学位論文要旨



No 117712
著者(漢字) 福島,徹也
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,テツヤ
標題(和) 作業記憶内表象の動的更新に関わる前頭前野神経機構
標題(洋) Dynamic updating of target representation in macaque prefrontal neurons.
報告番号 117712
報告番号 甲17712
学位授与日 2003.03.05
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2050号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 加藤,進昌
 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 講師 辻本,哲宏
 東京大学 講師 森,寿
内容要旨 要旨を表示する

 心表象内に情報を一時的に保持したり、必要に応じて、それを操作することは、前頭前野の司る高次認知機能の一つであり、作業記憶機能と呼ばれる。ヒトの画像研究では、作業記憶課題で情報を短時間、保持するよう求められた時、外側前頭前野に活性化が見られ、また、さらにその保持情報を操作するよう求められた時、背外側前頭前野の活性化が増強することが示されている。一方、サルにおいては、遅延反応課題で、手掛かり刺激提示と応答行動の間の遅延期間に、前頭前野神経細胞が持続的な活動を示すことが知られており、課題遂行に必要な情報の一時的保持と関連づけられてきた。近年、単なるメモ的な一時的保持を越えて、マカク前頭前野は、反応決定あるいは選択の過程に関わることが強調されている。また、損傷実験の結果からは、マカク背外側前頭前野が、保持情報の監視と参照に重要な役割を果たすことが示唆されている。しかしながら、前頭前野が心表象内に保持される情報の操作に深く関わると考えられる一方、その表象がどのように操作され更新されるのかについては、未だ直接に単一神経細胞レベルで調べられていない。本研究は、心表象内の情報の操作と更新に関わる前頭前野神経機構を明らかにする目的で行われた。

方法

 我々は、遅延サッケード課題に目標変更刺激(変更刺激)を導入し、新たに連続目標変更課題(Sequential Target-Shift Task; STS課題)を考案した。この課題では、サルは心表象内に保持しているサッケードすべき位置(目標表象)を0〜3回、更新しなければならない(図1, i-iv)。サルが中央の注視点を注視した後(図1, Fix)、初期目標指定刺激(手掛かり刺激)が、円周上に均等に並ぶ8つの正方形のうちの1つに、提示される(図1, Cue)。サルはまずこの初期目標の位置を保持しなければならない。その後、変更刺激が0〜3回、中央に提示される(図1, Shift 1-3)。提示が中央のため、変更刺激自体は位置情報を持たない(非位置的)。サルは変更刺激毎に、保持している目標表象を時計回り(あるいは反時計回り)に45°移動させなければならない。各刺激の後には1秒間の遅延期間が続き(手掛かり遅延期間およびシフト遅延期間。図1, Cue delayおよびShift delay 1-3)、いずれかの遅延期間の後に注視点が消えた時、サルは、その時点の目標表象の示す位置へサッケードしなければならない(図1, Saccade)。

 我々は、この課題を遂行中のサルの前頭前野(主溝後部領域; 46野および8Ar野)から、ガラス被覆エルジロイ電極を用いて、神経細胞活動を記録した。本研究では、我々は変更刺激提示後のシフト遅延期間中の神経細胞活動(シフト遅延期間活動)について解析を行った。シフト遅延期間活動は、手掛かり刺激の提示位置(手掛かり要因)、その時点の目標表象の位置(目標要因)、1試行中の何番目のシフト遅延期間中であるか(順序要因)、から影響を受けると考えられる。我々は各要因の影響の強さを、重回帰分析を用いて評価した。解析は各シフト遅延期間を前後半に分けて行われた。

結果および考察

 50正解試行以上の記録を行った233個の前頭前野神経細胞のうち、130個がシフト遅延期間に何らかの反応を示した。このうち、多くの神経細胞が、課題の要請通り、目標表象の示す位置に選択的な(目標選択性)シフト遅延期間活動を示した(表1)。我々は「前瞬時型」と「後増強型」の2種類の目標選択性神経細胞を認めた。

 前瞬時型の目標選択性神経細胞活動は、変更刺激の提示直後に一過性に出現した。一般に、一過性の活動が視覚刺激の提示と同期している場合、その活動は刺激に対する視覚応答と考えられ、さらにその活動が刺激の色や形などの特性に応じて変化する場合、その活動は刺激の性質の神経表現と考えられる。しかしながら、本研究では、目標選択性の前瞬時型活動が、位置情報を含まない変更刺激に対して同期しており、従って、この活動は変更刺激に対する単なる視覚応答やその性質の神経表現ではなく、変更刺激によって引き起こされる、短時間の内的な情報処理過程の反映であると考えられる。STS課題の要請からすると、前瞬時型活動は目標表象の操作過程を反映するものであることが示唆される。

 後増強型の目標選択性神経細胞活動は、遅延期間中に徐々に増強し、サルがサッケードを許されるか、あるいは、目標表象を更新するよう指令されると、その活動は急減衰した。これは、多くの先行研究において、前頭前野神経細胞が、様々な感覚入力の後に、反応目標の位置や反応方向に選択的な、徐々に増強する活動を示したことと一致する。活動のこのような増強傾向は、サルが予期している事象や反応に対する神経表現を示唆し、目標選択性と考え合わせると、本研究の後増強型活動は、目標表象あるいは差し迫るサッケードの準備的構えを反映するものと考えられる。

順序要因の影響

 いくつかの神経細胞のシフト遅延期間活動は、順序要因によって影響を受けた。この影響が意味するところについてはいくつかの可能性がある。

 第1に、連続運動課題を用いた研究において、同様の順序あるいは数的効果が報告されている。ただし、連続運動課題では、順序情報は課題遂行に必須のものであるのに対し、STS課題では、順序情報は明白に必要とされるものではなく、サルは目標表象を保持し、変更刺激ごとにそれを更新することで、STS課題を遂行することができる。実際、多くの前頭前野神経細胞が、目標選択性の活動を示したことは、サルがこの保持/更新戦略を採用していることを示唆する。

 第2に、上頭頂小葉と前頭前野における、数的あるいは量的な表象について近年報告がなされた。しかし、本研究で見られた順序要因の影響は、目標選択性に強く結びついているため、本研究の所見は、数に対する反応性とまでは言えないと思われる。

 第3に、本研究の順序要因の影響には、サッケードの確率や報酬期待を反映する成分が含まれる可能性がある。実際、順序要因の影響を受けた神経細胞は、第1よりは第2、第2よりは第3シフト遅延期間に好んで活動を示す傾向があり、この可能性を窺わせる。

 第4に、本研究の順序要因の影響は、課題遂行の助けとなるような、順序的な文脈あるいは試行の経過情報を表現しているのかもしれない。

仮説的モデル

 前瞬時型および後増強型神経細胞の時間的な活動様式を見ると、前者の目標選択性活動は後者のそれが急減衰するとともに現れ、また、前瞬時型活動が頂点に達した後に、後増強型活動が再び増強し始めていた。このような時間的活動様式と目標選択性を考え合わせると、前瞬時型の神経細胞は、同様の目標選択性を持つ後増強型の神経細胞を活性化していると、みなせるかもしれない。さらに推測すれば、STS課題の遂行時、前者が更新過程に関わり、後者が位置情報を保持するメモ的に働いているのかもしれない。

 我々は、本研究の所見から、STS課題における目標表象の更新に関わる神経機構について、仮説的なモデルを構築した(図2)。現実の脳においては、モデル中の単位要素は、前頭前野に限定されない、他のいくつかの領野と協力して機能している可能性がある。我々のモデルは、作業記憶について提唱されているモデルと基本的な構造を共有する。保持系の単位要素は、遅延期間中に目標表象を保持する機能を持つ。さらに、このモデルは、2つの対立する感覚入力を仮定すれば(図にはSTS課題に合わせて、手掛かり刺激からの1つの位置的入力しか記されていないが)、対立感覚入力の加算判定機としても機能すると思われる。この場合、対立入力を受ける更新系の単位要素は、各々と選択性の一致する保持系の単位要素を活性化しようと、互いに競合すると考えられる。

結語

 本研究の所見は、いくつかの先行研究における、遅延反応課題遂行中の前頭前野の予期的神経表現や、前頭前野神経細胞の一過性および持続性活動の報告と合致するものである。本研究では、STS課題を用いることにより、位置的感覚入力と操作的神経過程を分けることが可能となった。本研究の前瞬時型活動は、変更刺激により引き起こされた、目標表象の操作と更新のための神経過程に関わるものと考えられ、一方、後増強型の活動は、操作過程完了後の、予期的な目標表象あるいはサッケードのための準備的構えに関わるものであると考えられた。

図1.連続目標変更課題

表1.シフト遅延期間に要因の組合せの影響を受けた神経細胞の数

図2.目標表象の更新に関わる動的機構の仮説モデル

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、心表象内に保持され情報の操作に深く関わると考えられる前頭前野の、そのような操作・更新に関わる神経機構を明らかにするために、新たに連続目標変更課題(STS課題)を考案し、その課題を実行中のサルの前頭前野から単一神経細胞記録を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1.記録を行った233個の前頭前野神経細胞のうち、130個がSTS課題のシフト遅延期間に何らかの反応を示した。このうち、多くの神経細胞が、サッケードすべき位置に選択的な(目標選択性)活動を示した。「前瞬時型」と「後増強型」の2種類の目標選択性神経細胞が認められた。

2.前瞬時型の目標選択性神経細胞活動は、位置情報を含まない変更刺激の提示直後に一過性に出現した。従って、この活動は変更刺激に対する単なる視覚応答やその特性の神経表現ではなく、変更刺激によって引き起こされる、短時間の内的な情報処理過程の反映であると考えられた。STS課題の要請を考慮すると、前瞬時型活動はサッケードすべき位置を示す目標表象の操作過程を反映するものであることが示唆された。

3.後増強型の目標選択性神経細胞活動は、遅延期間中に徐々に増強し、サルがサッケードを許されるか、あるいは、サッケードすべき位置を更新するよう指令されると、その活動は急減衰した。活動のこのような増強傾向は、サルが予期している事象や反応に対する神経表現を示唆し、目標選択性と考え合わせ、この活動は、目標表象あるいは差し迫るサッケードの準備的構えを反映するものと考えられた。

4.いくつかの神経細胞のシフト遅延期間活動は、順序要因によって影響を受けた。この影響が意味するところについては、いくつかの可能性、すなわち、連続運動課題における同様の順序・数的効果や、サッケードの確率あるいは報酬期待など、が考えられた。

5.前瞬時型および後増強型神経細胞の時間的な活動様式を見ると、前者の目標選択性活動は後者のそれが急減衰するとともに現れ、また、前瞬時型活動が頂点に達した後に、後増強型活動が再び増強し始めていた。これをもとに、STS課題における目標表象の更新に関わる神経機構について、可能性のある-仮説モデルが提案された。

 以上、本論文では、STS課題を用いることにより、位置的感覚入力と操作的神経過程を分けることが可能となった。前瞬時型の活動は、変更刺激により引き起こされた、目標表象の操作と更新のための神経過程に関わるものと考えられ、一方、後増強型の活動は、操作過程完了後の、予期的な目標表象あるいはサッケードのための準備的構えに関わるものであると考えられた。本論文は、前頭前野における情報の操作に関わる神経機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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