学位論文要旨



No 117717
著者(漢字) 大浦,紀彦
著者(英字)
著者(カナ) オオウラ,ノリヒコ
標題(和) 血管内皮細胞におけるシェアストレス応答遺伝子の解析
標題(洋)
報告番号 117717
報告番号 甲17717
学位授与日 2003.03.05
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2055号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 重松,宏
 東京大学 助教授 小塚,裕
 東京大学 助教授 朝戸,裕貴
 東京大学 講師 柴田,政廣
内容要旨 要旨を表示する

研究の目的・背景

 血管内面を覆う内皮細胞は常に血流に起因するメカニカルストレスであるシェアストレスを受けている。内皮細胞には血流の変化をシェアストレスの変化として認識し、細胞応答を起こす性質がある。シェアストレスに対する内皮細胞応答は生体の血流依存性の現象として知られている血管新生、血管のリモデリング、あるいは粥状動脈硬化症の発生に深く関わると考えられている。概して、in vivoで血流の増加は動脈径の増大と毛細血管数の増加を起こし、一方、血流の減少はその逆の反応を生じる。また、ヒトの粥状動脈硬化病変は動脈の湾曲部や分岐部の血流が停滞、再循環、剥離などの二次流を生じ、シェアストレスが相対的に低くて乱流性の部位に好発する。このことから内皮細胞に対する乱流性のシェアストレスの作用と粥状動脈硬化の関係が注目されている。

 流れ負荷装置を用いて培養内皮細胞にシェアストレスを作用させるin vitro実験により、内皮細胞がシェアストレスに敏感に反応して様々な細胞機能の変化を起こすことが示された。例えば、シェアストレスが加わると血管のトーヌスの調節に関わるnitric oxide, c-typenatriuretic peptide, adrenomedulin, endothelin, agiotensin converting enzyme、細胞増殖因子のplatelet-derived growth factor, heparin binding-epidermal growth factor, transforming growthfactor-β, fibroblast growth factor、細胞同士の接着に働くvascular adhesion molecule-1, intercellular adhesion molecule-1, selectin, integrin, connexin、血液の凝固・線溶に関わるthrombomodulin, tissue factor, tissue plasminoggen activator, thrombinreceptorなどの産生・発現が変化する。シェアストレスで内皮機能が変化する際には、多くの場合、その機能に関連した遺伝子の発現も変化する。これまでにシェアストレスにより発現が変化する約30の内皮遺伝子が報告されている。しかしながら、これまでの検討のほとんどが個々の遺伝子の反応に関するものであり、多数の遺伝子の応答を網羅的に解析したものは極めて少ない。

 そこで本研究ではDNAマイクロアレイ法を用いてシェアストレスに応答する内皮遺伝子の同定と、その継時的応答パターンの包括的解析を行った。また、粥状動脈硬化と関連する乱流性のシェアストレスに反応する遺伝子についても併せて検討した。

実験方法

 細胞培養:ヒト臍帯静脈から初代培養した内皮細胞(HUVEC)と、Clonetics社から購入したヒト冠動脈内皮細胞(HCAEC)をM199培地に15%牛胎児血清,内皮増殖因子(30 μg/mL)とheparin(50 μg/mL)を加えた培養液で培養した。実験には継代数7-10の細胞を使用した。

 流れ負荷:層流は平行平板型装置で、乱流は回転円錐型装置で細胞に負荷した。平行平板型装置では細胞の付着したガラス板に200 μmの距離を離してアクリル板を対向させ、その中をポンプで培養液を灌流させた。細胞に作用するシェアストレス(τ,dyne/cm2)はて=6 μQ/a2b(μは液の粘性、Qは流量、 a、 bは流路の高さと幅)で計算した。回転円錐型装置では細胞の付着した円形のガラス板の入った10 cm径のディッシュの培養液中に浸した円錐盤をモーターで回転させた。細胞に作用するシェアストレス(τ, dyne/cm2)はτ=μω/α(μは液の粘性、ω)は回転角速度、αは円錐盤の角度)で、修正レイノルズ数Rは、R=r2 ω α2/12V(rは中心からの半径方向の距離、vは動粘性係数)で計算した。乱流となるR>4の条件を満たすディシュの中心から半径2.4 cmより外側の細胞を乱流負荷のサンプルとした。

 DNAマイクロアレイイ解析:遺伝子発現の網羅的解析にAffymetrix社製のGeneChipシステムを用いた。細胞からRNAを抽出し、T7 RNA plymearae promoterを含むoligo-dT primerで2本鎖cDNAにした後、無標識のATR, CTP, GTP, UTPとbiotin標識したCTPとUTPの存在下で転写を行った。biotin標識したcRNAを抽出して50〜150塩基にランダムに切断したものを5600のヒト遺伝子のオリゴ・プローブが載ったHuGene FL arrayに加えて16時間インキュベー卜した。arrayを洗浄後、streptavidinで染色して,Hewlett-Packard GeneArray Scannerで測定した。遺伝子発現の変化を静的コントロールに対するfold changeとして表した。

 Real time PCR:細胞か抽出したRNAをMoloney murine leukemia virus reverse transcriptase(Gibco)を用いて一本鎖cDNAに逆転写し、urokinase plasminogen activator(uPA), tissueplasminogen activator(tPA), plasminogen activator inhibitor-1(PAI-1)遺伝子に特異的なprimerと、TaKaRa EX Taq R-PCR version、SYBR Green I、Smart Cyclerを使ってPCRを行った。各遺伝子の発現の定量化のためにシェアストレスで変化しないGAPDH遺伝子のシグナルで規格化した。

 Enzyme linked immunosorbent assay (ELISA):HCAECに乱流と層流のシェアストレス(1.5 dyne/cm2、1-48 h)を作用させて、灌流液を採取し,tPA, uPA, PAI-1の蛋白量をサンドイッチ抗体法を用いた市販のELISAキットで測定した。

結果と考察

1.シェアストレスに応答する遺伝子の割合

 層流性の動脈レベルのシェアストレス(15 dyne/cm2, 24 h),に対してHUVECではUp(fold changeが2以上)する遺伝子が50±21(mean±SD, n=3)、Down(fold changeが1/2以下)が133±33と、全体の約3.2%(183/5600)が応答した。同様の条件で、HCAECではUpが50±1(n=2)、Downが120±4で、全体の約3.0%が応答した。静脈レベルのシェアストレス(1.5 dyne/cm2, 24 h)ではHUVECで全体の2.1%、HCAECsで2.0%と、動脈レベルのシェアストレスよりも応答する遺伝子が減少した。また、HCAECに対する乱流性のシェアストレス(1.5 dyne/cm2, 24 h)負荷では全体の約1.1%と、応答する遺伝子がさらに減少した。仮に、2万の遺伝子が内皮細胞で発現しているとすると、3%の場合、概算で約600の遺伝子がシェアストレス応答性であることになる。

2.層流のシェアストレスに反応する遺伝子

 HUVECに対する層流のシェアストレス(15 dyne/cm2, 24 h)負荷実験を3回行って再現性を持って発現がUpあるいはDownした遺伝子を検討したところ、様々な機能カテゴリに属する遺伝子が含まれていた。特記すべき所見としてシェアストレスで発現がUpする遺伝子にNAD(P)H, heme oxygenase, G6PDH, Thiredoxin reductaseなど抗酸化ストレスに働くものが多く見られた(全体の29%)。これは層流のシェアストレスが内皮保護的に働くというこれまでの考え方を支持する結果と思われる。一方、Downする遺伝子の中には、cyclin B, thymidine kinse, cyclin-dependent kinaseなどDNA合成やcell cycleに関わるものが多数(全体の58%)含まれていた。この所見から層流のシェアストレスがHUVECの増殖を抑制する効果のあることが予想されるが、実際にそうなることが既に報告されている。

3.経時的な遺伝子応答パターンのクラスター解析

 HUVECに層流のシェアストレス(15 dyne/cm2)を3, 6, 12, 24, 48 h作用させ経時的な遺伝子の応答パターンを解析した。その結果、全体を9種類の応答パターンに分類することができた。この中で、Upでは12 hをピークにした山型に増加するパターンが20.2%、6 hまでは変化せず12 h以降に増加するパターンが13.4%、また、時間とともに右肩上がりに増加するパターンが多く50%に見られた。一方、Downでは時間とともに減少するパターンが2パターンあり35.1%と31.5%で、3hで急激に減少するパターンは8.6%であった。6hまで減少してから以後、元に戻っていく2パターンが4.3%と17.6%であった。このようにシェアストレスに対する遺伝子の応答パターンが多様である事実から内皮細胞でシェアストレス刺激が感知されてから遺伝子発現変化を起こすまでの情報伝達経路が多岐にわたっている可能性が示唆された。

4.乱流のシェアストレスに反応する遺伝子

 HCAECに乱流(1.5 dyne/cm2)と層流(1.5 dyne/cm2)を負荷し、層流と比較して乱流で2倍以上にUpする遺伝子をDNAマイクロアレイで同定した。この中にfribrinolysisだけでなく細胞外マトリックスの分解や平滑筋の遊走や増殖を刺激するtPA, uPA、あるいはmetalloproteinaseなど血管のリモデリングに関わる遺伝子が含まれていた。

5.tPA, uPA, PAI-1の蛋白産生と遺伝子発現に及ぼす乱流の効果

 HCAECに乱流(1.5 dnye/cm2)と層流(1.5 dyne/cm2)を1, 3, 6, 12, 24, 48 h作用させ、分泌されるtPA, uPA, PAI-1の蛋白量をELISAで、mRNAのレベルをreal time PCRで測定した。その結果、乱流によりtPAとuPAの分泌が時間とととも増加し、逆にPAI-1の分泌は軽度減少するのが観察された。各mRNAのレベルも蛋白の分泌とほぼ同様の変化を示した。一方、層流ではtPAとuPAの分泌およびmRNAのレベルは最初減少し、12 hで最低値を示した後、元に戻る反応が、PAI-1のそれは軽度増加する反応が見られた。このことからHCAECが乱流と層流の刺激を分別して認識していることと、乱流で発現の上昇するtPA, uPAが動脈硬化関連遺伝子として働く可能性が示唆された。

結語

 本研究により、以下の5点が新たな知見として得られた。

1.培養血管内皮細胞(HUVEC, HCAEC)では層流の動脈レベルのシェアストレスでは全体の約3%,静脈レベルのシェアストレスでは約2%、乱流の静脈レベルのシェアストレスでは約1%の遺伝子が反応して発現が変化した。

2.層流のシェアストレスには培養血管内皮細胞の抗酸化ストレスに働く遺伝子の発現を高め、一方、細胞増殖に関連する遺伝子の発現を抑制する効果が認められた。

3.層流のシェアストレスに対する内皮遺伝子の48 hまでの時系列的な反応パターンをクラスター解析し、9種類のパターンに分類することができた。応答パターンは一様ではなく多様であることが示された。

4.乱流のシェアストレスに反応する内皮遺伝子を同定できた。その中にはtPA, uPA, metalloproteinaseなど血管のリモデリングに関わる遺伝子が含まれていた。

5.内皮細胞のtPA, uPAの分泌およびmRNAレベルは乱流で増加し、層流で減少した。

 今後さらに、こうした包括的な解析を進めることでシェアストレスに対する内皮細胞応答の背後にある多くの遺伝子や蛋白の相互作用のカスケイドが明らかになっていけば、血流依存性の現象である血管新生、血管のリモデリングあるいはヒトの粥状動脈硬化病変の発生のメカニズムの解明や新しい治療法の開発に有用な情報が得られると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、流れ負荷装置を用いて培養内皮細胞に乱流性・層流性の2種類のシェアストレスを暴露させるin vitro実験をおこない、内皮細胞のシェアストレス応答遺伝子をDNAマイクロアレイで包括的に解析した。乱流に特異的に応答するいくつかの遺伝子に注目し、Real time PCR法、ELISAで、遺伝子、蛋白の発現レベルについて検討した。

 本研究により、以下の5点が新たな知見として得られた。

1.培養血管内皮細胞(HUVEC, HCAEC)では層流の動脈レベルのシェアストレスでは全体の約3%,静脈レベルのシェアストレスでは約2%、乱流の静脈レベルのシェアストレスでは約1%の遺伝子が反応して発現が変化した。

2.層流のシェアストレスには培養血管内皮細胞の抗酸化ストレスに働く遺伝子の発現を高め、一方、細胞増殖に関連する遺伝子の発現を抑制する効果が認められた。

3.層流のシェアストレスに対する内皮遺伝子の48 hまでの時系列的な反応パターンをクラスター解析し、9種類のパターンに分類することができた。応答パターンは一様ではなく多様であることが示された。このことから、内皮細胞でシェアストレス刺激が感知されてから遺伝子発現変化を起こすまでの情報伝達経路が多岐にわたっている可能性が示唆された。

4.乱流のシェアストレスに反応する内皮遺伝子を同定できた。その中にはtPA, uPA, metalloproteinaseなど血管のリモデリングに関わる遺伝子が含まれていた。

5.乱流刺激により内皮細胞のtPAとuPAの分泌が時間ととも増加し、逆にそのinhibitorであるPAI-1の分泌は軽度減少するのが観察された。各mRNAのレベルも蛋白の分泌とほぼ同様の変化を示した。一方、層流ではtPAとuPAの分泌およびmRNAのレベルは最初減少し、12 hで最低値を示した後、元に戻る反応が、PAI-1のそれは軽度増加する反応が見られた。このことからHCAECが乱流と層流の刺激を分別して認識していることと、乱流で発現の上昇するtPA, uPAが動脈硬化関連遺伝子として働く可能性が示唆された。

 乱流はヒトの粥状動脈硬化病変は動脈の湾曲部や分岐部の血流が停滞、再循環、剥離などの二次流を生じる部位に好発する。このことから内皮細胞に対する乱流性のシェアストレスの作用と粥状動脈硬化の関係が注目されている。

 本論文は、乱流性のシェアストレス応答遺伝子を包括的に解析した点で独自性があり、本研究の結果は、血流依存性の現象である血管新生、血管のリモデリングあるいはヒトの粥状動脈硬化病変の発生のメカニズムの解明や新しい治療法の開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位授与に値するものと考えられる。

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