学位論文要旨



No 117719
著者(漢字) 奥島,輝昭
著者(英字)
著者(カナ) オクシマ,テルアキ
標題(和) 多自由度系の軌道不安定性及び量子動力学の数値解法
標題(洋)
報告番号 117719
報告番号 甲17719
学位授与日 2003.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4268号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐野,雅己
 東京大学 教授 松井,哲男
 東京大学 助教授 江尻,晶
 東京大学 教授 高瀬,雄一
 東京大学 助教授 染田,清彦
内容要旨 要旨を表示する

 多自由度系における量子動力学は、不可逆過程発現の動力学的機構や統計性の起源に関係し、統計物理学の基礎として理論的に重要であるばかりではなく、レーザー技術の進歩による原子系のボーズ凝縮の実現、分子振動のタイムスケールでの分子振動運動の実時間ダイナミクスの測定などの著しい実験技術の進歩により現実的となった、量子効果が顕著な物理系の動力学の理解、制御の観点からも実際的な課題となった。

 低自由度系に関して、古典系、量子系共に、1自由度カオス系であるstandard mapなどのparadigmaticなカオス系のモデルに関する膨大な考察がなされ、重要な知見が得られているが、3自由度以上の多自由度系での量子効果については未だ十分な考察はなされていない。その主な原因は、多自由度系の量子効果の考察には次の2つの数値解法上の困難が存在するからである:量子効果を測るための基準である古典動力学は、(一般には可視化不可能な、4次元以上の)高次元相空間内の複雑な運動である。このため、運動状態を特徴付ける指標が必要となる。このような指標として、時間空間的に局所的な軌道不安定性を特徴付ける有限時間リャプノフ指数が最も有用な指標であるが、その標準的計算手法であるQR法では、有限時間に由来する誤差のために正確な値を計算することができない;もう1つの困難は、量子動力学の数値解法において、(物理的に興味のある)強い外場中や環境からのランダムな擾乱を被る系にも有効で、多自由度系にも適用可能な量子動力学の数値解法が存在しないことである。

 本論文の目的は、これらの数値解法上の困難を解決するため、正確で効率的な、有限時間リャプノフ指数及び量子動力学の数値解法を開発し、さらに、新たな数値解法を用いて初めて明らかになる動力学的現象について報告することにある。

 第1部では、本論文を通して用いられる多自由度系のモデルである多項式相互作用をもつ振動子系,polynomially interacting oscillators system(PIOS),を、多自由度系の低エネルギー励起を有効的に記述するモデルとして導入する。このモデルがFPU-βやlatticeφ4などのparadigmaticな多自由度カオス系のモデルを含み、分子振動再分配から捕獲ポテンシャル中のボーズ凝縮相に至る様々な分野に現れる低エネルギー励起を記述することを指摘する。さらに、繰り込み処方を用いることで、PIOSモデルについてハミルトニアンの量子古典対応を明確にする。

 以上の準備の後、第II部では、有限時間リャプノフ指数の正確な数値解法を開発し、この数値解法を用いて、多自由度系での集団運動と、軌道不安定性との関係を明らかにする。第3章では、標準的な手法であるQR法の計算結果を次々と正確な値へ修正する近似列を生成することで、有限時間リャプノフ指数の正確な値を計算するための数値スキーム"修正されたQR法"を構成する。この数値解法をstandard mapに適用することで、精度の高い有限時間リャプノフ指数が得られることを確かめる。さらに、近似精度の修正のステップ数依存性から、高次修正項の重要性を示す。

 第II部第4章では、一般的な初期状態から出発した軌道に間欠的に出現する集団運動と、軌道不安定性との関係を明らかにする。多自由度PIOSモデルを用いた数値実験から、カオスの次元の高い不規則運動を示す時間領域では安定性行列の特異値が指数的に時間変化するが、集団運動状態では特異値がベキ的に時間変化することを示す。そして、一般的には、安定性行列の特異値の時間変化はベキ則から指数則へ定性的に変化し、この定性的変化の時刻より近似的保存量の"寿命"が求められることを示す。さらに、(特に、ベキ的時間変化する場合の)特異値を数値的に求めるには、標準的な手法のQR法では定性的にも不十分であり、本論文で開発した数値解法「修正されたQR法」を用いて初めて精度よく計算可能となることを示す。

 第III部では、多自由度PIOSに対して有効な、量子動力学の数値解法を開発する。多項式相互作用項のブロック三重対角性に注目して、シンプレクティック積分子(SI)の高速な評価法を構成することで、パラメタが時間依存の系、例えば強い外場中や環境からのランダムな擾乱を被る系、にも有効な多自由度系の量子動力学の数値解法を構成する。そして、SI-FFT法やハミルトン行列の直接対角化を用いる解法と比較して、計算コストや要するメモリー量が遥かに小さくて済む、効率的な解法であることを示す。さらに、この新たな量子動力学数値解法が高精度の解法であることを、計算機に実装するために数値解法に導入された切断、時間刻みdt及び状態空間Fの切断Fcut、に関して次の2つの収束性を示すことを確認することで確かめる:1)Fcutを固定したdt→0の極限で、波動関数の誤差が、SIの次数mに整合した収束性dtmでゼロに収束する;2)十分に小さなdtで計算されたFcutの波動関数が、Fcut→Fの極限で、Fでの正確な波動関数に収束する。

審査要旨 要旨を表示する

 多自由度系における量子動力学は、不可逆過程発現の動力学的機構や統計性の起源に関係し、統計力学の基礎として理論的に重要であるばかりではなく、原子系のボーズ凝縮の実現、分子振動のタイムスケールでの分子振動運動の実時間ダイナミクスの測定などの著しい実験技術の進歩により、量子効果が顕著な物理系の動力学の理解や制御はますます現実的に重要性となっている。古典的にカオスを示す系が量子系でどのような振る舞いを示すかを解明する量子カオス・量子動力学の研究はその意味で重要であるが、少数自由度の系に関する膨大な知見にもかかわらず、3自由度以上の多自由度系での量子効果については未だ十分な考察がなされていない。

 本論文提出者の奥島輝昭は、多自由度系の量子動力学の解明を目指して、高次元相空間における運動状態を最も良く特徴付ける指標として、有限時間リアプノフ指数を精密に計算する方法の開発と多自由度系にも適用可能な量子動力学の数値解法の開発を行った。

 本論文は、7章と付録Aからなる。序章に続く第2章では、本論文を通して用いられる多自由度系のモデルである多項式相互作用をもつ振動子系,polynomially interacting oscillators system(PIOS)を導入し、このモデルがFPU-βやlatticeφ4などの多自由度カオス系のモデルを含み、分子振動再分配から捕獲ポテンシャル中のボーズ凝縮相に至る様々な分野に現れる低エネルギー励起を記述することを指摘した。さらに、繰り込み処方を用いることで、PIOSモデルについてハミルトニアンの量子古典対応を明確にした。

第3章では、有限時間リャプノフ指数を計算する標準的な手法であるQR法のが有限時間では大きな誤差を持つことを明らかにし、これに対して修正近似列を生成することで、正確な有限時間リャプノフ指数の値を計算するための数値スキーム「修正されたQR法」を提案した。この数値解法をstandard mapに適用することで、精度の高い有限時間リャプノフ指数が得られることを確かめ、さらに、近似精度の修正のステップ数依存性から、高次修正項の重要性を示した。

第4章では、一般的な初期状態から出発した軌道に間欠的に出現する集団運動と、軌道不安定性との関係を明らかにした。多自由度PIOSモデルを用いた数値実験から、カオスの高次元の不規則運動を示す時間領域では安定性行列の特異値が指数的に時間変化するが、集団運動状態では特異値がベキ的に時間変化することを示した。そして、一般的には、安定性行列の特異値の時間変化はベキ則から指数則へ定性的に変化し、この定性的変化の時刻より近似的保存量の寿命が求められること、さらに、ベキ的時間変化する場合の特異値を数値的に求めるには、標準的な手法のQR法では定性的にも不十分であり、本論文で開発した数値解法「修正されたQR法」を用いて初めて精度よく計算可能となることを示した。

 第5章では量子動力学の計算に用いるシンプレクティックFFT(SI-FFT)法とそれを多自由度系に適用する場合の困難について述べた。

 第6章では、多自由度PIOSに対して有効な、量子動力学の数値解法の提案を行った。多項式相互作用項のブロック三重対角性に注目して、シンプレクティック積分子(SI)の高速な評価法を構成することで、パラメタが時間依存の系、例えば強い外場中や環境からのランダムな擾乱を被る系にも有効な多自由度系の量子動力学の数値解法を構成した。そして、SI-FFT法やハミルトン行列の直接対角化を用いる解法と比較して、計算コストや要するメモリー量が遥かに小さくて済む効率的な解法であることを示した。さらに、この新たな量子動力学数値解法が高精度の解法であることを示すため、計算で導入した状態空間Fの切断Fcutに関して、Fcutの波動関数が、Fcut→Fの極限で、Fでの正確な波動関数に収束することを示した。

 第7章では、6章で開発された方法を用いて、3,5,7自由度のφ4モデルの量子動力学計算を行った。古典動力学との対応から量子局在現象を明らかにし、さらにそれが外部ノイズの影響を受けないことから低次元系で見出された動的局在とは異なることを示す有力な証拠を得た。さらに、観測された局在の原因が量子性による古典カオスの抑圧であることを強く示唆する結果を得た。

 以上に述べた本論文の研究成果は、これまで数値的に計算が困難であった多自由度系量子動力学の数値解法のアルゴリズムを与えるとともに、高次元相空間における軌道の安定性を特徴付ける指標としての有限時間リアプノフ指数を従来に比べ格段に少ない誤差で求めることのできる方法を開発したものである。本研究で得られた多くの新たな知見が当該分野に果たした貢献は十分なものがあり、学位論文として高く評価される。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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