学位論文要旨



No 117710
著者(漢字) 東,淳樹
著者(英字)
著者(カナ) アズマ,アツキ
標題(和) サシバとその生息地の保全に関する地域生態学的研究
標題(洋) Landscape ecological study on the conservation of Gray-faced Buzzards, Butastur indicus and their habitats
報告番号 117710
報告番号 甲17710
学位授与日 2003.03.03
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2480号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 樋口,広芳
 東京大学 教授 鷲谷,いづみ
 東京大学 助教授 恒川,篤史
 東京大学 助教授 加藤,和弘
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景と目的

 種を保全するためには、生息地をさまざまな空間スケールでとらえ、各スケールにおいて種の行動特性と環境要求性を明らかにすることが有効である。本研究で対象とした里地に生息する中型の猛禽類サシバは、春に日本へ渡ってくる多くの夏鳥と同様に近年個体数が減少してきている。その要因のひとつとして越冬地である東南アジア各地の生息環境の悪化が指摘されている。またもうひとつの要因として、繁殖地である日本の里地自然の変容が二次的自然環境の生物多様性を低下させており、それが本種の生息に影響を与えていると考えられはじめている。

 サシバの生息地は大きさと機能から4つのスケールでとらえられる。もっとも大きなスケールは、東アジア全域の生息圏(超マクロスケール)である。生息圏は個々の生息地の集合体であり、その中には繁殖地・越冬地・中継地(マクロスケール)が含まれる。さらにその中には行動圏(メソスケール)が含まれ、最後に行動圏内の微細環境(ミクロスケール)が存在する。本研究では、その中でも繁殖地である日本の里地自然に着目した。

 本研究の目的は、生息地の各スケールにおける土地環境の構造や機能とそれらの変化が、サシバの生息にどのように関係しているのかを行動特性と環境要求性を分析し、地域生態学的なアプローチにより明らかにすることによって、本種の保全対策を考察することである。

2.マルチスケールでとらえた生息環境

 超マクロスケールからミクロスケールにおけるサシバの一般的な生態と生息環境の把握を目的とした。

1)日本に渡来するサシバの個体数変動

 沖縄県宮古諸島伊良部島で観察された個体数をもとに、1973年から2001年までの個体数変動を指数平滑化法により分析した。その結果、1973年から1985年まで個体数は漸増したが、それ以降、漸減していることが明らかとなった。

2)既往研究

 これまでサシバの生態と生息環境については関西・北陸・中部・関東地方、北伊豆諸島、南西諸島で調査された。本州では雑木林と水田のある農村地帯で繁殖し、小型哺乳類から鳥類、爬虫類、両生類、昆虫類まで幅広く利用していることが示された。

3)アンケート調査

 猛禽類に関心を持って調査をしている日本各地の個人、団体に対してサシバの一般的生態と生息環境について質問した。東北地方と北陸地方を含めた北日本ブロックでは、生息数が増加したか、生息数に変化がみられない観察地点の割合が高いのに対し、それ以外の地域では減少している地点の割合が高かった。ある地域の観察地点数の減少は、その地域における開発との関連性が強いことが等質性分析により示された。繁殖地は丘陵地に多く、繁殖地に森林と水田が含まれた観察地点は全体の74.9%におよんだ。森林では針葉樹がおもな営巣木として利用され、水田環境は採食地点として利用された。繁殖地として利用された谷津田のある里地の状況は、耕作放棄田がわずかにあり、谷津田を連続した森林が取り囲んでおり、水田内の水路が未整備である特徴を有するものが多くみられた。繁殖地のほとんどが民有地であり、いかなる保護区にも指定されていないため、39.8%の観察地点が開発による繁殖への影響を受けていた。

3.メソスケールからとらえた生息環境

 千葉県印旛沼・手賀沼流域の谷津田のある里地を調査対象地域とした。この調査地域は、サシバ1個体から数個体の行動圏が含まれる範囲である。そこでは、このメソスケールにおける本種の生息地選択にかかわる景観構成要素の量と質について把握することを目的とした。

1)調査対象地の自然的特性

 調査対象地は台地と低地、そして台地平坦面と低地平坦面の間の段丘崖斜面の地形よって構成されていた。台地面は畑地や集落、低地面は谷津田、そして段丘崖は斜面林として土地利用がなされていた。

2)生息分布と生息地点間距離および谷幅の特性

 千葉県印旛沼流域鹿島川水系では22地点で生息が確認された。生息地点の多くは250〜500m間隔で点在し、生息地点の谷津田の谷幅は全体の77.3%の地点が20〜80mであった。

3)生息の有無と各景観構成要素の土地環境との関係

 千葉県手賀沼流域では、生息の有無と各景観構成要素の土地環境計測値との関係について分析した。生息確認地点の谷津田面積、斜面林面積、稲作面積は非生息確認地点のそれらより有意に大きかった。また、生息確認地点は谷津田の面積に対する斜面林の面積比および稲作面積比がそれぞれ高く、さらに谷津田の周囲長に対する谷津田と斜面林の隣接長比が高い土地環境であった。そのような土地環境特性が本種の生息と強く結びついていることが判別分析によって明らかにされた。

4)行動追跡による行動特性

 千葉県印旛沼・手賀沼流域において、繁殖オス11個体についてラジオ・テレメトリ法による個体追跡調査を行なった。枝等に止まって食物動物を探索する場所(以下、パーチと呼ぶ)を地図上にプロットし、パーチでの滞在時間とパーチ間距離等を計測した、繁殖期間を通して、採食するまでそのパーチを離れない時間(採食滞在時間)のほうが採食をせず次のパーチに移るまでの時間(非採食滞在時間)よりも有意に長かった。しかし、その場合も10分前後の短時間で次の近接パーチに移動した。また、巣からパーチまでの距離とそのパーチにおける滞在時間との間には有意な相関関係がみられなかったことから、行動圏内のすべてのパーチは、採食のためのパーチとしての機能を有していることが示唆された。しかし本種は、利用域の90%が巣から475m以内、また巣から200〜300m離れたパーチを最もよく利用していたことから、行動圏内には集中的な利用域があることが明らかとなった。そして、位置が高いパーチほど採食地点までの水平距離が遠いという正の相関関係が認められたことから、高いパーチほど採食可能範囲が広いことが示された。さらに、繁殖期間を通して谷津田または畑等の開けた環境に接した斜面林の林縁部がパーチとして利用されることが明らかとなった。

4.ミクロスケールからとらえた生息環境

 ミクロスケールの分析では、サシバの行動圏やその中の微細な土地環境における本種の環境選好性や食物動物の生息への影響について把握することを目的とした。

1)採食地点の季節変化

 採食地点を月別にまとめた結果、5月上中旬は水田や畦等の水田環境であったが、5月下旬以降は斜面林での割合が漸増し、7月上旬以降はすべて斜面林に移行した。

2)採食地点の植生構造

 植生構造を示す植被度と草丈は、採食の可否に影響を与えており、とくに草丈はそれに大きく関係することが明らかとなった。また、季節の進行にともない、水田環境は採食には不適な環境になることが示された。

3)食物動物の発生動態

 水田環境における食物動物の発生動態をセンサスした。5月上中旬はカエル類の生息密度が高く、6月上旬にはカエル類と大型昆虫等の生息密度に有意差はなく、7月上旬になると大型昆虫等の生息密度が有意に高くなった。また、目視観察と巣内のビデオ撮影による採食動物の調査の分析から、その割合は、食物動物の発生動態とほぼ同様の傾向を示した。

4)土地環境の微細な構造とカエル類の生息との関係

 主要な食物動物であるカエル類について、行動圏内の微細な環境構造の違いと生息密度との関係を分析した。パイプラインによって用水が供給され、コンクリート護岸の排水路では、ニホンアマガエルの生息密度がニホンアカガエルのそれを有意に上回った。またニホンアカガエル生息密度はニホンアマガエルより環境構造に左右されることが数量化I類の分析で明らかとなった。また圃場整備の進行にともない、ニホンアカガエルとトウキョウダルマガエルは減少する傾向があることが示された。

5.サシバ生息地の環境特性と生息地保全のための課題

 繁殖地として利用した谷津田のある里地の標高は、段丘崖の斜面林が最も高く、台地面の畑や集落等が次に高く、低地面の谷津田が最も低いという垂直構造を示す。一方、水平構造は、谷幅の狭い細長い谷津田とそれに沿って斜面林が連なった特徴を呈している。あたりを俯瞰できる斜面林の中の高い木立をパーチとし、近接パーチ間を転々と移動しながら探索待伏せ型の採食行動をとり、行動圏内のほとんどを採食地点として利用する。田植え前後の谷津田は、植被度、草丈ともに低い植生構造を示すが、それらは季節とともに増加するため、食物動物を得にくい環境構造に変化する。また、非耕作地は繁殖期間を通して草丈が高いため、採食地としては適していない。季節とともに優占する食物動物はカエル類から昆虫類・甲殻類へと変化し、それに合わせて採食動物の割合も変化した。以上のことから、谷津田と斜面林が複合した特徴のある垂直構造とそれが連続した水平構造は採食地として適しており、サシバはその構造と機能が季節にともなって変化するのに順応してその環境を利用し繁殖していることが明らかとなった。

 また、行動圏内に生息する主要な食物動物のカエル類は、水田の圃場整備にともなう微細環境の構造と機能の変化によって生息数に影響を受けることが明らかとなった。

 以上のことから、サシバの生息地を保全するために、1)耕作条件の良くない谷津田でも稲作を継続すること、2)谷津田を圃場整備する際には、カエル類等の小動物の生息に配慮した構造および工法にすること、3)谷津田に面した斜面林は分断させず残存させることの3点を提言する。

審査要旨 要旨を表示する

 わが国には、人と自然のかかわりによって形づくられてきた里地里山という生態系が存在する。そこには、人為的影響によって維持されてきた水田や二次林等に適応した生物が多数生息・生育している。生物多様性の保全は、地球規模の命題として認識されるようになってきたが、その実現のために不可欠な、種を絶滅させないための地域的な取り組みは十分とはいえない。多くの生物種が生息・生育する地域生態系の保全には、その地域生態系を代表する種に焦点をあて、その種の保全を通して、地域生態系全体の質を向上させるねらいを持つ「種アプローチ」という手法が有効である。しかし、里地里山生態系の生物において種やその種の生息地の保全を意図した実証的な研究は少ない。

 そこで本研究では、里地里山生態系を代表する中型猛禽類のサシバを対象に、本種の生存のために必要な生物学的な要因、特に生息地に対する選好性や行動特性を分析する。その上で本種にとって重要な生息地の構造を明らかにし、その維持が下位の生物群の生存に貢献することを示す。そして、サシバやその下位の生物群が生息・生育する里地里山の生態系保全のための土地利用についての考察を行なう。

 まず、サシバの生息地を超マクロスケールからミクロスケールまでの4つの空間スケールで捉えられるとした。はじめに、日本における生息数の変化と本種の生息地や一般的な生態を把握するために、観察記録、既往研究、そして猛禽類の有識者に対するアンケート調査結果を整理、分析した。

 その結果、本種の生息数はこの30年間に減少しており、保全の必要性が示された。主な生息地は全国的に谷津田のある里地であり、そこに生息する小型哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、昆虫類、甲殻類等、多様な動物を食物としていることが示された。

 次に、メソスケールで捉えられる生息地について分析するために、谷津田のある里地である千葉県印旛沼・手賀沼流域をケーススタディ地域として設定した。ここでは、本種の生息分布と生息地における生息地点間距離および谷幅の特性、土地環境の大きさやそれらの均衡性との関係、行動追跡による本種の行動特性を分析した。

 その結果、千葉県印旛沼流域鹿島川水系では22地点で生息が確認された。生息地点の多くは250〜500m間隔で点在し、生息地点の谷幅のほとんどが20〜80mであった。また、本種の生息確認地点の谷津田面積、斜面林面積、稲作面積は生息未確認地点のそれらより有意に大きいこと、生息確認地点は谷津田の面積に対する斜面林の面積比および稲作面積比がそれぞれ高く、さらに谷津田の周囲長に対する谷津田と斜面林の隣接長比が高い土地環境であること、そして、そのような土地環境特性が本種の生息と強く結びついていることが判別分析によって示された。また、長い林縁部を有し、環境傾度の大きい谷津田のある里地は、本種の繁殖地としては非常に適した環境であり、採食場所として利用される林縁部と周辺の谷津田や畑等は、斜面林と広域的な連続性を持つことの重要であることが本種の行動特性から明らかとなった。

 そして、ミクロスケールで捉えられる生息地について、本種の行動圏内における微細地形あるいは微細な人工構造物によって形成される土地環境の構造と機能が、本種やその食物動物の生息や環境選好性にどのように関わっているのかを分析した。

 その結果、本種の採食地点は、季節の進行に伴い水田面から斜面林へと移行すること、植生構造を示す植被度と草丈は、採食地選択に影響を与えており、とくに草丈はそれに大きく関係すること、採食動物の季節割合は、季節の進行に伴いカエル類から昆虫類・甲殻類に移行し、それは生息地の食物動物の生息密度の割合と類似していることが明らかとなった。また、ニホンアカガエル生息密度はニホンアマガエルより環境構造に左右されること、圃場整備の進行にともない、ニホンアカガエルとトウキョウダルマガエルは減少する傾向があることが示された。

 最後に、サシバの生息地の構造を地域生態学的にまとめた。そして、サシバの生息地を保全するために、1)耕作条件の良くない谷津田でも稲作を継続すること、2)谷津田を圃場整備する際には、カエル類等の小動物の生息に配慮した構造および工法にすること、3)谷津田に面した斜面林は分断させず残存させることの3点を提言した。

 以上のように本研究は、サシバとその生息地の保全、そしてそのことが地域生態系における生物多様性を向上させるという一貫した考えのもとで、詳細な野外調査を遂行し、そこから得られるデータを科学的に分析しながら、サシバが必要とする生息地の環境構造を明らかにしたものであり、学術上、また、里地保全という実地上も寄与することころが大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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