学位論文要旨



No 117711
著者(漢字) 赤堀,正和
著者(英字)
著者(カナ) アカホリ,マサカズ
標題(和) 甲状腺細胞の増殖誘導におけるphosphatidylinositol 3-kinase活性化の生理的意義
標題(洋)
報告番号 117711
報告番号 甲17711
学位授与日 2003.03.03
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2481号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 教授 千田,和広
内容要旨 要旨を表示する

 インスリン様成長因子(IGF)は、プロインスリンに構造が類似したペプチドホルモンである。このホルモンやレセプターのトランスジェニックマウス、ノックアウトマウスを用いたin vivo系の解析から、IGFは、動物の正常な発達や成長、代謝制御に必須な役割を果たしていることが明らかにされてきている。一方、培養細胞系を用いた研究から、IGFは多種多様な細胞に対して、増殖誘導、アポトーシス抑制、分化誘導、機能の維持などの活性もつことが示されている。IGF活性のひとつの特徴として、一般にIGFは単独での生理活性は弱く、他のホルモンや成長因子などの共存下でその生理活性が相乗的に増強されることがあげられる。したがって、IGFの生理的意義を解明するためには、このホルモンと他の因子との相乗作用発現機構の解明を進めることが必須である。

 我々の研究グループでは、内分泌細胞におけるトロピックホルモンとIGF-Iとの相乗作用発現機構について研究を進めている。その過程で、ラット甲状腺由来正常細胞FRTL-5では、甲状腺刺激ホルモン(TSH)長時間処理が、cAMP経路の活性化を介して、細胞をIGF-Iにさらに強く応答するようにprimingし、結果として、IGF-I誘導性DNA合成が相乗的に増強されることを見出した。このpriming機構について詳細に解析したところ、cAMP経路の長時間刺激に応じてチロシンキナーゼが活性化され、このチロシンキナーゼにより125kDa新規シグナルタンパク質(P125)がチロシンリン酸化、チロシンリン酸化されたP125はPI3-kinaseのP85制御サブユニットと結合することを発見した。そして、このシグナル伝達は、cAMP経路の刺激によるprimingに必須であることが明らかとなっている。一方、primingされた細胞では、IGF-I細胞内シグナルの起点であるIGF-Iレセプターチロシンキナーゼの活性化には影響しないにも関わらず、IGF-Iレセプターキナーゼの基質であるp66ShcあるいはIRS-2のIGF-I依存性チロシンリン酸化が増強され、このシグナル増強が、IGF-I誘導性DNA合成の増強に重要な役割を果たしていることがわかっている。

 そこで本研究では、FRTL-5細胞を用いて、まず、1)IGF-Iの生理活性を増強する他の因子を検索、これらが、TSHとIGF-Iとの相乗作用を仲介するオートクリン因子である可能性を検討した。次に、2)cAMP経路長時間刺激に応答したPI3-kinase経路の活性化、IGF-I短時間刺激に応答したPI3-kinase経路の活性化、それぞれの機構および生理的意義について比較検討した。これらの研究成果をもとに、内分泌細胞の増殖において、IGF-Iと他の因子の相乗作用発現に果たすPI3-kinaseの新しい役割を解明することを目的に研究を進めた。

1.甲状腺細胞においてIGF-I増殖誘導活性を修飾する因子の同定

1)IGF-I増殖誘導活性を修飾する因子の検索

 甲状腺細胞では、cAMP経路を刺激するホルモンや薬剤以外の因子とIGF-Iの相乗作用についての報告は数少ない。そこで、IGF-Iと異なる細胞内情報伝達経路を活性化し、IGF-1の増殖誘導活性を修飾するような因子の検索を試みた。静止期に同調したFRTL-5細胞を、IGF-I存在下・非存在下で種々の因子で処理し、IGF-Iにより誘導されるDNA合成に及ぼす影響について検討した。その結果、1)線維芽細胞成長因子(FGFs)は、IGF-Iの増殖誘導活性を相乗的に増強する、2)形質転換増殖因子(TGF)-β1は、IGF-Iが誘導するDNA合成を抑制するが、TSHとIGF-Iと共存させると、TSHとIGF-Iによる相乗作用をさらに増強することを発見した。また、3)腫瘍壊死因子(TNF)-αは、TSHとIGF-Iの相乗作用を抑制することを明らかとした。

2)TSHとIGF-Iの相乗作用を仲介するオートクリン因子の同定

 これまでに、FRTL-5細胞は、FGF-2やTGF-β1を産生することが報告されている。そこで、FRTL-5細胞におけるTSHとIGF-Iの相乗作用が、FGF-2やTGF-β1、あるいは他の因子により仲介されている可能性について検討した。まず、静止期のFRTL-5細胞をTSHとIGF-I同時処理し、この際、オートクリン因子を除去するために、4時間ごとに新しい培地に交換、経時的にDNA合成量を測定した。その結果、相乗作用の一部が抑制され、TSHとIGF-Iの相乗作用発現に、オートクリン因子が関与していることが示唆された。そこで、TSH処理したFRTL-5細胞から得られた培養上清を、TSHレセプターを発現しておらず、cAMPとIGF-Iの相乗的増殖誘導が起こらないことが明らかとなっているヒト線維芽細胞に、IGF-Iとともに添加したところ、IGF-IによるDNA合成誘導が相乗的に増強されることを見出した。また、この培養上清をヘパリンカラムに供したところ、ヘパリンに高親和性を示す画分にIGF-I生理活性を増強する活性が認められた。これらの結果から、TSHとIGF-Iの相乗作用の少なくとも一部は、FGF-2などのオートクリン因子が仲介している可能性が考えられた。

2.甲状腺細胞においてIGF-I増殖誘導活性が増強される機構の解明

1)細胞がIGF-Iに応答するようにprimingされる際に活性化されるPI3-kinase経路

 既に述べたように、cAMP依存的にチロシンリン酸化されたp125は、PI3-kinaseのp85制御サブユニットと結合することが明らかになっているので、まず、FRTL-5細胞のcAMP経路を刺激し、経時的にPI3-kinase活性を測定した。その結果、cAMP経路の長時間刺激に応答してPI3-kinaseが活性化され、PI3-kinase経路の下流シグナル分子であるAktおよびp70 S6 kinaseも同様に活性化されることを発見した。また、阻害剤を用いた実験などの結果から、チロシンリン酸化されp125との結合によりPI3-kinaseが活性化されるという新しい機構が存在すると考えられた。cAMP依存性PI3-kinase活性化の生理的意義を明らかにするために、cAMP処理時にPI3-kinase阻害剤を添加する、あるいはFRTL-5細胞に活性化型Akt変異体であるミリスチル化Akt(myl-Akt)をアデノウィルスベクターを用いて発現させるなどの実験を行ったところ、cAMP経路長時間刺激に応答したPI3-kinase活性化は、細胞周期進行に重要なG1 cylcinの誘導や、IGF-Iシグナルの増強に重要なp66 Shcのタンパク量増加に重要な役割を果たしていることがわかった。一方、IGFの細胞増殖誘導活性を増強するFGF-2も、長時間刺激によってPI3-kinaseを活性化し、PI3-kinase阻害剤を用いた実験から、この活性は、IGF-Iとの相乗作用に必須であることを見出した。これらの一連の結果は、IGF-I依存性DNA合成の増強には、PI3-kinaseの長時間活性化が必要であることを示唆している。

2)細胞がIGF-Iに応答して増殖する際に活性化されるPI3-kinase経路

 これまでに、cAMP長時間前処理によりIGF-Iレセプターチロシンキナーゼの基質であるp66 Shc、IRS-2のIGF-I刺激依存的なチロシンリン酸化が増強されることが明らかとなっている。そこで、cAMP長時間前処理後のIGF-Iの細胞内シグナルの変動について解析した。その結果、IGF-I依存性チロシンリン酸化が変動しないIRS-1に結合するp85 PI3-kinase量、PI3-kinase活性が抑制されるの対して、チロシンリン酸化が増加するIRS-2に結合しているp85 PI3-kinase量およびPI3-kinase活性は増強されることを見出した。このように、IRS-1とIRS-2は異なる生理的意義を有することが明らかとなった。PI3-kinase阻害剤などを用いた実験結果を併せると、cAMP経路の長時間刺激によって増強されたIGF-I依存性IRS-2チロシンリン酸化は、PI3-kinase活性の相乗的増加に反映され、G1 cyclinの増加、p27kip1などのCDK inhibitorの減少を引き起こし、細胞のG1期からS期への進行を可能にすると考えられた。

3)cAMP経路長時間刺激に応答して活性化されるPI3-kinaseとIGF-I短時間刺激に応答して活性化されるPI3-kinaseの比較

 最後に、cAMP経路刺激、IGF-I経路刺激により、それぞれ活性化されるPI3-kinaseの性質を比較検討した。いずれの刺激も、PI3-kinaseのisoformのうち、p110αを活性化した。次に、超遠心分画法により細胞内小器官を分画し、各画分のcAMP経路長時間刺激およびIGF-I刺激に応答したPI3-kinase活性を測定した。IGF-1刺激に応答したPI3-kinase活性は、細胞膜画分で強く誘導され、同時にhigh density microsome(HDM)およびlow density microsome(LDM)画分でも活性化が認められた。これに対して、cAMP経路長時間刺激に応答したPI3-kinase活性化は、LDM画分でのみ観察された。また、PI3-kinaseの活性化により産生されるPI(3,4,5)P3に特異的に認識・結合するPHドメインとGFPとの融合タンパク質、PH-GFPをFRTL-5細胞に発現後、cAMP経路刺激もしくはIGF-I刺激し、PI3-kinase活性化により産生されるPI(3,4,5)P3の細胞内局在について解析した。その結果、IGF-I刺激時は細胞膜近傍にPH-GFPが局在しているのに対して、cAMP経路刺激時には細胞膜には局在しないことが明らかとなった。これらの結果は、cAMP長時間刺激に応答したPI3-kinase活性化は、IGF-I刺激の際と異なる機構および場所で引き起こされ、それぞれのPI3-kinaseの生理的意義が異なることを示している。

総括

 ラット甲状腺由来正常細胞FRTL-5において、cAMP経路あるいはFGF経路の長時間刺激によって、IGF-I依存的に誘導されるDNA合成が増強されることを見出した。この際、cAMP経路およびFGF経路の刺激により活性化され、長時間にわたって維持されるPI3-kinase活性は、細胞周期進行を制御するタンパク質の変動やIGFシグナルの増強に必須であることを明らかにした。一方、これとは異なる機構で、cAMP刺激に応答したIGF-I依存性PI3-kinaseの相乗的な活性化が起こり、この活性化も、細胞周期進行制御タンパク質の変動に寄与していた。このように、本論文では、全く異なる機構で活性化されるPI3-kinase経路が、それぞれ、cAMPシグナルとIGF-Iシグナルの合流点を形成し、内分泌細胞の細胞周期進行に重要な役割を果たしていることをはじめて明らかにすることができた。

審査要旨 要旨を表示する

 インスリン様成長因子(IGF)は、多種多様な細胞に対して、増殖誘導、アポトーシス抑制、分化誘導、機能維持など、広範な生理活性を示すことが知られている。IGF活性のひとつの特徴として、一般にIGFは単独での生理活性は弱く、他のホルモンや成長因子などの共存下でその生理活性が相乗的に増強されることがあげられる。したがって、IGFの生理的意義を解明するためには、このホルモンと他の因子との相乗作用発現機構の解明を進めることが必須である。本論文は、内分泌細胞におけるトロピックホルモンとIGF-Iとの相乗作用発現機構について研究したもので、緒論、本論2章、総合討論よりなる。

 まず、第一章緒論では、本研究の背景および意義を概説し、本研究の目的と本論文の構成について、述べている。

 第二章では、甲状腺細胞においてIGF-I増殖誘導活性を修飾する因子に関する研究成果を示している。これまで、甲状腺細胞では、甲状腺刺激ホルモン(TSH)などcAMP経路を刺激するホルモンや薬剤以外の因子とIGF-Iの相乗作用についての報告は数少ない。そこで、ラット甲状腺由来正常細胞FRTL-5を用いて、IGF-Iと異なる細胞内情報伝達経路を活性化し、IGF-Iの増殖誘導活性を修飾するような因子の検索を試みた。その結果、線維芽細胞成長因子(FGFs)が、IGF-Iの増殖誘導活性を相乗的に増強する、腫瘍成長因子(TGF)-β1は、IGF-Iが誘導するDNA合成を抑制するが、TSHとIGF-Iと共存させると、TSHとIGF-Iによる相乗作用をさらに増強することを発見した。これまでに、FRTL-5細胞は、FGFsやTGF-βを産生することが報告されている。そこで、FRTL-5細胞におけるTSHとIGF-Iの相乗作用が、FGF-2やTGF-β1、あるいは他の因子により仲介されている可能性について検討した結果、TSHとIGF-Iの相乗作用の少なくとも一部は、FGF-2などのオートクリン因子が仲介している可能性を示すことができた。

 第三章では、甲状腺細胞においてIGF-1増殖誘導活性が増強される機構の詳細について、述べている。申請者が属する研究グループでは、これまでの研究によって、FRTL-5細胞をTSH長時間処理すると、cAMP経路の活性化を介して、細胞がIGF-Iにさらに強く応答するようにprimingされ、結果として、IGF-I誘導性DNA合成が相乗的に増強されることを見出している。更に、このpriming機構について詳細に解析したところ、cAMP経路の長時間刺激に応じてチロシンキナーゼが活性化され、このチロシンキナーゼにより125kDa新規シグナルタンパク質(p125)がチロシンリン酸化、チロシンリン酸化されたp125はPI3-kinaseのp85制御サブユニットと結合することを発見している。そこで、申請者は、まずFRTL-5細胞のcAMPを刺激し、経時的にPI3-kinase活性を測定した。その結果、cAMP経路の長時間刺撒に応答してPI3-kinaseが活性化され、PI3-kinase経路の下流シグナル分子であるAktおよびp70 S6 kinaseも同様に活性化されることを明らかにした。更に、cAMP依存性PI3-kinase活性化の生理的意義を明らかにするために、cAMP処理時にPI3-kinase阻害剤を添加する、あるいはFRTL-5細胞に活性化型Akt変異体であるミリスチル化Aktをアデノウィルスベクターを用いて発現させるなどの実験を行ったところ、cAMP経路長時間刺激に応答したPI3-kinase活性化は、細胞周期進行に重要なG1 cylcinの誘導や、IGF-Iシグナルの増強に重要なp66 Shcのタンパク量増加に重要な役割を果たしていることがわかった。続いて、cAMP長時間前処理後のIGF-Iの細胞内シグナルの変動について解析した。その結果、cAMP経路の長時間刺激によって、インスリンレセプター基質(IRS)のひとつ、IRS-2のIGF-I依存性チロシンリン酸化が増加し、IRS-2に結合しているp85 PI3-kinase量が増加、同時にPI3-kinase活性も増強されることを見出した。PI3-kinase阻害剤などを用いた実験結果を併せると、cAMP経路の長時間刺激によって増強されたIGF-I依存性IRS-2チロシンリン酸化は、PI3-kinase活性の相乗的増加に反映され、G1 cyclinの増加、p27kiplなどのCDK inhibitorの減少を引き起こし、細胞のG1期からS期への進行を可能にすると考えられた。最後に、cAMP経路刺激あるいはIGF-I経路刺激により、それぞれ活性化されるPI3-kinaseの性質を比較検討した。いずれの刺激も、PI3-kinaseのisoformのうち、p110αを活性化したが、IGF-I刺激に応答したPI3-kinase活性は、細胞膜画分で強く誘導され、同時にhigh density microsome(HDM)およびlow density microsome(LDM)画分でも活性化が認められた。これに対して、cAMP経路長時間刺激に応答したPI3-kinase活性化は、LDM画分でのみ観察された。これらの結果は、cAMP長時間刺激に応答したPI3-kinase活性化は、IGF-I刺激の際と異なる機構および細胞内部位で引き起こされ、それぞれのPI3-kinaseの生理的意義が異なることを示している。

 第四章総合討論では、ホルモンの長時間刺激に応答して活性が低いながら長時間維持されるPI3-kinaseと、IGF-Iの短時間刺激に応答して強く活性化されるが、その活性化が一時的なPI3-kinaseの生理的意義について論じている。

 このように、本論文では、全く異なる機構で活性化されるPI3-kinase経路が、それぞれ内分泌細胞の細胞周期進行に重要な役割を果たしていることを明らかにしたもので、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものと認めた。

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