だったためである.

 また,解剖学の進展の成果と化学的解釈を積極的に導入したLeiden大学医学教授Franciscus dele Goe Sylviusも,必ずしも機械論的ではないが,オエコノミア・アニマリス型のテクストの構成を持つ『医学討論10題』(1670)を発表する.この中でSylviusはDescartesには全面的に従わないものの,化学の一部で粒子論的説明を用いていた.

 オエコノミア・アニマリス型テクストの伝統を受け継ぎ,Descartes主義的な機械論的生理学を最高度に推し進めたのがLeiden大学医教授Theodorus Craanenだった.Craanenは『オエコノミア・アニマリス』(1685)と『人間論』(1689)で,最新の解剖学知見と化学知識を盛り込み,DescartesやRegiusのような機械論的生理学を展開した.特に,図とモデルによる説明が多く,視覚的明晰性を重視していた.しかし,図示による明晰性を推し進めたことが,かえって機械論的な説明に存在していた曖昧さを暴露してしまった.機械論的な説明は,眼に見えるような仕組みを与えるとしても,眼に見えるもの仕組みの比喩を使うだけで,厳密に仕組みを説明しきっていなかったからである.

目次

第1章17世紀ネーデルラントにおける史的状況設定

第2章16-17世紀医学教科書の構成

第3章ルネサンス生理学の理論

第4章血液循環説と乳管発見以後の新しいルネサンス生理学栄養付与論について

第5章初期Descartes主義生理学:生理学機械論化の範型:Descartes, Regius, Van Hogelande

第6章機械論的生理学とルネサンス生理学の対立と共存:CharletonとDeusing

第7章Sylviusの医化学的生理学理論

第8章機械論的生理学の頂点としてのCraanen生理学

結論

補遺登場人物略伝

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、17世紀ネーデルラント(通常オランダと呼ばれる)における機械論的生理学の展開を、ラテン語で書かれた主要医学テキストを克明に読み解いてなった極めて独創的で卓越した研究である。

 本間氏は、ネーデルラントにおける医学文献の検討を、ヒッポクラテスやガレノスに代表される古代医学書の16世紀半ばにおける復興から始める。16世紀においては、医学書、特に生理学書が、「オエコノミア・アニマリス」(動物身体内の諸部分の秩序ある配置を意味する)という特異な概念に注目し始めることにより、身体の諸機能論に特化されたことを突きとめる。この変化には、ルネサンス以降、頻繁に起こった解剖学的諸発見の影響するところ大きかった。そのうち、英国のハーヴィの血液循環説や、ネーデルラントに在住していたデカルトの思想、さらにガッサンディによって復興した原子論哲学の影響が生理学書に顕著に現れ始める。17世紀中葉から末までのネーデルラントでは、とくにデカルトの影響が甚大であった。それは機械をモデルとする図式が身体機能を説明するのに援用されたため、「機械論的生理学」とも呼ばれた。本間氏が巨大な学問的努力によって解読したのは、とりわけ、この種の文献であり、デカルト派機械論的生理学の興隆と衰退であると言うことができる。デカルトの機械論的哲学はレギウスに現れ始め、クラーヌンで頂点に達する。17世紀中葉から後半は、これらの医学文献の刊行でにぎわった時代であった。それらの生理学文献は、化学、機械の比喩・モデル、図示で視覚的は明晰判明性を追求し、人々の関心をかった。ところが、デカルト主義者だったデ・フォルダーが1670年代にロンドンのロイヤル・ソサエティを訪問し、デカルトのとは別の、ニュートンの実験哲学に触れたことによって、風向きが変わり始める。デカルト哲学よりは、ニュートンの経験主義的で力学的な実験哲学が新たな影響を発揮し始めるのである。そのことは、18世紀初頭にブールハーフェが学界に華々しく登場することによって決定的になる。かくして生理学書におけるデカルト派の機械論的哲学は、その狭義の歴史的役割を終え、別の形の機械論的哲学に主役を座を明け渡すことになるのである。

 本論文の独創的貢献をもっと詳細に述べれば、以下のとおりである。

(1)17世紀ネーデルラントの膨大なラテン語生理学書を地道に読み解く作業によって、近世機械論的医学の実像の解明に挑戦し、一般に近代医学は「機械論的」であると言われるが、その特性をデカルトの影響を受けた生理学書において明解に描き出すことに成功した。

(2)デカルト派生理学書の登場の実相を、その制度的背景まで含めて明らかにし、かつその衰退の様相と理由までをも解明した。

 本論文は、その研究手法の地道さによって際立っている。デカルト派の機械論的生理学の興隆と衰退の医学史的意味をテキスト分析にとどまらず理論的に論じれば、論文はもっと説得力を増したかもしれない。けれども本間氏はそのことを十分理解しており、また地道なテキスト分析に徹することも学問的に堅実であるという解釈もありうるので、審査委員全員は、本論文をもって学位取得のためには十二分であると判断した。本論文は、本間氏が国際的に第一線に立ちうる科学史家であることを示した。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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